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東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
癒しと励まし、そして切なさをテーマとしたオリジナル曲を作っています。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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今日は、奥村チヨの「恋泥棒」のご紹介です。

奥村チヨ(おくむら チヨ、本名、金野智代(こんの ちよ、旧姓・奥村 1947年(昭和22年)2月18日 -))は、千葉県野田市生まれ、大阪府池田市育ちの歌手です。女優の麻生祐未は姪にあたります。

奥村チヨは、夙川学院高等学校在学中に、知人が応募したオーディションに合格してしまい、1回きりの約束でドリンク剤のCMソングを歌ったことがきっかけで、卒業後の1965年に「あなたがいなくても」でデビューをします。

和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出された奥村チヨは、その小悪魔的な魅力と、甘えたような歌い方でたちまち人気を集め、黛ジュン、小川知子とともに東芝3人娘の一角を占め、「ごめんネ・・・ジロー(1965年)」「北国の青い空(1967年)」「恋の奴隷(1969)」「恋泥棒(1969)」「恋狂い(1970)」「くやしいけれど幸せよ(同1970)」「終着駅(1971)」など、次々にヒットを飛ばしていきます。

今日はその中から、1969年10月1日に発売された、通算18枚目のシングルである「恋泥棒」をどうぞ。


恋泥棒/奥村チヨ

この曲の歌詞はこちら

2008年3月7日にフジテレビで放送された「売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生」によれば、奥村チヨの代表曲である「恋の奴隷」が、男性に従属的な歌詞であったことから、奥村チヨ本人はこの曲を歌うことにあまり乗り気ではなかったといいます。
また、この曲のイメージから、当時は自宅周辺にまで付きまとうファン(今で言うストーカー)が多く出現して、悩まされていたということです。

今日は、石川 優子の「時の踊り子」のご紹介です。

石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東市深野出身のシンガーソングライターです。

石川 優子は、小学校4年生の時に、守口市少年少女合唱団に10倍以上の競争率を乗り越えて合格。
中学3年の時にはギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍します。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会にCHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)、円広志(まどか ひろし)、大友裕子(おおとも ゆうこ)、クリスタルキングらとともに出場し、「夜の雨」を歌って注目されます。

そして、1979年3月に「沈丁花」で歌手デビュー。同年7月には石川優子自身が作詞・作曲した2枚目のシングル、「レット・ミー・フライ」、11月には3枚目のシングル「クリスタル モーニング」を発売。この曲は、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、大ヒットをします。

1981年には、通算7枚目のシングルとして発売された「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。美しい声とアイドル並の容姿を持ちながら、作詞・作曲もこなす実力派歌手として認知されます。

今日は、1982年06月21にに発売された、通算6枚目のアルバム 「FULL SAIL(フルセイル)」の中から、「時の踊り子」をどうぞ。


時の踊り子/石川優子

石川優子は、1990年7月に浜松、東京、京都、大阪でのファイナルコンサート「愛を眠せないで」の公演を最後に、歌手を引退しましたが、2009年3月25日に発売されたChageのアルバム「Many Happy Returns(メニー・ハッピー・リターンズ)」に、「ふたりの愛ランド2009」を収録。
25年ぶりに、Chageと再びデュエットでこの曲のレコーディングを行ない、変わらぬ美声を披露しました。

ちなみに、石川 優子本人の言によれば、趣味はプロレス観戦で、好きな選手は寺西勇とスタン・ハンセン(アメリカの元プロレスラー)とのことです。

【時の踊り子って?】
時の踊り子って?

今日は、狩人の「若き旅人」のご紹介です。

狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人による兄弟デュオです。

狩人は、1977年3月25日に、「あずさ2号」でデビューをします。
この曲は、いきなり大ヒットとなり、同年1977年の暮れに行なわれた第19回日本レコード大賞などの数々の新人賞を受賞し、人気となります。

狩人は、「あずさ2号」でサンレモ音楽祭などにも出場。
その後も「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒットにより、スター歌手の地位を確実なものとします。

毎年年末に行なわれる、恒例のNHKの紅白歌合戦には、1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たします。

それ以降は大きなヒットに恵まれませんでしたが、ドラマやCMに彼らの楽曲が採用され、特に、1994年歌謡バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」への出演をきっかけに再ブレイク。
その翌年に「あずさ2号(ニュー・バージョン)」を発売し、その後二人は歌手以外に自らの才能の範囲を広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も並行して行なうようになります。

今日は、そんな彼らの1977年12月10日発売された通算3枚目のシングルである、「若き旅人」をどうぞ。


若き旅人/狩人

私が当時、この曲を初めて聴いた時の正直な感想は、

なんじゃこりゃー、軍歌か!(゚O゚;

でした。(^^;
が、何度も聴くうちにこの楽曲の良さが分かってきて、次第に好きになった曲と記憶しています。
まぁ、子供でしたからね。(^^;
というより、もしも友達に狩人のファンがいなかったら、そんなに何度も聴かなかったかも…。
(。_゚)☆\カーン!(-.-メ)ソウ カイ。

ちなみに、狩人の兄の加藤久仁彦に関しては、二男の加藤三希央(かとう みきお)が、少し前にローザンヌ国際バレエコンクールにおいて、6位に入賞というニュースが新聞を飾ったのが記憶に新しいところです。
親子ともども活躍している様子が伝わってきます。

グループ名である狩人の名前の由来は、2人の恩師である作曲家の都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」と言われて名づけられたもの。今後もこのスタンスを貫いて、ずっと話題の人となっていて欲しいところです。

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