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2016年04月08日

「アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ」 - 名曲のご紹介

今日は、オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」のご紹介です。

オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したバンドです。
プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称で、ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷しました。

オメガトライブの音楽の特徴は、夏、海、リゾートをテーマとしたもので、「サザンオールスターズ」や「TUBE」などとともに、サマーソングのヒット曲バンドとして知られています。

今日は、そんな彼らの、1988年8月10日に発売されたヒット曲、「アクアマリンのままでいて」をどうぞ。


アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ

この曲の歌詞はこちら



この曲は、フジテレビ系列の「木曜劇場」で、1988年7月7日から9月22日まで放送された、浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ、「抱きしめたい!」の主題歌として使われました。

ちょっぴり哀愁を感じる夏の歌という感じですね。
メインボーカルのカルロス・トシキは、サザンオールスターズの桑田佳祐とはまたちょっと違った意味で、1度聴いたら忘れられない、独特の歌い方が特徴の歌手ですが、こちらの方が俄然聴きやすいですね。(^^;
優しい歌声が好感がもてます。

2016年04月06日

「夏のヒロイン/河合奈保子」 - 名曲のご紹介

今日は、河合奈保子の「夏のヒロイン」のご紹介です。

河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。
娘は、歌手のkaho

河合 奈保子は、1980年代に活躍した歌手・アイドルの一人です。
代表曲には、「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などがあります。

河合 奈保子の、その明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、当時幅広い世代に愛され、またスタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2012年の現在もなお古書市場において根強い人気を保っています。

また、歌以外にも、ピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し、自作曲(作詞作曲)も発表しています。

くわえて、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

今日は、そんな彼女の曲の中から、1982年6月10日に発売された通算9枚目のシングルである「夏のヒロイン」をどうぞ。


夏のヒロイン/河合奈保子

河合 奈保子はこの曲で、1982年年末に行なわれた「第33回NHK紅白歌合戦」へ、2年連続で2回目の出場を果たしました。
また、河合奈保子がアイドル歌手としてデビューしてからずっと、シングル(A面)を手掛けてきた作詞・竜真知子、作曲・馬飼野康二コンビの楽曲は、これが最後となりました。

この後は、シンガーソングライターの竹内まりや、作詞・来生えつこ 作曲・来生たかおコンビ、そして作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平コンビなどの作品に変わっていきます。

河合奈保子にまつわるエピソード

・小学生の頃の夢は、保母さんになることだった。
1984年9月20日のザ・ベストテンで、タイムカプセル用に録音された当時のテープが公開され、「近所の小さい子がお姉ちゃんと慕ってくれるのが嬉しい。だから保母さんになりたい。」と、将来の夢を語っている様子が放送されました。

・「オメガトライブ」のメンバーだった西原俊次も河合奈保子ファンの一人で、「ザ・ベストテン」では彼女と会えたことが一番印象に残ったと述べています(1985年12月26日放送分)。

・笑福亭鶴瓶が、サインをねだる熱心なファンの少女にサインをしたとき、「可愛い子だなあ」と思い、印象に残ったといいます。
実は、その少女がデビュー前の河合奈保子だったと後に語っています(『鶴瓶のぐるぐるぐるめ』1984年)。

・巨人の元斎藤雅樹投手が、高校時代から河合奈保子の熱烈なファンでした。
が、なかなかサインを手に入れることができず、日本橋三越のサイン会でようやく入手できたそうです。

2016年04月04日

「もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)/浜田省吾」 - 名曲のご紹介

今日は、浜田 省吾の「もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)」のご紹介です。

浜田 省吾(はまだ しょうご)は、1952年12月29日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ロックミュージシャンです。

浜田 省吾は、1975年、愛奴(あいど)というバンドを結成し、「二人の夏」でドラムス※としてプロ・デビューしたのですがうまく行かず、1976年に「路地裏の少年」でソロ・デビューをします。

ソロ初ライブは同年4月5日、「渋谷屋根裏」で、ロック志向の本人にとっては不本意ながら、予算の都合上、生ギター1本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。
直後に、矢沢永吉のフィルムコンサートの前座を務めます。

また、アイドル歌手時代の竹内まりやとジョイント・コンサートも行なったり、地方のバンドと合体してステージをこなしたりと、歌わせてもらえる所ならどこでも、レコード店の店頭はもちろん、スーパーマーケットの催し、果てはバーのカウンターの中でも歌います。

ソロ活動を行う浜田に、前バンド仲間の町支寛二が合流し、同年12月に愛奴は解散しています。

ちなみに、デビュー時から、サングラスが彼のトレードマークです。

今日は、そんな浜田省吾の、2002年に発売されたアルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」の中から「もうひとつの土曜日」をどうぞ。


もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)/浜田省吾

この曲の歌詞はこちら



いやー、いい曲ですねー。(^o^)
実は私は、この曲を先日初めて聴いたのですが、一聴して気に入ってしまいました。(^.^)

浜田省吾にまつわるエピソードあれこれ

・同じ事務所の後輩であるスピッツとも交流があり、1995年のシングル「我が心のマリア/恋は魔法さ」で共演しています。
まだほとんど売れていなかったデビュー時から、スピッツの音楽性を高く評価しており、「ロビンソン」で彼らがブレイクしたときには「自分のことのように嬉しい」と述べています。

・俳優の時任三郎とは、1980年代からの交友があり、1985年に「WALKING IN THE RAIN」という楽曲を提供しています。
2005年には、「I am a father」のプロモーション・ビデオに時任三郎が出演しています。

・田原俊彦は、デビュー前に「MIND SCREEN」を聴いて浜田省吾のファンになり、デビュー後にこのアルバムに収録された「ダンシング・レディ」をテレビで歌ったことがあります。
また、「明星」1987年1月号で対談もしています。

・元航空幕僚長の田母神俊雄は、「もうひとつの土曜日」がカラオケの十八番だということです。

・明石家さんまを、自身のラジオ番組のゲストに呼んだ際には、「瀬田のスポーツジムで見たさんまのマナーが悪い」と、面と向かって説教を始め、「ボクがゲストやから」と笑いで済まそうとするさんまを無視して説教を続け、さんまを黙らせてしまったことがあります。