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2017年07月18日

「悲しみは駈け足でやってくる/アン 真理子」 - 名曲のご紹介」 - 名曲のご紹介

今日は、アン 真理子の「悲しみは駈け足でやってくる」のご紹介です。

悲しみは駈け足でやってくる アン真理子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アン 真理子(アン まりこ、本名:佐藤ユキ(さとう ユキ) 1945年 -)は、日本の歌手、作詞家、女優です。

アン 真理子は、日劇のダンサー兼コーラス員としてデビューした後、平岡精二クインテット等のソロ歌手となります。

1966年、東京ヒルトンホテルのスター・ヒル・プラザに出演していたときに、出門ヒデと「ユキとヒデ」を結成。
そして、翌年の1967年に、デビューシングルを発売します。

ユキとヒデとしての活動と平行して、ソロ歌手藤ユキ(ふじ ユキ)としても活動。

1968年に、ユキとヒデは解散しますが、藤ユキ名義の活動は続行します(ヒデは同年、ヒデとロザンナを結成)。

1969年に、ソロ名義もアン真理子と改称、再デビューを果たします。

今日は、そんなアン 真理子の、1969年に発売された「悲しみは駈け足でやってくる」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら


「クスン!」「 いい曲だニャー。この曲を聴いていると、泣けてくるニャン」

なおこの曲は、後に浜田朱里がカバーしています。

浜田朱里といえば、「青い花火」も名曲です。
お時間があれば、どうぞこちらもお聴きになってみてください。

青い花火/浜田朱里


※画像をクリックすると、曲紹介ページへジャンプします。

2017年07月13日

「夏色のナンシー/早見優」- 名曲のご紹介

今日は、早見 優の「夏色のナンシー」のご紹介です。

夏色のナンシー 早見優 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

早見 優(はやみ ゆう、本名:福田 一美(ふくだ かずみ)旧姓、舘野(たての) 1966年9月2日 -)は、静岡県熱海市のタレント、歌手、女優です。父は、ジャズシンガーの井上良(いのうえ りょう)。

早見 優は、3歳から7歳まで、グアム、7歳から14歳まではハワイで育ちます。
学校での愛称は“キャシー”。

そして、1980年 14歳の時に、ハワイ三越デパートのエレベーターで「サンミュージックプロダクション」にスカウトされ、単身帰国し、「サンミュージック」と契約。日本のアメリカンスクールに通いながら、タレントとしてのレッスンを受けます。

1982年4月21日 ファーストシングル「急いで!初恋」でアイドル歌手としてデビューをします。
そして、同年の第24回日本レコード大賞新人賞を獲得。

翌年の1983年には、本人出演のコカ・コーラのCMに使われたシングルである、「夏色のナンシー」がオリコンチャート7位にランクイン。
この曲は、TBS系「ザ・ベストテン」などのチャート番組にもランクインするようになり、同年12月の「第34回NHK紅白歌合戦」にも初出場することになります。。

今日はその「夏色のナンシー」をどうぞ。


夏色のナンシー/早見優

この曲は、1983年度のコカ・コーライメージソングで、当初予定していたタイトルは、自身の愛称を用いた「夏色のキャシー」でした。
が、語呂をよくするため、「ナンシー」に変えられたということです。

キャッシーとナンシー
「ねえ、ナンシー。遊ぼうニャン」「何度言ったら分かるニャン。ミーの名前は、キャッ・シー」

この曲のCM版では、サビの部分を、当時コカ・コーラのキャッチフレーズだった「yes、coke、yes」に変えて歌われています。

また、2016年8月に発売された早見優のミニアルバム「Delicacy of Love」には、この曲のリミックス版が収録されており、間奏のコーラス部分には、早見優の2人の娘も参加しています。

2017年07月11日

ついに、米粉100%食パンに成功しました!\(^o^)/

試行錯誤の末、ついに、米粉100%食パンに成功しました!\(^o^)/ ヤッタァ
今日は、そのご報告とレシピを公開したいと思います。(^^)

まずは、論より証拠、以下の2枚の写真をご覧ください。



どうです、うまく焼けているでしょ?(*^^)v

実は、管理人は半年ほど前に、グルテンフリーつながりで、米粉食パンというものに興味をもちました。
が、実際に作ろうとすると、これがちっともうまく行かないのです。【><】
もう何度やっても、普通の強力粉で作る食パンの半分以下の嵩しか出ず、あたかもつぶれたような形になってしまいます。

しかも、モチモチしすぎていて、パン切り包丁で切るのもひと苦労!

米粉100%のパンというのは、非常に難易度が高いのですね、これが。(・_・、) クスン

が、そこは粘り強い私Super源さんのこと。(^^;
最初は、我が家のホームベーカリーについている、「米粉パン(グルテンフリー)」コースを使って、次には食パン型を使ってと、米粉を変え、配合を工夫し、もう100回以上も挑戦しました。

その間使用した米粉、バター、サラダ油等の材料の合計額は、軽く2万円を越えていると思います。

そして過日、ついに成功したのです、自分自身、やっと納得のいく米粉100%のパンが!(T^T) ウルウル←ウレシナキ デス

ということで、以下にそのレシピを公開したいと思います。
この記事が、グルテンフリーの米粉パンを作りたいのに、どうしてもうまく行かない方の参考になれば幸いです。(^^)

材料:
ミズホチカラ 200g
コーンスターチ 大2
てんさい糖 or きび砂糖  20~30g(お好みで調整して下さい)
塩      2g
なたね油 or 太白ごま油 or サラダ油 8g
白神こだま酵母  4g
ぬるま湯(30℃~35℃)   170g

白神こだま酵母


【コツ&ポイント】
・発酵時間が合わないため、ホームベーカリーを使って焼くのは困難です(最低限、ツインバードやMK精工など、手動コースがあるものが必要)。パン型を使ったほうがラクです。
・米粉は、必ずミズホチカラを使ってください。他の粉では、上記写真のようなふっくらした感じになりません。
・(特に最初は)上記に書かれていない材料は使用しないでください。うまく行かない可能性があります。
・型はスーパーシリコン型がオススメです。型離れが非常に良いです。

スーパーシリコン型


【レシピ】
1.ぬるま湯から大さじ3杯を別容器(小皿や計量カップなど)に取り、そこに白神こだま酵母とてんさい糖1gを入れ、5分~10分ほど予備発酵させます。

2.ボールに、残りの材料と、1で予備発酵済みの白神こだま酵母を入れ、なめらかになるまで混ぜます。生地の目安は、すくって落としたときに、「トロトロッ!」と落ちる感じです。

3.サイコロ形をした食パン型に、生地を流し込み、30℃で60分~80分ほど、型の1~2センチ下まで膨らむように発酵させます。



4.型に蓋をして、200度で30分(オーブンによって調整してください)焼きます。

5.焼きあがったら、高いところから1、2度落として蒸気を抜き、型から出します。

6.冷めたら、スライスして出来上がりです。

ミズホチカラで作った食パンはふわふわで、とてもおいしいです。

私は、ここで買いました。(^^)

実は、一足先に、写真つきで商品レビューをここへ書いていたりします。(^^;

それでは、このレシピを、どうぞお試しになってみてくださいね。(^o^)/

2017年07月04日

「さよならルンバ/二葉 あき子」 - 名曲のご紹介

今日は、の「」のご紹介です。

さよならルンバ 二葉 あき子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

二葉 あき子(ふたば あきこ、本名:加藤芳江 1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、広島県広島市の女性歌手です。

二葉 あき子は、広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業します。

音楽学校に在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で、同校に通う期待の生徒・増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受けます。
その増永丈夫は、すでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていました。

二葉 あき子のレコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコードで、卒業後は、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとります。
教師時代も、上京して学校用教材のレコードを吹込みます。

そして、1936年の春に、コロムビアの専属となります。
最初に発売したレコードは、「愛の揺り籃」でした。
その後「あの夢この夢」「月に踊る」「乙女十九」などで世に知られるようになり、1939年に、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットしたことで、人気歌手としての声価を得ます。

これ以後、彼女の歌う多くのブルースがヒットするようになります。
また戦時中は、歌手として慰問活動をしています。

今日は、そんな二葉 あき子の、1948年11月に発売された「さよならルンバ」をどうぞ。

戦後は、「別れても」「夜のプラットホーム」「恋の曼珠沙華」、今日ご紹介した「さよならルンバ」、「村の一本橋」など、多くのヒット曲を放ち、特に1950年に発売された「水色のワルツ」は、綺麗なメロディーに二葉あき子の歌唱が良く合い、人々に潤いをあたえます。

NHK紅白歌合戦にも、1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場し、第6回では、代表曲のひとつである「バラのルムバ」で紅組トリを務めるなど、渡辺はま子・淡谷のり子・松島詩子・笠置シヅ子と並んで、創世記の紅白を代表する女性スターでもありました。

また、懐メロ歌手として、21世紀を超えてもなお活躍しましたが、2003年夏にファンのつどいにて引退を宣言し、故郷の広島に帰郷します。

引退した理由としては、難聴が進行し、バンドの演奏の音が聞き取りづらくなったことが理由であると伝えられています。

なお、曲名に同じく”ルンバ”がつく名曲として、西田佐知子の「コーヒールンバ」があります。
もしもお時間があれば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)

「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 名曲のご紹介|Super源さんの音楽ブログ
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/915/


2017年06月28日

「モンテカルロで乾杯/庄野真代」 - 名曲のご紹介

今日は、庄野真代の「モンテカルロで乾杯」のご紹介です。

モンテカルロで乾杯 庄野真代 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

庄野 真代(しょうの まよ、本名:庄野 眞代(読み方は同じ) 1954年12月23日 - )は、大阪府大阪市出身の歌手・シンガーソングライターです。
ルフラン所属。NPO法人国境なき楽団理事。

庄野 真代は、20歳のときに参加した「フォーク音楽祭」で、予選を次々と突破。
関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされます。

そして、1976年に、アルバム「あとりえ」でデビュー。
都会派ニューミュージックの歌手として、注目されるようになります。

そして、2年後の1978年に、代表曲「飛んでイスタンブール」が大ヒット。
同年大晦日の『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)を受賞し、また『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たします。

庄野真代のヒット曲には、その他1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」などがあります。

今日は、1978年7月10日に発売された「モンテカルロで乾杯」をどうぞ。

この曲は、前作の大ヒット曲『飛んでイスタンブール』に続くシングルで、庄野真代自身2番目のヒット曲となりました。

ちなみに、「モンテカルロ」というのは、西ヨーロッパ・モナコ公国の4つの地区(カルティエ)の1つで、同国の北東部・モナコ湾の北岸に位置する場所です。
モンテカルロはイタリア語で「シャルル3世の山」という意味で、彼の治世下で名づけられました。

そうそう、モンテカルロといえば、1913年(日本の暦でいえば大正2年)に、ここにあるカジノのルーレットゲームで、なんと、黒の目が連続して27回も出るという大珍事がありました。

連続27回ですよ、27回!おお!(゚o゚)

数学的な確率を無視した、もはや神様のいたずらとしか思えない、文字通り人々が啞然とした出来事でした。

ご興味をもたれた方は、以下の記事をお読みになってみて下さい。(^^)

誰もが啞然としたルーレットの目の出方とは?-1913年にモンテカルロのカジノで起こった大珍事!
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1603.html

しかしこれ、ホント、信じられない出来事ですね!(・o・)
まさに驚嘆すべき出来事ですが、時としてこのようなことが起こるから、世の中って面白いのかも知れません。(@_@)ウーン