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Super源さん
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東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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今日は、沢田 研二の「カサブランカダンディ」のご紹介です。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。
ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1960年代後半のグループサウンズ(GS)全盛期から活躍する歌手です。ソロとしてのシングル総売上は1,239万枚で、ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚となります。

1967年2月5日、シングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」でブレイクし、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ (GS) の頂点へと躍り出ます。

とりわけ、端整な美貌の持ち主である沢田研二は、当時の10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルとなります。

今日は、そんな沢田研二の、1979年2月1日に発売された沢田研二の26枚目のシングルである、「カサブランカダンディ」をどうぞ。


カサブランカダンディ/沢田研二

「カサブランカ」というのは、映画「カサブランカ (Casablanca)」を指しており、歌詞中の「ボギー」とは、「カサブランカ」の主演俳優ハンフリー・ボガート(Humphrey DeForest Bogart, 1899年 12月25日(1月23日とする説もあり) - 1957年 1月14日)の愛称です。

当初、テレビ番組などでこの曲を歌う際、洋酒を口に含んで霧を吹くパフォーマンスが話題となりましたが、後に、「子供達がマネをして見苦しい」との苦情が寄せられて、このパフォーマンスは封印されました。
ザ・ベストテンにおいては、「ダーリング」以来の1位を獲得しましたが、同番組ではこの曲が最後の1位となりました。

なお、この曲は、その後以下のミュージシャンによってカバーされています。

・1997年、田村直美がノエビアのCM(コスメティック・ルネッサンスシリーズでカバー。
・2002年、工藤静香がアルバム「昭和の階段 Vol.1」でカバー。
・2003年2月、田村直美がアルバム「コスメティック ルネッサンス~ノエビアCM HITS!~」でカバー。
・2004年、JAZZBILLYがデビューミニアルバム「CASABLANCA DANDY」でカバー。

今日は、たまの「さよなら人類」のご紹介です。

たまは、フォークロックを主体としながら、非常に独創的な音楽性で異彩を放ったバンドです。

メンバーは、知久寿焼(ちく としあき)(本名:知久寿明)ボーカル、ギター、マンドリン、ウクレレ、ハーモニカ担当、石川浩司(いしかわ こうじ)ボーカル、パーカッション、オルガン、リコーダー担当、滝本晃司(たきもと こうじ)ボーカル、ベース(「しょぼたま」ではトイピアノ、鍵盤ハーモニカ)担当、(1986年に加入)、柳原幼一郎(やなぎはら よういちろう、現:陽一郎)、旧メンバー。

たまは、1990年、シングル「さよなら人類」でメジャーデビューをします。
この曲は、、オリコン初登場1位、売上げも58.9万枚を記録。NHK紅白歌合戦への出場も果たします。

1992年には、友部正人との共作「けらいのひとりもいない王様」を発売。

1992年頃にはバンドブームも下火になり、「オゾンのダンス」以降は次第にヒットチャートやメディアに現れることもなくなっていきますが、たまはマイペースに活動を継続。
吉祥寺などのライブハウスで「月例会」と称した月一回の定期ライブも行なっていました(2002年1月まで)。

1995年 、自主レーベル・地球レコードを設立、インディーズでの楽曲発売。

1995年末のライブを最後に、柳原がソロ活動に専念するため脱退し、1996年からは3人での活動となります(通称3たまと呼ばれる)。
ライブでは、斉藤哲也(ナタリーワイズ/アンダーカレント)やライオンメリィ(ヴァージンVS/ヤプーズ/メトロファルス/エコーユナイト)らをキーボードのサポートとして迎える一方、サポートミュージシャンを入れず、アンプや電源が不要でなおかつ携帯しやすい小型の楽器を用いて、より手軽でチープな雰囲気を狙った「しょぼたま」という編成でもライブを行なっています。

さて、今日はそんなたまのデビュー曲である、「さよなら人類」をどうぞ。


さよなら人類/たま

たまの特徴は、演奏楽器にアコースティックギター、ベースに加えてアコーディオン、足踏みオルガン、リコーダー、桶(檜製)・鍋・空き缶などを駆使したパーカッションを用いるなど、生楽器を中心としながらも奇抜な構成・音空間を生かしながら練られた楽曲、そして、日本的な陰翳に富んだ幻想的な歌詞が特徴となっています。

音楽的には、フォークの影響が色濃いですが、日本のフォークロックとしては珍しく、アメリカン・フォークのようにハーモニーを重視している点が特徴です。
柳原幼一郎脱退(1995年)以降は、アコースティックな音の中にシンセサイザーやサンプラーを取り入れた曲となっていきます。

今日は、中森明菜の「スローモーション」のご紹介です。

中森 明菜(なかもり あきな、本名:同じ 1965年7月13日 -)は、東京都大田区生まれ、清瀬市育ちの歌手、女優です。

中森 明菜は、1982年5月1日にシングル「スローモーション」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。

同年7月には、ファースト・アルバム「プロローグ〈序幕〉」を発売。このアルバムは、オリコン週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録します。

続いて発売された2枚目のシングル「少女A」は、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録。
中森明菜は、この曲でブレイクすることになります。

そして、続いて同年11月に発売された3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得。この曲は、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録し、約77万枚を売り上げるヒットとなります。

以降も「北ウイング」、「サザン・ウインド」、「十戒 (1984)」、「飾りじゃないのよ涙は」など次々とヒットを放ち、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor e・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で、2年連続となる日本レコード大賞を受賞。そして、1985年から1987年のレコード・セールスでは、3年連続でトップを記録します。

今日は、そんな中森 明菜の、1982年5月1日に発売されたデビュー曲である「スローモーション」をどうぞ。


スローモーション/中森明

中森明菜の近況
2010年10月に、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。
2014年8月6日に、ワーナーとユニバーサル時代の曲が収録されたオールタイム・ベストアルバム「オールタイム・ベスト -オリジナル-」と、もう1枚「オールタイム・ベスト -歌姫(カヴァー)-」が同時発売されています。

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