[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

2017年06月06日

「横須賀ストーリー/山口百恵」 - 名曲のご紹介

今日は、山口百恵の「横須賀ストーリー」のご紹介です。

横須賀ストーリー 山口百恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

山口 百恵(やまぐち ももえ、戸籍名、三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)1959年1月17日 - )は、東京都渋谷区恵比寿生まれ(出身地:神奈川県)の元歌手、元女優です。

夫は、俳優の三浦友和。長男は、シンガーソングライター・俳優・歌手の三浦祐太朗。次男は俳優、の三浦貴大。

山口 百恵は、1972年12月に、オーディション番組「スター誕生!」で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌って準優勝し、20社から指名を受けます。
同番組へ出ようと思ったきっかけは、当時テレビで活躍していた同い年の森昌子へのあこがれでした。

1973年4月、映画「としごろ」に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。
森昌子・桜田淳子と共に、「花の中三トリオ」と呼ばれます。
山口 百恵のデビューのキャッチコピーは、「大きなソニー、大きな新人」でした。

そして、1973年5月20日に、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として「としごろ」を歌います。
この曲は、スタッフの期待以下のセールスにとどまったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取ります。
これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなります。

年端のいかない少女が、性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で、山口百恵は絶大な人気を獲得することになります。
きわどい内容の歌詞でしたが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手とは違い、山口百恵は年齢が低く、純朴な少女というイメージでした。

歌とビジュアルのギャップ、そしてそれに伴うある種の背徳感が、山口百恵の人気を独特なものにしていったといわれています。

さて、今日はそんな山口百恵の、1976年6月に発売された通算13枚目のシングルである「横須賀ストーリー」をどうぞ。

当時山口百恵は、「ひと夏の経験」以降ついて回った“早熟な少女”という自分の歌手イメージに違和感を抱き、この頃は歌手活動への熱意が薄れ始めていました。
そんな折、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を前年にヒットさせた阿木燿子(作詞)・宇崎竜童(作曲)のコンビを自ら指名して生まれたのがこの「横須賀ストーリー」です。

この新機軸は大当たりし、「これっきり これっきり もう これっきりですか」という印象的なフレーズと共に、曲はナンバーワン・ヒットとなります。
そして山口百恵は、“自分の意志を持ち、潔く今を生きる女性”という、新しい山口百恵像へのリセットを成功させます。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィー、ヒック!
” ( '_') ゴキゲン ジャナイ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン 。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォッ!

またこれが、後の「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」「しなやかに歌って」など、同じスタンスに立った曲のヒットにつながり、その点で「横須賀ストーリー」は山口百恵という歌手の、大きな転換点となる作品となりました。

2017年05月31日

「ソネット/柏原よしえ」 - 名曲のご紹介

今日は、柏原 芳恵の「ソネット」のご紹介です。

ソネット 柏原よしえ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 芳恵は、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

2007年1月11日には、初のカバーアルバム「encore(アンコール)」を発売。
2010年5月26日には、2枚目のカバーアルバム「encore 2」を発売します。

今日は、そのカバーアルバム「encore」の中から 「ソネット」をどうぞ。


柏原芳恵の近況

2010年3月5日に、NHKの「金曜バラエティー」にゲスト出演。
「いつまでもアイドル気分で!」の題目で、かつて同様にアイドル歌手だった麻丘めぐみ、石川ひとみらとともに登場。
そして、アイドル時代のヒット曲「ハロー・グッバイ」と「恋人たちのキャフェテラス」を歌唱しました。

2017年05月22日

「君の歌、僕の歌/CoCo」 - 名曲のご紹介

今日は、CoCoの「君の歌、僕の歌」のご紹介です。

君の歌、僕の歌 CoCo ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

CoCo(ココ)は、1989年にフジテレビの「パラダイスGoGo!!」内の乙女塾から誕生した女性アイドルグループです。

メンバーは、以下の通りです。

・宮前真樹(みやまえ まき)-乙女塾1期メンバー
・羽田惠理香(はねだ えりか)-乙女塾1期メンバー
・大野幹代(おおの みきよ)-乙女塾1期メンバー
・三浦理恵子(みうら りえこ)-乙女塾2期メンバー
・瀬能あづさ(せのう あづさ)-乙女塾2期メンバー

当初は5人のメンバーでしたが、1992年5月17日に、日本武道館でのコンサートを最後に瀬能あづさが脱退。
その後は、4人で活動を続け、1994年に解散しました。

今日は、そんなCoCoの1990年11月7日に発売されたミニアルバム「Snow Garden(スノー・ガーデン)」の中から、「君の歌、僕の歌」をどうぞ。


君の歌、僕の歌/CoCo

この曲の歌詞はこちら

CoCoは、1989年9月に「EQUALロマンス」でデビューしますが、それ以降「横浜Boy Style」まで、11曲が連続ベスト10入りし、3枚目のシングル「夏の友達」から「Newsな未来」まで、4曲連続ベスト3入りを果たしています。

そうそう、このタイトル、どこかで聞いたことがあるような…、と思っていましたが、今分かりました。(^^)

エルトン・ジョンの「僕の歌は君の歌」(原題:Your Song)です。
こちらも名曲ですね。
曲も、どことなく似ているような?(?_?)

2017年05月16日

「積木の部屋/布施明」 - 名曲のご紹介

今日は、布施 明の「積木の部屋」のご紹介です。

積木の部屋 布施明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。

布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。

1975年に、「シクラメンのかほり」がヒットし、第17回日本レコード大賞・第6回日本歌謡大賞・FNS歌謡祭での最優秀グランプリなど、多数の賞を受賞します。

布施 明は、アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、その歌唱力への評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲストとして出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。

1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚し、話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。
1983年には2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。

また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。

今日は、そんな布施 明の、1974年3月10日に発売されたシングルである「積木の部屋」をどうぞ。

布施 明はこの曲で、同年の大晦日に行なわれた「第16回日本レコード大賞」で歌唱賞を受賞。
あわせて、この曲で「第25回NHK紅白歌合戦」へ8年連続8回目の出場を果たします。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィーッ!
” ( '_') ゴキゲンダネ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン 。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォッ!

積木の部屋のオリコンチャート上の売上げ数は、58.2万枚を記録。
この曲は、「シクラメンのかほり」に次ぐ、布施 明の2番目のヒット曲となりました。

2017年05月11日

「バレンタイン・キッス/国生さゆり」 - 名曲のご紹介

今日は、国生さゆりの「バレンタイン・キッス」のご紹介です。

バレンタイン・キッス 国生さゆり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

国生 さゆり(こくしょう さゆり、1966年(昭和41年)12月22日 -)は、鹿児島県鹿屋市の女優・タレント・歌手です。

国生 さゆりは、1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブ会員番号8番として、「夕やけニャンニャン」開始とともにデビューをします。
そして、翌年の1986年(昭和61年)に、シングル曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。

国生 さゆりは、学生時代は陸上部のキャプテンを務めていたことに加えて、「夕やけニャンニャン」開始時には既に学生ではなかったことから、夕方5時放送開始の番組には日中のリハーサルから連日参加し、陸上部のキャプテン時代とリハーサルで得た体験を交えつつ、自発的に歳下の学生メンバーに指導するなど、自然とおニャン子クラブのリーダー格となっていきます。

しかしながら、この頃のおニャン子クラブは、「セーラー服を脱がさないで」をフロントで歌う4人-新田恵利、中島美春、福永恵規、内海和子-にスポットが当てられている感じだったため、その後ろで、その他大勢の1人として踊っている国生さゆりがおニャン子クラブの一員であることは、世間一般ではまだまだ認知されていませんでした。

が、デビュー後1年たった1986年に、ようやくそんな国生さゆりにも運がめぐってきます。
2月1日に、国生さゆりwithおニャン子クラブ(国生のサブボーカルとして、白石麻子・渡辺美奈代がつく)名義のもと、「バレンタイン・キッス」でソロデビューすることになったのです。

当時のおニャン子クラブ大ブームの中、この曲は約30万枚のヒットとなり、現在でもバレンタインシーズンには定番の曲となっています。

それでは、今日はそんな国生さゆりの、1986年2月1日に発売された、その「バレンタイン・キッス」をどうぞ。


バレンタイン・キッス/国生さゆり

この曲の歌詞はこちら

国生さゆりといえば、やっぱりこの曲ですねー。(^o^)
(゚ー゚)(。_。)ウンウン ← (^^; ヒトリ デ 納得 シテル。

この曲は、フジテレビ『月曜ドラマランド』エンディングテーマとして使われ、第1回 日本ゴールドディスク大賞 The Best Single of The Year を受賞しました。

ちなみに、国生さゆりの本名の正式な表記は「國生さゆり」で、NHKに出演する際などはこちらが使われる場合もあります。
この「さゆり」という名前の由来は、父親が吉永小百合のファンだったことから名づけられました。

なお、同年発売された曲には、以下のようなものがあります。

雨のプラネタリウム/原田知世
木枯しに抱かれて/小泉今日子
深呼吸して/渡辺満里奈
MAY(メイ)/斉藤由貴
WAKU WAKUさせて(ワクワクさせて)/中山美穂

以上、あいうえお順(井上順ではありません【><】)。

※クリックすると、同サイトの曲紹介ページへ飛びます。