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2017年04月02日

「ひまわり娘/伊藤 咲子」 - 名曲のご紹介

今日は、伊藤 咲子の「ひまわり娘」のご紹介です。

ひまわり娘 伊藤 咲子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。

伊藤 咲子は、1973年 15歳の時にオーディション番組「スター誕生!」で優勝し、これをきっかけに芸能界へ入ります。
そして、翌年の1974年に、 「ひまわり娘」で、アイドル歌手としてデビュー。

同年末には、「木枯しの二人」を発売。
この曲は、翌年の1975年、オリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン。
自身最大のヒット曲となります。

また、翌年の1976年には、 「きみ可愛いね」で「第27回NHK紅白歌合戦初」出場を果たします。

今日は、そんな伊藤 咲子の、1974年12月01日に発売されたデビュー曲、「ひまわり娘」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

ちょっぴりセクシーさを強調したジャケットでしょうか?
笑顔が素敵です。(^^)

伊藤 咲子の曲は、あと「青い鳥逃げても」が、私には強く印象に残っています。
こちらはぶっちゃけた話、それほど良い曲ではないのですが(^^;、彼女の豊かな声量と表現力で、”聴かせる曲”になっているという感じです。

機会がありましたら、1度お聴きになってみてください。
私のいっていることが、お分かりいただけるかと思います。

まことに突然ですが、この方は誰でしょう?


はい、そうです。
「おまわり娘(婦人警官)」、ですね。【><】

岩崎宏美や由紀さおりもそうですが、特別名曲ではないごく普通の曲が、彼女たちが歌うと、たちまち味のある素晴らしい曲に変身します。おお!(゚o゚)
これがきっと、”プロの歌唱”というものなのでしょうね。
(゚ー゚)(。_。)ウンウン ← (^^;ヒトリデ 納得 シテル。

伊藤 咲子のエピソード

・デビューするにあたり、「スター誕生!」で芸名を公募した際、男性器をもじった案が、下ネタ嫌いといわれる司会の萩本欽一によって紹介されました。
その前には、スター誕生の出身で、当時「花の中三トリオ」と呼ばれた森昌子・山口百恵・桜田淳子の3人の、それぞれ最初の文字をいただいた「森山 桜」という案も紹介されたこともあります。
が、最終的には、本名でデビューすることになったと、萩本欽一によって発表されました。

・母方の親戚に声楽家の砂原美智子がいます。

・同期にデビューした城みちると、3、4年交際していたことをお互いに明かしています。

2017年03月31日

「センチメンタルジャーニー/松本伊代」 - 名曲のご紹介

今日は、松本 伊代の「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。

センチメンタルジャーニー 松本伊代 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松本 伊代(まつもと いよ、本名:小園 伊代(こぞの いよ) 1965年6月21日 -)は、東京都大田区出身のタレント、歌手、女優です。
夫はタレントのヒロミ、長男はタレントの小園凌央。

松本 伊代は、中学3年生のときに、原宿でスカウトされます。
そして、1981年にTBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格し、デビューをします。
同年10月21日には、「センチメンタル・ジャーニー」で、アイドル歌手としてもデビュー。

当時のキャッチコピーは、「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」。

そして、1982年12月の「第24回日本レコード大賞新人賞」を始めとして、同年に多くの音楽新人賞を受賞します。

その後、『オールナイトフジ』の司会を務めるなど、バラエティ番組でも活動。
1986年からは、川村真澄・林哲司・船山基紀による「恋愛三部作」を発売します。

今日は、そんな松本伊代の、デビュー曲である「センチメンタルジャーニー」をどうぞ。


松本伊代 ?♪☆ センチメンタルジャーニー  LIVE 投稿者 qqmt5fb9k

この曲の歌詞はこちら

この曲は、ロッテ「ガーナチョコレート」のCMソングに使われました。
デビューシングルながら、売り上げは松本伊代自身最大のヒットとなり、さらにこの曲で、松本伊代は翌1982年の第24回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

この曲の歌詞には「伊代はまだ16だから」とありますが、NHKの『レッツゴーヤング』に出演した歳に、この『伊代は』のところが「『わたし』に変更されました。
これは、この曲の発表当時、松本伊代が歌詞通り本当に16歳であり、当時のNHKの基準に照らして、「歌詞が松本伊代の個人宣伝になる」と判断されたためです。

松本伊代のその後と近況

1993年に、番組での共演がきっかけとなり、B21スペシャルのヒロミと結婚。
その後、2男の母となります。

2005年には、1982年の同期デビューだった早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成。

2009年には、アイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美作詞・作曲・プロデュースによる19年振りの新曲「私の声を聞いて」を発売。
配信限定ながら、シングルカットもされました。

2012年には、品川ステラボールでデビュー30周年記念コンサートを開催しました。

2017年には、2月11日に名古屋ブルーノートで、芸能生活35周年を記念したワンマンライブを開催しました。
地方におけるワンマンライブとしては、これが約25年ぶりとなるもので、終演後には「これからは気を引き締めて、このような形のライブも続けていきたいです」とコメントするなど、今後の音楽活動にさらなる意欲を示しました。

松本伊代、芸能生活35周年記念ライブを名古屋ブルーノートで開催 | OKMusic News
http://okmusic.jp/#!/news/158191

なおこの曲は、YUKIが歌った「センチメンタルジャーニー」とは同名異曲です。

松本 伊代のエピソード

・1982年、新人賞レースを争ったことから堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜、早見優らと共に「花の82年組」の1人と呼ばれた。

・運動が全般的に苦手で、ボールがうまく投げられないなどのエピソードが披露されたこともあった。また、デビュー時は、身長156cmに対して体重は38kgしかなく、体重が軽過ぎて自動ドアが開かないこともあったという。

・1984年12月29日の放送のオールナイトフジでで、自著と称する『伊代の女子大生 まるモテ講座』を宣伝した際、本の内容について質問をされ、「まだ読んでないのですけど」と発言してしまい、その場にいた片岡鶴太郎から「自分で書いた本なのにまだ読んでないとはどういうことか」と突っ込まれたことがある。
この件については、「ゲラの状態で最終チェックはしましたが、製本になった状態を見たのはこの時が初めてだったので、(製本された本を)まだ読んでいないと発言した」と弁明をしたが、後に、この弁明に関しても「嘘です」と白状しており、この本は、すべてゴーストライターによる代筆であったことを認めている。

・ボンカレーのCM「だってらっきょうが転がっちゃう編」の撮影で笑うシーンがあるが、本人が緊張してうまく笑えなかったため、テーブルの下にスタイリストが入って足の裏をくすぐり、笑わせられることになったという撮影裏話がある。



・独特の低い声質が持ち味であるが、デビュー当初はスタッフから60年代に人気を博した海外の女性グループのロネッツのテープを渡され、良く聴いて勉強するようにいわれたと語っている。
やはり、ロネッツのフロントのロニー・スペクターは独特の低いハスキーヴォーカルで、加えて松本伊代のデビュー時の楽曲が60年代調のため、参考になるとスタッフが考えていた模様。

・「マイ・ラグジュアリー・ナイト」のヒットで知られる歌手のしばたはつみははとこで、遠縁にあたる。

2017年03月27日

「みかん/大竹しのぶ」 - 名曲のご紹介

今日は、大竹しのぶの「みかん」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

大竹しのぶ(おおたけ しのぶ 本名同じ)は、1957年7月17日、東京都品川区生まれの女優、タレントです。IMALUは明石家さんまとの娘。

1973年、フォーリーブスの北公次主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次の相手役が一般公募されたのですが、彼女はこの応募に合格し、芸能界デビューを果たします。

1974年、浦山桐郎・監督の「青の門」の織江役の一般公募に応じ、1500人の中から選ばれます。
同年、NHK連続テレビ小説「水色の時」の主役オーディションにも合格します。

この「水色の時」の主題歌「白い風よ」は、桜田淳子が歌っています。



大竹しのぶはその後、多くのテレビドラマ、映画、芝居、バラエティー、舞台出演等をこなし、大物女優へと成長していきます。

今日ご紹介する「みかん」は、1976年に発表された彼女のデビュー作で、この曲は5年後の1981年、杉田かおるがシングル「鳥の詩」のB面でカバーすることになります。

さて、それでは早速「みかん」をどうぞ。


みかん/大竹しのぶ

この曲の歌詞はこちら


♪あなたの部屋が寂しすぎたから みかんをひとつ 置いて来ました 食べないで下さい 食べないで下さい♪

で始まる、切なくも、どこかほっこりする曲ですね。(^^)
ちまたでは、大竹しのぶは歌はヘタだといわれているようですが、音程が正確で、間の取りかたもよく、なかなかうまいのではないかと私は思います。
歌っているときの表情もよいです。
何より、歌詞のメッセージが、彼女の歌唱を通して、ひしひしと伝わってきます。

ちなみに、大竹しのぶの従曽祖伯父(曽祖父のいとこ)に、政治家の大竹貫一がいます。
また、母方の祖父に自由宗教家でクリスチャンである吉川一水が、甥にJリーグ・藤枝MYFC所属(元FC町田ゼルビア)の大竹隆人がいます。

大竹しのぶの近況

・2003年公開の映画『阿修羅のごとく』で、桃井かおりと初共演を果たしています。
・2011年秋の褒章において、紫綬褒章を受章しました。
・2016年11月24日、第67回NHK紅白歌合戦に初出場することが発表されました。

【みかんって?】
みかんって?

そうそう、みかんといえば、食べる前、つまり皮をむく前に、甘いかどうかを一瞬で見分ける方法があるのをご存知ですか?
詳しくは、以下のサイトへGo!( ^-^)/

甘いみかんを見分けるワザとは? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1552.html

これはもう、知らないとソンしますよ。
いや、ホント。(゚ー゚)(。_。)ウン。

2017年03月26日

「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」 - 名曲のご紹介

今日は、ディオンヌ・ワーウィックの「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」のご紹介です。

涙の分かれ道 ディオンヌ・ワーウィック ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。
バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学中、作曲家のバート・バカラックと出会い、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」のヒットを放ってからは、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jos)」、「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放ちます。

1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー(Then Came You)」がNo.1になりますが、その後はしばらく不振が続きます。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる楽曲「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒットとなり、この曲はグラミー賞(女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞)を受賞します。

それでは、今日はその「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」をどうぞ。

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涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

いやー、いい曲ですねー。(^o^)
タイトルの「I'll Never Love This Way Again」というのは、翻訳すると「こんな風に愛することは、もう二度とない」となります。

素晴らしい歌詞に、素晴らしい曲。
そして、素晴らしい歌唱!
まさに、名曲だと思います。

その後1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー(Heartbreaker)」がヒット。

そして、1986年には、バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

2007年には、自身のヒット曲をカバーしたCD「マイ・フレンズ・アンド・ミー~バート・バカラックへの想い」を発売。
グロリア・エステファン、グラディス・ナイト、オリビア・ニュートン・ジョン、シンディ・ローパーらと共演しました。

2008年には、ゴスペル集「Why We Sing」を発売。
ゲストは、妹のDee Dee、他 BeBe Winance 等で、ゴスペル集の発売は、1969年の「Soulful」についで2度目となります。

そうそう、涙といえば、感情の種類によって味が変わるということをご存知ですか?

イワシ区、じゃなかった、詳しくは以下のサイトへGo!( ^-^)/

涙は、感情の種類によって、味が変化する? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1123.html

ドコニ アルン ダヨ、ソノ「イワシ区」ッテ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

2017年03月24日

「Maybe(メイビー)/The Chantels(ザ・シャンテルズ)」 - 名曲のご紹介

今日は、The Chantels(ザ・シャンテルズ)の「Maybe(メイビー)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

The Chantels(ザ・シャンテルズ)は、1950年代の初めに、アメリカ、ニューヨーク州・ニューヨーク市ブロンクスで結成された、アフリカ系アメリカ人のガールDoowop(ドゥーワップ *)グループです。

The Chantels(ザ・シャンテルズ)は、1957年に 「He’s Gone(ヒーズ・ゴーン)」 でデビューをします。
全米ポップ・チャートは71位でしたが、翌年の1958年発売のセカンド・シングル 「Maybe(メイビー)」 は、ポップ・チャート15位、R&Bチャートでは2位を記録します。

彼らの音楽性は、当時の幾つかのグループとは異なり、クラシック音楽やラテン讃美歌の影響下にありました。
リード・シンガーのアーリーン・スミスは、古典的な訓練を受けたといわれています。

今日は、そんな彼らの、1958年のヒット曲であるその「Maybe(メイビー)」をどうぞ。


Maybe(メイビー)/The Chantels(ザ・シャンテルズ)

この曲の歌詞はこちら

* Doowop(ドゥーワップは、ポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種。
1950年代半ばから1960年代初頭のアメリカで隆盛し、数多くのコーラス・グループが生まれた。
フランク・ザッパやルー・リード、ジョージ・クリントン、鈴木雅之、山下達郎らは、熱心なドゥーワップ・ファンとして知られている。

そうそう、山下達郎といえば、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?

ええ?!(゚o゚)そんなバナナ!

と思われた方は、以下のサイトへGo! (^_^)/~

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1073.html


「じゃかあしい! 四の五の言ってないで、このバナナ光線を受けてみよ!」

ゲッ!(゚O゚; 何か突然、変なおじさんが出てきましたね。(^^;

ニゲチャオーット...((((( ((;^^)