[4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14]

2016年11月24日

「しあわせをありがとう/水越けいこ」 - 名曲のご紹介

今日は、水越けいこの「しあわせをありがとう」のご紹介です。

水越けいこ しあわせをありがとう ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、1977年に、TBネット系「8時の空」に、歌のお姉さんとしてレギュラー出演し、全国に認知されます。

そして、1978年に、「しあわせをありがとう」でデビューをします。

1979年には、 「ほほにキスして」が大ヒット。

その後は、「Touch Me In The Memories (1979年12月10日)」、「.Thank you SUMMER (1980年06月05日)」、「グッバイ・ダイアリー1980年12月」と、順次シングルを発売していきます。

さて、今日はそんな水越けいこの、1978年06月21日に発売されたデビュー曲である、「しあわせをありがとう」をどうぞ。


しあわせをありがとう/水越けいこ

この曲はてっきり、水越けいこ本人の作詞作曲によるものとばかり思っていましたが、調べてみると、作詞作曲ともに伊藤薫(いとう かおる)で、ちょっと意外な気がしました。

また、歌詞の一部や、歌唱の雰囲気に、後に発売される「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)」を思わせるものがありますね。
こちらも同じく、詩・曲ともに伊藤薫の作品です。

当時私は、中森明菜のデビュー曲を聴いたときに、これはスゴい新人歌手が出てきたなぁと思った記憶がありますが、水越けいこのこの曲を聴いたときにも、同様に感じたことを思い出します。

なお、水越けいこは、シンガーソングライターとして、他の歌手に以下の楽曲の提供も行なっています。

 ・伊藤つかさ「ピエロのオルゴール」「私の騎士(ナイト)はいつも突然」(作詞・作曲)
 ・クラッシュギャルズ「ALL FOR LOVE」「さよならのコンチェルト」(作詞・作曲)
 ・香坂みゆき「二十才のサヨナラ」「星のじゅうたん」(作詞・作曲)、「42nd st.」(作詞)
 ・十朱幸代「想い出のスィング」(作詞・作曲)
 ・原田知世「夢七曜」(作曲)
 ・マーク(堀内護)「ブラインドをあけると」(作詞)

水越恵子のオフィシャルブログはこちら。

水越けいこオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/

2016年11月20日

「挽歌(ばんか)/由紀さおり」 - 名曲のご紹介

今日は、由紀さおりの「挽歌(ばんか)」のご紹介です。

挽歌 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1974年09月01日に発売された、通算20枚目のシングルである「挽歌」をどうぞ。


挽歌/由紀さおり

2016年11月13日

「セクシーストリート/安永 亜衣」 - 名曲のご紹介

今日は、安永 亜衣の「セクシーストリート」のご紹介です。

セクシーストリート 安永 亜衣 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

安永 亜衣(やすなが あい、本名:末安 珠恵(すえやす たまえ)、1969年7月8日 - )は、東京都目黒区出身の元女優です。

安永 亜衣は、小学校1年から10年間、児童劇団に所属し、1987年10月から放送されたフジテレビ系の大映ドラマ『プロゴルファー祈子』(プロゴルファー れいこ)に主演して注目を集めます。

この時、主演女優はオーディションによって選ばれ、最後まで争ったのが、安永亜衣と土家里織(つちや さおり)でした。

そして、翌年の1988年2月に、「if(イフ)」で歌手デビューをします。

彼女当時、理想のタイプとして、身長180cm以上、価値観が一緒、尊敬できる人という3原則を挙げていました。

1990年代前半、報知新聞でタレントの桜金造との「ロマンス報道」があり、ワイドショーでも取り上げられました。

桜が2000年頃出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)でそのことを紹介され、照れくさそうにしていたという話もありますが、交際後、結婚には至らなかったようです(桜金造は、その後別の女性と結婚しています)。

また、写真週刊誌で特集された際、「プロゴルファー祈子」での神島役に基づくメイクと歌手・安永での清純派としてのギャップが取り上げられました。

今日は、そんな安永 亜衣の、1988年8月3日に発売された「セクシーストリート」をどうぞ。


セクシーストリート/安永 亜衣

この曲の歌詞はこちら

2016年11月11日

「バンクショット/藤井一子」 - 名曲のご紹介

今日は、藤井 一子の「バンクショット」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

藤井 一子(ふじい いちこ、1970年6月23日 - )は、福岡県北九州市八幡区出身のの元アイドル、タレントです。

藤井 一子は、1985年に、ドラマ「毎度おさわがせします」のオーディションがきっかけで芸能界入りします。
そして、同ドラマの第2シリーズにて、中山美穂の友達役で芸能界デビュー。

翌1986年に、「夏・体験物語2」でドラマ初主演を果たし、その主題歌となったデビュー曲「チェック・ポイント」が大ヒット。

日本テレビで放送されていた「中井正広のブラックバラエティ」では、VTR中に「チェック・ポイント」がテーマ曲として使われ、またこの曲は、同じ日本テレビ系の情報番組「THE・サンデー」の「芸能&トレンドこれチェック!」のコーナーでも使用されました。

そして、1991年頃に、芸能界から引退します。

今日は、そんな藤井一子の、1987年7月21日に発売された通算4枚目のシングルである「バンクショット」をどうぞ。


バンクショット/藤井一子

なお、この曲の作詞は来生えつこ、作曲は筒美京平で、ドラマ「恋に恋して恋きぶん」の主題歌として使われました(11話には、藤井一子本人も出演)。

2016年11月06日

「プリティー・プリティー/石野真子」 - 名曲のご紹介

今日は、石野 真子の「プリティー・プリティー」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子につけられたのは「100万ドルの微笑」でした。
また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました(八重歯の方は、その後矯正)。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。
この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。

今日は、そんな石野真子の、1979年4月5日日に発売された通算5枚目のシングルである「プリティー・プリティー」をどうぞ。


プリティー・プリティー/石野真子

この曲のステージ衣装には2種類あり、ひとつはマーガレットの花を胸もと一面にあしらったデザインの、かなり丈の短い黄色いワンピース(ミニスカート)と、もうひとつは、「MAKO」と書かれた白のセーラー帽子に白いセーラー服+白のミニスカートでした。