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2017年09月07日

「京都の恋/渚ゆう子」 - 名曲のご紹介

今日は、渚ゆう子の「京都の恋」のご紹介です。

京都の恋 渚ゆう子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、本名:大江 千鶴子 1945年11月8日 -)は、大阪市浪速区出身の歌手です。

渚 ゆう子は、1964年に、久葉真鶴(くばまづる)の芸名で芸能界入りをします。

そして、1965年に、和田弘とマヒナスターズの前唄で出演しますが、そのとき、リーダー和田弘のすすめにより上京。
作曲家浜口庫之助に師事し、ハワイアンを覚えます。

1966年に、「渚ゆう子」に改名。
命名当初は渚夕子でしたが、日没のイメージは良くないということで、ゆう子となります。
名付け親は、マヒナスターズの松平直樹です。

1967年6月に、ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。
この曲は、和田弘とマヒナスターズの佐々木敢一とのデュエット曲です。

そして、1970年に、ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄い、大ブレイク。
渚 ゆう子は、この曲で、一躍人気歌手となります。

その後は、京都慕情(1970.12.01)、さいはて慕情(1971.03.25)、雨の日のブルース(1971.08.05)、長崎慕情(1971.12.01)と、ヒットを飛ばしていきます。

今日は、そんな渚ゆう子の、1970年05月25日に発売された、デビュー曲である「京都の恋」をどうぞ。

この曲は、1970年2月25日に、「ザ・ベンチャーズ」が日本で発売したシングルです。
もともと「ザ・ベンチャーズ」のインストゥルメンタル曲で、同年の1970年に開催された「日本万国博覧会」を記念して製作されたものです。

この曲の日本での英語題は"Kyoto Doll"、米題は"EXPO'70"で、オリジナルレコーディングにおいては、主旋律の演奏にエレキ・シタールが使われています(彼らのコンサートも同様)。

2017年08月28日

「フィルムの向こう側/南野陽子」 - 名曲のご紹介

今日は、南野 陽子の「フィルムの向こう側」のご紹介です。

フィルムの向こう側 南野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。
トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りします。

1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢(ばってき)され、南野陽子が自ら歌う主題歌の「楽園のDoor」は、初のオリコンチャート第1位を獲得します。

そしてその後も、「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」…と、ヒット曲を連発していきます。
また、グリコ、フジカラー、JR西日本などの多数の企業のイメージキャラクターに起用され、CMにも出演。

かくして南野 陽子は、中山美穂、工藤静香、浅香唯(あさか ゆい)とともに、「女性アイドル四天王」の1人として活躍することになります。

今日は、そんな南野 陽子の、1989年11月29日に発売された南野陽子の16枚目のシングルである「フィルムの向こう側」をどうぞ。

聴いていると、どこか落ち着く曲です。(^^)
この曲は、「CHAGE&ASKA」の飛鳥涼が作詞・作曲したもので、エンディングでヨハン・パッヘルベルのカノンを引用しています。

(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!

という曲ですね。(^^)

ソレジャ 分カラナイヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

実はこの曲は、以前このブログでもご紹介しています。
ということで、以下に曲のURLを張りつけます。
大変有名な曲なので、お聴きいただければ「ああ、この曲か!」となるかと思います。(^^)

「涙のカノン/レイモン・ルフェーブル」 - 名曲のご紹介
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/228/

だいぶ前に、CMにも使われたことがあったかと…。

またこの曲は、「秋からも、そばにいて」以来、南野陽子自身9作目のオリコン1位を獲得しました。
が、オリコン初登場で1位を記録しますが、その翌週は「あぁーっ!(゚ロ゚) 」と、15位までランクダウン。【><】

当時のオリコンシングルチャート1位を獲った翌週のランクダウン記録をも更新しました。

実は、それまでのオリコンでのランクダウン記録は、渡辺満里奈の「夏休みだけのサイドシート」で、この曲は1位を獲った翌週に、一気に13位まで落ちたのです。
ところがこの曲は、その「夏休みだけのサイドシート」を越える落ち方をしたわけです。

「あああ~っ!」

写真は、こちらからお借りしました。

あららら。(゚O゚;クマさんまで落ちてきてしまいましたね。【><】

なお、南野陽子の発売したシングルで、オリコン1位を獲得したのは、この曲が最後となっています。

と書きましたが、これはちょっと説明が必要です。
南野陽子は、デビュー2年後の1987年に、映画「スケバン刑事(スケバンデカ)」に主演します。
そして、自ら歌った主題歌「楽園のDoor」で、初のオリコンチャート第1位を獲得。

まぁ、映画の力を借りて売れたという、ここまではありがちなことかも知れません。
が、ここからがスゴいんですね。

このチャート第1位獲得をきっかけに、南野陽子はその後も「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「秋のIndication」「はいからさんが通る」「吐息でネット」…と、出す曲出す曲がすべてヒットし、なんと、8曲連続して、次々とオリコン1位を獲得!
そして、2曲間をおいて「フィルムの向こう側」で再び1位を獲得!

つまり、南野陽子は、”計9曲”ほとんど連続してオリコン1位を獲得しているのです。おお!(゚o゚)

詳しくは、以下の表をご覧ください。

No.タイトル発売日オリコン最高位
6楽園のDoor1987年1月10日1位
7話しかけたかった1987年4月1日1位
8パンドラの恋人1987年7月1日1位
9秋のIndication1987年9月23日1位
10はいからさんが通る1987年12月2日1位
11吐息でネット1988年2月26日1位
12あなたを愛したい1988年6月18日1位
13秋からも、そばにいて1988年10月8日1位
14涙はどこへいったの1989年2月15日2位
15トラブル・メーカー/瞳のなかの未来
(両A面シングル)
1989年6月21日2位
16フィルムの向こう側1989年11月29日1位

このことから、当時南野陽子が、いかに人気が高かったかが分かります。

というより、今日は、私としたことが、かなり力が入ってしまった。(^~^;)ゞポリポリ

2017年08月23日

「ブルー・バイユー(Blue bayou)/リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt) 」- 名曲のご紹介

今日は、リンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー(Blue bayou)」のご紹介です。

ブルー・バイユー リンダ・ロンシュタットジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt, 1946年7月15日 - )は、アメリカのアリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンです。

1965年、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州立大学を1年で退学しLAに向かいますが、そこでキンメルとケニー・エドワーズとリンダをボーカルとするスリーピ、ース・バンド「ストーン・ポニーズ(The Stone Poneys)」を結成します。

そして、1967年1月にアルバム「ストーン・ポニーズ」でデビュー。

このバンドは、当時、一世を風靡していたママス&パパスやラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループです。

デビューアルバムの「ストーン・ポニーズ」は売れませんでしたが、同年6月発売のセカンド・アルバム「エバグリーン Vol.2(Evergreen Vol. 2)」からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなり、一躍注目を浴びます。

愛くるしいミニスカートに裸足という姿でステージに立ち、精一杯歌うリンダ・ロンシュタットは、誰の目にもナチュラル・ボーンな魅力に溢れたシンガーに映り、音楽ビジネス側の興味がリンダ1人に集中していたことは否めません。

その後、「ストーン・ポニーズ」は徐々にリンダのソロ・プロジェクトの色を濃くし、「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)には、他の2人は参加しておらず、1968年の3枚目のアルバム「Linda Ronstadt, Stone Poneys And Friends,Vol.III」は、実質的にリンダのソロ作となり、このアルバムの発売を最後にバンドは消滅します。

シングル・ヒットとしては、ロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、バディ・ホリーの「It's So Easy」などが有名で、リンダ・ロンシュタットは、アリーナやスタジアムでコンサートを行なうようになった最初の女性歌手でもあり、1970年代後半まではロック/ポップ界で最も成功した女性歌手でした。

来日の噂は何度かありましたが実現せず、1979年に初来日し、3月1日から6日の間に日本武道館2回を含む横浜、大阪で計5回の公演を行ないました。

今日は、そんなリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

リンダ・ロンシュタットは、自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流がありました。

また、「恋多き女性」としても知られ、背後にいる男性の存在を抜きにして彼女の音楽経歴は語れない、とまでいわれました。
つき合う男性の服装の好みによってファッションを変えるため、ミック・ジャガーと噂があったときにはホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露。
そして、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したといいます。

イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスをころがせ(Tumbling Dice)」は、リンダ・ロンシュタットのことを歌ったもので、リンダ・ロンシュタット自身もカバーしたことがあります。

売れない時代の友人であったジム・モリソンとはただならぬ仲ともいわれ、またカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン(民主党)との交際も騒がれました。
ジョージ・ルーカスとは婚約しましたが、結婚には至りませんでした。

2017年08月14日

「くるみ割り人形/石川 ひとみ」 - 名曲のご紹介

今日は、石川 ひとみの「くるみ割り人形」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身の歌です。愛称はひっちゃん。

石川 ひとみは、高校2年生の時に、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、1978年5月25日に「右向け右」で歌手デビューをします。
そして、1981年に三木聖子のカバー曲である「まちぶせ」がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

また、NHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)で、声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組「レッツゴーヤング」で、太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍します。

が、1987年に慢性B型肝炎を発症し、芸能界を一時引退、翌年復帰。
その後は、NHK「母と子のテレビタイム(日曜版)」に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開しています。

さらにその後は、一五一会によるCDアルバムを発売しているほか、エイズや肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』があります。

今日は、そんな石川 ひとみのヒット曲の中から、1978年9月5日に発売された通算2枚目のシングルである「くるみ割り人形」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

「ただいまー。くるみ割り人形のCD、買ってきたワン!」
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写真は、こちらからお借りしました。

渥美清とのエピソード

石川 ひとみは、映画『男はつらいよ』の寅さんの大ファンで、友人である斉藤ゆう子と「柴又ツアー」と称して、映画ロケ地の柴又界隈を廻ったことがあります。

そして、1990年3月に、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇。
色紙の持ち合わせがなかったため、無地のレポート用紙にサインをもらい、現在も額縁に入れて大切に保存しているといいます。

またこの時、渥美清からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真を、お返しとして渥美に渡しました。

2017年08月04日

「さよならのめまい/南野 陽子」 - 名曲のご紹介

今日は、南野 陽子の「さよならのめまい」のご紹介です。

さよならのめまい 南野 陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りとなります。

また、1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢され、主題歌の「楽園のDoor」は初のオリコンチャート第1位を獲得します。

その後も、「話しかけたかった」「はいからさんが通る」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」など、ヒット曲を連発。
くわえて、フジカラー、グリコ、JR西日本など多数の企業のイメージキャラクターに起用されてCMに出演。かくして、南野 陽子は中山美穂、工藤静香、浅香唯と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍することになります。

1988年、NHK大河ドラマ『武田信玄』に出演し、1人2役を演じます。
ブロマイドの年間売上が第1位を獲得。
同年、グレナダで発行された切手の題材になります。

1989年、日本テレビ系列の「24時間テレビ」のチャリティー・パーソナリティとしてカンボジアに赴き、リポートを行ないます。
また、自身のシングルのカップリング曲「思いのままに (ニュー・バージョン)」がこの番組のメインテーマ曲として使われ、同年の8月には、「恥ずかしすぎて」から「はいからさんが通る」まで、CD化されていなかったシングル10タイトルがCDシングルとして再発売されます。

そして、そのうちの9タイトルが、オリコンシングルチャートにランクインします。

今日は、そんな南野 陽子の、1985年11月21日に発売されたセカンドシングルである「さよならのめまい」をどうぞ。


この曲の歌詞はこちら

この曲は、フジテレビ系の自身主演ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の挿入歌として使われました(主題歌は吉沢秋絵の「なぜ?の嵐」)。

TBS系の『ザ・ベストテン』においては「今週のスポットライト」(1986年2月6日放送)で、そして日本テレビ系の『ザ・トップテン』においてはは「話題曲コーナー」(1986年1月20日放送)で、それぞれ南野陽子自身初の出演となりました。

南野陽子のエピソードあれこれ

・1988年11月3日、「秋からも、そばにいて」がTBS系の歌番組『ザ・ベストテン』で第3位にランクインした際、歌唱中に突然、歌詞の一部を忘れてしまうというハプニングがありました。
その数年後、『ザ・ベストテン』のスペシャル番組で、当時を振り返り、「あの瞬間に私の歌手生命は終わったと感じました」と語っています。

・『三枝の爆笑美女対談』のゲスト出演で、番組ラストのおもちゃのゲームで司会者の桂三枝(現・六代目桂文枝)が勝てばゲスト女性は彼にキスをするという罰ゲームでキスをすることになりました。
そこで、三枝は目を閉じてキスを待っていましたが、南野陽子本人はキスを手にし、その手を頬にくっつけました。
これに気づいた三枝は「しょうもない」と呆れ、観客の笑いを誘いました(なお、当時の出演した女性ゲストは、概ね実際にキスをしていました)。

・2002年『新・仁義なき戦い2』の製作発表では、「芸能界もやくざの世界なので、今と同じようにひょうひょうと漂っているだけ」と発言し、共演者を苦笑させました。

・2007年に『笑っていいとも!』レギュラー出演が決まった際の会見では、「活躍は出来ないと思います」と語りました。
が、2008年5月 - 9月まで放送されたクイズコーナー「ザ・共通10」での正答率は高く、正解回数は1位でした。
また、最速正解記録ももっており、わずか6秒で正解していたことが「ザ・共通10ファイナル(最終回)」にて発表されました。

・TBSで放送されていた『テレビ探偵団』において、子供の頃好きだった番組は「北斗と南が2人で変身するまでの『ウルトラマンA』」と答え、「2人で変身してこそエース」と発言しています。


「なあ、南野陽子って、ホンット美人だよな~!」「そうねえ!」バシツ!

・日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野陽子本人をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と握手したことがあります。
そのとき、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したというエピソードが残っています。

・岡田有希子とは高校の同級生であり仲が良く、アイドル歌手として一歩先を歩んでいた岡田と歌番組で共演することが目標のひとつでした。
が、1986年4月8日に岡田は自殺。
そしてその2日後の4月10日に、TBS系『ザ・ベストテン』に於いて南野陽子の3枚目のシングル「悲しみモニュメント」が初のランクイン。
共演の夢は、叶うことはありませんでした。

・2005年11月6日には、堀越高校編入以来の親友であった本田美奈子が、急性骨髄性白血病のため38歳の若さで死去。
その訃報を聞いたのは、舞台本番の合間のことでしたが、あまりにショックで、そのまま泣き崩れてしまったといいます。

・関西出身にも関わらず、テレビではほとんど関西弁を話さない南野陽子ですが、関西が舞台のドラマでは、流暢な関西弁を使っています。

・仕事などから帰宅したら、すぐに必ず5分間は、自宅の清掃を行なうといいます。
これは、オンとオフを切り替えるための儀式のようなものであるということです。

・根が出不精であり、仕事以外ではあまり外出しない性質なので、自然と家についての思い入れが深くなり、自分なりに使い勝手のいいように自宅を整理整頓しているといいます。
その際には、ただ、部屋が片付いている状態にするのではなく、「旅行関係のものはココに、明日着ていく服はこの位置に置くようにすれば、3歩分は得するかも!」というように動線を考え、収納場所や家具などのものを、システム化して配置するのだといいます。
そしてこの行動は、「(家は)心地よく・使いやすくでなければ損」というポリシーに基づいているということです。