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2017年12月31日

「ブルドック/フォーリーブス」 - 名曲のご紹介

今日は、フォーリーブスの「ブルドッグ」のご紹介です。

ブルドック フォーリーブス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

フォーリーブスは、日本の男性アイドルグループです。
1967年4月1日結成され、1968年9月5日レコードデビューをします。

メンバーは、北公次(コーちゃん)、青山孝史(ター坊)、江木俊夫(トシ坊)、おりも政夫。

フォーリーブスは、初期のジャニーズ事務所を代表するグループです。

今日は、そんな彼らの、1977年に発売されたした「ブルドッグ」をどうぞ。


ブルドック/フォーリーブス

この曲の歌詞はこちら

この曲は当時、硬派で攻撃的な歌詞や、独特の奇抜なパフォーマンスが話題を呼んで、オリコンにおいて前年の「踊り子」を上回る売上げを記録します。

なお、グループ名である「フォーリーブス」の由来については、「Four Leaves(4枚の葉←leavesはleafの複数形)」が定説となっていますが、もともとはジャニー喜多川が脚本を書いたミュージカル・「いつかどこかで~フォーリーブス物語」内のグループ名からとったもので、「4つに“別れる、去る、出発する”」という意味の自動詞の「“leave”」です。

「ブルドッッグ」。
いやー、何かカッコいいタイトルですねー。(^O^)

このタイトルを見聞きするたびに、私は豪邸の門柱のところとか、あるいは玄関先にいるような、凛々しい「猛犬ー獰猛な犬」を想像してしまいます。(^^)

猛犬に注意 イメージ ユーモア
写真は、こちらからお借りしました。

中には、このようなちょっと頼りない「猛犬」もいますが。(爆)

再結成

・2002年1月29日に、メンバー中誰よりも解散を惜しみ、それまで再結成を訴え続けていた青山の念願がかなって、「フォーリーブス」がついに再結成されます。
初日に中野サンプラザでコンサートが行なわれ、同年8月22日にはシングル「it's more 愛(いつも愛)」が発売。
この曲は、山野楽器銀座本店の週間ランキングで初登場4位となりました。

・2006年8月27日に、ソニー・ミュージックダイレクトからCD-BOX『フォーリーブス 1968-1978』を発売。
これは、全シングルのA面・B面にアルバムから選んだ曲を加えた5枚組で、その後、ソニーミュージックショップのオーダーメイドファクトリーでオリジナル・アルバムや青山孝のソロ・アルバムなどが復刻されています。

・2006年8月12日、NHK『第38回思い出のメロディー』に出演し「ブルドッグ」と「地球はひとつ」を歌唱。
北公次はバック転も披露しました。
これは、彼らの久々のテレビ出演であり、特にNHKには前述の1978年の解散時に出演した『ビッグショー』以来28年ぶりでした。

・2007年1月に、『徹子の部屋』に出演。
以後の全員揃っての在京局のテレビ番組への出演は、2008年2月12日放送の『2時っチャオ!』と2008年11月11日放送の『NHK歌謡コンサート』(ブルドッグ」を歌唱)があります。
また、同年3月2日に放送された『Dのゲキジョー』に江木俊夫がVTR出演した際、フォーリーブスのコンサートや舞台裏の模様も放送されました。

2017年12月25日

「スプリング・サンバ/大場久美子」 - 名曲のご紹介

今日は、大場久美子の「スプリング・サンバ」のご紹介です。

スプリング・サンバ 大場久美子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

大場久美子(おおば くみこ、本名同じ 1960年1月6日 -)は、埼玉県川口市出身の女優、歌手、心理カウンセラーです。

大場久美子は、1970年に、友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。
同社主宰の劇団・「劇団フジ」に入り、児童タレントとして活動を始めます。

1974年には、日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演し、テレビデビューを果たします。
1977年6月5日には、「あこがれ」で歌手デビュー。

そして、1978年6月12日から翌年の1979年の9月24日まで、約1年3ヶ月にわたって放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルとなります。

1979年3月5日には7枚目のシングル「スプリング・サンバ」を発売し、これが大ヒット。
この曲は、彼女の代表曲となります。

それでは、今日はその「「スプリング・サンバ」」をどうぞ。


スプリング・サンバ/大場久美子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン最高位44位、シングル売上3万枚を記録しました。

大場久美子の近況

・2000年に、林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。同年6月21日、シングルCD「Animal Blood」を発売。

・2008年1月18日、この日に放送されたフジテレビ「独占!金曜日の告白」で、8年間パニック障害に悩まされていたことを、初めて公に告白。放送後、大反響を呼びます。

・2008年2月23日に、「KUMIKO OHBA 35th Anniversary Live」を東京で開催。ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露。

・2009年10月3日に、認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得。

・2012年4月4日 活動に協力している「一般社団法人UKC JAPANUKC JAPAN(現・J-Taz'sアニマルシェルター)」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命?20キロ圏内のペット達の想い?」を配信限定で発売。

・2014年7月8日に、林寛子とコンビを組み、アマ名義で「キングオブコント2014」(第7回大会)に参加を表明。『○1○2』(マルイチマルニ)というコンビ名で出場したが、2回戦で敗退となります。

・同年10月7日 この日発売の「週刊アサヒ芸能」で35年ぶりの水着姿を披露。その後も「週刊ポスト」などで披露。

・2015年12月18日、フットリーディングアドバンスセラピスト(足底反射療法士)の資格を取得する。同年12月31日に、父の宣夫死去(享年84歳)。

・2016年9月に、浦安市の会員制美容室の一角を借りて、フットリフレクソロジーサロン『和萌憂つぼ』のビジネスを開始(2017年10月に閉店)。

・同年12月22日に、音楽健康指導士2級の資格を取得す。

・2017年9月16日に、ハンドリフレカウンセラーの資格を取得する。同年11月10日に、食品衛生責任者の資格を取得。

2017年12月18日

「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)/沢田研二」 - 名曲のご紹介

今日は、沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)」のご紹介です。

ラブ 抱きしめたい 沢田 研二 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビューをします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。この曲は65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得し、第4回日本歌謡大賞を受賞します。
続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、そんな沢田研二の、1978年9月10日に発売された25枚目のシングルである「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)」をどうぞ。


LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)/沢田 研二

この曲の歌詞はこちら

前述した「危険なふたり」から、スタイリストとして、早川タケジが参加。
この曲以降、沢田研二の斬新なファッションが確立されることになります。

1978年に発売された「サムライ」では、刺青(いれずみ)風の模様が施されたシースルーの上に、ハーケンクロイツの腕章が施されたナチスを想起させる軍服を羽織り、この「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻くなど、どんどん奇抜な方向へとビジュアル化が進んでいきました。

この曲は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、同年の第29回NHK紅白歌合戦でトリをつとめます。

当時、沢田研二は文字通り時の人で、この曲を歌った1978年を例にとれば、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日で、バックバンドをひきつれて1日3回もテレビに出演。
バラエティ番組にも出演し、沢田研二は「お茶の間のアイドル」として活動していました。

なお、沢田 研二は、1979年にPARCOのテレビCMで全裸で横たわり、上半身裸の新聞全面広告を掲載。
併せて、PARCO各店には手で胸を隠した裸のポスターが貼られ、翌年の1980年2月29日には、写真集「水の皮膚」を発売。

この写真集が、男性歌手としては、初めてのオールヌード写真集となっています。

「♪抱~きしめたい~♪」 ムニャムニャ


なお、この曲は、2004年にロックバンドのBUCK-TICKのボーカルである櫻井敦司によって、2006年にはロックバンドのLUNA SEAのボーカルであった河村隆一によって、カバーされています。

2017年12月10日

「青いスタスィオン/河合その子」 - 名曲のご紹介

今日は、河合その子の「青いスタスィオン」のご紹介です。

青いスタスィオン 河合その子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1986年3月21日に発売された、通算3枚目のシングルである「青いスタスィオン」をどうぞ。


青いスタスィオン/河合その子

この曲の歌詞はこちら

この曲のタイトルの「スタスィオン」というのは、「駅(station)」をフランス風に発音した言葉、もしくはフランス語で「駅」を表す言葉であるとされています。

が、フランス語名詞の "station" は、地上駅の場合は場内信号が設置されていない「停留所」という意味になります。

この曲の歌詞からすると、地下鉄の駅でもないようで、フランス語で一般的な鉄道の「駅」を表す単語としては、"gare"(ガール)が妥当と思われます。

実際、当時この曲が「クイズダービー」の歌詞あてクイズに出題された際、解答者の篠沢秀夫は、「ホームがあるならスタスィオンではなくガールだ」とボードに注記していました。

また、この曲は34.1万枚を売り上げ、河合その子の最大のヒット曲となりましたが、本人はニッポン放送系のラジオ番組「おニャン子のあぶない夜だよ」にて、

「(周囲から)いい『曲』だよねぇ、とばかり言われ。でもいい『歌』と言ってほしい」

と発言。
自らの歌唱ではなく、曲の良さばかりが評価されたことに対し、若干の悔しさを見せていました。


なお、河合その子は、2010年3月に、資生堂の新化粧品ブランド「IN&ON」のコマーシャル出演を発表。
このCMは、4月からオンエアされました。

同CMでは、荻野目洋子、薬丸秀美、伊藤つかさと共演し、またこの時の会見で、夫の後藤との間に子どもが1人いることを明かしています。


秀美が、つかさが、荻野目が、その子が 資生堂CMで「同窓会」

2017年11月28日

「真冬の帰り道/ザ・ランチャーズ」 - 名曲のご紹介

今日は、ザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」のご紹介です。

ザ・ランチャーズ 真冬の帰り道 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ザ・ランチャーズ(The Launchers)は、1962年に結成されたグループ・サウンズのバンドで、1967年11月に、シングル「真冬の帰り道」でデビューをします。

メンバーは、喜多嶋瑛(ドラムス)、喜多嶋修(ギター)、大矢茂(ギター)、渡辺有三(ベース)の4人。

ランチャーズ
は、加山雄三主演の「若大将シリーズ」が始まったころ、藤本真澄プロデューサーが加山に「会社の人間で演奏できるやつを集めてバンドをやれ。映画でも使うぞ」と指示し、その指示を受けて、加山がメンバーをかき集めて1962年に結成したものです。
バンド名は、「進水する」という意味で、ザ・ランチャーズと名付けられました。

第一期(結成当初)のメンバーは、加山雄三、二瓶正也、津田彰、佐竹弘行、三木敏彦、速水洸の6人で、東宝の俳優らを中心メンバーにしてスタートしましたが、それぞれの本業が忙しくなり、活動が困難になったため、一旦活動を停止。

1964年に、加山雄三は従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂の4人で、第二期ザ・ランチャーズを再結成。

1967年に、喜多嶋瑛、喜多嶋修、大矢茂、渡辺有三の4人で第三期ザ・ランチャーズとなり、同年11月に東芝音楽工業よりシングル「真冬の帰り道」でデビューをします。

今日は、そのデビュー曲である「真冬の帰り道」をどうぞ。


真冬の帰り道/ザ・ランチャーズ

この曲の歌詞はこちら

ランチャーズは、全員慶大生という育ちの良さを売り物にするも、メンバーの個性が乏しく、それに加えて、明確なサウンドを打ち出すことができなかったこともあり、デビュー曲以後、これといったヒット曲に恵まれませんでした。

そしてその後、1969年10月にドラムスを喜多嶋瑛から河手政次に交代しながら活動を続けていましたが、1971年春に解散となりました。

なお、1994年7月に、島英二を始めとするザ・ワイルドワンズのメンバーらにより、ランチャーズの名を冠する「加山雄三&ハイパーランチャーズ」が結成さました。

ランチャーズの発売したシングル曲

1.真冬の帰り道/北国のチャペル(1967年11月)
2.教えておくれ/愛のささやき(1968年3月)
3.シリウスの涙/想い出のジュリエット(1968年6月)
4.不機嫌な水溜り/HELLO! BABY MY LOVE(1968年12月)
5.砂のお城/雲を追いかけて(1969年6月)
6.マドレーヌ/昔も現代も真実はこれにつきる(1970年3月)