Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「hangri-La(シャングリラ)/電気グルーヴ」- 名曲のご紹介

今日は、電気グルーヴの「hangri-La(シャングリラ)」のご紹介です。

hangri-La シャングリラ 電気グルーヴ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

電気グルーヴ(でんきグルーヴ)は、1989年に結成された、テクノ、エレクトロを中心とした独特の音楽性と破天荒なパフォーマンスが特徴のバンドです。

電気グルーヴは、1989年4月に解散した人生(ZIN-SAY!)のボーカリスト石野卓球(いしの たっきゅう)とピエール瀧(ピエール たき)が、若王子耳夫(わかぷりんす みみお)を中心に同年に結成したバンドです。

メンバー:石野卓球(ボーカル・サンプリング)、ピエール瀧(ボーカル・サンプリング、瀧)
旧メンバー:若王子耳夫(ギター・ストリングス)、高橋嵐(たかはし あらし、プログラミング)、CMJK(キーボード・プログラミング・DJ)、砂原良徳(すなはら よしのり、キーボード・プログラミング)

日本国外向けにDENKI GROOVEの表記を使用することもあり、主な略称は、「電気、「電G軍団」などです。
電気グルーヴの作品には、世相を風刺したものが多く、1990年代のサブカルの担い手でもありました。

1990年にアルバム『662 BPM BY DG』でインディーズデビューをし、1991年にシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 300000000000) / TMN VS 電気GROOVE」でメジャーデビューを果たした後、アルバム『FLASH PAPA』(フラッシュ・パパ)で本格的にデビューをします。
「N.O.」(エヌ・オー)や「Shangri-La(シャングリラ)」などのヒット曲で知られています。

今日は、そんな彼らの、1997年3月21日に発売された通算8枚目のシングルである「Shangri-La(シャングリラ)」をどうぞ。

hangri-La(シャングリラ)/電気グルーヴ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、電気グルーヴの最高売り上げ記録をもつ、シングルにして唯一のラブソングです。
当初NHK-FM『ミュージックスクエア』のエンディングテーマとして使用されていた曲ですが、のちに、日産自動車の「テラノ」のCMソングとしても使用されたことで、ヒットにつながりました。
結果、オリコントップ10以内にランクインし、電気グルーヴ最大のヒットシングルとなりました。

電気グルーヴの音楽は、ディスコやテクノポップ、ダンスミュージックから、テクノ、エレクトロニカ、アンビエントまで、幅広い電子音楽を網羅しているのが特徴です。
結成当初は、ボーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていたため、ヒップホップグループに分類されることも多かったですが、1993年のアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』の発売以降、より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行します。

また、日本国内での活動と並行して、1995年にベルリンのMFSレーベル(英語版)からシングル「虹」を発売し、それ以後はMAYDAYへの参加など、外国での発売やライブ活動も精力的に行なっています。
シュトックハウゼンの『光』で見られるような被り物」を、メンバーが行なうことも活動初期からあり、電子音楽の先人への尊敬がみられるのも特徴のひとつです。

「hangri-La」は、ベブ・シルヴェッティの「Spring Rain」のサンプリングが軸に

この曲は、ベブ・シルヴェッティ(Bebu Silvetti )の「スプリング・レイン」(Spring Rain)のサンプリングが軸となっています。
が、楽曲完成までには相当な苦労があったということです。
その様子は、各種インタビューで苦心談として語られています。


Bebu Silvetti - Spring Rain

初期の段階では、石野と瀧によるラップの掛け合いで構成されていたといいます。
が、そのバージョンは「とても聴かせられない」ということでお蔵入りとなりました。
その後も、歌詞を制作するためだけの合宿を行なったものの詞がまったく浮かばず、「ずっと『トロフィー』っていう単語しか浮かばねぇ…」と瀧が弱音を吐いたほどでした。

曲のクレジットは、当初「作詞・作曲:電気グルーヴ」と表記されていましたが、サンプリング上の権利問題回避として、作曲者にシルヴェッティの名が先に加えられました。
そのため、JASRACでの登録上も「外国作品」の扱いになっており、1998年度上半期のJASRACの著作権使用料分配額(外国作品)ランキングで、総合5位にランクインされています。

しかしながら、コンピレーション『SINGLES and STRIKES』のライナーノーツによれば、印税の半分はシルヴェッティへ、残り半分をメンバー3人で分けたため、売り上げ枚数に対して収入は少なかったといいます。

「テディーボーイ・ブルース/石野陽子」- 名曲のご紹介

今日は、石野陽子の「テディーボーイ・ブルース」のご紹介です。

テディーボーイ・ブルース 石野陽 子ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。
姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。

石野 陽子は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。

「アイドル・石野真子の妹」ということで、デビュー時から注目を浴びていました。
デビュー曲が売野雅勇と芹澤廣明の作詞・作曲コンビというところからも、力の入りようが伺えます。

石野 陽子は、『セーラー服通り』への主演や『志村けんのだいじょうぶだぁ』での志村けんとの息の合った夫婦コントで、バラドルとして人気を博しました。
志村とは、偶然にも誕生日が同じ(2月20日)です。

Vシネマでは、『ミナミの帝王』シリーズに出演したため、お馴染みの顔となっています。

茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が染めているわけではなく「天然」であることを明かしています。

今日は、そんな石野陽子の、1985年04月25日に発売されたデビュ-である「テディーボーイ・ブルース」をどうぞ。

テディーボーイ・ブルース/石野陽子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、セガの同名のアーケードゲームとのタイアップ曲です。
セガのアーケードゲームとのコラボレーションにより制作された曲で、ゲーム中には、同曲がBGMとして使用されているほか、オープニングには石野陽子のコンサートを描いたデモが入ります。

セガの「テディーボーイ・ブルース」とは?

セガ テディーボーイ・ブルース
写真はこちらからお借りしました。

「テディーボーイ・ブルース 」(Teddy Boy Blues) は、1985年5月に、セガ(後のセガ・インタラクティブ)から発売されたアーケードゲーム専用のアクションゲームです。
このゲームは、映画作品を原作としたものや歴史上の人物を取り扱ったものを除けば、実在の著名人がタイアップ・出演をした最初期のビデオゲームです。

「業界初のアイドルゲーム」であることは、当作品の売りとされており、セガ直営のゲームセンターなどでは、本作の稼働時に「テディーボーイ・ブルース」のソノシートや、石野をメインとしたプロモーションフライヤーが配布されました。

「テディーボーイ・ブルース」のゲーム内容は?

メインステージは一周43面で構成されており、クリア後は1面に戻りループします。
ラウンド数自体は周回後も追加されて行くため、二周目の1面は44面という扱いになります。

各面には、それぞれ決まった数の怪物がおり、すべての怪物を倒すとクリアとなります。
怪物は、弾に当たると無力化し、その状態の敵に触れる事で消滅します。無力化する前の敵に触れるとミスとなるほか、一面ごとに制限時間があり、時間切れになってもミスとなります。

また、これら通常面の他に、二種類のボーナスステージが用意されています。

登場キャラクラーは、以下の通りです。
・テディーボーイ-銃の名手で、怪物を縮小化する特殊なマシンガン「ミクロ銃」を持つ勇敢な少年。
・ヨーコちゃん-アイドル歌手の石野陽子。デビュー曲「テディーボーイ・ブルース」を歌い、テディーボーイを応援する。

その他、アオ・マスカラス、ダルマン、オシシ、のったり、でんでんなどの敵キャラクターが存在します。

「テイク・ア・チャンス・オン・ミー(Take a Chance On Me)/アバ(ABBA)」 - 名曲のご紹介

今日は、ABBAの「テイク・ア・チャンス・オン・ミー(Take a Chance On Me)」のご紹介です。

アイム・ア・マリオネット アバ ジャケットイメージ

ABBA(アバ)は、世界的に有名なスウェーデン出身のミュージシャン、男女4人グループです。
ABBAは、1970年代の半ばから1980年代の初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれています。

メンバーは、アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Faltskog)、ビョルン・ウルヴァース(Bjorn Ulvaeus)、ベニー・アンダーソン(Benny Andersson)、アンニ=フリッド・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)の4人です。

90年代にはマドンナ、最近ではレディー・ガガなど、数多くのミュージシャンが、ABBAの影響を受けたと語っています。
特に、ヨーロッパやオーストラリアでの人気は凄まじいものがあり、CDの総売り上げは3億7,000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストにも名を連ねています。

ABBAは、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974優勝をきっかけに、「恋のウォータールー(Waterloo)」の大ヒットでヨーロッパ中に名前が知られることになります。
そして、1976年に「ダンシング・クイーン」が全世界的にヒット。その後は「ザッツ・ミー」や「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」「アイム・ア・マリオネット」「きらめきの序曲」「チキチータ」「ザ・ウィナー」など、世界的なヒット曲を連発していきます。

今日はそれら多くのヒット曲の中から「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」をどうぞ。


テイク・ア・チャンス・オン・ミー(Take a Chance On Me)/アバ(ABBA)

この曲の歌詞はこちら

ABBAとサンプリング

他の楽曲の(ごく)一部を切り取り、コピペして、自分の制作曲に使うことを「サンプリング」と呼びます。
音楽のレコーディングの世界でも、今やデジタル化が進み、PCを使った楽曲制作がもはや当たり前となった昨今、このサンプリングの在り方が問題となっています。

少し前までは、サンプリングといえば「HIPHOP(ヒップホップ)」という感じで、巷でヒットしているHIPHOPを聴くと、高確率でサンプリング音源が使われていることが確認できました。
が今や、サンプリングはテクノやハウスやPOPSなど、さまさまなジャンルの音楽で行なわれています。

サンプリングには、著作権フリーのものもあり、これらを使うぶんにはもちろん何の問題もないのですが、他人の、著作権のある楽曲から無断で拝借する(パクる)となると、これは大きな問題となります。

ABBAは、このサンプリングというものに寛容でないバンドのひとつで、他のミュージシャンに自分たちの作った曲のサンプリングの使用を許諾することはめったにありません。

ローリン・ヒルの在籍していたヒップホップ・グループのフージーズの楽曲、『Rumble In The Jungle』(1996年発表の『きらめきの序曲』をサンプリング)と、マドンナの楽曲『ハング・アップ』(2005年発表の『ギミー!ギミー!ギミー!』をサンプリング)は、数少ないABBAの許諾例です。


Rumble in the Jungle/The Fugees


Hung Up/Madonna

イギリスのエレクトロニック・ミュージックユニットであるThe KLF (ザ・ケイエルエフ)が、1987年に彼らのアルバム『1987 (What the Fuck Is Going On?)』に収録の楽曲『The Queen And I』にて『ダンシング・クイーン』を無許可でサンプリングした際には、ABAは著作権団体を経由して強く抗議を申し立て、このアルバムは回収措置が取られました。

まあ確かに、自分が苦労して作った作品の一部を、それがたとえ1秒であろうと、他人の楽曲に使われるというのは、あまり感じのいいものではありませんね。
仮にそれが有名アーチストであったとしても…。(@_@)ウーン


「ねえ、『サンプリング』って、2つのものを1つに組み合わせることニャよね」
「それは、『カップリング』。ムニャムニャ」

写真はこちらからお借りしました。