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2019年04月15日

「淋しい熱帯魚/Wink」 - 名曲のご紹介

今日は、Winkの「淋しい熱帯魚~」のご紹介です。

淋しい熱帯魚 Wink ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、鈴木早智子(すずきさちこ)と相田翔子(あいだしょうこ)の2人による、女性アイドル・ポップス・ユニットです。

Winkは、1988年に結成され、同年4月「Sugar Baby Love」でレコードデビューをします。
そして、翌年の1989年に、「愛が止まらない~Turn It Into Love~」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(上期)を受賞。
同年発売の「淋しい熱帯魚」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(年間)、第31回日本レコード大賞を受賞。
さらにまた、同曲で第40回NHK紅白歌合戦に出場を果たします。

今日は、そんなWinkの、1989年7月5日に発売された通算5枚目のシングルである「淋しい熱帯魚」をどうぞ。


淋しい熱帯魚/Wink

この曲の歌詞はこちら

この曲が発売されるまで、彼女たちが歌ってきた曲のほとんどは、洋楽のカバーでした。
それで、この曲もそうかと思いきや、実は、新規に作られたオリジナルなのです。
さすが、良くできてますよね。(o^^o)スバラシイ!

この曲は、発売から間もなく、7月17日付でオリコン初登場1位を獲得し、以後11月27日付まで100位以内に20週連続ランクインします。

また、1989年のオリコン年間ランキングでは7位にランクインし、Winkのシングルとしてはカイリー・ミノーグの楽曲のカバー「愛が止まらない~Turn it into love~」の62.95万枚に次ぐ54.873万枚の売り上げを記録。

この曲は、Winkのオリジナル曲としては、最大のヒット曲となりました。

この曲のタイトルの読み方

タイトル「淋しい熱帯魚」の中の「淋しい」の読みは、JASRACには「さびしい」で登録されていますが、この曲の作詞者である及川眠子(おいかわ ねむこ)によるものは「さみしい」です。

作詞者は自著で、

「さびしい」ではなく「さみしい」が正しいタイトルの読み方。これを濁音にしてしまうと、音に重さが出てしまい、ヒラヒラ、キラキラな Wink のイメージではなくなってしまうので、わざわざ濁らないようにしているんです」

と、述べています。

また彼女は、「さびしい」を「寂しい」、「さみしい」を「淋しい」として使い分けており、なおかつ、本曲での「淋」の文字の選択については、「魚」にかけて”さんずい”のある「淋」を使ったともしており、当楽曲の「さみしい」という読みと「淋」の文字との選定理由が複合してもいます。

2019年04月12日

「君と歩いた青春/風」 - 名曲のご紹介

今日は、風の「君と歩いた青春」のご紹介です。

ウィンドレス・ブルー 君と歩いた青春 風 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

「風」(かぜ)は、「かぐや姫」の伊勢正三(いせ しょうぞう)と、「」の大久保一久(おおくぼ かずひさ)によって、1975年に結成されたフォークデュオです。

代表曲には「海岸通」「あいつ」「あの唄はもう唄わないのですか」「北国列車」「古都」「ささやかなこの人生」「君と歩いた青春」「海風」「Bye Bye」などがあります。

「風」のデビュー曲は、「かぐや姫」解散2月前の1975年2月5日に発売されたシングル「22才の別れ」で、この曲はいきなり大ヒットとなりました。

この「風」というデュオ名は、伊勢正三が名づけたもので、これには「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められています。

さて、今日はそんな「風」の、1976年11月25日に発売された通算3枚目のアルバム『WINDLESS BLUE』(ウィンドレス・ブルー)の中から、「君と歩いた青春」をどうぞ。


君と歩いた青春/風

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですね。(^^)
私は、この曲を聴くといつも、涙が出てきます。(・_・、) クスン
メロディーが、何か琴線に触れるんですよね。

詩の内容は、抜けがけをして彼女と都会へ出た主人公が、そこで彼女と一緒に暮らし始めるのですが、うまくいかず、彼女はまた田舎に帰っていく、といったものです。
まあ、失恋の歌ですね。

このアルバムには、「風」のそれまでの叙情的なフォーク・ロック路線から趣向を変え、ジャズ・フュージョンやソウル・ミュージックを基調としたシティ・ポップ色の作品が数多く収録されています。

サウンドのこの方向転換には、当時、伊勢正三が浸水、じゃなかった心酔(しんすい)していたスティーリー・ダンなどからの影響が色濃く反映されています。

水ニ 浸カッテ ドウスル!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

伊勢正三はこのアルバムについて、2000年に発売された「風」のCD2枚組のベスト盤『コンプリート・ベスト』のライナー・ノーツの中で、

「当時にしてみれば、フォーク・デュオにしては冒険的なアルバムだったが、今にしてみれば、曲の粒が揃った"風"の中では、最も完成度の高いものなのでは、と思う」

と述べています。

「WINDLESS BLUE」の収録曲

A面
1.「ほおづえをつく女」(Album version) 伊勢正三
2.「夜の国道」 大久保一久
3.「3号線を左に折れ」 伊勢正三
4.「旅の午後」 大久保一久
5.「通り雨」 伊勢正三

B面
6.「アフタヌーン通り25」 伊勢正三
7.「小さな手」 大久保一久
8.「地平線の見える街」 伊勢正三
9.「君と歩いた青春」 伊勢正三
10.「ふっと気がつきゃ」 大久保一久
11.「少しだけの荷物」

ちなみにこの曲は、その後太田裕美によってカバーされています。

2019年04月08日

「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲 晃子」 - 名曲のご紹介

今日は、生稲 晃子の「Japanese Girl」のご紹介です。

Japanese Girl ジャパニーズ・ガール 生稲晃子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 -)、本名:佐山 晃子(さやま あきこ) 旧姓・生稲(いくいな))は、東京都小金井市の歌手、女優です。

生稲 晃子は、1986年6月に、「夕やけニャンニャン」内のオーディションコーナーを経て、1986年6月13日に「おニャン子クラブ」の会員番号40番としてデビューをします。

同年の10月に、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で、工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。

11月1日に、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」でフロント4人の中に入ります。

12月に、ローソンの「からあげクン」のCMに単独で出演。
おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用されます。

1987年になると、芸能活動を控え、「夕やけニャンニャン」にも約1ヶ月ほど出演せず、受験勉強に専念。

1987年4月に、恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学し、受験を終えて芸能活動を再開。
復帰初日に、新ユニット「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされて面食らいます。
が、自分の立場では断ることができず、成り行きに任せるしかなかったといいます。

1987年5月に、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー。
同曲及びc/wは、アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌とエンディング曲に起用されます。
そして、1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。
音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切ります。

今日は、そんな生稲 晃子の、「うしろ髪ひかれ隊」活動休止後の1989年5月24日に発売された「Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)」をどうぞ。


Japanese Girl(ジャパニーズ・ガール)/生稲晃子

この曲の歌詞はこちら

すだれ、祭り囃、浴衣、蛍、夜店…、と歌詞だけを読むと演歌になっていてもおかしくないような曲ですが、これがちゃんとポップスになっているところがスゴいですね。おお!(゚o゚)

生稲 晃子のエピソード

・中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動に自信があった生稲 晃子は、1980年代の中頃まで正月恒例の特番であった『オールスター紅白大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていました。
そしてこれが、レコードデビューをして芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げられています。
しかしながら、実際にレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了した直後だったため、石川秀美との競争は叶いませんでした。

・生稲 晃子は、前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいましたが、歌唱力には自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていたくらいです。

・血液型は、生まれてから不明でしたが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際、血液検査されてB型と判明しました。

・アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあり、1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせも出てきました。
このゴロ合わせは『夕やけニャンニャン』でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使用されています。

・「生稲」という苗字を正しく「いくいな」と読まれることが少なく、デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビをつけられることが多かったといいます。


・ソロデビュー曲である「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していたランス、アレンの応援ソングに使われ、現在でも他のプロ野球選手や高校野球の応援で使われることもあります。
また、JリーグのFC東京の応援ソングにも、長年同曲の替え歌が使われていました。

・仲が良かったおニャン子メンバーとして、よく名前を挙げるのは立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀などで、ほかには芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがあります。

2019年04月03日

「しあわせ芝居/桜田淳子」 - 名曲のご紹介

今日は、桜田淳子の「しあわせ芝居」のご紹介です。

しあわせ芝居 桜田淳子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。

また、2枚目のシングル「天使の初恋」まで歌う時に被っていたキャスケットも、桜田淳子ののトレードマークとなり、「エンジェルハット」と呼ばれて話題になります。

この時点で、既に人気アイドルの仲間入りを果たしていた桜田淳子ですが、その後、同じ『スター誕生!』出身で、同世代の森昌子・山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれるようになり、この名称は、3年後の「高三トリオ」まで続きます。

そして、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、「第15回日本レコード大賞新人賞」、「第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞」を受賞。
さらに、その年の大晦日には「第15回日本レコード大賞」の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の、1977年11月5日に発売された、通算21枚目のシングルである「しあわせ芝居」をどうぞ。


しあわせ芝居/桜田淳子

この曲の歌詞はこちら

どこからどう聴いても、中島みゆきの曲ですね。(^^)
中島みゆきのテイストが、この曲のいたるところに散りばめられていると思います。

こ曲は、シングル曲としてはシンガーソングライターの中島みゆきが初めて作詞・作曲を担当したもので、TBSテレビ『ザ・ベストテン』では第1回放送(1978年1月19日放送)に第3位で初登場し、その後、第4回(同年2月9日放送・第8位)まで4週間ランクインされました。

そして桜田淳子は、この曲で『第29回NHK紅白歌合戦』に出場を果たします。

またこの曲は、のちに以下のアーティストによってカバーされています。

・研ナオコ(1978年)- アルバム『NAOKO VS MIYUKI/研ナオコ、中島みゆきを歌う』に収録
・中島みゆき(1979年、セルフカバー)- アルバム『おかえりなさい』に収録
¥岩崎良美(2013年) - アルバム『The Reborn Songs~シクラメン~』に収録

2019年03月29日

「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles(イーグルス)」 - 名曲のご紹介

今日は、The Eagles(イーグルス)のI Can't Tell You Why(言いだせなくて)のご紹介です。(^^)

言いだせなくて The Eagles イーグルス ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

The Eagles(イーグルス)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンドです。
アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇るバンドで、トータルセールスは1億2000万枚を超えます。

The Eaglesの代表曲は、「テイク・イット・イージー」「ならず者」「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」などで、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第75位となっています。

そんなイーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band )編成のためにミュージシャンが集められた機会でした。
これに、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔を合わせ、後に、彼らは独立して1971年8月にバンドを結成することを思いたち、リンダ・ロンシュタットの所属していたレコード会社から「イーグルス」としてデビューすることとなります。

イーグルスのデビュー曲は、「テイク・イット・イージー」で、このシングルは1972年に発売されるやいなや、いきなりヒットを記録。
続いて発売された「魔女のささやき」も、全米ヒットとなります。

さて、今日はそんな彼らの、1980年に発売された「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)」をどうぞ。


I Can't Tell You Why(言いだせなくて)/The Eagles(イーグルス)

なお、イーグルスの現在のメンバーは、以下の通りです。
・ドン・ヘンリー(Don Henley)
 vo, cho, ds担当 1947年7月22日 - 1971年から在籍 テキサス州ギルマー出身
・ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)
 vo, cho, g, key担当 1947年11月20日 - 1975年から在籍 カンザス州ウィチタ出身
・ティモシー・B・シュミット(Timothy B. Schmit)
 vo, cho, b担当 1947年10月30日 - 1978年から在籍 カリフォルニア州サクラメント出身

ちなみに、過去のメンバーは以下です。
・バーニー・レドン(Bernie Leadon)
 vo, cho, g, banjo, steel guitar, mandolin担当 1947年7月19日 - 1971年から1975年まで在籍 ミネソタ州ミネアポリス出身
・ランディ・マイズナー(Randy Meisner)
 vo, cho, b担当 1946年3月8日 - 1971年から1978年まで在籍 ネブラスカ州ブラフ郡スコッツブラフ出身
・ドン・フェルダー(Don Felder)
g , cho担当 1947年9月21日 - 1973年から2000年まで在籍 フロリダ州ゲインズ出身
・グレン・フライ(Glenn Frey)
 vo, cho, g, key担当 1948年11月6日 - 2016年1月18日 1971年から2016年まで在籍 ミシガン州デトロイト出身