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2019年08月18日

「糸/中島みゆき」 - 名曲のご紹介

今日は、中島みゆきの「糸」のご紹介です。

糸 中島みゆき ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

中島みゆき(なかじまみゆき、本名:中島 美雪)は、1952年2月23日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティーです。

中島 みゆきは、1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューをしてます。
暗く重い作風と、ラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで、1980年代前半に大きな人気を博し、現在も根強い人気があります。

今日ご紹介する糸は、1998年2月4日に発売された通算35枚目の曲で、TBS系テレビドラマ『聖者の行進』の主題歌に起用された曲でもあります。(^^)

さて、それでは早速、その「糸」をどうぞ。( ^-^)/


糸/中島みゆき

この曲の歌詞はこちら

この曲は1992年に発売されたアルバム『EAST ASIA』から20年以上経過した、2010年代に大きな支持を受けるに至り、2017年にはJASRAC賞(著作権使用料分配額)の金賞(=年間1位)を獲得しています。

1970年代:わかれうた(1977年)
1980年代:悪女(1981年)
1990年代:空と君のあいだに(1994年)、旅人のうた(1995年)
2000年代:地上の星(2003年)

この曲が生まれたきっかけ、その他

「糸」はもともと、当時熱心な天理教信者だった中島みきが、1992年に4代真柱・中山善司の結婚を祝して作った楽曲でした(2006年頃に脱会したという噂がありますが、真偽のほどは不明)。

中島みゆきは、ほどなくしてこの曲をレコーディングし、通算20作目となるスタジオ録音作『EAST ASIA』を締めくくるナンバーとして同年の10月に公式に発表しました。

このアルバムに収録された曲のベーシック・トラックは、全般的に日本国内で録音されたものでしたが、のちにコーラスとストリングスがハリウッドのキャピトル・スタジオ(英語版)で追加されています。
コーラスも海外で録音されており、コーラスはレイヴァン・ケーン、ザ・ウォーターズが担当しています。

この曲は、2004年にMr.Childrenのフロントマン櫻井和寿とプロデューサーの小林武史が結成したチャリティ・プロジェクト、Bank Bandのカヴァー・アルバム『沿志奏逢』で取り上げられました。
彼らのカバーは、シングルとして発売されることはなかったものの、翌年に住友生命のコマーシャルに使用され、これを機に楽曲そのものの存在が広く認知されるようになりました。
さらに世間一般に知られるようになったのは2013年頃で、バラエティー番組でBGMやカバーされたりすることがきっかけとなったようです。

2014年現在、この曲はのべ20組以上のアーティストによって相次いでカバー・バージョンが商品化され、中島みゆきによるオリジナル版も複数のテレビドラマやコマーシャル、イベントなどでたびたび使用されています。

また、2018年2月度日本レコード協会リリースにおいて、(着うたフル+ネット配信)でのミリオンに認定された。2002年4月のフル配信開始から15年10か月かかっており、既往の記録であった中島美嘉「雪の華」(13年0か月)を抜き、史上もっとも長い年月をかけてフル配信ミリオンに到達した楽曲となりました。

2020年には、本楽曲に着想を得た映画『糸』(監督:瀬々敬久、脚本:林民夫、主演:菅田将暉・小松菜奈)が公開予定となっており、中島みゆきの楽曲が映画のモチーフになるのはこれが初めてのことです。

2019年08月14日

「さよならと言われて/松本典子」 - 名曲のご紹介

今日は、松本 典子の「さよならと言われて」のご紹介です。

さよならと言われて/松本典子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

松本 典子(まつもと のりこ、本名:笘篠美和子(旧姓:佐藤)、1968年1月30日 - )は、東京都昭島市生まれのタレント・アイドル歌手・コメディエンヌです。
ニックネームは、「のりりん」「サミー」など。

松本典子 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

松本典子は、1980年代アイドル全盛期に16歳でデビューした、いわゆる正統派アイドルです。
19歳頃になって、アイドル業のかたわら、志村けん主演のコント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」にレギュラー出演し、その活動の幅を広げます。

松本 典子はまた、1984年8月に、第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」にて、網浜直子とダブルでグランプリを獲得(応募総数歴代最大18万325人)します。
デビュー時のキャッチフレーズは、「とどくかな、笑顔。」でした。

1985年には、シブがき隊主演映画「バロー・ギャングBC」に出演。
同年の3月21日には、アイドル歌手として「春色のエアメール」でデビューをします。
デビュー曲の候補には、「春色のエアメール」の他、カップリング曲となった「秘密の17才」、後に1stアルバムに収録された「なるほどネ!!」がありました。

1992年には、当時ヤクルトスワローズ内野手の笘篠賢治と結婚。
結婚指輪は、800万円でした。
結婚後は、主婦・子育てに専念し、原則として休業しましたが、時折、本名で夫とトーク番組にゲスト出演していました。

今日は、そんな松本典子の、1985年9月21日」に発売された、通算3枚目のシングルである「さよならと言われて」をどうぞ。


さよならと言われて/松本典子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、松本典子の代表曲のひとつです。
彼女の代表曲には、他に「儀式(セレモニー)」などがあります。
機会がありましたら、ご紹介したいと思います。

松本 典子の近況

2011年8月、「J-POP青春の'80」(NHK BSプレミアム、9月8日放送)収録に出演。「儀式(セレモニー)」を歌い、19年ぶりに歌手として復帰します。

2013年9月11日、日本テレビの1番ソングSHOW「今いちばん見たい!幻のアイドル大捜索スペシャル!」に出演。
地上波の登場は、10年ぶりとなります。

2018年4月29日には、週刊誌FLASHにて20年ぶりにグラビアに登場。
そのインタビューの中で、『歌は好きなので、また聴かせられたらいいなと思っています。』と答えています。

なお、『雪の華・桜ひらひら』『夫婦玄海』 などを歌っている演歌歌手の松本典子(愛知県東海市出身)は、同姓同名の別人です。

2019年07月17日

「森を駆ける恋人たち/麻丘めぐみ」- 名曲のご紹介

今日は、麻丘 めぐみの「森を駆ける恋人たち」のご紹介です。

森を駆ける恋人たち 麻丘めぐみ ジャケットイメージ

麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの女優、歌手、演出家です。

麻丘めぐみ ピンナップ
上記2枚の写真はこちらからお借りしました。

麻丘 めぐみは、1970年代を代表するアイドルの一人です。
当時、「牛若丸カット」と呼ばれた独特のカットの黒髪と、チャーミングな容貌、そして優しい歌声で、一時代を築きました。

麻丘 めぐみは、1972年に「芽ばえ」で歌手デビューをします。
この曲は、40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞します。

翌年の1973年には、「わたしの彼は左きき」が大ヒット。
この曲は、第15回日本レコード大賞で大衆賞を受賞。
同年の「第24回NHK紅白歌合戦」にも出場することになり、麻丘めぐみの代表曲となります。

麻丘めぐみ自身は左利きではありませんが、この曲のヒット時には、左手でサインを書いて見せたり、左手で箸を使って見せたりしていました。

今日はそんな麻丘めぐみの、1973年4月30日に発売された、通算4枚目のシングルである「森を駆ける恋人たち」をどうぞ。( ^-^)/


森を駆ける恋人たち/麻丘めぐみ

この曲の歌詞はこちら

この曲は後に、以下の歌手によってカバーされています。

1.森昌子(1973年)- スタジオ・アルバム『白樺日記~マコ初恋へのあこがれ』(1973年10月1日、徳間ジャパン)に収録
2.桜田淳子(1974年)- スタジオ・アルバム『三色すみれ』(1974年3月25日、ビクター音楽産業)に収録

麻丘めぐみの交友関係

・南沙織と浅田美代子は、アイドル時代からの親友です。
当時麻丘めぐみは、デビュー曲のヒットで一、突然トップアイドル歌手として祭り上げられたことへの戸惑いや、1970年代当時の歌謡界の空気に馴染めないストレスといった悩みを共に抱えており、そのため、南沙織浅田美代子は、互いに励まし合いながらも本音で語り合える貴重な存在だったと、再三インタビューで語っています。

・坂口良子とは「週刊セブンティーン」のモデル仲間であり、歌手デビュー以前からの友人です。
また堀越高校時代の同級生でもありました。

・今陽子は小学生の頃からの知り合いで、実姉の同級生で友人だったこともあり、家によく遊びに来ていたといいます。

2019年07月04日

「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)/クイーン(Queen)」 - 名曲のご紹介

今日は、クイーンの「地獄へ道づれ」のご紹介です。

地獄へ道づれ Another One Bites the Dust) クイーン Queen ジャケトイメージ
写真はこちらからお借りしました。

クイーン (Queen) は、イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンドです。

メンバーは、以下の4人です。

1.フレディ・マーキュリー(ボーカル)
2.ブライアン・メイ(ギター)
3.ジョン・ディーコン(ベース)
4.ロジャー・テイラー(ドラムス)

クイーンは、イギリス、アメリカ、日本をはじめ、世界中で成功したバンドのひとつで、これまで15枚のスタジオ・アルバム、その他多くのライブ・アルバムやベスト・アルバムを発表しています。

アルバムとシングルを合わせたトータル枚数は1億7千万枚~3億枚といわれ、1970年代に世界で最も売れたロックバンドとされています。

クイーンのヒット曲には、「炎のロックンロール」、「輝ける7つの海」、「キラー・クイーン」、「ナウ・アイム・ヒア」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「タイ・ユア・マザー・ダウン」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「伝説のチャンピオン」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「バイシクル・レース」、「地獄へ道づれ」、「愛という名の欲望」、「レディオ・ガ・ガ」、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」などがあります。

今日はそれらの中から、1980年8月22日に発売された、彼らの最大のヒット曲である「地獄へ道づれ」をどうぞ。


地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)/クイーン(Queen)

この曲の歌詞・和訳はこちら

超有名な曲なので、どこかでお聴きになった方も多いのではないかと思います。(^^)
この曲は、1980年にEMIよりシングルとして発売された後、アルバム「ザ・ゲーム」に収録されました。
発売後は、アメリカ、スペインなどでチャート1位となるなど、世界的に大ヒットしました。

特に、アメリカにおいては、ビルボード誌が発表した「Billboard Hot 100(1980年10月4日付)」では1位を獲得し、シングルセールスが200万枚を超え、またブラックミュージックのチャートにおいても3週連続で2位を記録しています。

クイーンのサウンドの特徴

クイーンのサウンドの特徴は、エレクトリックギターをダビングすることによって作られた「ギター・オーケストレーション」と、マーキュリー、メイ、テイラーの3人が声のパートを重ねることによって作られた重厚な「コーラス」です。
この2点が、特にバンド初期時代に目立った特徴といわれています。

そのギター・オーケストレーションを生み出す源であるメイのハンドメイドギター「レッド・スペシャル」は、机のオークや暖炉のマホガニーを素材にして、父親と作ったハンドメイドのギターで、当時はまだ珍しかった位相で音を変えるフェイズスイッチ、ローラーブリッジなどの斬新なアイデアが盛り込まれています。
6ペンスコインをピックの代わりに使用していたのも音に影響を与えたといえます。

また、フィードバック奏法をやりやすくするための空洞なども、独自のサウンド作りに貢献しており、ジョン・ディーコンが作った(あるいは既存の製品を改造した)とされるギターアンプも、随所で使用されています。

クイーンは、シンセサイザーを使わずにギター・オーケストレーションで重厚なサウンドを作っていることを明示するため、初期のレコードには「ノー・シンセサイザー」というクレジットがなされていました。

クイーンのコーラスの録音方法については、最上パートはテイラーが担当することが多く、特にオペラ風コーラスに際しては、BS−TBS番組「SONG TO SOUL ボヘミアン・ラプソディ」において、マルチトラックテープの磁性体が摺り減り、テープのベース部分が透けるほど繰り返しコーラス部分のダビングを行なった経緯が細かく説明されています。

また、メンバー全員が作曲をして、作風もそれぞれ異なっているために、曲の作風にバリエーションが豊富なことがクイーンの強みとなっています。

2019年06月23日

「今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)/吉田拓郎」 - 名曲のご紹介

今日は、吉田拓郎の「今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)」のご紹介です。

今日までそして明日から 吉田拓郎 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 -)は、 鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市)出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、フォーライフ・レコードの第2代社長です。

吉田 拓郎は、日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、1970年代の初めに、当時マイナーだったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です。
また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たした人物です。
日外アソシエーツ『ポピュラー音楽人名事典』には、吉田 拓郎は「ニューミュージックを代表する音楽家」と掲載されています。

1970年4月に、インディーズレーベルのはしりであったエレックレコードに契約社員として就職し、1972年1月、CBSソニーに移籍し、アーティスト兼プロデューサーとして契約を結びます。
移籍と同時に発売した「結婚しようよ」が、オリコンチャート3位、40万枚以上を売り上げます。

この曲のヒットで、それまで長髪の若者たちの反体制的な音楽としてしか見られていなかったフォークが、一躍普通の音楽として認知され、それまでサブカルチャーであったフォークが、メインカルチャーへ浮上する分岐点となります。

さらに「旅の宿」もヒットしたことで、作曲の依頼が舞い込み、モップスに「たどりついたらいつも雨降り」や、に「雪」「地下鉄に乗って」を提供。
吉田拓郎は、フォーク歌手としてだけでなく、売れっこの作曲家となり、人気が高まります。

2月26日に公開された近代放映製作・東宝配給の映画『百万人の大合唱』(須川栄三監督)の劇中では、「今日までそして明日から」を歌唱し、6月には長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子と結婚式。「町の教会で結婚しようよ」など、若者の新しいライフスタイルを表現した歌は、ブライダル業界にも大きな影響を与えます。
同月、CBSソニーとプロデューサー契約を結び、ワンマンレーベル『Odyssey』を立ち上げます。

さて、今日はそんな吉田 拓郎の、1971年7月21日にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)から発売された通算3枚目のシングルである「今日までそして明日から」をどうぞ。


今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)/吉田拓郎

この曲の歌詞はこちら

この曲は、吉田 拓郎がCBSソニーに移籍して初のシングルで、当時宣伝活動がままならず、売上も芳しくありませんでしたが、ステージで歌っているうちに人気が出始めます。

そしてこの曲は、1972年の映画『旅の重さ』、2001年のアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』、2016年のサントリーBOSSコーヒーCM『地球調査シリーズ おまわりさん篇』、2017年の映画『恋妻家宮本』などに使用され、また、1996年に発売されたシングル「遥かなる」のカップリングとアルバム『感度良好 波高し』にて、瀬尾一三のアレンジでセルフカバーされています。