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2019年06月23日

「今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)/吉田拓郎」 - 名曲のご紹介

今日は、吉田拓郎の「今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)」のご紹介です。

今日までそして明日から 吉田拓郎 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 -)は、 鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市)出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、フォーライフ・レコードの第2代社長です。

吉田 拓郎は、日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、1970年代の初めに、当時マイナーだったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です。
また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たした人物です。
日外アソシエーツ『ポピュラー音楽人名事典』には、吉田 拓郎は「ニューミュージックを代表する音楽家」と掲載されています。

1970年4月に、インディーズレーベルのはしりであったエレックレコードに契約社員として就職し、1972年1月、CBSソニーに移籍し、アーティスト兼プロデューサーとして契約を結びます。
移籍と同時に発売した「結婚しようよ」が、オリコンチャート3位、40万枚以上を売り上げます。

この曲のヒットで、それまで長髪の若者たちの反体制的な音楽としてしか見られていなかったフォークが、一躍普通の音楽として認知され、それまでサブカルチャーであったフォークが、メインカルチャーへ浮上する分岐点となります。

さらに「旅の宿」もヒットしたことで、作曲の依頼が舞い込み、モップスに「たどりついたらいつも雨降り」や、に「雪」「地下鉄に乗って」を提供。
吉田拓郎は、フォーク歌手としてだけでなく、売れっこの作曲家となり、人気が高まります。

2月26日に公開された近代放映製作・東宝配給の映画『百万人の大合唱』(須川栄三監督)の劇中では、「今日までそして明日から」を歌唱し、6月には長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子と結婚式。「町の教会で結婚しようよ」など、若者の新しいライフスタイルを表現した歌は、ブライダル業界にも大きな影響を与えます。
同月、CBSソニーとプロデューサー契約を結び、ワンマンレーベル『Odyssey』を立ち上げます。

さて、今日はそんな吉田 拓郎の、1971年7月21日にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)から発売された通算3枚目のシングルである「今日までそして明日から」をどうぞ。


今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)/吉田拓郎

この曲の歌詞はこちら

この曲は、吉田 拓郎がCBSソニーに移籍して初のシングルで、当時宣伝活動がままならず、売上も芳しくありませんでしたが、ステージで歌っているうちに人気が出始めます。

そしてこの曲は、1972年の映画『旅の重さ』、2001年のアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』、2016年のサントリーBOSSコーヒーCM『地球調査シリーズ おまわりさん篇』、2017年の映画『恋妻家宮本』[3]などに使用され、また、1996年に発売されたシングル「遥かなる」のカップリングとアルバム『感度良好 波高し』にて、瀬尾一三のアレンジでセルフカバーされています。

2019年06月19日

「シングルベッド/シャ乱Q」 - 名曲のご紹介

今日は、シャ乱Qの「シングルベッド」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

シャ乱Q(シャらんキュー)は、大阪出身のロックバンドです。
シャ乱Qは、1988年12月に、近畿大学の学生5人で結成されたバンドで、メンバーは、以下の通りです。

つんく♂(ボーカル、アコースティックギター、作詞、作曲担当)、はたけ(ギター、ベース、作曲担当。リーダー)、まこと(ドラムス、作詞担当)、たいせい(キーボード、作曲担当)の4人です。

「シャ乱Q」の名前は、メンバーが所属していたアマチュアバンドの名前「シャッターズ」(しゅう、まことが所属)「RAM(乱)」(つんく、しゅう、たいせーが所属)「QP(キューピー)」(はたけが所属)を寄せ集めたて作られたもので、当初は「シャ乱P」という名前にする予定でした。
が、当時活躍していた女性お笑いコンビの『おきゃんぴー』を連想させるとして、最終的に「シャ乱Q」になりました。

1990年に、関西のアマチュアバンドとともに「すっぽんファミリー」を結成し、大阪城公園にてストリートライブを始めました。

メジャーデビューは1992年7月で、このとき、所属事務所を巡って多くの芸能事務所が争奪戦を繰り広げますが、最終的にアップフロントエージェンシー(現・アップフロントプロモーション)が選ばれました。

1994年に、「これが売れなければ最後」と意気込んだ「上・京・物・語」は、ラジオへの必死の売り込みが功を奏し、スマッシュヒット。
同年の「シングルベッド」がロングセラーとなり、ミリオンセールスを記録します。

1995年に、ミリオン作「ズルい女」で大ブレイクし、関西発バンドの第一人者となります。
「My Babe 君が眠るまで」、アルバム「勝負師(ギャンブラー)」もミリオンを記録。
第46回NHK紅白歌合戦にトップバッターとして初出場するほか、ライブや音楽番組への出演を精力的に行ない、軽妙なトークも受けます。
例えば、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」では、つんくが「浜田雅功に頭をどつかれると売れる法則」を提唱します。

今日はそんなシャ乱Qの1994年10月21日に発売された通算6枚目のシングルである「シングルベッド」をどうぞ。


シングルベッド/シャ乱Q

この曲の歌詞はこちら

なおこの曲は、日本テレビ系アニメ「D・N・A2 ~何処かで失くしたあいつのアイツ~」のエンディングテーマとして使われました。

2019年05月02日

「線香花火/NSP」 - 名曲のご紹介

今日は、NSPの「線香花火」のご紹介です。

線香花火 NSP ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

NSP(エヌエスピー)は、1972年に結成された、岩手県出身の男性3人による歌手グループです。

メンバーは、天野滋(ヴォーカル・ギター)、中村貴之(ヴォーカル・ギター)、平賀和人(ヴォーカル・ベース)の3人です。

NSPは、高専在学中の1973年に、第5回ヤマハポピュラーソングコンテストにおいて楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、同年6月「さようなら」でデビューをします。

翌年の1974年に、「夕暮れ時はさびしそう」を発売しますが、この曲がオリコン11位となる大ヒット。
同年発売のアルバム「N.S.Pひとやすみ」も、オリコン4位のヒットを記録します。

その後も、1976年に「赤い糸の伝説」がヒット。
NSPは、叙情派フォークを代表するグループとなります。

今日はそんなNSPの、1976年8月10日に発売された、通算9枚目のシングルである「線香花火」をどうぞ。


線香花火/NSP

この曲の歌詞はこちら

はかない青春時代を線香花火にたとえた、切なくも素敵な曲です。
歌詞は、主人公が彼女のことが大好きだということが良く分かる内容になっています。

彼が、風よけになって、向かい合わせで座り、2人で線香花火をしています。
彼女の機嫌が気になり、彼女の顔ばかり見ていると、線香花火が彼女の目に映り、本物の線香花火を見るよりも彼女がよりきれいに見えることに気づきます。
彼女が捨てる燃えカスを拾うだけでも、彼女と一緒に線香花火をしていたいと思います、、、。

伴奏は、線香花火の音写となっており、まさに「天野ワールド」全開の曲です。

NSPのその後

2002年にオリジナルメンバーで再結成し、1月26日に日本青年館大ホールで復活後初コンサート。チケットは、1時間で完売。

2005年2月に、19年ぶりの新曲シングル「水のせいだったんです」、アルバム『Radio Days』を発売。
しかしながら、同年7月1日午後7時8分に、リーダーの天野滋が療養中の病院にて脳内出血で死去。
天野滋は、大腸癌で闘病中でありながらも、精力的に全国ツアーや諸活動を続けていました。

2019年3月20日から、彼らの代表曲どぁる「夕暮れ時はさびしそう」が、東北新幹線の一ノ関駅の発車メロディーに使用されています。

中村貴之は、ソロ活動を始め、2008年6月にミニアルバムを発売しています。

2019年04月26日

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」 - 名曲のご紹介

今日は、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」(チャコのかいがんものがたり)のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

サザンオールスターズは、日本のロックバンドです。
メンバーは、桑田佳祐(ボーカル・ギター)、関口和之(ベース)松田弘(ドラムス)、原由子(キーボード・ボーカル)、野沢秀行(パーカッション)の5人です。

青山学院大学の学生らで結成されタバンドで、1974年から断続的に活動が始まり、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューをします。

そして、1979年に「いとしのエリー」が大ヒット。

1980年代には、 「チャコの海岸物語」「Ya Ya (あの時代を忘れない)」「ミス・ブランニュー・デイ」「Bye Bye My Love (U are the one)」などがヒットします。

1990年代になると、「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを ~Summer Heartbreak~」「愛の言霊 ~Spiritual Message~」の4作がミリオンセラーを記録し、2000年代には「TSUNAMI」がダブルミリオンを記録します。

また、「HOTEL PACIFIC」や「涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~」「I AM YOUR SINGER」などもヒットし、2010年代には「ピースとハイライト」がオリコンチャートで1位を獲得しました。

このことによって、サザンオールスターズは、1980年代から2010年代まで4つの年代でチャート1位という記録を持ち、幅広い世代に支持されているロックバンドとなっています。

なお、彼らの曲の大半は、バンドリーダーである桑田佳祐が作詞・作曲・歌唱を担当しています。

今日は、そんなサザンオールスターズの、1982年1月21日に発売されたツウサン4枚目のシングルである「チャコの海岸物語」(チャコのかいがんものがたり)をどうぞ。


チャコの海岸物語/サザンオールスターズ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、前作「栞のテーマ」(しおりのテーマ)から4ヶ月ぶりに発売された曲で、年末にはアーティストとして全日本有線放送大賞最多リクエスト歌手賞を受賞。
大晦日には、この曲で1979年以来3年ぶりに『NHK紅白歌合戦』にも出場しました。

またこの曲は、1988年6月25日にCD化され、1998年2月11日にも8cmCDとして、2005年6月25日には12cmCDで再発され、計3回再発売されています。

「チャコ」「ミーコ」って、一体誰のこと?

タイトルになっている“チャコ”というのは、元歌手で、発売当時ビクター音楽産業のディレクターとして在籍していた、現エイベックス・エンタテインメント取締役・飯田久彦の愛称です。
愛称や名前をタイトルにした楽曲は、サザンオールスターズの曲中で、他にも数多く見られます。

同じく、歌詞に登場する“ミーコ”というのは『弘田三枝子(ひろた みえこ)』のことで、また“ピーナッツ”は『ザ・ピーナッツ』から取られているようです。

2019年04月22日

「Don't Stop The Dance(ドント・ストップ・ザ・ダンス)/Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)」 - 名曲のご紹介

今日は、ブライアン・フェリーの「Don't Stop The Dance」のご紹介です。

Don't Stop The Dance ドント・ストップ・ザ・ダンス Bryan Ferry ブライアン・フェリー ジェケットイメージ image
写真はこちらからお借りしました。

ブライアン・フェリー(Bryan Ferry、CBE、1945年9月26日 -)は、イギリスのロック・ミュージシャン、シンガー、作曲家で、ロキシー・ミュージックやソロ活動で有名です。

ブライアン・フェリーは、1963年にアマチュア・ソウル・バンドのバンシーズでシンガーとして活動。
苦学しつつ、ニューカッスル大学に入学し、ポップアートの先駆的存在とされるリチャード・ハミルトンのもとで美術を学びます。

その後、ロンドンに引っ越し、陶芸やピアノの教師として、働きながら曲を書く生活を送ります。

そして、1971年にロキシー・ミュージックを結成し、翌年の1972年に『ロキシー・ミュージック』でデビュー。

1973年には、バンド活動と並行してソロ活動も開始し、全曲カバーのソロ・デビュー作『愚かなり、我が恋』を発表します。

1974年末には、ロキシー・ミュージックの活動の合間を縫って、初のソロ・コンサートを行ないます。

1975年には、ロキシーとしての「恋はドラッグ」がアメリカでもヒット。
76年から77年にかけての「レッツ・スティック・トゥゲザー」(R&B歌手ウィルバート・ハリソン「レッツ・ワーク・トゥゲザー」のカヴァー)、「トーキョー・ジョー」は、彼の代表作です。

1975年にロキシー・ミュージックが解散した後は、ソロ活動に専念。
1979年から1983年にかけて、再結成したロキシー・ミュージックで活動しますが、その後はソロ活動を再開し、1985年にはアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』がヒットを記録します。

そして、このアルバムからのシングル「Don't Stop the Dance」も、アメリカでヒットします。

今日はその「Don't Stop the Dance」をどうぞ。


Don't Stop The Dance(ドント・ストップ・ザ・ダンス)/Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)

この曲の歌詞はこちら

ブライアン・フェリーの曲は、1997年に『イン・ユア・マインド(あなたの心に)』(1977年)収録曲「Tokyo Joe」がフジテレビの「水曜劇場」で使用され、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1位を記録するなど、日本でも大ヒットします。

このとき、フェリー本人も、同ドラマにカメオ出演しています。

カメオ出演(カメオしゅつえん、cameo appearance / cameo role)というのは、俳優や歌手、漫画や小説などの原作者、時には政治家やスポーツ選手などが、ゲストとして、ほんの少しの時間、ドラマ、アニメ、舞台などに出演することですね。(^^)

ブライアン・フェリーといえば、「Jealous Guy(ジェラス・ガイ)」も名曲です。
機会がありましたら、こちらもご紹介したいと思います。