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2019年10月11日

「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)/河合その子」 - 名曲のご紹介

今日は、河合その子の「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」のご紹介です。


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河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子 グラビア
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河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1985年9月1日に発売された「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」をどうぞ。



この曲の歌詞はこちら

異国情緒の漂う曲です。河合その子の声も可愛いですね。(^^)
「涙の茉莉花LOVE」は、当時おニャン子クラブの会員番号12番だった河合その子のソロ・デビュー第1弾シングルとなる曲で、初チャートイン(第5位)翌週のオリコンシングルチャートにて第1位を獲得。
おニャン子クラブ関連でも初の1位獲得でした。

TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では、9月26日放送分で9位で初登場(同週は「セーラー服を脱がさないで」も6位にランクイン)し、10月17日放送分まで合計4週に渡ってランクインします。

この曲の初めと終わりの部分で、河合その子自らがキーボードをパフォーマンスが見られました。
1988年1月1日に発売された企画アルバム『Dedication(デディケーション)』では、大きくアレンジを変えた新録音バージョンが収録されています。

なお、この盤のB面に収録された「恋のチャプターA to Z」は河合その子 with おニャン子クラブ名義で、バックのメンバーは国生さゆり(こくしょう さゆり)・名越美香(なごや みか)・高井麻巳子(たかい まみこ)・城之内早苗(じょうのうち さなえ)が務めており、彼女たちはよみうりランドでのデビュー握手会イベント等にも随伴(ずいはん)しました。

2019年09月26日

「負けないで/ZARD(ザード)」 - 名曲のご紹介

今日は、ZARDの「負けないで」のご紹介です。

負けないで ZARD ザード ジャケットイメージ
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ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ) 1967年2月6日 - 2007年5月27)を中心とした音楽ユニットです。

坂井 泉水
坂井泉水
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ZARDの坂井 泉水は、1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっています。
また、アルバムでは、9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録となっています。

ZARDは、1993年に通算6枚目のシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。
その3ヶ月後に、通算8枚目のシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。
この2曲を収録した4thアルバム「揺れる想い」が200万枚超の売り上げを記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格となりました。
そしてまた、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得しています。

今日は、それらのヒット曲の中から、1993年1月27日に発売された通算6枚目のシングルである「負けないで」をどうぞ。


負けないで/ZARD

この曲の歌詞はこちら
ひらがな付きの歌詞はこちら

聴いていると、スゴく元気のでる曲です。ヘ(^o^)ノ*
この曲は、前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングルで、表題曲は松雪泰子主演のテレビドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズの主題歌に起用されており、ZARDがドラマ主題歌を手掛けるのは前作に続き2作連続となりました。

「しらけ鳥麗子でございます!」
しらけ鳥 イメージ
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「負けないで」は、2作ぶりに織田哲郎が作曲を手掛けたもので、もともと織田哲郎のアルバム用の楽曲でしたが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評なためシングル化されました。
クレジット表記はされていませんが、この曲のコーラスに大黒摩季が参加していることが、坂井の死後に明かされています。

またこの曲は、2010年には「2010年バンクーバーオリンピック」に因(ちな)んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』のCMソングに起用。
また、オリコンの週間チャートで初登場2位となり、その後もトップ3を維持し、4週目で首位を獲得。
初登場から、10週連続トップ10入りを記録しています。

年間チャート6位を記録したZARDの最大のヒット曲であり、ZARD大ブレイクのきっかけとなった楽曲であるほか、1994年のJASRAC賞においても銅賞を獲得しています。

2019年09月25日

「魔法の黄色い靴/チューリップ」 - 名曲のご紹介

今日は、チューリップの「魔法の黄色い靴」のご紹介です。


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チューリップは、1970年に当初「ザ・フォーシンガーズ」として結成されたバンドです。
当時、音楽界にロックでもフォークでもない新しい音楽「ニューミュージック」というものが登場するのですが、チューリップは、この分野を開拓したバンドのひとつでもあります。

チューリップは、ビートルズに強く影響を受けたバンドで、リーダーの財津和夫(ざいつ かずお)は、和製ポール・マッカートニーを自認し、メロディアスでポップな作品を多数制作し、世に送り出しています。

また、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当しているのもこのバンドの特徴のひとつとなっており、この方針は現在も伝統的に受け継がれています。

さてそれでは、今日はそんなチューリップの、1972年6月5日に発売された「魔法の黄色い靴」をどうぞ。


魔法の黄色い靴/チューリップ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、財津和夫が作詞・作曲を手掛けたもので、チューリップのメジャーデビューシングルとして、前述した1972年6月5日に東芝音楽工業から発売されました。

なんと、レコーディングに異例ともいえる16時間が費やされたもので、業界関係者には高い評価を得たものの、地元・福岡以外では売れず、全国的なヒットには結びつきませんでした。
発売当時の売り上げは2,000枚に過ぎなかったものの、チューリップの記念すべきデビュー曲であることに変わりはなく、ライブにおいては長年にわたってエンディングを飾る曲として定着しています。

発売から20年以上が経過した1993年には、ダイドー「ブレンドコーヒー」のCMソングにされ、2002年には、チューリップの半生を描いたミュージカルのタイトルにも採用されました。
このミュージカルの主なキャストは、山本耕史、河相我聞、遠山景織子などで、財津和夫は、このミュージカルの舞台監修を務めています。

2019年09月12日

「雨のテレフォン/岡田奈々」 - 名曲のご紹介

今日は、岡田奈々の「雨のテレフォン」のご紹介です。

雨のテレフォン 岡田奈々 ジャケットイメージ
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岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々 ブロマイド

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。

1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八犬伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。

今日は、そんな岡田奈々の、1976年8月25日に発売された通算3枚目のアルバム「握手しようよ」の中から、「雨のテレフォン」をどうぞ。(^-^)/


雨のテレフォン/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

失恋の歌です。
正確には、遠距離恋愛の終焉(しゅうえん)を歌った曲です。
これは切ないですねー。【><】

岡田奈々は、10代の頃に石井輝男監督の東映最後の作品「暴力戦士」(1979年)に出演した縁で、同監督の劇場用映画への復帰作「ゲンセンカン主人」(1993年)と「無頼平野」(1995年)に、2本続けて出演し、ヒロインを演じています。

石井監督は、「彼女のような顔が、好み」ということで、映画「ラブ&ポップ」(1998年)や、テレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」(2001年)においては、岡田奈々を主人公の母親役に起用しています。

また近年では、清純派を脱皮する演技力を見せています。

サメにテレフォン
サメにテレフォン
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「うわー、サメだ! 本当にやって来たぜ! 帰れ、帰れ!」「電話で呼び出しといて、何いってまんねん」

なお、岡田奈々はNAVレコードに所属していましたが、同社を吸収したポニーキャニオンから、現在すべてのシングル・アルバムがCD化され、再発売されています。

ちなみに、芸名の「奈々」は、宗教家である父親が、以前菜の花を求めて各地を旅する養蜂業者であったことに由来しているということです。

また、AKB48の岡田奈々(愛称なぁちゃん)は、同姓同名の別人です。

2019年08月18日

「糸/中島みゆき」 - 名曲のご紹介

今日は、中島みゆきの「糸」のご紹介です。

糸 中島みゆき ジャケットイメージ
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中島みゆき(なかじまみゆき、本名:中島 美雪)は、1952年2月23日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティーです。

中島 みゆきは、1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューをしてます。
暗く重い作風と、ラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで、1980年代前半に大きな人気を博し、現在も根強い人気があります。

今日ご紹介する糸は、1998年2月4日に発売された通算35枚目の曲で、TBS系テレビドラマ『聖者の行進』の主題歌に起用された曲でもあります。(^^)

さて、それでは早速、その「糸」をどうぞ。( ^-^)/


糸/中島みゆき

この曲の歌詞はこちら

この曲は1992年に発売されたアルバム『EAST ASIA』から20年以上経過した、2010年代に大きな支持を受けるに至り、2017年にはJASRAC賞(著作権使用料分配額)の金賞(=年間1位)を獲得しています。

1970年代:わかれうた(1977年)
1980年代:悪女(1981年)
1990年代:空と君のあいだに(1994年)、旅人のうた(1995年)
2000年代:地上の星(2003年)

この曲が生まれたきっかけ、その他

「糸」はもともと、当時熱心な天理教信者だった中島みきが、1992年に4代真柱・中山善司の結婚を祝して作った楽曲でした(2006年頃に脱会したという噂がありますが、真偽のほどは不明)。

中島みゆきは、ほどなくしてこの曲をレコーディングし、通算20作目となるスタジオ録音作『EAST ASIA』を締めくくるナンバーとして同年の10月に公式に発表しました。

このアルバムに収録された曲のベーシック・トラックは、全般的に日本国内で録音されたものでしたが、のちにコーラスとストリングスがハリウッドのキャピトル・スタジオ(英語版)で追加されています。
コーラスも海外で録音されており、コーラスはレイヴァン・ケーン、ザ・ウォーターズが担当しています。

この曲は、2004年にMr.Childrenのフロントマン櫻井和寿とプロデューサーの小林武史が結成したチャリティ・プロジェクト、Bank Bandのカヴァー・アルバム『沿志奏逢』で取り上げられました。
彼らのカバーは、シングルとして発売されることはなかったものの、翌年に住友生命のコマーシャルに使用され、これを機に楽曲そのものの存在が広く認知されるようになりました。
さらに世間一般に知られるようになったのは2013年頃で、バラエティー番組でBGMやカバーされたりすることがきっかけとなったようです。

2014年現在、この曲はのべ20組以上のアーティストによって相次いでカバー・バージョンが商品化され、中島みゆきによるオリジナル版も複数のテレビドラマやコマーシャル、イベントなどでたびたび使用されています。

また、2018年2月度日本レコード協会リリースにおいて、(着うたフル+ネット配信)でのミリオンに認定された。2002年4月のフル配信開始から15年10か月かかっており、既往の記録であった中島美嘉「雪の華」(13年0か月)を抜き、史上もっとも長い年月をかけてフル配信ミリオンに到達した楽曲となりました。

2020年には、本楽曲に着想を得た映画『糸』(監督:瀬々敬久、脚本:林民夫、主演:菅田将暉・小松菜奈)が公開予定となっており、中島みゆきの楽曲が映画のモチーフになるのはこれが初めてのことです。