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東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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今日は、桜田淳子の「ねえ!気がついてよ」のご紹介です。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。愛称は「ジュンペイ」

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。

3枚目のシングル「わたしの青い鳥」がヒットし、この曲で第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらに、同年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝きます。

今日は、そんな桜田淳子の1976年8月に発売された16枚目のシングルである、「ねえ!気がついてよ」をどうぞ。


ねえ!気がついてよ/桜田淳子

ちなみに、この曲は同年の12月に発売されたアパッチ&マイナーチューニングバンド「ソウルこれっきりですか」では、ディスコ調にアレンジされてメドレーとなっていました。

桜田淳子の近況
2007年に、歌手時代に発表した桜田淳子の全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露しています。

2008年には、過去のライブアルバム9枚がCD化され、これに1979年にNHKで放送された「ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲」のDVDを加えた「桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション」が発売されています。

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「時に愛は」のご紹介です。

オフコースは、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループで、1970年に「群衆の中で」でデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

当初は、生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが※1、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが参加。
フォークソング調から、キーボード、シンセサイザーを含むバンドサウンドへと変わります。

そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「愛を止めないで」「さよなら」「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、時代を代表するビッグ・グループとなります。

また、オフコースは、1982年の鈴木の脱退により一時活動を休止した後、4人での活動再開以降もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博します。
その後、5年近く4人で活動を続け、結成から19年目にあたる1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、また松尾、清水、大間は各々のソロ活動の傍ら1999年3月にユニット「Acoustic Beatles Club(アコースティック・ビートルズ・クラブ)」を結成します。

ファンの間で、オフコースの再結成を望む声は根強いですが、実現する可能性は低いものと見られています。※2

曲は、そんな彼らのヒット曲の中から、1980年12月1日に発売されたオフコース通算20枚目のシングルである、「時に愛は」をどうぞ。


時に愛は/オフコース

※1.管理人による、初期のオフコースのお勧め曲はいくつかありますが、それではその中で一番はどれかと問われれば、「でももう花はいらない」になるかと思います。
※2.小田和正は、2004年10-12月放送の「風のようにうたが流れていた」で、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っています。

今日は、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」のご紹介です。

山本コウタロー(やまもとコウタロー、本名:山本厚太郎(やまもとこうたろう)、1948年9月7日 -)は、東京都千代田区出身の歌手、タレント、白鴎大学(はくおうだいがく)※教授です。

山本コウタローは、一橋大学社会学部に在学中から、「ソルティー・シュガー」のメンバーとしてフォークソングを手がけ、日本におけるコミックソングの代表作のひとつともいえる「走れコウタロー」を発売。
次第に熱狂する競馬中継を模したこの曲は、その面白さから第12回日本レコード大賞新人賞を受賞するヒットソングとなります。

ソルティー・シュガー解散後に結成した「山本コウタローとウィークエンド」でもフォークを手がけ、「めぐり」がヒット。
この曲も、「走れコウタロー」と並んで、現在でも歌い継がれています。

また、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」金曜日の第1部パーソナリティを担当、第2部は後に山本コウタローのパートナーとなり、現在も同居生活をしている吉田真由美(DJ、映画評論家)が担当していました。
「パック・イン・ミュージック」終了後は、単身アメリカに渡り、約2年間生活。
帰国後「アメリカあげます」(ほんの木社)を書き上げます。

その後は、テレビ番組の司会(「午後は○○おもいッきりテレビ」の初代司会者を務めた)、タレントとして活躍しています。

2005年から、「山本コウタローとウィークエンド」を、一部メンバーを替え「山本コウタローとほぼウイークエンド」として再結成し、ライブ活動を開始。

2007年8月29日には、ニューアルバムを発売しています。

今日は、そんな山本コウタローのヒット曲で、1974年に発売された「山本コウタローとウィークエンド」のファーストシングルである「岬めぐり」をどうぞ。


岬めぐり/山本コータロー&ウィークエンド

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンシングルチャートで最高5位を記録し、約40万枚ほどを売り上げ、山本コウタローとウィークエンドでは最高の売り上げとなりました。

また、作詩の山上路夫によれば、日本各地の岬を歩きまわってできた総合的なイメージをもとに書いたということですが、三浦では三浦半島がモデルであると信じられており、山路路夫も「三浦の人たちに愛され、この歌は幸せですね」と述べています。
この曲はまた、京浜急行電鉄久里浜線三崎口駅の接近メロディーとしても使われています。


ちなみに、この曲の歌詞についてですが、私は今まで、失恋した男性の「傷心旅行」と捉えていたのですが、再度読み返してみて疑問に思い、色々調べてみたところ、やはりちょっと違うようです。

まず、歌詞の中に、

「二人で行くと 約束したが 今ではそれも かなわないこと」

とあります。
ここから、その約束は、「もう、絶対にかなわない」というニュアンスが読みとれます。
もしも、この主人公の恋人との別れが失恋であるならば、たとえ約束があったとしても、それは自動的に反古になるべきもので、そのことについていつまでもウジウジしたりはしないでしょう。

次に、 

「僕はどうして 生きてゆこう」

とあります。
この部分から、主人公にとって、この別れは失恋以上のもっと大きな喪失であることが伺えます。

くわえて、3回も繰り返される、

「悲しみ深く 胸に沈めたら この旅終えて 街に帰ろう」

のフレーズ。
この部分からは、残された者の悲しみは、残された者が深く沈めていかなければならず、それを抱えての再出発しかほかに道はないということを、自らに納得させようとしていることが読みとれます。

これらの点から、この曲は単なる失恋ソングではなく、恋人を亡くしてしまった男性が、心に負った深い傷を癒すべく出た旅を歌ったものであることが伺えます。

フォークの名曲「岬めぐり」のヒロインは?
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/852068.html
番外:『岬めぐり』にはテーマソングがありそれはもちろんあの同名の歌なのでついでに三浦半島の岬めぐり-でんでんむしの岬めぐり
http://dendenmushimushi.blog.so-net.ne.jp/2012-02-02


※白鴎大学(はくおうだいがく)は、1986年に設置された、栃木県小山市大行寺1117番地に本部を置く日本の私立大学で。略称は白鴎大、白大(はくだい)。

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