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東京生まれ。神奈川県在住。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

ヒッチハイク娘
ヒッチハイク娘
写真は、こちらからお借りしました。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあって、キャバレー・ナイトクラブへの出演を行ないながら雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした。が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されました。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして翌年の1970年には、続いて発売された「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

その後も、「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「挽歌」「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」などのヒット曲を放ち、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受けます。

1980年代は、テレビの司会者・タレント・女優としての活躍も目立ち、彼女のマルチな才能がさらに発揮されていきます。
1982年には「おもしろサンデー」へ桂文珍と共に司会として出演。
1983年には松田優作主演の「家族ゲーム」でお惚けな母親役を演じ、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。
1987年には、朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」で主人公の母親役を演じ、流暢な方言を披露します。

今日は、そんな由紀さおりの、1969年3月10日に発売されたシングルである「夜明けのスキャット」をどうぞ。


夜明けのスキャット/由紀さおり

「夜明けのスキャット」は、タイトル通り、1番はほとんどが「ルー、ルールルルー…」というスキャットで占められているという、それまでになかったタイプの曲です。
それにもかかわらず、この年の「第11回日本レコード大賞・作詩賞」を受賞します。

このような、前例のない曲がヒットした理由として、発売後にラジオの深夜放送で頻繁にかけられたことが挙げられます。※
また、作曲家の平尾昌晃は、「昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金時代のラブソングと日本人」(廣済堂新書)の中で、この曲について以下のように述べています。

「昭和30年代だったら、歌詞のほとんどない、ただ「ルー」とか「ラー」で歌っている歌をレコードで発売するなんて、まったく考えられなかっただろう。それが発売されるやいなや、150万枚を越すミリオンセラーになったばかりか、さらにその40年後に世界で注目されるのだから、やはり、歌は「時代」を生きていくのだ」



また、2009年4月8日に放送されたTBS系音楽番組「あなたが聴きたい! 歌の3時間スペシャル」では、この曲の1番に歌詞がない理由として、もともとこの曲が深夜ラジオ番組内のBGMに使われていたためであると紹介されています。


なお、この曲のメロディーについて、当時、大橋巨泉がサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」との類似性を指摘し、「これは明らかに盗作である」といっています。


サウンド・オブ・サイレンス(Sound of Silence)/サイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)


※泉麻人著「僕の昭和歌謡史」(講談社文庫刊)において、この曲について、「大ヒットする直前頃に深夜放送でよくかかっていた」と述べています。


今日は、村田 恵里の「オペラグラスの中でだけ」のご紹介です。

村田 恵里(むらた えり、1968年11月27日- )は、三重県四日市市出身の元歌手です。
改名歴は、村田恵里→橋本舞子→ERINA(エリナ)→FUNNY GENE(ファニー・ジーン)。


村田 恵里は、1984年に、「第3回ミスセブンティーンコンテスト」にて、松田聖子の「セイシェルの夕陽」を歌って、18万人の応募者から渡辺美里と共に歌唱賞を受賞します。
入場時には、階段で思いきり転んでしまい、会場が笑いの嵐になるというハプニングがありました。

1985年に、「オペラグラスの中でだけ」で、CBS/SONYからアイドル歌手としてデビュー。

1988年に、「橋本舞子」に改名してユーメックスへ移籍し、「TARO(タロー)」で再デビュー。
それと前後して「アイドル伝説えり子」などのアニメ作品の主題歌を多数歌いながら、ライブ活動を定期的に行ないます。

1992年、「ERINA」に改名し、研音やフォーライフレコードと契約し、「GIRLS GO MANIAC(ガールズ ゴー マニアック)」で再々デビュー。
R&B色の強い曲のシングル4枚、アルバム2枚を発売します。

1997年には、「FUNNY GENE」というユニットを結成し、キングレコードよりシングル4枚、アルバム1枚を発売。
フジテレビ系テレビドラマ「ハッピーマニア」の挿入歌、およびワコール「ベビーヒップ パンツ」CMソングに起用された「Love2 Power(ラブラブ パワー)」がスマッシュヒットしますが、2年後の1999年6月に「FUNNY GENE」は解散します。

今日は、そんな村田 恵里のデビュー曲である、「オペラグラスの中でだけ」をどうぞ。


オペラグラスの中でだけ/村田恵里

村田 恵里は、歌唱力もあり楽曲も良いので、もっと売れても良さそうなものですが、同期の松本典子や南野陽子などのように爆発的な人気は出なかったようです。

村田 恵里の歌唱力については、かつて南野陽子も「クリス松村の注文の多いレコード店」の第10回のゲストとして出演した際、「恵里ちゃんは歌が上手い! そしてこの曲歌いたかった!」と絶賛したとのことです。

また、2010年に、友人の麻倉あきらがライブ「麻倉あきら Birthday LIVE 2010」を開催した際、彼女へ会いに行っています。
そして、麻倉あきらとの縁から、「豊田おいでんまつり」へ参加してライブを行ない、テーマソング「おいでん」も歌っています。
村田 恵里歌唱のの「おいでん」は、2年後の2012年に、「エフエムとよた」から発売されています。

なお、「オペラグラスの中でだけ」というこのタイトルから思い出されるのが、新田恵理の歌った「冬のオペラグラス」。
こちらも名曲です。

「冬のオペラグラス/新田恵利」 - 名曲のご紹介
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/728/

おっ!(゚o゚)今、改めて見てみたら、名前が一時違いですね。
「村」田恵理と、「新」田恵理

これは気づきませんでした。【><】ワタシト シタ コトガ…。
ということで、早速調べてみると、2人ともレコード会社が同じで、村田恵理の方が新田恵理よりも約半年早くデビューしているんですね。φ(..)メモメモ

なお、優れた歌唱力と、このような名曲をひっさげて登場した村田 恵里が、何故売れなかったのかということに関して、3121さんという方が自ブログにて検証しています。

オペラグラスの中でだけ / 村田恵里-A DAY IN THE LIFE WITH MUSIC
http://ameblo.jp/purplemusic3121/entry-11338513690.html

やはり、宣伝ですよねー。(--)(__) ナットク
ほぼ私の想像通りでしたが、この詳細な分析は一読の価値がありかと。


参考にしたサイト
オペラグラスの中でだけ/村田恵里-アイドルポップスレビュー『夢は眠らない』
http://yumehanemuranai.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-25a0.html


今日は、フォー・セインツの「小さな日記」のご紹介です。

フォー・セインツは、1960年代後半に一世を風靡したカレッジ・フォーク・グループの草分け的存在です。

メンバーは、上原徹(ボーカル、ギター)、志賀正浩(ベース)、ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター)、荒木しげる(ドラムス)。

フォー・セインツは、成蹊高等学校の文化祭で結成されたフォーク・グループです。
ラジオ番組「フォーク・ビレッジ」で実力派として注目され、1968年に「小さな日記」でデビューをします。

この曲は、20万枚の大ヒット。

後に、レコード会社の移籍に伴い「フォー・クローバース」と改名しますが、1973年に解散します。

2006年、NHK BS-2「BSまるごと日本のフォーク&ロック大全集」にて33年ぶりにメンバーが集まり、「小さな日記」「希望」を披露。
翌年の2007年11月にはデビュー40周年として、東京・六本木のライブハウスでコンサートを開催。
そして、2008年には新曲「この街で」を発売し、本格的に再結成を果たします。

今日は、そんなフォー・セインツのデビューシングルである「小さな日記」をどうぞ。


小さな日記/フォー・セインツ


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