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2017年11月05日

「アイ・スティル・ビリーヴ(I Still Believe)/ブレンダ・K・スター(Brenda K. Starr)」 - 名曲のご紹介

今日は、ブレンダ・K・スター(Brenda K. Starr)のヒット曲、 「アイ・スティル・ビリーヴ(I Still Believe)」のご紹介です。

 アイ・スティル・ビリーヴ ブレンダ・K・スター ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ブレンダ・K・スター(Brenda K. Starr)は、1966年10月15日ニューヨークで生まれました。
本名は、ブレンダ・ジョイ・カプラン。

ブレンダ・K・スターは、ステイシー・ラティソーのデモ・シンガーを経験した後、ハリー・ベラフォンテにスカウトされ、映画「ビート・ストリート」(1984年)に端役で出演します。

そして、この作品で音楽を手掛けていたアーサー・ベイカーに認められて、1985年にベイカーのプロデュースするフリースタイル・ナンバー“Pickin' Up Pieces”で歌手デビューを果たします。

そして、マドンナ路線のダンス・ポップ・シンガーとして、脚光を浴びることになります。

今日ご紹介する「I Still Believe」は、1985年に発売されたファーストアルバム、「I Want Your Love(アイ・ウォント・ユア・ラブ )」に収録されている曲です。

さて、それでは早速「I Still Believe」をどうぞ。


アイ・スティル・ビリーヴ(I Still Believe)/ブレンダ・K・スター(Brenda K. Starr)


ブレンダ・K・スターは、ベビー・ボイスゆえにボーカリストとしては過小評価されがちですが、その歌声にじっと耳を傾けてみれば、大変な実力者であることが分かります。

また、マライア・キャリーが彼女のバック・ボーカリストだったことは有名な逸話で、ブレンダの推薦があったからこそ、マライアはソロ・デビューすることが出来たといっても過言ではありません。

2017年11月04日

「冷たい雨/ハイ・ファイ・セット」 - 名曲のご紹介

今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「冷たい雨」のご紹介です。

冷たい雨 ハイ・ファイ・セット ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコーラスグループです。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が1974年9月に解散後、同グループのメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦、大川茂の3人によって、同年の10月に結成されました。

そして、1975年に、「卒業写真」と、同名のアルバムの同時発売でレコード・デビューをします。

以降、「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井由美(現;松任谷由実)の曲を数多くヒットさせ、後に荒井由美自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まります。

1977年に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(英語版)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。

以降、ハイ・ファイ・セットは、山本潤子のソプラノと山本俊彦のテナー、そして大川茂のバス・ボイスによる抜群のコーラスワークと、都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇ります。

今日は、そんなハイ・ファイ・セットの、1976年4月20日に発売された「冷たい雨」をどうぞ。


冷たい雨/ハイ・ファイ・セット

ハイ・ファイ・セットは、1980年にいったん活動停止しますが、1年後に活動を再開。
4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓します。

1984年には、「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
そして、1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散します。

解散後、山本潤子はソロシンガーとして活動しています。

2017年10月23日

「Because I Love You(ビコーズ・アイ・ラブ・ユー)/Stevie B(スティービー・ビー)」 - 名曲のご紹介

今日は、Stevie B(スティービー・ビー)の「Because I Love You(ビコーズ・アイ・ラブ・ユー)」のご紹介です。

ビコーズ・アイ・ラブ・ユー スティービー・ビー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

Stevie B(スティービー・ビー、1958年4月19日 - 本名:Steven Bernard Hill)は、キューバの血統をもつ、歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサーです。

Stevie Bは、1980年代後期のラテン・フリースタイル(en)とマイアミ・ダンスミュージック・シーンに80年台後期に大きな影響力を与えたミュージシャンです。
その多作ぶりによって、当時、「The King of Freestyle」(フリースタイルの帝王)と呼ばれます。

日本でのヒット曲としては、1990年に発売された「Because I Love You (The Postman Song)」があります。
この曲は、川崎製鉄(現、JFEスチール)のCMでの企業テーマ・「まっすぐ。」シリーズの曲として、日本国内でのTVCMで放送されて、有名になりました。

今日はその「Because I Love You (The Postman Song)」をどうぞ。


Because I Love You(ビコーズ・アイ・ラブ・ユー)/Stevie B(スティービー・ビー)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、TOKIO HOT 100において、1991年の年間チャート1位を獲得しました。

「愛スてるケン、いヅも一緒にいたいワン」「ワダスもだワン」
相思相愛の 犬
写真は、こちらからお借りしました。

また当時、この歌と良く似た題名の香港ポップスの歌が、香港のエンターティナー・Alex Toによって歌われ、1990年代初期のローカルポップヒットとなりました。

2017年10月14日

「落葉のクレッシェンド/河合その子」 - 名曲のご紹介」 - 名曲のご紹介

今日は、河合その子の「落葉のクレッシェンド」のご紹介です。

落葉のクレッシェンド 河合その子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1985年11月21日に発売された、通算2枚目のシングルである「落葉のクレッシェンド」をどうぞ。


落葉のクレッシェンド/河合その子

この曲の歌詞はこちら

「『落ち葉』ってどういう意味ニャン?」「それを聞くために、わざわざここまでよじ登って来たのかニャン?」

写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、前作である「涙の茉莉花LOVE」から約2ヶ月ぶりに発売された曲で、カップリング曲の「午後のパドドゥ」はフジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」のエンディングテーマつぃて使用されました。

当初は「壊れたオルゴール」という歌詞でしたが、河合その子が「ル」の発音がうまくできなかったこともあって、変更されました。

2017年10月07日

「フィーリング/ハイ・ファイ・セット」 - 名曲のご紹介

今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「フィーリング」のご紹介です。

フィーリング ハイ・ファイ・セット ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコーラスグループです。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が1974年9月に解散後、同グループのメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦、大川茂の3人によって、同年の10月に結成されました。

そして、1975年に、「卒業写真」と、同名のアルバムの同時発売でレコード・デビューをします。

以降、「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井由美(現;松任谷由実)の曲を数多くヒットさせ、後に荒井由美自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まります。

1977年に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(英語版)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。

以降、ハイ・ファイ・セットは、山本潤子のソプラノと山本俊彦のテナー、そして大川茂のバス・ボイスによる抜群のコーラスワークと、都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇ります。

今日は、そんなハイ・ファイ・セットの、1976年12月1日に発売された、その「フィーリング」をどうぞ。

ハイ・ファイ・セットは、1980年にいったん活動を停止しますが、1年後に活動を再開。
4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど、新境地を開拓します。

1984年には、「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
1992年10月に活動を休止するまで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散します。

なお、山本潤子は解散後、ソロシンガーとして活動しています。