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2016年12月24日

「ワインレッドの心/安全地帯」 - 名曲のご紹介

今日は、安全地帯の「ワインレッドの心」のご紹介です。



安全地帯(あんぜんちたい)は、1973年に北海道の旭川市で結成されたロックバンドです。

メンバー(現メンバー)は、以下の通りです。

・玉置浩二(ボーカル・ギター・パーカッション)
・矢萩渉(ギター・ベース)
・武沢豊(ギター)
・六土開正(ベース・ピアノ・キーボード)
・田中裕二(ドラムス・パーカッション)

当初は、アマチュアバンドとしてのスタートでしたが、幾たびかのメンバー変遷(へんせん)ののち、1982年2月25日に、シングル「萠黄色のスナップ」で、プロとしてメジャーデビューをします。

そして、同年1982年5月に、東京・渋谷の「エッグマン」でライブを行ないます。

7月には、井上陽水のバックバンドとして、東京・日比谷野外音楽堂、大阪城野外音楽堂のコンサートをサポートします。

8月上旬に、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演。
下旬には、1st.アルバム『安全地帯I Remember to Remember』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始します。

そして2月後の10月25日には、2ndシングル「オン・マイ・ウェイ」を発表。
この曲は、ブリヂストン・アイスコンパウンド・イメージソングに起用されます。

今日は、そんな安全地帯の、1983年11月25日に発売された通算4枚目のシングルである「ワインレッドの心」をどうぞ。


ワインレッドの心   安全地帯  投稿者 showakayo

この曲の歌詞はこちら

いやー、しかし、玉置浩二のこの甘味料のような(?)甘い歌声、いいですねー。
何度聴いても、酔いしれてしまう私です。(^-')ポワーン。

”( **)? ヾ(^^)ネエネエ、「甘味料」 ッテ、「はかり知れないほど身にしみて感じる」ッテ イウ 意味 ダヨネ。
ソレハ、感無量!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

なお、この曲は後に、秋川雅史、秋元順子、杏里、五木ひろし、伊東ゆかり、井上陽水、大橋純子など、多くの歌手がカバーしています。

2016年12月22日

「水平線でつかまえて/三浦理恵子」 - 名曲のご紹介

今日は、三浦理恵子の「水平線でつかまえて」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

三浦 理恵子(みうら りえこ、1973年9月1日 - )は、東京都中野区出身の歌手、女優、声優、タレントです。
「乙女塾」2期生の出身で、解散したアイドルグループ「CoCo」の元メンバー。
愛称は、理恵ちゃん。

三浦 理恵子は、1989年、フジテレビの「パラダイスGoGo!!」において、フジテレビが主催・運営のタレント育成講座、「乙女塾」の2期生としてデビューをします。
そして、同じく東京都中野区出身の羽田惠理香(現・はねだえりか)らと、同塾生の5人でアイドルグループ「CoCo」を結成。

1991年には、「涙のつぼみたち」でソロデビュー。
1994年には「CoCo」を解散し、本格的にソロ活動を開始します。

今日は、そんな三浦理恵子の、1991年7月3日に発売されたセカンドシングル、ライ麦畑…、じゃなかった、「水平線でつかまえて」をどうぞ。

声が、とても可愛らしいですね。(^^)
本人は当初、自分の声が嫌いだったといいいますが、後にファンから慕われて、この声が彼女のチャームポイントとなりました。
また、この特徴的な声を生かして、声優活動も行なっています。
例えば、アニメーション作品「R.O.D」シリーズの読子・リードマン役などです。

2003年には、京阪電鉄の「おけいはん」CMソングを歌う覆面歌手「中之島ゆき」として、淀屋レコードからシングル「出町柳から」を発売しますが、大阪のタワーレコード梅田店では、この曲が週間インディーズシングルチャート首位を獲得。

が、これが予想を超える大反響で、その正体のお披露目は最初に予定していた駅コンコースなどの小スペースでは困難となり、本人のスケジュールの都合上、大阪ではなく東京日比谷公園での「第10回鉄道フェスティバル」になってしまうということがありました。

なお、このときの彼女は、ミニスカでの車掌のコスプレで、生歌も披露しています。

2016年12月19日

「あの場所から/柏原芳恵」 - 名曲のご紹介

今日は、柏原 芳恵の「あの場所から」のご紹介です。

あの場所から 柏原芳恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 芳恵は、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、そんな柏原 芳恵のヒット曲の中から、1982年7月21日に発売された通算11枚目のシングルである 「あの場所から」をどうぞ。

この曲は、オリコンチャートで9位、シングル売り上げでも19万枚近くを記録。
また、TBS系「ザ・ベストテン」では8位を獲得しました。

”( **)? ヾ(^^)ネエネエ、「タコイカ」ッテ イウ 曲ガ アッタ ヨネ?
ナンダイ、藪カラ棒 ニ! ソレハ、ト・ロ・イ・カ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

2016年12月18日

「あなたしか見えない(Don’t Cry Out Loud)/リタ・クーリッジ(Rita Coolidge)」- 名曲のご紹介

今日は、リタ・クーリッジの「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」のご紹介です。

あなたしか見えない リタ・クーリッジ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リタ・クーリッジ(Rita Coolidge、1945年5月1日 - )は、アメリカ・テネシー州出身の歌手です。

リタ・クーリッジは、1971年に、アルバム「リタ・クーリッジ」で歌手デビューをします。

1973年に、シングル「マイ・クルー」が、アメリカのみならず日本でもスマッシュ・ヒット。

1977年には、アルバム「Anytime...Anywhere(エニタイム・エニウェア)」が全米6位のヒットとなり、ボズ・スキャッグスのカバー「We're All Alone (ウィ・アー・オール・アローン)」もシングル・ヒットをします。

1983年に、映画「007 オクトパシー」の主題歌「All Time High(オール・タイム・ハイ)」を歌います。

1984年には、沢田研二作曲の「Love From Tokyo(邦題:美しき女(ひと)) 」を来日記念シングルとして発売します。
この曲は、歌詞の一部が日本語で歌われています。

今日は、そんなリタ・クーリッジの、1979年に発売された「あなたしか見えない(Don't Cry Out Loud)」をどうそ。


Rita Coolidge - Don't Cry Out Loud (Live 1979... 投稿者 mimivar83

この曲は、同年の1979年に、アメリカニューヨーク州出身のメリサ・マンチェスター(Melissa Manchester)が歌って大ヒットした曲のカバーです。
日本では、伊東ゆかりが歌った、この曲の日本語バージョンも話題になりました。

”( **)? ヾ(^^)ネエネエ、スリッパッ テ、ニホン 発祥 ダッタッテ シッテル?
ナンダイ、藪カラ棒 ニ! マタ、ビョウキガ 発症 シタ カイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

リタ・クーリッジは、1991年には、アルバム「Dancing With An Angel(ダンシング・ウィズ・アン・エンジェル)」を発売。
このアルバムには、日本のヒット曲のカバーも含まれており、森高千里の「雨」や徳永英明の「Rainy Blue(レイニー ブルー)」などが、英語詞で歌われています。

また、アーロン・ネヴィルのアルバム「Warm Your Heart(ウォーム・ユア・ハート)」(1991年)や、中島みゆきのアルバム「歌でしか言えない」(1991年)にゲスト参加。

なお、同時期には、日本の特に首都圏で、日刊アルバイトニュース・「an(アン)」のCM曲に「nice to meet you an(ナイス・トゥ・ミート・ユー・アン)」が使われて有名になりました。

2016年12月15日

「酒場でDABADA(さかばでダバダ)/沢田研二」- 名曲のご紹介

今日は、沢田 研二の「酒場でDABADA(さかばでダバダ)」のご紹介です。

酒場でDABADA 沢田研二 ジャケットイメージ
写真は、
こちらからお借りしました。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。
ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビュー※をします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。
この曲は、65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得、併せて第4回日本歌謡大賞を受賞します。

続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、そんな沢田研二の、1980年9月21日に発売された通算31枚目のシングルである「酒場でDABADA」をどうぞ。


酒場でDABADA/沢田研二  投稿者 picotun

沢田研二が「NTV紅白歌のベストテン」(1980年11月24日放送回)に出演し、この曲を歌ったときのことです。
歌う直前、司会の堺正章に、歌詞「DABADA DI DI DABADADIDA…」のスキャットの部分が、「沢田デンデンムシ食べた」に聴こえると冗談をいわれました。
すると、沢田研二は、この部分を本当に「♪沢田デンデンムシ食べ~た」と歌ってみせました。

沢田研二は、聴衆に対するサービス精神がきわめて旺盛な人なのです。
そのことは、当時の歌唱時の衣装はとりもなおさず、このエピソードからも窺(うかが)うことができます。

※沢田研二は、1960年代後半のグループサウンズ(通称GS)全盛期から活躍している歌手で、特に1970年代から1980年代前半にかけて、スーパースターとして日本のポップス界を牽引しました。
ソロ以降のシングル総売上は1,239万枚で、グループ時代に歌っていたザ・タイガース、PYG時代を含めると、1,666万枚となります。この数字から、当時、沢田研二がいかに人気のある歌手であったかということが分かります。