Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「さよなら好き/浜田朱里」 - 名曲のご紹介

今日は、浜田 朱里の「さよなら好き」のご紹介です。

さよなら好き 浜田朱里 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

浜田 朱里(はまだ じゅり、本名:宮崎珠里(みやざき じゅり) 1962年11月1日 -)は、東京都出身の元女優・元アイドル歌手です。

浜田 朱里は、1980年6月21日に「さよなら好き」でデビューをします。
彼女は当時、「ポスト山口百恵」として周囲から期待されていました。
というのは、浜田朱里がデビューした頃は、既に山口百恵が引退していたため、事務所や周囲のスタッフも、彼女を「ポスト山口百恵」に仕立て上げようと意識していたのです。
そのため、シングルやアルバムが数多く発売されました。

確かに、このデビュー曲のジャケットを見ると、雰囲気が山口百恵に良く似ていますね。おお!(゚o゚)

また浜田 朱里は、ルックスのよさから、女優としても活躍。
整ったルックスと、ややハスキーボイスで独特の雰囲気の歌声とのギャップが、当時の女性アイドルの中でひときわ目立つ存在でした。
その意味で、当時のアイドルとしては唯一無二の存在であり、そのため今も根強いファンが存在します。

松田聖子とは、かつて親友でもあり、1980年デビューの同期生でもあります。
浜田 朱里と同期デビューの歌手には、他に河合奈保子、三原順子、柏原芳江などがいます。

今日は、そんな浜田朱里の、1981年1月21日に発売されたデビュー曲である「さよなら好き」をどうぞ。


さよなら好き/浜田朱里

この曲の歌詞はこちら

浜田 朱里は、その後(正確にはこの曲の次の次、つまり3枚目のシングル)「青い花火」という曲を発売します。
この曲がヒットしたためか、以後「青い嫉妬」「黒い瞳」など、タイトルに色が含まれる曲が何曲か発売されます。

また、アイドルとして活躍するかたわら、ドラマやバラエティでも活躍しており、篠山紀信撮影のヌード写真集が発売されたときは、大いに話題となりました。

浜田朱里のその後

浜田朱里は、1995年に結婚を機に引退します。
が、結婚相手の情報が公開されていないことから、相手の方は一般人ではないかと思われます。
東京在住の、趣味がジェット・スキー仲間だった、4歳年上の会社員だという噂もあるようです。

参考にしたサイト
浜田朱里さんは今何をしていらっしゃいますでしょうか。 - Yahoo!知恵袋https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129788562

「右向け右/石川 ひとみ」 - 名曲のご紹介

今日は、石川 ひとみの「右向け右」のご紹介です。

右向け右 石川 ひとみ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身の歌です。愛称はひっちゃん。

そして高校2年生の時に、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、1978年5月25日に「右向け右」で歌手デビューをします。

同年、全国58大学で構成される全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得ます。

そのためか、男性誌を中心に、水着姿でのグラビア撮影が多かったものの、石川ひとみは水恐怖症だったため、芸能界入りするまで、水着は1着も持っていませんでした。

そして、1981年に三木聖子のカバー曲である「まちぶせ」がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

また、NHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)で、声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組「レッツゴーヤング」で、太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍します。

今日は、そんな石川ひとみの、1978年5月25日に発売されたデビュー曲「右向け右」をどうぞ。


右向け右/石川ひとみ 右向け右

この曲の歌詞はこちら

石川ひとみが歌手になったきっかけ

石川ひとみが歌手になったのは、天地真理の存在が非常に大きく、石川ひとみはかつて、「天地真理さんがいなかったら、私は歌手になっていなかった」といっていたことがあります。

石川ひとみは、芸能界では天地真理の後輩に当たり、石川ひとみがデビューしたときには、天地真理は既に引退してしまっていたようですが、このように、誰かの影響を受けて運命が変わることは、世の中にけっこうあるのではないかと思います。

石川ひとみのその後

石川ひとみは、1987年に慢性B型肝炎を発症し、芸能界を一時引退、翌年復帰します。
その後は、NHK「母と子のテレビタイム(日曜版)」に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開します。
さらにその後は、一五一会によるCDアルバムを中心とした活動を行ないます。

デビュー40周年を迎えた2018年には、1983年の「プライベート」以来、実に35年振りとなる9枚目のオリジナル・アルバム「わたしの毎日」を発売。同年7月にはアルバム発売記念ライブ、10月には40周年記念コンサートを開催し、さらに2019年2月には、東京と名古屋で追加公演を開催しています。

「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)/河合その子」 - 名曲のご紹介

今日は、河合その子の「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子 グラビア
写真はこちらからお借りしました。

河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1985年9月1日に発売された「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」をどうぞ。



この曲の歌詞はこちら

異国情緒の漂う曲です。河合その子の声も可愛いですね。(^^)
「涙の茉莉花LOVE」は、当時おニャン子クラブの会員番号12番だった河合その子のソロ・デビュー第1弾シングルとなる曲で、初チャートイン(第5位)翌週のオリコンシングルチャートにて第1位を獲得。
おニャン子クラブ関連でも初の1位獲得でした。

TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では、9月26日放送分で9位で初登場(同週は「セーラー服を脱がさないで」も6位にランクイン)し、10月17日放送分まで合計4週に渡ってランクインします。

この曲の初めと終わりの部分で、河合その子自らがキーボードをパフォーマンスが見られました。
1988年1月1日に発売された企画アルバム『Dedication(デディケーション)』では、大きくアレンジを変えた新録音バージョンが収録されています。

なお、この盤のB面に収録された「恋のチャプターA to Z」は河合その子 with おニャン子クラブ名義で、バックのメンバーは国生さゆり(こくしょう さゆり)・名越美香(なごや みか)・高井麻巳子(たかい まみこ)・城之内早苗(じょうのうち さなえ)が務めており、彼女たちはよみうりランドでのデビュー握手会イベント等にも随伴(ずいはん)しました。