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Super源さん
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男性
自己紹介:
東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
癒しと励まし、そして切なさをテーマとしたオリジナル曲を作っています。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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今日は、浅田 美代子の「赤い風船」のご紹介です。

浅田 美代子(あさだ みよこ、本名:同じ、1956年2月15日 -) は、東京都港区出身の女優、タレント、元アイドル歌手です。
愛称は、「美代ちゃん」「美代子さん」。

浅田 美代子の特徴は、その親近感とキュートな表情です。

浅田 美代子

写真は、こちらからお借りしました。

浅田 美代子は、1973年(昭和48年)2月14日に、テレビドラマ「時間ですよ」のお手伝い役でデビューをします。

当時、このドラマが国民的な高視聴率番組だったことも加わり、浅田美代子はたちまち人気を集めます。

また、劇中歌でデビュー曲の「赤い風船」は、1年で50万枚近くを売り上げ、オリコンの年間セールス10位の大ヒットとなり、1973年の「第15回日本レコード大賞」で新人賞を受賞します。

浅田 美代子はその後も、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演するとともに、映画にも出演。映画、歌ともにヒットすることになります。

今日は、そんな浅田 美代子の、1973年4月21日に発売されたデビュー曲である「赤い風船」をどうぞ。


赤い風船/浅田 美代子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、現代の童謡をコンセプトに作られた楽曲と伝えられています。

というよりこの曲、作曲が筒美京平だったんですね。おお!(゚o゚)
と、いまさらながら驚いているSuper源さんです。

というのは、この曲もそうだとすると、おそらく私の頭の中に入っている名曲の7割くらいは、氏の曲ではないかと考えられるからです。

(゚o゚)(゚o゚)(゚o゚)
(゚o゚)ヾ(^^;)オイオイ、大丈夫カイ?

(゚o゚)
(゚o゚)
(゚o゚)

コラコラ、イイカゲンニ セイヤー!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)ギャーッ!

きっと私は、氏の黄金時代に、青春時代を過ごしたということなのでしょうね。(^^)

ちなみに、浅田美代子には、天然ボケのところがあります。
以下のようなエピソードがあります。

かつて、明石家さんまと話をしていたときのこと、

「金曜日って何曜日だったっけ?」

という、通常ではありえない質問を、明石家さんまにしたことがあります。
が、さんまはこの質問を面白がって、

「火曜日ちゃいまっか?」

と、ジョークで返すと、浅田美代子は、

「そうだった、そうだった!」

と納得してしまったといいます。

このエピソードは、後に明石家さんまのコント・ライブの第12回公演のサブタイトルとしして使われています。

皆さん、こんばんは。(^^)/
ちょっぴり連絡が遅くなってしまいましたが、【><】新曲ができたのでお知らせいたします。(^^)v
曲名は、「ずっとそばに居たくて」です。

今回は、OKMusicというSNSで詩を書かれているyouさんとのコラボ曲です。(*^^)
youさんの詩に、私Super源さんが曲をつけさせていただきました。
お聴きいただければと思います。(^^)

実は、この曲は去年の5月頃に、年内にという約束でお引き受けしたものなのですが、昨年は何かと忙しく、ぎりぎりの完成となってしまいました。【><】
何とか間に合ってホッとしているところです。(^。^;) ホッ!

今回は、男性詩とも女性詩ともとれる、きらきら輝く夏の歌なので、歌がうまく、優しい声を出すボカロ・KAITOを使って、明るく元気の出る曲づくりに挑戦してみました。(^^)

曲は、先日「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。
曲のページへは、以下のリンクから直接行けます。

ずっとそばに居たくて-Super源さんの癒しの音楽館

お時間のある折にでも、お聴きおいただければ幸いです。

なお、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

今日は、ヘドバとダビデの「ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)」のご紹介です。

ヘドバとダビデ(HEDVA & DAVID)は、イスラエルの歌手グループです。

ヘドバとダビデの2人は、イスラエル軍の音楽隊で知り合い、退役後の1965年にデュオグループとしてプロデビューをします。

1970年に、世界47ヶ国の代表が出場する「第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年から世界歌謡祭に改称)」にイスラエル代表として出場し、ヘブライ語の歌詞の曲『ANI HOLEM AL NAOMI(I Dream of Naomi)』を歌って、グランプリを受賞します。

グランプリを受賞したことで、レコード会社がこの曲の発売を決め、帰国直前の2人を引き止めて、ほとんど意味を教えずに日本語の歌詞を覚えさせ、1週間そこそこでレコーディング。
B面に、本国で歌っているヘブライ語のバージョンを入れることを条件に、翌年の1971年1月にはレコードを発売。
この曲は、大ヒットすることになります。

今日は、1971年1月25日に発売された、その「ナオミの夢」をどうぞ。


ナオミの夢(Ani Holem Al Naomi)/ヘドバとダビデ(Hedva & David)

この曲はもともと、イスラエルのコーヒーのCMソングとして作られたものです。
本国ではヒットしなかったものの、日本語バージョンがレコードとして発売されたことで、オリコンチャートで4週連続1位を獲得。67万枚のヒットとなりました。

ちなみに、「ナオミ」というのは、旧約聖書にも登場する欧米ではポピュラーな女性の名前で、ヘブライ語で「幸せ」や「和み」を意味します。

またこの曲は後に、藤原紀香(ふじわら のりか)主演のテレビドラマ「ナオミ」の主題歌としても使われた他、矢島美容室のアルバム「おかゆいところはございませんか?」にもカバー盤が収録されました。

ヘドバとダビデのその後

ヘドバとダビデの2人はその後、時折懐かしの歌番組のゲストとして出演することもありましたが、ダビデは、1999年に麻薬中毒で急死したという一報が日本にも伝えられました。

歌手として、一世を風靡(ふうび)した時代が忘れられず、さまざまな商売にも手を出したものの、うまくいかなかったと伝えられています。

参考にしたサイト
【1971年4月】ナオミの夢/ヘドバとダビデ 急きょ日本語でレコーディングで大ヒット ― スポニチ
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/04/kiji/K20110428000708560.html


【追記】
ところで、今この曲を再度聴いていて、

アレッ?(?_?)この曲、どこかで聴いたことがあるぞ?

(@_@)ウーン
5秒後…。あっ、(゚o゚)分かった!

敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」だ!(・ ・)/☆パチン!


星降る街角/敏いとうとハッピー&ブルー

どうでしょうか?
これはもう、パチリ、じゃなかった、パクリといってもいいのでは?

ナニ、パチリッ テ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

これら2曲の発売年等のデータを調べたところ、以下の通りでした。

1.ナオミの夢 1971年1月25日 作詞:TirazahAlar、作曲:DavidKrivos
2.星降る街角 1972年10月25日 作詞・作曲:日高 仁

「星降る街角」が、「ナオミの夢」の、きっかり1年9ヶ月後に発売されているところも何かアヤシイひらがな、もとい感じですね。(@_@)ウーン

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