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2016年03月28日

「オードシエル(天の水)/岡村孝子」 - 名曲のご紹介

今日は、岡村孝子の「オードシエル(天の水)」のご紹介です。

岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、愛知県岡崎市出身のシンガーソングライターです。
父親は、岡崎市議会議長を務めた岡村秀夫。

岡村孝子は、椙山女学園大学在学中に同級生・加藤晴子とともにデュオ「あみん」を結成します。1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がヒットしますが、1983年にその活動を休止します。

が、その後ソロ活動を求める声があり、上京して、ソロとして1985年にファンハウス(現在のアリオラジャパン)より、「風は海から」でデビューをします。

岡村孝子のブレイクのきっかけとなったのは、翌年の1986年に歌った、来生たかおの「はぐれそうな天使」で、この曲はホンダ・トゥデイのコマーシャルに起用され、一気に人気が高まります。

今日は、そんな岡村孝子の、1989年6月24日に発売された通算5枚目のオリジナルアルバム「Eau Du Ciel(天の水)」(オー・ド・シエル てんのみず)から、タイトル曲である「Eau Du Ciel(天の水)」をどうぞ。


オードシエル(天の水)/岡村孝子

アルバム「Eau Du Ciel(天の水)」は、神聖さをイメージさせる白一色の衣装と、瞳を閉じたジャケット写真が特徴のひとつで、 前作の「SOLEIL」に続き、2作連続でオリコンのアルバム・ヒットチャートで第1位を獲得。
1989年のオリコン年間アルバムヒットチャートでは、第12位にランクされています。

また、発売から1週間後の1989年7月1日には、収録曲の「青い風」が11枚目のシングルとしてリカットされます。
同アルバムの他の収録曲である「愛がほしい」は、日本テレビ系「知ってるつもり?!」の初代エンディング・テーマとして使われ、12枚目のシングル「天使たちの時~Time of the Angels~」のカップリング曲にも採用されています。

岡村孝子の近況

2002年に、ベスト・アルバム「DO MY BEST」を発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開。
コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日の1日限りで「あみん」を再結成。
「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露。

2003年に、アルバム「TEAR DROPS」を発売。
エッセイ「Happyをさがして」の連載を、「産経新聞」大阪版夕刊で開始。
このエッセイは、2005年に単行本の書籍としても刊行されました。

2005年に、NHK「夢・音楽館」で、あこがれだったさだまさしと初共演。
ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていましたが、さだまさしとの共演ということで了承。
2005年にNHK-BSプレミアムの番組で岡村孝子コンサートを放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の声が大きくなります。

そして、この共演が縁となり、2006年にはさだまさしとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」が発表されます。
さらに、コーラスとして参加した加藤晴子との再共演も実現します。

2007年、あみんとしての活動を再開。
同年12月31日に「第58回NHK紅白歌合戦」へ紅組で出場。デビュー曲の「待つわ」を披露します。

2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。
同年9月に、約5年ぶり、かつ移籍後第1弾のソロデビュー25周年記念アルバム「勇気」を発売します。

2016年03月27日

「少女人形/伊藤つかさ」 - 名曲のご紹介

今日は、伊藤つかさの「少女人形」のご紹介です。

伊藤 つかさ(いとう つかさ、1967年2月21日 -)は、東京都出身の女優です。

伊藤 つかさは、幼少時に「劇団いろは」に入団し、子役として、主にテレビドラマに出演していました。

1980年に、「3年B組金八先生」において、クラスのアイドル的女子生徒・赤上近子役で出演。
1981年9月1日には、「少女人形」でアイドル歌手としてデビューをします。

伊藤 つかさのトレードマークは、その八重歯。
そして、何といってもその可愛らしいルックスと、愛くるしい笑顔で、1980年代に一世を風靡(ふうび)します。

今日はその「少女人形」をどうぞ。


少女人形/伊藤つかさ

伊藤つかさは、その後も現代劇を中心にドラマに出演し、時代劇にもレギュラー出演しています。

1984年には、叙情漫画家みつはしちかこ原作の「小さな恋のものがたり」で、チッチ役としてラジオドラマやアニメで声優デビューをします。


ちなみに、伊藤つかさと労働基準法は切っても切れない縁があります。
その背景としては、当時、法律上芸能人は労働者としてみなすべかどうかという議論がありました。
そして、もしもみなした場合には、労働基準法の適用が行なわれ、15歳未満の者の20時以降の労働は認められません。

が、彼女の時代には、この議論がまだ成熟していず、テレビ局は手探り状態で、自主規制をしている段階でした。
このため、アイドル歌手としてデビューし、15歳未満で歌番組でのベストテン入りも果たした伊藤つかさですが、当時のベストテン番組は20時以降からの生放送番組だったため、残念ながら生出演できなかった、というエピソードがあります。

伊藤つかさの近況

2006年7月31日、20年ぶりに歌手として復帰。

2010年3月、薬丸秀美、荻野目洋子、河合その子と共に、資生堂の新CM発表会に登場。
40代女性向け商品のPRを行ないます。

2012年4月18日、座・高円寺の舞台「裏の木戸は開いている」の稽古中、客席に転落して足を骨折。全治2か月と診断され、入院します。
このため、同舞台は内容を一部変更して上演、6月出演予定の舞台「帰ってきた蛍~慟哭の詩~」も降板しています。

2016年03月26日

「天使の休息(てんしのきゅうそく)/久松史奈」 - 名曲のご紹介

今日は、久松史奈の「天使の休息」のご紹介です。

久松 史奈(ひさまつ ふみな、1971年3月6日 -)は、愛知県名古屋市出身の歌手です。

久松 史奈は、高校生の時に、ヤマハ音楽振興会主催「ティーンズミュージックフェスティバル」にバンドとして出場し、優秀ボーカル賞を受賞します。
そして、久松史奈のみがヤマハ音楽振興会(現:ヤマハミュージックアーティスト)のスタッフにスカウトされます。

その後、高校を卒業し、地元でモデルをしながら歌手を目指していましたが、スタッフの薦めで同じくヤマハ音楽振興会が主催する「New Pep Sound Audition」を受けて、グランプリを獲得。
これをきっかけに、1990年「LADY BLUE(TOM★CATのカバー曲)」でデビューをします。

初期の頃は、茶髪ポニーテールがトレードマークという、アイドル歌手のような売り方をされていましたが、本人はアイドルを嫌がってロック系のファッションに変え、音楽性も打ち込み音主体から、生音にこだわったサウンドにこだわるなど、アメリカンロック色を強めていきます。

そして、1992年からは本格的ロック歌手として再始動。
同年に発売された「天使の休息」は、50万枚を超えるヒットとなり、ロック女性ボーカリストとしての注目を浴びます。

今日はその、1992年11月21日に発売された、久松 史奈の通算5枚目のシングルである「天使の休息」をどうぞ。


天使の休息(てんしのきゅうそく)/久松史奈

この曲は、発売から9日後の11月30に、早くもオリコントップ100の44位に初登場。
1993年2月1日には、トップ10入り。
そして、久松史奈自身最大のヒット曲となりました。

タイトル通り、「停止(天使)」することなく「急速(休息)」に売れたわけですね。(^^)
まあ、彼女はルックスもいいし、曲もいいので、当然でしょう。
(--)(__) ウンウン。←(^^;ヒトリデ ナットク シテル。

また、当時久松史奈は、併せてドラマ「新宿鮫」に出演するなど、歌手以外にも幅広い活動を展開しました。

1998年には渡英し、2000年に日英混合バンド「NO-ARASHI(脳嵐)」を結成。
2002年には芸能事務所「monorganic」、およびインディーズレーベル「CRASHFORM」を設立し、自作曲中心に移行します。

そして、2005年には、それまでの8年間休止状態だった日本でのソロ活動を復活させています。