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2016年04月20日

オリジナルインスト、「日溜まりに咲く花」を公開しました!

皆さん、こんばんは。(^^)/

新曲ができたので、お知らせいたします。
曲名は、「日溜まりに咲く花」です。

今回は、現在私がメインで活動中のOKMusicで出会った音楽仲間、あずりんさんとのコラボ作品第2弾です。

あずりんさんが作曲された同名のピアノ即興曲に、私Super源さんが編曲して出来上がりました。(*^^)

今回は、オーケストラ風のアレンジに挑戦しました。(^^)
そのために、オーケストラ・アレンジの本を数冊買って勉強。
なので、こうして実際に曲が完成するまでに、約2年の歳月が…。(^o^;
そのわりには、学んだ知識があまり、というよりほとんど生かされていない感じが…。(^x^)モゴモゴ

\(・_\)ソノハナイハ (/_・)/コッチニオイトイテ

編曲はともかく、原曲はとてもきれいで、ちょっぴり切ないメロディーをもつ佳曲です。(^^)
どうぞ、お聴きになってみてくださいね。

誰でしゅか? 曲名は、『火だるまに泣く花』なの? とか言ってる人は。困った人でしゅ。
ダレモ イッテ ナ イッ テ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

本日、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。(^^)

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

日溜まりに咲く花 - Super源さんの癒しの音楽館

ちなみに、あずりんさんとの第一弾はこちら。

また会う日まで - Super源さんの癒しの音楽館

もしよろしければ、こちらも聴いていただければと…。(*^^)

なお、感想などがありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

2016年04月18日

「メモリーグラス/堀江淳」 - 名曲のご紹介

今日は、堀江淳の「メモリーグラス」のご紹介です。

堀江 淳 (ほりえ じゅん、1960年10月19日 - )は、北海道苫小牧市出身のシンガーソングライターです。
元祖歌謡ファンクごちゃまぜポップスバンド、米米クラブなどで活躍するパーカッショニストの三沢またろうは中学の同級生。

堀江 淳は、1979年に、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)の第1回SDオーディションに合格し、1981年、「メモリーグラス」でデビューをします。
その中性的な容姿・声も話題になり、デビューシングルは70万枚の大ヒットとなり、オリコン最高3位を記録します。

1994年、ビクターエンタテインメントへ移籍し、アルバム「微風通信」を発売。
そして1998年に、ユニット「spoon」を結成。
ライブ活動やM、インターネットテレビへの出演し、アニメ「ドキドキ伝説 魔法陣グルグル」のEDテーマを手がける等の活動を行ないますが、2004年に活動を休止。

以後、ソロ活動に戻り、ラジオ出演、他ミュージシャンのプロデュース、楽曲提供など地道に活動を続けます。

今日はそんな堀江 淳 の、デビュー曲である「メモリーグラス」をどうぞ。


メモリーグラス/堀江淳

この曲が生まれたきっかけは、堀江 淳が東京・広尾の交差点で、日中信号待ちをしているときに、「水割りを下さい。涙の数だけ」という歌詞とメロディーが思い浮かび、それを元に書き上げたということです。

堀江 淳は、以前酒を提供する店でアルバイトしていた時期があり、そのときの、客の「水割りを下さい」という言葉が耳に残っており、そこからインスピレーションを膨らませたということです。

また、「メモリーグラス」には水割りが登場しますが、本人は「水割りは苦手な堀江淳です」と述べています。
飲むのはもっぱらお湯割りの方で、「水割りをください」といったことはないといいます。

堀江淳のエピソード

・「メモリーグラス」のヒットからしばらく経った1983年、「交通事故に遭って負傷した」と報道されたことが原因とみられる死亡説が流れたことがあります。
が、その噂が立った後、自ら健在であることをアピールするために「“生きてますよ”コンサートツアー」と銘打ったツアーを挙行したのですが、生きているのを知ったのはこのツアーの会場に来たファンのみで、世間では死亡説が消えず、さらにはアジア移住説までもが流れ、「堀江淳をタイで見た」等の目撃証言等も報じられました。
が、本人は、「僕はタイに行った事ないから」と語っています。

さらに、地元の苫小牧市の水道局に、偶然にも同姓同名の職員がいて、「堀江淳は苫小牧に帰り公務員になった」という噂も流れたということです。

・小堺一機(こざかい かずき)が、『ザ・トップテン』でレポーターを務めていたとき、最初は、「小堺さん、よろしくお願いします」と腰が低かったのですが、人気が上がっていくにつれて、「小堺さん」→「小堺君さぁ」→「おい、小堺!」と、分かりやすすぎるくらいに天狗になっていき、これを小堺一機と関根勤が担当していたラジオ番組「コサキン」でネタにされていました。

ホント、いるんですよねー、こういう人間が…【><】

2016年04月17日

「ワンダーブギ/石野真子」 - 名曲のご紹介

今日は、石野 真子の「ワンダーブギ」のご紹介です。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。
女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)とタレントの宝乃純(たからの じゅん、本名:石野敦子(いしのあつこ))は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子につけられたのは「100万ドルの微笑」でした。
また、八重歯とタレ目であることも、チャームポイントにしていました。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。

今日は、1979年7月5日に発売された石野真子の通算6枚目のシングルである「ワンダーブギ」をどうぞ。


ワンダーブギ/石野真子

この曲の、歌い出し部分の「ブギウギシュワッチ、ブギドゥワー」のフレーズは、もともと作詞家・阿久悠の書いた原詩にはありませんでした。
が、この詩に曲をつけた作曲家・馬飼野康二が、「頭にインパクトがあるやつ」が欲しいと、考えてつけ加えました。
「シュワッチ」の部分では、その台詞のオリジナルであるウルトラマンのスペシウム光線の構えが振りつけに取り入れられています

また、ステージでは石野真子1人ではなく、子供達のバックダンサーに囲まれての歌唱で、日本テレビ系列の音楽番組で歌う際は、ザ・バーズの小学生版であるリトル・バーズが担当しました。
石野真子を中心に、向かって右側に男の子3人と、左側に女の子3人の6人編成です。

冒頭の間奏部分では、バックダンサーの子供達が突然はしゃぎ回ったり、ケンカするなどの行動に、石野が子供らに対し「やめなさい、やめなさい、やめなさーい!」と3回大声で叫ぶシーンがあります。
ちなみに、レコードには、この「セリフ」は録音されていません。

2016年04月10日

「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 名曲のご紹介

今日は、西田 佐知子の「コーヒールンバ」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元歌手です。愛称は「さっちん」。
夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏。俳優・タレントの関口知宏は息子。

西田 佐知子は、1956年に、「伊那の恋唄」でマーキュリーから歌手デビューをします。

1960年に、「死ぬまで一緒に」を発売。

1961年に、ギリシャ映画「日曜はダメよ」同名主題歌がスマッシュヒット。
続けて、外国曲のカバー「コーヒールンバ」がメガヒット。
西田 佐知子は、これらの曲のヒットにより、一躍その名を知られるようになります。

1962年に、 「アカシアの雨がやむとき」で、村田英雄の「王将」とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。

1967年には、レコード売上1000万枚突破記念曲「たそがれの恋」を発売。
同年9月30日には、東京厚生年金会館で、レコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを開催します。

今日は、そんな西田佐知子の1961年のヒット曲である、「コーヒールンバ」をどうぞ。


コーヒールンバ/西田佐知子

この曲の歌詞はこちら

「コーヒールンバ」(Coffee rumba)は、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)が1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(モリエンド・カフェ、意味は「コーヒーを挽きながら」)が原曲で、アルパ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の演奏で世界的にヒットしました。
ホセ・マンソ・ペローニは、ブランコの叔父にあたります。

日本では、1961年から1962年に、西田佐知子とザ・ピーナッツらによりカバー版が競作されました。
が、「昔アラブの偉いお坊さんが…」で始まる、原曲の詞とはまったく関係のない、エキゾチック趣味の歌詞で歌ったこの西田佐知子版が、より知られています。

また、この曲がヒットした1960年代初頭は、日本で初めてインスタントコーヒーが国産化されたことによって、コーヒーが喫茶店だけでなく一般家庭で広く飲まれるようになった時代でもありました。

「コーヒールンバ」のヒット当時、西田佐知子本人はコーヒーを飲む習慣がなく、歌詞中の「モカ・マタリって何?」といった調子だったのが、結婚後は夫の影響で飲むようになったといいます。

高速道路のSA・PAや、鉄道駅の一部にも設置されている、トーヨーベンディングのコーヒー自動販売機のミル挽き珈琲アドマイヤは、コーヒーを抽出する際、「コーヒールンバ」のBGMが流れます。

2006年に、チロルチョコから、「コーヒールンバ」というチョコレート菓子が発売されましたが、そのパッケージには、この曲のレコードジャケットが印刷されていました。

そうそう、アラブといえば、物理学で「アラブの円板」というのがありましたね。(^^)
あっ!(゚o゚)違った。それは「アラゴの円板」でした。【><】

(゚゜)バキッ\(--;)アノナア。

「アラゴの円板」をご存知ない方は、こちらをどうぞ。(/_・)/

電力量計は、「アラゴの円板」の原理を利用している? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1409.html

「アラゴの円板」というのは、一言でいえば、”磁石を回すとアルミの円板がつられてクルクル回り出す”という摩訶不思議な現象のことです。えぇっ!。w(゚゜)wウッソー。
面白いですよ。(^^)

なお、西田佐知子の代表作は、「アカシアの雨がやむとき」で、この曲は60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、その物憂げな歌声は、ニュース映像のBGMで使用されることが多く見受けられます。

2016年04月08日

「アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ」 - 名曲のご紹介

今日は、オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」のご紹介です。

オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したバンドです。
プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称で、ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷しました。

オメガトライブの音楽の特徴は、夏、海、リゾートをテーマとしたもので、「サザンオールスターズ」や「TUBE」などとともに、サマーソングのヒット曲バンドとして知られています。

今日は、そんな彼らの、1988年8月10日に発売されたヒット曲、「アクアマリンのままでいて」をどうぞ。


アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ

この曲の歌詞はこちら



この曲は、フジテレビ系列の「木曜劇場」で、1988年7月7日から9月22日まで放送された、浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ、「抱きしめたい!」の主題歌として使われました。

ちょっぴり哀愁を感じる夏の歌という感じですね。
メインボーカルのカルロス・トシキは、サザンオールスターズの桑田佳祐とはまたちょっと違った意味で、1度聴いたら忘れられない、独特の歌い方が特徴の歌手ですが、こちらの方が俄然聴きやすいですね。(^^;
優しい歌声と、たどたどしい日本語ながら一生懸命歌っている姿も好感がもてます。