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Super源さん
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東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


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以前、懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」から、「マグマ大使の主題歌」をご紹介しましたが、今日は「ウルトラマン」から「ウルトラマンのオープニングテーマ」のご紹介です。

「ウルトラマン」は、円谷プロダクションが制作し、1966年7月17日から1967年4月9日の間に、TBS系で毎週日曜(19:00-19:30)に放送された日本の特撮テレビ番組(カラー)作品、およびその劇中に登場する巨大変身ヒーローの名前です。
当時、全39話が放送されました。

「ウルトラマン」というのは、その少し前に放送されていた「ウルトラQ」というドラマの続編として制作されたもので、怪獣や宇宙人によって引き起こされる災害や、超常現象の解決に当たる科学特捜隊と、それに協力するM78星雲光の国の宇宙警備隊員ウルトラマンの活躍を描くものです。

物語は、科学特捜隊のハヤタ隊員が、小型ビートルに搭乗して青い球体と赤い球体を追跡するところから始まります。
竜ヶ森湖上空で、小型ビートルは赤い球体と衝突して墜落し、ハヤタ隊員も命を落とします。この赤い球体の正体はM78星雲の宇宙人で、彼は、宇宙の墓場に護送中に逃亡した宇宙怪獣ベムラーを追跡し、地球までやってきたのでした。

そして、自分の不注意によってハヤタ隊員を死なせたことに責任を感じた宇宙人は、ハヤタに自分の命を分け与えて一心同体となり、地球の平和を守るために戦うことを決意します。

それ以後、ハヤタ隊員は科学特捜隊が危機に直面すると、ベーターカプセルを掲げてウルトラマンに変身し、怪獣や宇宙人と戦います。

今日は、作詞・東京一、作曲・編曲・宮内國郎、歌・みすず児童合唱団、コーロ・ステルラによる「ウルトラマン」のオープニングテーマをどうぞ。


ウルトラマンの歌/みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ

当時、「ウルトラマン」放送時の平均視聴率は36.8%で、最高視聴率は42.8%を記録するという人気番組でした。放送終了後もその人気が衰えることはなく、最初に行なわれた再放送においても平均視聴率が18%台を記録します。
その人気度は、固有名詞としての「ウルトラマン」が「広辞苑」の見出しにも記載されているほどで、また、最終回でウルトラマンがゼットンに倒されたシーンは、放映当時の子供達に衝撃を与えます。

大仁田厚や前田日明は「大人になったらゼットンを倒してウルトラマンの仇をとろう」と、「ウルトラマン」が格闘技を始めたきっかけになったと語っています。

また、「ウルトラマン」の放送終了後に、一連のシリーズ作品が制作・放映されました。
毎回、巨大ヒーローと怪事件処理専門チームが連携して、宇宙や異次元、地球のどこからかやって来る怪獣や宇宙人たちと戦うというコンセプトの特撮番組で、子供達から人気を博します。
これらの、いわばスピンアウト作品は、「ウルトラシリーズ」あるいは、「ウルトラマンシリーズ」と呼ばれています。

最後に、以後に制作されたウルトラマンシリーズの、いわばオリジナルとなる「ウルトラマン」のデータを書いておきます。

【ウルトラマンのプロフィール】
身長:40メートル
体重:3万5千トン
年齢:約2万歳
飛行速度:マッハ5
走行速度:時速450キロメートル
水中速度:200ノット
ジャンプ力:800メートル
腕力:十数万トンタンカーを持ち上げる
キック力:320文の威力がある
職業:宇宙大学教授、宇宙警備隊銀河系局長(のちに支部長と設定)
趣味:読書

【ウルトラマンの家族構成】
父:宇宙保安庁長官
母:ウルトラ学校教師

今日は、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」のご紹介です。

バンバンは、1971年に、ばんばひろふみ、今井ひろし、高山弘(現:高山厳)により結成されたフォーク・バンドです。

デビューシングルは、「何もしないで」。

代表曲は、「何もしないで」(1972.5.5)、「こころの花(1973.3.21)」、「永すぎた春」(1973.10)、「冬木立」(1974.9.21)、「『いちご白書』をもう一度(1975.8.1)」など。

翌年の1973年に、メンバーが4人になり、シングル「永すぎた春」を発表、その後、高山弘が脱退します。

その後、メンバーの経済的な理由により、ばんばひろふみと今井ひろしの2人になります。

1975年に、 「『いちご白書』をもう一度」がオリコンで1位を獲得。1位を獲得。
この曲は、同年の年間第13位に輝きます。

そして、1977年に解散
がその後、再結成、再解散、再々結成と繰り返しています。

今日は、そんなバンバンの代表曲のひとつである、「いちご白書をもう一度」をどうぞ。


いちご白書をもう一度/バンバン

この曲の作詞・作曲はユーミンこと荒井由実(現・松任谷由実)で、曲の内容は、卒業を間近にして、過ぎ去った学生時代を思い出すというものです。

松任谷由実の談によれば、当時青山学院の学生と交際していた自分自身の思い出を重ね合わせて作られた曲とのことです。
また、歌詞に歌われている『いちご白書』とは、1970年に公開されたアメリカ映画で、これは1968年にコロンビア大学で実際に起こった学園紛争をもとに制作された映画です。

この曲は、発売されてから約2か月あまりでオリコンのBEST10に初登場し、5週間後には1位を獲得。6週間にわたって1位の座を独占します。

なお、この曲の作詞・作曲を手掛けた荒井由実も、この曲の大ヒットによって注目され、「あの日にかえりたい」が1位を獲得しています。

ちなみに、当時「ビリーバンバン」という似たような名前のフォークグループがありましたが、これらのバンド間にはまったく関連はありません。

今日は、久保田 利伸のLA・LA・LA LOVE SONG(ラ・ラ・ラ・ラヴソング)のご紹介です。

久保田 利伸(くぼた としのぶ、1962年7月24日 -)は、静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区()出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサーです。

久保田 利伸の別名・愛称は、「ファンキー久保田」「クボジャー」「キング・オブ・Jソウル」「久保やん」「クボトシ」等で3、自他共に認めるファンキーなキャラとして知られています。

久保田 利伸は、高校を卒業後、駒澤大学進学と同時に上京します。
在学中に、軽音楽部ロック研究会に属し、そこで出会った羽田一郎とアマチュアバンド「HOTTENTOTS」(ホッテントット)を結成します。

翌年の1982年には、ヤマハ主催のコンテスト「EAST WEST '82」に出演し、ベスト・ボーカリスト賞を受賞。

1985年、大学を卒業後、音楽プロデューサーとしてキティミュージックとの作家契約で音楽業界に入り、1980年代には20代前半という若さで、田原俊彦、中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、GWINKO、荻野目洋子、芳本美代子、小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズ等多くの歌手、アイドルに楽曲提供をしています。

また、ここ数年にもCHEMISTRY、MISIA、ISSA、山田優などに楽曲を提供しています。

2004年には、ノルウェーの外資系企業に勤める11歳年下の日本人女性と入籍。同年12月には、第一子となる男児が生まれています。

今日は、1996年5月13日に発売された、久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL※のシングル(久保田利伸としては通算16枚目のシングル)となる「LA・LA・LA LOVE SONG(ラ・ラ・ラ・ラヴソング)」をどうぞ。


LA・LA・LA LOVE SONG(ラ・ラ・ラ・ラヴソング)/久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL(ナオミ・キャンベル)

この曲は、フジテレビ系テレビドラマ「ロングバケーション」の主題歌となり、大ヒットします。
久保田 利伸自身初の月9主題歌となり、自身初のオリコンシングルチャート1位、またミリオンセラーも達成します。

また、この曲が、ナオミ・キャンベルとのコラボに至った経緯は、ニューヨーク在住中の久保田 利伸が、偶然ナオミ・キャンベルと同じマンションに住んでおり、エレベーター内で対面した2人が、後に意気投合したことから実現することとなりました。


※ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)は、はイギリスの女性、ファッションモデル。ロンドンでスカウトされ、1980年代からモデルとして活動している。国際的なファッション雑誌の表紙や、ミラノやパリなどのファッションショーに登場した。自身の名前を冠にした香水や一連の法律問題でも知られている。また、歌手、作家、女優、慈善事業家としての顔ももつ。

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