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2017年05月08日

「麦わらでダンス/生稲晃子」 - 名曲のご紹介

今日は、生稲 晃子の「麦わらでダンス」のご紹介です。

麦わらでダンス 生稲晃子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 -)、本名:佐山 晃子(さやま あきこ) 旧姓・生稲(いくいな))は、東京都小金井市の歌手、女優です。

生稲 晃子は、1986年6月に、「夕やけニャンニャン」内のオーディションコーナーを経て、1986年6月13日に「おニャン子クラブ」の会員番号40番としてデビューをします。

同年の10月に、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で、工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。

11月1日に、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」でフロント4人の中に入ります。

12月に、ローソンの「からあげクン」のCMに単独で出演。
おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用されます。

1987年になると、芸能活動を控え、「夕やけニャンニャン」にも約1ヶ月ほど出演せず、受験勉強に専念。

1987年4月に、恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学し、受験を終えて芸能活動を再開。
復帰初日に、新ユニット「うしろ髪ひかれ隊」のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢され、既に決定事項としてプロジェクトが進んでいることを知らされて面食らいます。
が、自分の立場では断ることができず、成り行きに任せるしかなかったといいます。

1987年5月に、「うしろ髪ひかれ隊」は「時の河を越えて」でレコードデビュー。
同曲及びc/wは、アニメ「ハイスクール!奇面組」の主題歌とエンディング曲に起用されます。
そして、1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得。
音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切ります。

今日は、そんな生稲 晃子の、「うしろ髪ひかれ隊」活動休止後の1988年5月21日に発売されたソロデビュー曲である「麦わらでダンス」をどうぞ。

この曲は、フジテレビ系アニメ「ついでにとんちんかん」の最後の主題歌として使用されました。

また、同曲の歌詞の替え歌が元広島東洋カープのリチャード・ランスの応援歌に使用されたり(ランス退団後はロッド・アレン、小川達明、ルイス・メディーナ、ジミー・ハーストらに引き継がれた)、日本プロサッカー・JリーグのFC東京のチーム応援ソングに長年使用されていました。

"( ・。・) ヾ(^^@) ネエネエ。
ボク、ドラえもん o((=゜ェ゜=))o
ナンナノ トツゼン!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

この曲はまた、日本プロ野球や高校野球において、応援ソングとして使われることがあります。

2017年05月04日

「君に涙とほほえみを/布施明」 - 名曲のご紹介

今日は、布施 明の「君に涙とほほえみを」のご紹介です。

君に涙とほほえみを 布施明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。
妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。

布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。

1975年に、「シクラメンのかほり」がヒットし、第17回日本レコード大賞・第6回日本歌謡大賞・FNS歌謡祭での最優秀グランプリなど、多数の賞を受賞します。
アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、歌唱力の評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲスト出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。

1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚して話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。1983年に2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。

また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。

今日は、そんな布施 明の、1965年5月10日に発売されたデビュー曲である「君に涙とほほえみを」をどうぞ。

2006年12月13日に、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍し、森山良子とのデュエットソング「やさしく愛して~Love Me Tender」を発売。
同年12月、NHK「第57回NHK紅白歌合戦」出場22回を果たし、ジョン・レノンの「イマジン」を歌います。

2008年に、NHK「第59回NHK紅白歌合戦」出場24回を果たし、「君は薔薇より美しい」を歌います。
布施 明は当時61歳で、美川憲一と並んでトップバッター担当歌手の最年長記録となっています。

2009年に、NHK「第60回NHK紅白歌合戦」出場25回を果たし、「マイ・ウェイ」を歌います。
紅白勇退を宣言し、ポップス歌手出場枠を後進に譲る意向を明かします。

2013年4月に、歌手森川由加里と婚姻した事を発表。

2015年に、第57回日本レコード大賞・功労賞を受賞します。

2017年04月25日

「走れコウタロー/ソルティー・シュガー」 - 名曲のご紹介

今日は、ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」のご紹介です。

走れコウタロー ソルティー・シュガー ジャケットイメージ

ソルティー・シュガーは、フォークシンガーグループです。

メンバーは、山本厚太郎(山本コウタロー、ボーカル、ギター)、手塚通夫(ボーカル、コントラバス)、佐藤敏夫(ボーカル、バンジョー)、高橋隆(ボーカル、ギター)。

ソルティー・シュガーは、コミックバンドともいわれますが、本来はカレッジ・フォークに属します。
ソルティー・シュガーの前身は、東京都立日比谷高等学校を中心にステージに出ていた高校生バンド、「ワイリット・マン」で、大学進学のときに、佐藤敏夫が抜けることになり、その際、佐藤の名前をバンド名に残そうということで、佐藤敏夫→さとうとしお→砂糖と塩→シュガーアンドソルト→ソルティーシュガーとなったのがその名前の由来です。

1969年12月(昭和44年)に、山本・池田・手塚・高橋の幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビュー。
が、売れたのはわずか3000枚でした。

しかしながら、翌年の1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。
この曲は、同年1970年に行なわれた第12回日本レコード大賞の新人賞を獲得します。

この曲に出てくる馬の名前は、当初は実在の馬の名前の歌でしたが、山本が練習に遅刻してばかりいるので、作詞担当の池田がコウタローに変えました。

ソルティー・シュガーはその後、「日本国有鉄道5月10日の歌」「ハナゲの唄」などのコミックソングも発表します。

今日は、そんなソルティー・シュガーの、1970年5月に発売された2枚目のシングルである「走れコウタロー」をどうぞ。

山本はその後、武蔵野タンポポ団、ソロ活動を経て、「山本コウタローとウィークエンド」を結成。
1974年には、大ヒットソング「岬めぐり」を発表します。

1976年には、山本以外の三人で再結成し、「ソルティー・シュガーII」の名前でシングルを1枚発表します。

2005年から、「山本コウタローとウィークエンド」を、一部メンバーを替えて、「山本コウタローとほぼウイークエンド」として再結成。
ライブ活動を開始します。

ちなみに現在、佐藤敏夫は現在陶芸家として活躍しています。
また、高橋隆は1976年にビクター音楽産業に入社し、ディレクターとして活躍しました。

2017年04月15日

「ドム(Dom)/サンタナ(Santana)」- 名曲のご紹介

今日は、サンタナの「ドム(Dom)」のご紹介です。

ドム シェイプシフター サンタナ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サンタナ(Santana)は、ギタリストのカルロス・サンタナ(Carlos Santana)を中心とした、アメリカのラテン・ロック・バンドです。

サンタナは、1966年にサンフランシスコで結成された「サンタナ・ブルース・バンド」が前身で、「サンタナ・ブルース・バンドがその後「サンタナ」と改名。
1969年に、コロムビア・レコードからデビューをします。

そして、それと同時期に、ウッドストック・フェスティバルに出演して、話題となります。

1970年に、セカンド・アルバム「天の守護神」を発売。
このアルバムは、ビルボード誌のアルバム・チャートで1位を獲得します。

1971年に、ニール・ショーンが加入して、ツイン・ギター編成となり、ジャズ・ロック色を強めたアルバム「キャラバンサライ」(1972年)を発表。
その後、大幅なメンバー・チェンジが起こり、新たにトム・コスター等が加わります。

1981年に、アルバム「ジーバップ!」を発売。
このアルバムは、全米9位のヒット作となります。

サンタナのその後の作品は、チャート順位は低迷しますが、バンドとしてはコンスタントに活動を継続。
1987年に発売された「フリーダム」では、ジミ・ヘンドリックスとの共演で知られるドラマー、バディ・マイルスがボーカルを担当。

1998年には、ロックの殿堂入りを果たします。

1999年に発表したアルバム「スーパーナチュラル(SUPERNATURAL)」は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で3000万枚以上を売り上げるという大復活となります。
この作品は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「スムース (Smooth)」がビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得。
バンドにとって、初の全米1位シングルとなりました。

今日は、そんなサンタナの、2012年に発売されたスタジオアルバム・シェイプ・シフター(Shape Shifter)の中から「ドム(Dom)」をどうぞ。


ドム(Dom)/サンタナ(Santana)

2017年04月06日

「若草の招待状/新田恵理」 - 名曲のご紹介

今日は、新田 恵利の「若草の招待状」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

新田 恵利(にった・えり、1968年3月17日 -)は、埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身の歌手、タレントです。

新田 恵利は、高校三年生の時に、1985年4月におニャン子クラブ会員番号4番としてテビュー。フジテレビの「夕やけニャンニャン」に出演します。

がすぐに、自分は芸能界には向いていないと思い、番組スタッフに辞めたいと申し出ますが、「週刊文春喫煙事件」で5人のメンバー(1番・奥田美香、2番・榎田道子、3番・吉野佳代子、7番・友田麻美子、10番・佐藤真由美)が脱退したため、出演を継続することとなります。

同年の7月に、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でフロントメンバーに選ばれ、以降、おニャン子クラブの「顔」として人気を博します。

そして、人気者になった新田 恵利は、高校卒業後もタレント活動を続けたいという意志を固め、芸能事務所「ボンド企画」に所属し、芸能界に残ることとなります。

1986年1月1日に、シングル「冬のオペラグラス」でソロデビュー。
この曲は、オリコン初登場で1位となり、30万枚以上の売り上げを記録します。

新田 恵利の、目が「ヘ」の字になるような笑顔は「100万ドル」と評され、シングルのジャケットをあしらったノベルティ「新田トランプ」が破格の値段で取引されました。

それでは今日は、そんな新田恵利の、1987年2月14日に発売された通算5枚目のシングルである「若草の招待状」をどうぞ。


若草の招待状/新田恵利

いやー、いい曲ですねー。(^o^)
この曲は、フジテレビ系アニメ『世界名作劇場『愛の若草物語』のオープニングテーマ(第1話~第14話)として使われました(エンディングテーマは、同じく新田恵利の「夕陽と風とメロディ」)。

新田 恵利の近況

・2002年、期間限定で復活したおニャン子クラブに参加。
このころから。布川敏和、堀ちえみなどのように「当時の裏話を語る80年代アイドル」としてテレビ出演する機会も増える。
また、同時期から夫婦で神奈川県逗子市に居住し、逗子や近隣の鎌倉市を案内するテレビ番組の企画にも出演するようになる。

・2007年、福岡県嘉麻市にたけし軍団の井手らっきょが中心となって発足した誕生した硬式野球クラブ「嘉麻市バーニングヒーローズ」の応援団を務める。

・2010年、サントリー「ボス 贅沢微糖」テレビCM第8弾「贅沢銀行」篇でおニャン子クラブの限定復活に参加。
同時期から当時犬猿の仲だったといわれる国生さゆりともテレビ番組で共演する機会が増え、7月9日、有楽町のディスコ「クラブディアナ」で同じステージに立ち、新ユニット結成を約束した。

・同じく2010年より、手製のアクセサリーやテディベアなどを販売するインターネットショップ「EriS」を展開。

・2011年7月、初の小説『アイドルとつきあう方法』を出版。

・2016年6月15日、2013年に出演したテレビ番組で発見した脳動脈瘤の手術を行ない、6月18日に退院。
翌日には仕事復帰。