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2017年09月23日

「RAINY DAY(レイニー・デイ)/山下達郎」 - 名曲のご紹介

今日は、山下 達郎の「RAINY DAY(レイニー・デイ)」のご紹介です。

RAINY DAY 山下達郎 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

山下 達郎(やました たつろう、1953年2月4日 -)は、 東京都豊島区池袋出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。妻は、シンガーソングライターの竹内まりや

山下 達郎は、1950年代から1980年代にかけてのアメリカンポップス・ロックに影響を受けた、スタンダード、MOR (Middle Of the Road)としてのクオリティを追求した楽曲を制作し続けるミュージシャンです。

日本におけるア・カペラ、ドゥーワップのオーソリティの一人であり、自分自身のボーカルを多重録音する「1人ア・カペラ」という手法を用いた楽曲制作をすることでも知られています。

また、音楽作りに対する独自の制作姿勢から「音の職人」とも称されています。

今日は、そんな山下達郎の、1980年9月19日に発売された通算5作目のスタジオ・アルバム「RIDE ON TIME」(ライド・オン・タイム)の中から「RAINY DAY(レイニー・デイ)」をどうぞ。

この曲は、吉田美奈子:作詞、山下達郎:作曲・編曲によるもので、もともと吉田美奈子のアルバム「MONOCHROME(モノクローム)」のために書き下ろされた曲ですが、山下達郎バージョンの方が先に発売されました。

また後に、ライブ・アルバム「JOY」にはライブ・バージョンが収録されています。


そうそう、山下達郎といえば、なんと、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?(^^)

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1073.html

「え? そうワンか?」

写真は、こちらからお借りしました。

ちなみに、竹内まりやとのなれそめについては、かつて竹内まりやが、

「芸能人運動会みたいな番組に出て悩んで行き詰まったときに、いろいろと相談に乗ってくれたのが、結婚に至ったきっかけ」

と話しています。
また、同じく彼女によれば、結婚の際に、山下達郎からのプロポーズの言葉はなく、

「結婚しようか」

くらいだったということです。

2017年09月20日

「ときめき/麻丘めぐみ」 - 名曲のご紹介

今日は、麻丘 めぐみの「ときめき」のご紹介です。

ときめき 麻丘めぐみ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子(ふじい かよこ)、1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの女優、歌手、演出家です。
一時、田島 佳代子が本名だった時代もあります。

1970年代を代表するアイドルの一人で、当時、そのチャーミングな容貌と、「牛若丸カット」と呼ばれた独特のカットの黒髪、そして優しい歌声で一時代を築きます。
南沙織や天地真理・小柳ルミ子ら新三人娘とともに、「元祖女性アイドル」 と語られる機会もあります。

麻丘 めぐみのデビュー曲は、1972年に発売された「芽ばえ」です。
この曲は、40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞します。

翌年の1973年には、「わたしの彼は左きき」が大ヒット。
この曲は、第15回日本レコード大賞で大衆賞を受賞し、同年の「第24回NHK紅白歌合戦」にもこの曲で出場することとなり、麻丘めぐみの代表曲となります。

今日はそんな麻丘めぐみの、1974年1月15日に発売されたの通算7枚目のシングルである「ときめき」をどうぞ。( ^-^)/


麻丘めぐみ / ときめき 投稿者 jrapaka3

南沙織と浅田美代子はアイドル時代からの親友で、デビュー曲のヒットで一躍トップアイドルとして祭り上げられたことへの戸惑いや、1970年代当時の歌謡界の空気に馴染めないストレス等といった悩みをともに抱えており、それ故互いに励まし合いながらも本音で語り合える貴重な存在だったと、再三インタビューで語っています。

坂口良子とは「週刊セブンティーン」のモデル仲間であり、歌手デビュー以前からの友人でもあります。
また、堀越高校時代の同級生でもありました。

今陽子とは小学生の頃からの知り合いで、実姉の同級生で友人だったこともあり、家によく遊びに来ていたといいます。

麻丘めぐみの近況

麻丘めぐみは、現在は女優活動を中心に置いて、歌手活動も続けています。
彼女は、キリスト教(カトリック教会)の信徒でもあります。

2017年09月16日

ホームベーカリーで米粉100%パンを焼いてみました。(^^)

過日、試行錯誤の末、ついに、米粉100%食パンに成功したという記事を書きました。

ついに、米粉100%食パンに成功しました!\(^o^)/

このときは、パンを焼く際に食パン型を使いましたが、その後、ホームべーカリーを使って焼くことにも成功しましたので、今日は、そのご報告とレシピを公開したいと思います。

というより、忙しさにかまけていて、ご報告がかな~り遅くなってしまったことをご容赦下さい。(T^T) ←泣き。

まずは、以下の3枚の写真をご覧ください。

   

こんな感じで焼けました。(*^^)v

ということで、それでは早速そのレシピです。

材料:
ミズホチカラ 250g
コーンスターチ 大2.5
てんさい糖 or きび砂糖  25~38g(お好みで調整して下さい)
塩      2.5g
なたね油 or 太白ごま油 or サラダ油 10g
白神こだま酵母  5g
ぬるま湯(30℃~35℃)   215g

白神こだま酵母

ホームベーカリーは、以下の機種を使いました。


【レシピ】
1.ぬるま湯全体の中から、大さじ3杯を別容器(小皿や計量カップなど)に取り、そこに白神こだま酵母とてんさい糖1gを入れ、5分~10分ほど予備発酵させます。

2.ホームベーカリーに、残りの材料と、1で予備発酵済みの白神こだま酵母を入れ、手動コースの「こね」を選択して、10分間こねます。

3.同じく手動コースの「発酵」機能を使い、60分~80分発酵させます。

4.パン釜の縁から1~2センチ下まで膨らんだら、手動コースの「焼き」を選択し、40分~45分焼きます(焼き加減は、お好みで調整して下さい)。

5.焼きあがったら、「ケーピング腰割れ」を防ぐために、ただちにパン釜をホームベーカリーから取り出し、高いところから1、2度落とした後、パンを取り出します。

6.冷めたら、スライスして出来上がりです。

いつもながら、ミズホチカラで作った食パンはふわふわで、とてもおいしいです。(^^)


【コツ・ポイント】
・白神こだま酵母は、必ず予備発酵させてから使ってください。
でないと、一言でいって、クサいパンになります。【><】
具体的には、この酵母はイースト臭が強く、なにか味噌っぽいにおいのするパンになります。

また、過発酵させるとやはりクサくなるので、過発酵させないようご注意下さい。
もっとも、この香りが好きだという方は、その限りではありません。【><】

・(これは米粉食パンづくりに限りませんが、)食パンづくりに白神こだま酵母を使用する場合、仕込み水の温度から予備発酵の温度、そしていわば本発酵に至るまで、つまり焼きに入るまでのすべての工程を、31℃前後で行なうのが一番良いようです。

・米粉パンづくりの場合、二次発酵は不要です(そのため、2時間前後で焼きあがるのも魅力のひとつです)。

・米粉食パンは、時間が経つと、どうしてもパサついてきます。理想は、つくったその日に食べるのがオススメですが、パンづくりの際に、大さじ1杯程度のもち粉か、あるいは、米粉の分量に対して10%ほどのトレハロースを入れてやると、パサつくまでの時間を、少しですが延ばすことができます。

・前回も書きましたが、ホームベーカリーについている「米粉パンコース(グルテンフリー)」を使って焼くと、発酵時間がなかなか合わず、パンをうまく膨らませることが困難です。
たいていの場合、パンが膨らみきれないうちに焼きに入ってしまうため、高さの出ない、非常に重いパンになってしまいます。【><】

そこで、「手動コース」の登場と相成るわけです。(^o^)/ ジャジャーン! ← (^^;鳴り物入り カイ。

米粉パンを焼く場合、やはり食パン型を使うのが一番簡単なのですが、作る手間(特にねり^^;)を考えるならば、パン生地の作成から焼きまで、基本的に何回かボタンを押すだけでできてしまうホームベーカリの魅力は、なかなか捨てがたいものがあります。(^^)

【お知らせ】
ここでちょっとお知らせです。(^^)
私は最近、そのときの気分で、米粉パンをいろいろな大きさの型を使って焼いているのですが、ベーカリーパーセントの計算が次第に面倒になってきました。【><】

そこで先日、なんと、これを自動計算するスクリプトを作ってしまいました。(^0^;←「病膏肓に入る」 トイウ ヤツ カ?

このスクリプトは、以下のブログで公開しています。

ベーカーズパーセント計算機 | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1639.html

ベーカーズパーセント計算機 イメージ画像

基本的に、項目名の入力は必要最小限で、それ以外の項目は自動計算してくれます。

また、材料目の箇所には、最初は一般的な小麦粉食パンに使用するものが並んでいます。
が、このように、書き換えて使うことができます。(^^)v

そして、こうして書き換えた材料名は、メモリーボタンを押すことで、クッキーに保存することもできます。(^^)

自分でいうのも何ですが、これは、スゴく便利ですヨ。
良かったら、是非一度お使いになってみて下さいね。(^^)v

また、この計算機の下の方には、「食パン・パウンドケーキ型」、「シフォンケーキ型」の型容積計算機も付属しています。
型容積の計算は、もともとそれほど複雑なものではありませんが、この計算機があれば、手元に電卓がなくても、角型と丸型の容積が、いとも簡単に計算できてしまいますので、よろしければこちらもお試しいただければと思います。(^^)

なお、このスクリプトに、何かご要望等がありましたら、このページ、あるいはスクリプト公開ページのコメント欄にお寄せいただければ幸いです。
私にできることであれば、できる限り対応させていただきたいと思っています。

ということで、今日はホームベーカリーを使った米粉100%パンの焼き方でした。(^o^)/

2017年09月14日

「失われた夏/石野陽子」- 名曲のご紹介

今日は、石野陽子の「失われた夏」のご紹介です。

失われた夏 石野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。
姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。

石野 陽子は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。

その後、連続ドラマ「セーラー服通り」への主演や、「志村けんのだいじょうぶだぁ」でのコントで人気を博します。
また、「ミナミの帝王」シリーズに出演したため、Vシネマファンにもお馴染みの顔となっています。

茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が「天然」であることを明かしています。

今日は、そんな石野陽子の、1987年07月25日に発売された、通算5枚目のシングルである「失われた夏」をどうぞ。


失われた夏/石野陽子

この曲の歌詞はこちら

失われた視界/トラ
失われた 視界
「ま、前が見えニャい! 誰か 、誰か助けてくれニャン!」

出典:http://nekomemo.com/archives/49557131.html#more

石野陽子出演のバラエティー番組
・志村けんのバカ殿様
・志村けんのだいじょうぶだぁ
・志村けんはいかがでしょう
・オールナイトフジ
・日立 世界・ふしぎ発見!(不定期出演)

Vシネマ
・ミナミの帝王13 「詐欺師潰し」(1996年)
   ↓(連続出演)
・ミナミの帝王34 「トイチの身代金」(2000年)

テレビドラマ
・月曜ドラマランド『転校生!おれがあいつであいつがおれで』(1985年8月19日、フジテレビ)
・セーラー服通り(1986年1月10日 - 3月28日、TBS) - 主演 紺野冬美 役
・月曜ドラマランド「転校生!おれがあいつであいつがおれで2」(1986年4月21日、フジテレビ)
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その他多数。

2017年09月07日

「京都の恋/渚ゆう子」 - 名曲のご紹介

今日は、渚ゆう子の「京都の恋」のご紹介です。

京都の恋 渚ゆう子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、本名:大江 千鶴子 1945年11月8日 -)は、大阪市浪速区出身の歌手です。

渚 ゆう子は、1964年に、久葉真鶴(くばまづる)の芸名で芸能界入りをします。

そして、1965年に、和田弘とマヒナスターズの前唄で出演しますが、そのとき、リーダー和田弘のすすめにより上京。
作曲家浜口庫之助に師事し、ハワイアンを覚えます。

1966年に、「渚ゆう子」に改名。
命名当初は渚夕子でしたが、日没のイメージは良くないということで、ゆう子となります。
名付け親は、マヒナスターズの松平直樹です。

1967年6月に、ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。
この曲は、和田弘とマヒナスターズの佐々木敢一とのデュエット曲です。

そして、1970年に、ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄い、大ブレイク。
渚 ゆう子は、この曲で、一躍人気歌手となります。

その後は、京都慕情(1970.12.01)、さいはて慕情(1971.03.25)、雨の日のブルース(1971.08.05)、長崎慕情(1971.12.01)と、ヒットを飛ばしていきます。

今日は、そんな渚ゆう子の、1970年05月25日に発売された、デビュー曲である「京都の恋」をどうぞ。

この曲は、1970年2月25日に、「ザ・ベンチャーズ」が日本で発売したシングルです。
もともと「ザ・ベンチャーズ」のインストゥルメンタル曲で、同年の1970年に開催された「日本万国博覧会」を記念して製作されたものです。

この曲の日本での英語題は"Kyoto Doll"、米題は"EXPO'70"で、オリジナルレコーディングにおいては、主旋律の演奏にエレキ・シタールが使われています(彼らのコンサートも同様)。