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2016年12月05日

「グッバイ・ダイアリー/水越けいこ」 - 名曲のご紹介

今日は、水越けいこの「グッバイ・ダイアリー」のご紹介です。

グッバイ・ダイアリー 水越けいこジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、女性デュオユニット、姫だるまを経て、1978年に「しあわせをありがとう」でデビューをします。

主な活動期は、1970年代中期 - 1992年、そして1997年 - 現在で、その間発売されたシングル盤は31枚、そしてアルバムが21枚。また、当時歌手以外の活動として、夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、ドリフ大爆笑(フジテレビ)、紅白歌のベストテン(日本テレビ)、レッツゴーヤング(NHK)、ヤングおー!おー!(MBS)などに出演しています。

今日ご紹介する「グッバイ・ダイアリー」は、1982年12月に発売された曲で、作詞は来生えつこ、作曲は水越恵子です。

それでは早速、「グッバイ・ダイアリー」をどうぞ。


グッバイ・ダイアリー/水越恵子

いやー、素敵ナ オトナノ 曲。いーですねー。(^O^)
””( ・。・) (^.^ )ナニナニ、 イーデス・ハンソン?
古杉 ルヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)!

前述の通り、「しあわせをありがとう」でデビューした山下達郎、じゃなかった水越けいこですが、今日ご紹介した「グッバイ・ダイアリー」をはじめとして、「ほほにキスして」や「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)」、「シングル・ガール」、「ワンナイト」、「32階のバー」など、名曲が多いです。

おお!(゚o゚)山下達郎! \(^o^)/ サイコウ!
マチガエタン ダヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

なお、水越けいこのオフィシャルブログは以下になります。
ファンの方は、以下のサイへGo! (^O^)/

水越けいこオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/

ン?(?_?) (^.^ )ネエネエ、 キョウハ 圧力 タカク ナイ?
ソレヲ 言ウ ナラ 「テ・ン・ショ・ン」!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)キャイーン!


2016年12月01日

「LOVE IS ALL(ラブ イズ オール)/徳永英明」 - 名曲のご紹介

今日は、徳永英明の「LOVE IS ALL(ラブ イズ オール)」のご紹介です。

LOVE IS ALL 徳永英明 ジャケットイメージ

徳永英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター、作曲家、俳優です。

徳永 英明は、19歳の時に上京し、アルバイトをしながらミュージシャンを目指します。
そして、6年後の1986年1月21日、アルバム「Girl(ガール)」、シングル「Rainy Blue(レイニーブルー)」でRadio Cityレコードよりデビューを果たします。

翌年の8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」が大ヒット。
徳永英明は、この曲でブレイクします。

この曲が収録されたアルバム「BIRDS(バーズ)」は、マイケルジャクソンの2週連続1位の記録を抜き、オリコンチャート1位を獲得します。

今日は、そんな徳永英明の、1991年9月5日に発売された通算12枚目のシングルである「LOVE IS ALL」をどうぞ。


LOVE IS ALL/徳永英明

この曲を聴いて、あれっ? どこかで聴いたことのある曲だな、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この曲は当時、月桂冠のCMソングに使われました。
実は私など、ほとんど「耳タコ」状態になっていたりします。(^o^;

なお、椎名恵も 「LOVE IS ALL」という同じタイトルの曲を歌っていますが、徳永英明のこの曲とは同名異曲です。

徳永英明のエピソードいろいろ

徳永英明は、日常会話では関西弁を話しますが、テレビ番組のインタビューでは九州なまりが時々出ています。

ダウンタウンの松本人志の兄の松本隆博は、中学時代の同級生の友人です。
また、ダウンタウンの浜田雅功の実家の隣が、徳永の親友の実家だったため、徳永が「HEY!HEY!HEY!」へ親友とその妹を連れて浜田と対面させたことがあります。
その親友は相当なヤンキーだったらしく、浜田はそれ以降徳永を「兄やん」と呼ぶようになりました。

徳永英明が2006年に「NHK紅白歌合戦」に初出場した際、リハーサルで出場曲「壊れかけのRadio」の歌う部分を下げるなど、本来の歌い方より崩して歌ったといいます。
そのリハーサルを見ていたSMAPの中居正広(白組司会)に、「徳永さん、なんでそんなことするんですか。ちゃんとCD通りに歌って下さいよ」と言われ、それを聞いた瞬間、「テレビの前の人たちは、この曲をCD通りに歌うことを望んでいるに違いない」とは思いましたが、結局、本番では下げた歌い方で披露されました。

徳永英明は、以前は喫煙していましたが、もやもや病から復帰してからは禁煙しており、できるだけ副流煙も吸わないように努めています。

この、もやもや病というのは、脳血管障害の一種です。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。

もやもや病とは? | 雑学とトリビアの杜
http://www.zatsugaku-trivia.com/zatsugaku/%e3%82%82%e3%82%84%e3%82%82%e3%82%84%e7%97%85%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f.html


2016年11月25日

「12月の雨/荒井由実」 - 名曲のご紹介

今日は、松任谷 由実の「12月の雨」のご紹介です。

12月の雨 荒井由実 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名:同じ。旧姓:荒井 由実(あらい ゆみ1954年1月19日 -)は、京都八王子市出身のミュージシャンです。愛称はユーミン(Yuming)。夫はアレンジャーの松任谷正隆。

松任谷 由実は、14歳の時に、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をします。
以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビュー。
1971年には、17歳で作曲家としてデビューをします。
その作品は、彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」です。

1972年7月5日には、「返事はいらない」で荒井由実として歌手デビュー。
翌年の1973年11月に、ファーストアルバム「ひこうき雲」を発売。
当時、TBSラジオの深夜放送番組である「パックインミュージック」金曜日の第2部を担当していたパーソナリティ、林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年から本格的にステージ活動を開始します。

1975年10月に発売されたシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ「家庭の秘密」主題歌)は、初のオリコンチャート1位を獲得。1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎えます。

6年後の1981年6月に発売されたシングル「守ってあげたい」は、同年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。
その年のアルバム「昨晩お会いしましょう」以降のオリジナルアルバムは、17枚連続でオリコン1位を獲得し、1987年のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」以降は、9作連続のミリオンセラーとなります。

今日は、歌手デビュー2年後の1974年10月5日、「荒井由実」時代に発売された通算4枚目のシングルである、「12月の雨」をどうぞ。


12月の雨/荒井由実

この曲は、2枚目のアルバム「ミスリム」からのシングルカットで(同アルバムと同時発売)、シングルのジャケット写真は、イタリアンレストラン「キャンティ」のオーナー所有のグランドピアノの前で撮影されました。

またこの曲は、フジテレビ「おそく起きた朝は…」の初期のオープニングテーマとして使われました。

バックコーラスには、山下達郎、大貫妙子らシュガー・ベイブのメンバーが参加しており、また初めてシュガー・ベイブのメンバーが参加した作品でもあります。

あるとき、シュガー・ベイブがレコーディングで参加した某歌手のライブで、山下達郎だけがコーラスに参加を依頼され、他には有名な女性コーラス2人が参加予定でした(バックミュージシャンはキャラメル・ママと矢野顕子)。
しかしながら、リハーサルの段取りが悪く、女性2人が本番の直前に降りてしまったため、ライブを見に会場に来ていた大貫妙子と村松邦男が急遽コーラスとして参加するということがありました(大貫妙子と村松邦男は、シュガーベイブのメンバー)。

それをたまたま見に来ていたユーミンが、「あのコーラスは誰?」ということになり、「12月の雨」のレコーディングに呼ばれ、参加することになりました。


2016年11月24日

「しあわせをありがとう/水越けいこ」 - 名曲のご紹介

今日は、水越けいこの「しあわせをありがとう」のご紹介です。

水越けいこ しあわせをありがとう ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、1977年に、TBネット系「8時の空」に、歌のお姉さんとしてレギュラー出演し、全国に認知されます。

そして、1978年に、「しあわせをありがとう」でデビューをします。

1979年には、 「ほほにキスして」が大ヒット。

その後は、「Touch Me In The Memories (1979年12月10日)」、「.Thank you SUMMER (1980年06月05日)」、「グッバイ・ダイアリー1980年12月」と、順次シングルを発売していきます。

さて、今日はそんな水越けいこの、1978年06月21日に発売されたデビュー曲である、「しあわせをありがとう」をどうぞ。


しあわせをありがとう/水越けいこ

この曲はてっきり、水越けいこ本人の作詞作曲によるものとばかり思っていましたが、調べてみると、作詞作曲ともに伊藤薫(いとう かおる)で、ちょっと意外な気がしました。

また、歌詞の一部や、歌唱の雰囲気に、後に発売される「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)」を思わせるものがありますね。
こちらも同じく、詩・曲ともに伊藤薫の作品です。

当時私は、中森明菜のデビュー曲を聴いたときに、これはスゴい新人歌手が出てきたなぁと思った記憶がありますが、水越けいこのこの曲を聴いたときにも、同様に感じたことを思い出します。

なお、水越けいこは、シンガーソングライターとして、他の歌手に以下の楽曲の提供も行なっています。

・伊藤つかさ「ピエロのオルゴール」「私の騎士(ナイト)はいつも突然」(作詞・作曲)
・クラッシュギャルズ「ALL FOR LOVE」「さよならのコンチェルト」(作詞・作曲)
・香坂みゆき「二十才のサヨナラ」「星のじゅうたん」(作詞・作曲)、「42nd st.」(作詞)
・十朱幸代「想い出のスィング」(作詞・作曲)
・原田知世「夢七曜」(作曲)
・マーク(堀内護)「ブラインドをあけると」(作詞)

水越恵子のオフィシャルブログはこちら。

水越けいこオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/


2016年11月20日

「挽歌(ばんか)/由紀さおり」 - 名曲のご紹介

今日は、由紀さおりの「挽歌(ばんか)」のご紹介です。

挽歌 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1974年09月01日に発売された、通算20枚目のシングルである「挽歌」をどうぞ。


挽歌/由紀さおり