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2017年03月24日

「Maybe(メイビー)/The Chantels(ザ・シャンテルズ)」 - 名曲のご紹介

今日は、The Chantels(ザ・シャンテルズ)の「Maybe(メイビー)」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

The Chantels(ザ・シャンテルズ)は、1950年代の初めに、アメリカ、ニューヨーク州・ニューヨーク市ブロンクスで結成された、アフリカ系アメリカ人のガールDoowop(ドゥーワップ *)グループです。

The Chantels(ザ・シャンテルズは、1957年に 「He’s Gone(ヒーズ・ゴーン)」 でデビューをします。
全米ポップ・チャートは71位でしたが、翌年の1958年発売のセカンド・シングル 「Maybe(メイビー)」 は、ポップ・チャート15位、R&Bチャートでは2位を記録します。

彼らの音楽性は、当時の幾つかのグループとは異なり、クラシック音楽やラテン讃美歌の影響下にありました。
リード・シンガーのアーリーン・スミスは、古典的な訓練を受けたといわれています。

今日は、そんな彼らの、1958年のヒット曲であるその「Maybe(メイビー)」をどうぞ。


Maybe(メイビー)/The Chantels(ザ・シャンテルズ)

この曲の歌詞はこちら

* Doowop(ドゥーワップは、ポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種。
1950年代半ばから1960年代初頭のアメリカで隆盛し、数多くのコーラス・グループが生まれた。
フランク・ザッパやルー・リード、ジョージ・クリントン、鈴木雅之、山下達郎らは、熱心なドゥーワップ・ファンとして知られている。

そうそう、山下達郎といえば、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?

ええ?!(゚o゚)そんなバナナ!

と思われた方は、以下のサイトへGo! (^_^)/~

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1073.html


「じゃかあしい! 四の五の言ってないで、このバナナ光線を受けてみよ!」

ゲッ!(゚O゚; 何か突然、変なおじさんが出てきましたね。(^^;

ニゲチャオーット...((((( ((;^^)


2017年03月16日

「真夜中のドア~Stay with me(まよなかのドア ステイ・ウィズ・ミー)/松原みき」 - 名曲のご紹介

今日は、松原 みきの「(まよなかのドア ステイ・ウィズ・ミー)」のご紹介です。

真夜中のドア~Stay with me 松原みき ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は、大阪府岸和田市の女性歌手、作詞家、作曲家です。
「スージー・松原(スージーまつばら)」という芸名を用いたこともあります。

松原 みきは、母親が「クレージーキャッツ」と一緒に歌った事もあるというジャズシンガーで、3歳からピアノを習い始め、ジャズに親しみました。

1972年に、堺市立平岡小学校からプール学院中学校に入学。
この頃からロックに興味を持ち、ロックバンド「愚麗」に加入し、演奏活動を始めます。

1975年に、プール学院高校に進学。
「吉野家バンド」のキーボーディストとして京都のライヴハウス磔磔で活動します。

1977年高3の時に、歌手デビューのため単身東京へ行き、文化女子大学附属杉並高等学校に転校。
米軍キャンプなど各地で演奏し、六本木のジャズスポット「バードランド」に飛び入りしたところを世良譲に絶賛されます。

そして、1979年11月5日にファーストシングル「真夜中のドア~Stay With Me」(まよなかのドア ステイ・ウィズ・ミー)でデビュー。複数の新人賞を受賞します。
以後、1991年1月21日までにカップリング曲を含むシングル17枚、ベスト盤を含むアルバム15枚を発表。
全国各地で演奏活動を展開します。

今日は、そんな松原 みきの、1979年11月5日に発売されたデビュー曲である「真夜中のドア~Stay With Me」をどうぞ。


真夜中のドア~Stay with me/松原みき

この曲は、オリコン最高28位に入り、オリコン調べ10万4千枚、キャニオンレコード発表30万枚の売上げを記録しました。

エッ?(゚.゚)ヾ(^^)ネエネエ、「オリコン」って何? 「リモコン」の親戚?
(@_@)ウーン。
(@_@)ウーン。
(@_@)ウーン。
\(^o^)/ だっふんだ
ナンダイ ソレ ハ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

またこの曲は、シングルとアルバムとで、一部アレンジに違いがあります。
シングルバージョンでは、イントロに松原の歌声が入っており、アルバムバージョンではコーラスのみとなっています。
また、最終サビのリフレインが、アルバムバージョンはひとつ多く歌われています。
そのため、シングルバージョンに比べて、アルバムバージョンの方が15秒ほど演奏時間が長くなっています。

2017年03月08日

オリジナル曲、「White Clouds On A Blue Sky Day(ホワイト・クラウズ・オン・ア・ブルー・スカイ・デイ)」(インスト)を公開しました!

皆さん、こんばんは。(^^)/

前回、新曲を公開してから約半年と、かなり間があいてしまいましたが、(><) 本日、新曲をホームページの方で公開したのでお知らせいたします。
曲名は、「White Clouds On A Blue Sky Day(ホワイト・クラウズ・オン・ア・ブルー・スカイ・デイ」です。(^o^)/ ジャーン!

インスト曲としては、約9ヶ月ぶりのアップとなります。(^o^;

曲は、タイトル通り、青い空に浮かぶ白い雲をイージして作りました。
どうぞ、お聴きになってみてくださいね。o(^-^)o

曲は、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開中です。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

White Clouds On A Blue Sky Day - Super源さんの癒しの音楽館

お時間のある折にでも、お聴きいただければと思います。

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

掲示板 - Super源さんの癒しの音楽館

以上、取り急ぎ、新曲公開のお知らせでした!( ^-^)/


2017年03月08日

「まいったネ今夜/少年隊」 - 名曲のご紹介

今日は、少年隊の「まいったネ今夜」のご紹介です。

まいったネ今夜 少年隊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

少年隊(しょうねんたい)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の3人組男性グループです。
愛称は「ショーネン」。

メンバーは、錦織一清(ニッキ:リーダー)、植草克秀(カッちゃん)、東山紀之(ヒガシ)。

現在、少年隊はジャニーズ事務所所属のアイドルグループの中で、最も古株でもあります。

「少年隊」は、もともと彼ら3人を含めても当時まだ20~30人しか居なかったジャニーズJr.に対する総称でした。
が、1981年10月6日からテレビ東京で始まった「ザ・ヤングベストテン」に合わせて、錦織・植草・松原の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」となり、翌年の1982年に、松原から東山にメンバーが入れかわって、現在の顔ぶれとなりました。

デビュー曲は、1985年12月12日に発売された、「仮面舞踏会」で、この時のキャッチフレーズは、「日本発、世界行」でした。

グループ結成当初は、田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーとして歌番組やコンサートに出演するなど、レコードデビュー前から歌謡番組にも単独ユニットとして出演するなどしていました。

今日は、そんな少年隊の、1989年6月19日に発売された通算14枚目のシングルである「まいったネ今夜」をどうぞ。

イントロがいいですね。(--)
ウッド・ベースとピアノのからむ「激シブJAZZ歌謡」、おしゃれです。

ホント、まいったね、こりゃ。o(>-<)o

2017年03月01日

「忘れじのグローリア(Gloria)/ミシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)」 - 名曲のご紹介

今日は、ミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア(Gloria)」のご紹介です。

ミッシェル・ポルナレフ 忘れじのグローリア ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 -)はフランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身の男性ポップス・シンガーソングライター、作曲家です。
常に、派手なサングラスをかけているのが特徴で、フランスでは、国民的歌手として人気があります。
日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られています。

ミッシェル・ポルナレフは、幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックなクラシックの音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通い、クラスで1番の成績を修めていましたが、その後エルヴィス・プレスリーの曲を聴いてロックンロールに目覚め、ギターを手に家出を決行。
ヨーロッパ放浪の旅の末、パリに戻ります。

そして、有名なレコード会社「Disc'AZ」およびラジオ局「Europe 1」のディレクターであるルシアン・モーリスに出会い、レコード・デビューに至ります。

1966年、4曲入りEP「ノンノン人形(La poupee qui fait non)」でレコードデビュー。
続いて発売されたEP版「愛の願い(Love me, please love me)」も大ヒットし、一躍スターダムに上り詰めます。
同年10月、日本でのレコード発売が決定し、テイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売されます。

1971年8月、日本ではCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma cherie)」と、同曲を追加収録したファースト・アルバム「愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ 1」が発売されます。
日本での人気はこの時に火がつき、「シェリーに口づけ」がラジオ・チャートでトップ入りし、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなったことで、実質的にはこの時点がミッシェル・ポルナレフの日本でのデビューとされています。

今日は、そんなミッシェル・ポルナレフの多くのヒット曲の中から、1973年に発売された 「忘れじのグローリア」をどうぞ。



忘れじのグローリア(Gloria)/ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)

1960年代から1970年代初期のフランスでは、4曲入りEP盤でのレコード販売が主流だった為に、ポルナレフの曲ではEP盤に収録されながらもアルバム未収録の曲が多数ある。彼のフランスでのデビュー曲「ノンノン人形」もEP盤だった。

ミッシェル・ポルナレフの近況

・2013年5月7日、本人公認の写真集 "Le Polnabook" がフランスで発売されました。

・2014年1月、過去のテレビ出演映像、ビデオクリップ、インタビュー映像を集めた2枚組DVD "Polnareff Classics Vintage" が発売されました。
6月にドキュメンタリー映画 "Quand L'ecran S'allume" が公開され、同映画は9月にベルギーで、10月にはフランスでテレビ放送されました。

2014年内に新作アルバムを発売する予定が発表されましたが、結局、2014年には発売されませんでした。

2015年4月、ポルナレフはフランスの金融会社 Cetelem を名誉棄損で告訴。2011年よりCetelemはテレビ放送用のCMのシリーズで、ポルナレフに似せた人物を無許可で登場させていました。
ポルナレフは100万ユーロの損害賠償を求めているます。

・フランスの中部の街・モンリュソンにあるミュージアム "MuPop" において、6月21日から12月31日までの間、"PolnaEXPO" と題されたポルナレフ展が開催され、コスチューム、私物、手稿、レコードが展示されました。
6月20日にはポルナレフも現地を訪問しています。

ニッポン放送のラジオ番組「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」の中のコーナーで、タレントのSHELLYが登場するテーマ曲として、「シェリーに口づけ」が使用されていました。
同年12月には、翌年のツアーの日程が発表されました。

・2016年4月30日から、9年振りのツアーを開始。
バック・バンドにはブラッド・コール(音楽監督、キーボード)、ピーター・ソーン(ギター)、トニー・マカパイン(ギター)、レジー・マクブライド(ベース)、カート・ビスケラ(ドラム)らが参加しました。