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2018年11月09日

「アムール/サーカス」- 名曲のご紹介

今日は、サーカスの「アムール」のご紹介です。

アムール サーカス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。

メンバーは、叶正子、叶高、叶ありさ、吉村勇一。

サーカスは、1977年に「月夜の晩には」で仮デビューをします。
この時のメンバーは、すが健、茂村泰彦、叶正子、卯月節子です。

そして、1978年に、バンド活動を志向していた男性2名がメジャーデビュー直前に脱退。
急きょ叶正子の弟の高(たかし)と央介(おうすけ)を加えて再結成されました。

1978年に、シングル「Mr.サマータイム」(ミシェル・フュガンのカヴァー曲) で本格的にデビュー。
この曲は、同年8月中に100万枚を突破する大ヒットとなります。
他のヒット曲としては、1979年に発売された「アメリカン・フィーリング」、1988年発売の「Woman in Love」などもあります。


サーカスは、それまでどのグループにもなかった男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな編成のヴォーカルグループとして誕生したのが特徴です。

1984年に、卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため二人はグループから離れ、原順子と嶋田徹の二人が新メンバーとして加入。

1988年には、嶋田徹がグループを離れ、叶央介が復帰。

1991年に、叶央介と原順子が結婚し、メンバー4人が「親族」となります。

今日は、そんなサーカスの、1978年11月25日に発売された、通算4枚目のシングルである「アムール」をどうぞ。


アムール/サーカス

この曲の歌詞はこちら

サーカスの近況

2013年に、叶央介と原順子が2人のライブユニット「J&O」(→「2VOICE」)の活動に専念するためグループを離れ、叶ありさと吉村勇一が新メンバーとして加入します。

2013年4月24日に、メンバーチェンジ後、初となるアルバム「We Love Harmony!」を発表。

2013年5月29日に、アルバム「THE REBORN SONGS~80'sハーモニー~」を発表しています。

2018年10月31日

「想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン」 - 名曲のご紹介

今日は、森田公一とトップギャランの「想い出のピアノ」のご紹介です。

想い出のピアノ 森田公一とトップギャラン ジャッケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成された森田公一と5名のコーラスによる音楽グループです。

メンバーは、森田公一(ボーカル、キーボード、リーダー)、渡部玲子(ボーカル)、原田正美(ギター、元マグマックス・ファイブ、元ポニーズ)、岩田康男(ギター、元スケルトンズ、元レモンルーツ)、小原重彦(ベース、元マグマックス・ファイブ)、北村勝彦(ドラムス)。

森田公一とトップギャランは、エキスプレス/東芝音工(現・ユニバーサルミュージック)よりデビューをします。
その後、CBSソニーレコードに移籍。「青春時代」「人間はひとりの方がいい」「過ぎてしまえば」「惜春の唄」などのヒットを放ちます。

そして、1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場。1981年に解散します。

その後、1990年に、森田公一自身の作曲家30周年を記念して、「森田公一とトップギャラン2」として再結成。
元Sugarのミキこと笠松美樹が、キーボード担当として一時期加わっていました(Sugarは87年に解散しています)。

今日は、そんな森田公一とトップギャランの、1977年2月に発売されたシングルである「想い出のピアノ」をどうぞ。


想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン

この曲の歌詞はこちら

「♪ガラスを~ いろどる~ 雪模様~♪」
フクロウ 写真
写真は、こちらからお借りしました。

人物

森田公一は、1970年代の歌謡界のヒットメーカーです。
作曲家としては、作詞家阿久悠、編曲家馬飼野俊一と組むことが多く、一時代を築きました。
歌手としては、「青春時代」「青雲」が、現在でもCMなどで使用されています。

2018年10月24日

「スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)」- 名曲のご紹介

今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「スカイレストラン」のご紹介です。

スカイレストラン ハイ・ファイ・セット ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコーラスグループです。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が1974年9月に解散後、同グループのメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦、大川茂の3人によって、同年の10月に結成されました。

そして、1975年に、「卒業写真」と、同名のアルバムの同時発売でレコード・デビューをします。

以降、「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井由美(現;松任谷由実)の曲を数多くヒットさせ、後に荒井由美自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まります。

1977年に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(英語版)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。

以降、ハイ・ファイ・セットは、山本潤子のソプラノと山本俊彦のテナー、そして大川茂のバス・ボイスによる抜群のコーラスワークと、都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇ります。

今日は、そんなハイ・ファイ・セットの、1975年11月5日に発売された通算4枚目のシングルである「スカイレストラン」をどうぞ。


スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)

この曲の歌詞はこちら

もともと、この曲の歌詞は、ユーミンの「あの日にかえりたい」の歌詞として書かれたもので、ユーミンはその後、「あの日にかえりたい」を書き直し、この「スカイレストラン」に使ったということです。
なので、この2曲の詞は、相互に入れ替えても違和感なく聴くことができます。

「スカイレストランまで、跳びたい気分だニャー!」
ジャンプする猫 jumping cat
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1980年にいったん活動停止しますが、1年後に活動を再開。
4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓します。

1984年には、「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
そして、1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散します。

解散後、山本潤子はソロシンガーとして活動しています。

2018年10月12日

「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして(ドリーミング ガール こい、はじめまして)/岡田 有希子(おかだ ゆきこ)」 - 名曲のご紹介

今日は、 岡田 有希子(おかだ ゆきこ)の「 恋・はじめまして」のご紹介です。

恋、はじめまして ドリーミングガール 恋、初めまして 岡田有希子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、本名:佐藤 佳代(さとう かよ) 1967年 - 1986年)は、愛知県一宮市出身のアイドル歌手、女優です。
愛称は「ユッコ」。

岡田 有希子は、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。
サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていました。

今日は、そんな岡田 有希子の、1984年9月21日に発売された通算3枚目のシングルである「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」をどうぞ。


-Dreaming Girl- 恋、はじめまして(ドリーミング ガール こい、はじめまして)/岡田 有希子(おかだ ゆきこ)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、竹内まりやが岡田有希子のために作詞作曲を手掛けた“学園三部作”の最終作となるもので、。デビュー曲の1作目「ファースト・デイト」で同級生との思いがけない馴れ初めを、次作「リトル プリンセス」で遊園地での親密なデートを、そしてこの3作目では、なかなか会えない恋人を想いながら“素敵なレディ”への成長を夢見る少女のときめきを歌い、あたかもファンの男子と次第に愛を深め合っているかのような三部作構成になっています。

この曲は、1984年10月8日のオリコンチャートで7位に入り、岡田有希子にとって、デビュー半年目にして初のトップ10入りとなりました。

そして、『ザ・ベストテン』にも初のランクインを果たし、岡田有希子はこの曲で、売れっ子アイドルとしての地位を確かなものとしました。

併せて、「第15回日本歌謡大賞」優秀放送音楽新人賞、「第26回日本レコード大賞」最優秀新人賞、「第13回FNS歌謡祭」最優秀新人賞等をも、この楽曲で受賞しました。

岡田有希子、可愛かったですねー。(^o^)
ちょっぴり気が強そうな彼女のスマイルも、私は好きでした。(#^.^#)

岡田有希子 ピンナップ
岡田有希子 ピンナップ
写真は、こちらからお借りしました。

が、人気絶頂だった1986年(昭和61年)に、突然の飛び降り自殺。
そして、この報道の後に起こった若者の相次ぐ自殺は、大きな社会問題となりました。
当時のこの現象は、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれることもあります。

なお、この曲の約4ヶ月後に発売された「二人だけのセレモニー」も名曲です。
機会があったらご紹介したいと思います。

2018年10月03日

「WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)/バブルガム・ブラザーズ」 - 名曲のご紹介

今日は、バブルガム・ブラザーズの「WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)」のご紹介です。

ウォント ビー ロング バブルガム・ブラザーズ ジャケットイメ-ジ
写真は、こちらからお借りしました。

バブルガム・ブラザーズは、1983年にブラザー・トム(Bro.TOM)とブラザー・コーン(Bro.KORN)のコンビで結成されたデュオです。略称はBGB。
彼らは、もともとは漫才師でした。

バブルガム・ブラザーズは、1985年に「忘れじのエヴリナイト」を発売して、ミュージシャンとしてデビューをします。

そして、シングル『Beautiful People』あたりから、グループ名の英語表記で、定冠詞「THE」(ザ)を黒人英語の「DA」(ダ)に変えて、コーンの綴りも2008年ごろ「KORN」から「KONE」に変えます。

1991年には、前年の1990年に発売したシングル「WON'T BE LONG」が大ヒットし、『第42回NHK紅白歌合戦』に出場。
この年の紅白は、当初は「HOUND DOG」が出場を予定していましたが、NHKとの選曲のもつれから彼らの出場はキャンセルとなり、代役として白羽の矢が立ったのが、「バブルガム・ブラザーズ」です。
そして、当日歌い終わった後、「THANKS TO HOUND DOG」と絶叫します。

それでは、今日はその「WON'T BE LONG」をどうぞ。


WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)/バブルガム・ブラザーズ

この曲の歌詞はこちら

バブルガム・ブラザーズは、1996年以降になるとソロ活動が多くなり、活動休止状態(2004年6月にライブを行ったことがある)となります。

しかしながら、2008年12月3日に発売したシングル「Daddy's Party Night~懲りないオヤジの応援歌~」で、本格的に活動を再開。音楽番組にも出演します。

その際、活動を休止した理由は、不仲によるものであったと語っています。
また、再始動のきっかけは、偶然、2人が町でバッタリ会ったときに会話が弾み、

『お互い病気を乗り越えた(トムは心筋梗塞、コーンは腎疾患)記念に、もう一度やろうか。』

というやり取りがあったことだと語っています。