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2017年06月28日

「モンテカルロで乾杯/庄野真代」 - 名曲のご紹介

今日は、庄野真代の「モンテカルロで乾杯」のご紹介です。

モンテカルロで乾杯 庄野真代 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

庄野 真代(しょうの まよ、本名:庄野 眞代(読み方は同じ) 1954年12月23日 - )は、大阪府大阪市出身の歌手・シンガーソングライターです。
ルフラン所属。NPO法人国境なき楽団理事。

庄野 真代は、20歳のときに参加した「フォーク音楽祭」で、予選を次々と突破。
関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされます。

そして、1976年に、アルバム「あとりえ」でデビュー。
都会派ニューミュージックの歌手として、注目されるようになります。

そして、2年後の1978年に、代表曲「飛んでイスタンブール」が大ヒット。
同年大晦日の『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)を受賞し、また『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たします。

庄野真代のヒット曲には、その他1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」などがあります。

今日は、1978年7月10日に発売された「モンテカルロで乾杯」をどうぞ。

この曲は、前作の大ヒット曲『飛んでイスタンブール』に続くシングルで、庄野真代自身2番目のヒット曲となりました。

ちなみに、「モンテカルロ」というのは、西ヨーロッパ・モナコ公国の4つの地区(カルティエ)の1つで、同国の北東部・モナコ湾の北岸に位置する場所です。

そうそう、モンテカルロといえば、1913年(日本の暦でいえば大正2年)に、ここにあるカジノのルーレットゲームで、なんと、黒の目が連続して27回も出るという大珍事がありました。

連続27回ですよ、27回!おお!(゚o゚)

数学的な確率を無視した、もはや神様のいたずらとしか思えない、文字通り人々が啞然とした出来事でした。

ご興味をもたれた方は、以下の記事をお読みになってみて下さい。(^^)

誰もが啞然としたルーレットの目の出方とは?-1913年にモンテカルロのカジノで起こった大珍事!
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1603.html

しかしこれ、ホント、信じられない出来事ですね!(・o・)
まさに驚嘆すべき出来事ですが、時としてこのようなことが起こるから、世の中って面白いのかも知れません。(@_@)ウーン

2017年06月27日

「20歳のめぐり逢い/シグナル」 - 名曲のご紹介

今日は、シグナルの「20歳のめぐり逢い」のご紹介です。

20歳のめぐり逢い シグナル ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シグナルは、1975年半ばから1984年にかけて活動した、フォークソンググループです。
1975年に発売したデビュー曲「20歳のめぐり逢い」が大ヒットし、これが彼らの代表曲となります。

メンバーは、浅見昭男、田村功夫、住出勝則、稲垣達雄の4人です(途中で、田村功夫が抜けて稲垣達雄が加入)。

当時大ヒットした曲としては、前述の「20歳のめぐり逢い」のみですが、シグナルには「B.G.Mはため息で」や「黄昏のあらし」など、良い曲が他にもたくさんあり、グレープ同様、当時私が良く聴いたフォークグループのひとつでもあります。

さて、今日はその、彼らのデビュー曲でもあり代表曲でもある、「20歳のめぐり逢い」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

いやー、素敵な曲です。(^-^)
今改めて聴いて、その感慨を新たにしました。
ストリングスアレンジが、また良いです。

「手首の傷は癒えないけれど~」という部分が、何故か妙に印象に残っています。
このような和風でしっとりした曲は、最近めっきり減ってしまったように思います。

なお、この曲はのちに、以下のアーティストによってカバーされています。

・1981年11月5日発売 岩崎宏美 - カバーアルバム「すみれ色の涙から…」に収録
・2015年4月29日発売 岩佐美咲 - 限定盤シングル「初酒」に収録

両者の名前に、「岩」と「美」の漢字があるところが面白いですね。おお!(゚o゚)

ちなみに、岩佐美咲は、演歌歌手で、女性アイドルグループAKB48チームBの元メンバーです。

2017年06月17日

「神様からもらったチャンス/三浦理恵子」 - 名曲のご紹介

今日は、三浦理恵子の「神様からもらったチャンス」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

三浦 理恵子(みうら りえこ、1973年9月1日 - )は、東京都中野区出身の歌手、女優、声優、タレントです。
「乙女塾」2期生の出身で、解散したアイドルグループ「CoCo」の元メンバーです。
愛称は、理恵ちゃん。

三浦 理恵子は、1989年、フジテレビの「パラダイスGoGo!!」において、フジテレビが主催・運営のタレント育成講座、「乙女塾」の2期生としてデビューをします。
そして、同じく東京都中野区出身の羽田惠理香(現・はねだえりか)らと、同塾生の5人でアイドルグループ「CoCo」を結成。

1991年には、「涙のつぼみたち」でソロデビュー。
1994年には「CoCo」を解散し、本格的にソロ活動を開始します。

今日は、そんな三浦理恵子の、1992年9月18日に発売された5枚目のシングルである、仏様…、じゃなかった、「神様からもらったチャンス」をどうぞ。

ナンダヨ、仏様 ッテ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

しかし、声優でもある彼女の声は、ホント可愛いですねー。(^o^)

ドウ、コレ? リボン ツケテ ミタケド、可愛い?(^.^)
オカマ カイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

なお、三浦理恵子のオフィシャルブログは以下になります。
ファンの方は、迷わずGo! ( ^-^)/

三浦理恵子オフィシャルブログ「Miura Rieko」
https://ameblo.jp/riekomiura/

芸能人ブログによくありがちな、いわゆる放置ブログではなく、週に数回ペースながら、こまめに更新されているようです。(^ ^)

2017年06月14日

「プラチナのブレスレット/水越けいこ」 - 名曲のご紹介

今日は、水越けいこの「プラチナのブレスレット」のご紹介です。

プラチナのブレスレット 水越けいこ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。
担当楽器は、歌、アコースティックギター、キーボード。

水越けいこは、1978年に、女性デュオユニット「姫だるま」を経て、「しあわせをありがとう」でデビューをします。

そして、その後「めぐり逢いすれ違い」「ほほにキスして」「Touch Me In The Memories」「Thank you SUMMER 」「グッバイ・ダイアリー」 …と、順次シングルを発売していきます。

主な活動期は、1970年代中期から1992年、そして1997年から現在で、その間発売されたシングル盤は31枚、そしてアルバムが21枚です。
また当時、歌手以外の活動として、夜のヒットスタジオ(フジテレビ)、ドリフ大爆笑(フジテレビ)、紅白歌のベストテン(日本テレビ)、レッツゴーヤング(NHK)、ヤングおー!おー!(MBS)などに出演しています。

今日は、そんな水越けいこの、1983年12月21日に発売された通算12枚目のシングル「リオデジャネイロ 」のB面に収録されていた「プラチナのブレスレット」をどうぞ。

哀愁のある素敵な曲です。(^-')
水越けいこの声質と歌い方に、とても良く合っていると思います。
メロディーが、荒井由美のあのヒット曲に煮て、じゃなかった、似ていますね。(^^)
でも、いい曲です。(T^T) シンミリ。

煮テ ドウスル!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

2017年06月06日

「横須賀ストーリー/山口百恵」 - 名曲のご紹介

今日は、山口百恵の「横須賀ストーリー」のご紹介です。

横須賀ストーリー 山口百恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

山口 百恵(やまぐち ももえ、戸籍名、三浦 百惠(みうら ももえ、旧姓:山口)1959年1月17日 - )は、東京都渋谷区恵比寿生まれ(出身地:神奈川県)の元歌手、元女優です。

夫は、俳優の三浦友和。長男は、シンガーソングライター・俳優・歌手の三浦祐太朗。次男は俳優、の三浦貴大。

山口 百恵は、1972年12月に、オーディション番組「スター誕生!」で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌って準優勝し、20社から指名を受けます。
同番組へ出ようと思ったきっかけは、当時テレビで活躍していた同い年の森昌子へのあこがれでした。

1973年4月、映画「としごろ」に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。
森昌子・桜田淳子と共に、「花の中三トリオ」と呼ばれます。
山口 百恵のデビューのキャッチコピーは、「大きなソニー、大きな新人」でした。

そして、1973年5月20日に、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として「としごろ」を歌います。
この曲は、スタッフの期待以下のセールスにとどまったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取ります。
これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなります。

年端のいかない少女が、性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で、山口百恵は絶大な人気を獲得することになります。
きわどい内容の歌詞でしたが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手とは違い、山口百恵は年齢が低く、純朴な少女というイメージでした。

歌とビジュアルのギャップ、そしてそれに伴うある種の背徳感が、山口百恵の人気を独特なものにしていったといわれています。

さて、今日はそんな山口百恵の、1976年6月に発売された通算13枚目のシングルである「横須賀ストーリー」をどうぞ。

当時山口百恵は、「ひと夏の経験」以降ついて回った“早熟な少女”という自分の歌手イメージに違和感を抱き、この頃は歌手活動への熱意が薄れ始めていました。
そんな折、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を前年にヒットさせた阿木燿子(作詞)・宇崎竜童(作曲)のコンビを自ら指名して生まれたのがこの「横須賀ストーリー」です。

この新機軸は大当たりし、「これっきり これっきり もう これっきりですか」という印象的なフレーズと共に、曲はナンバーワン・ヒットとなります。
そして山口百恵は、“自分の意志を持ち、潔く今を生きる女性”という、新しい山口百恵像へのリセットを成功させます。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィー、ヒック!
” ( '_') ゴキゲン ジャナイ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン 。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォッ!

またこれが、後の「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」「しなやかに歌って」など、同じスタンスに立った曲のヒットにつながり、その点で「横須賀ストーリー」は山口百恵という歌手の、大きな転換点となる作品となりました。