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2017年08月04日

「さよならのめまい/南野 陽子」 - 名曲のご紹介

今日は、南野 陽子の「さよならのめまい」のご紹介です。

さよならのめまい 南野 陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りとなります。

また、1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢され、主題歌の「楽園のDoor」は初のオリコンチャート第1位を獲得します。

その後も、「話しかけたかった」「はいからさんが通る」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」など、ヒット曲を連発。
くわえて、フジカラー、グリコ、JR西日本など多数の企業のイメージキャラクターに起用されてCMに出演。かくして、南野 陽子は中山美穂、工藤静香、浅香唯と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍することになります。

1988年、NHK大河ドラマ『武田信玄』に出演し、1人2役を演じます。
ブロマイドの年間売上が第1位を獲得。
同年、グレナダで発行された切手の題材になります。

1989年、日本テレビ系列の「24時間テレビ」のチャリティー・パーソナリティとしてカンボジアに赴き、リポートを行ないます。
また、自身のシングルのカップリング曲「思いのままに (ニュー・バージョン)」がこの番組のメインテーマ曲として使われ、同年の8月には、「恥ずかしすぎて」から「はいからさんが通る」まで、CD化されていなかったシングル10タイトルがCDシングルとして再発売されます。

そして、そのうちの9タイトルが、オリコンシングルチャートにランクインします。

今日は、そんな南野 陽子の、1985年11月21日に発売されたセカンドシングルである「さよならのめまい」をどうぞ。


この曲の歌詞はこちら

この曲は、フジテレビ系の自身主演ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の挿入歌として使われました(主題歌は吉沢秋絵の「なぜ?の嵐」)。

TBS系の『ザ・ベストテン』においては「今週のスポットライト」(1986年2月6日放送)で、そして日本テレビ系の『ザ・トップテン』においてはは「話題曲コーナー」(1986年1月20日放送)で、それぞれ南野陽子自身初の出演となりました。

南野陽子のエピソードあれこれ

・1988年11月3日、「秋からも、そばにいて」がTBS系の歌番組『ザ・ベストテン』で第3位にランクインした際、歌唱中に突然、歌詞の一部を忘れてしまうというハプニングがありました。
その数年後、『ザ・ベストテン』のスペシャル番組で、当時を振り返り、「あの瞬間に私の歌手生命は終わったと感じました」と語っています。

・『三枝の爆笑美女対談』のゲスト出演で、番組ラストのおもちゃのゲームで司会者の桂三枝(現・六代目桂文枝)が勝てばゲスト女性は彼にキスをするという罰ゲームでキスをすることになりました。
そこで、三枝は目を閉じてキスを待っていましたが、南野陽子本人はキスを手にし、その手を頬にくっつけました。
これに気づいた三枝は「しょうもない」と呆れ、観客の笑いを誘いました(なお、当時の出演した女性ゲストは、概ね実際にキスをしていました)。

・2002年『新・仁義なき戦い2』の製作発表では、「芸能界もやくざの世界なので、今と同じようにひょうひょうと漂っているだけ」と発言し、共演者を苦笑させました。

・2007年に『笑っていいとも!』レギュラー出演が決まった際の会見では、「活躍は出来ないと思います」と語りました。
が、2008年5月 - 9月まで放送されたクイズコーナー「ザ・共通10」での正答率は高く、正解回数は1位でした。
また、最速正解記録ももっており、わずか6秒で正解していたことが「ザ・共通10ファイナル(最終回)」にて発表されました。

・TBSで放送されていた『テレビ探偵団』において、子供の頃好きだった番組は「北斗と南が2人で変身するまでの『ウルトラマンA』」と答え、「2人で変身してこそエース」と発言しています。


「なあ、南野陽子って、ホンット美人だよな~!」「そうねえ!」バシツ!

・日本テレビ系『歌のトップテン』に出演した際、南野陽子本人をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで、番組にゲストとして呼ばれた男子高校生と握手したことがあります。
そのとき、衣装の長い右手袋をわざわざ取って、直に握手したというエピソードが残っています。

・岡田有希子とは高校の同級生であり仲が良く、アイドル歌手として一歩先を歩んでいた岡田と歌番組で共演することが目標のひとつでした。
が、1986年4月8日に岡田は自殺。
そしてその2日後の4月10日に、TBS系『ザ・ベストテン』に於いて南野陽子の3枚目のシングル「悲しみモニュメント」が初のランクイン。
共演の夢は、叶うことはありませんでした。

・2005年11月6日には、堀越高校編入以来の親友であった本田美奈子が、急性骨髄性白血病のため38歳の若さで死去。
その訃報を聞いたのは、舞台本番の合間のことでしたが、あまりにショックで、そのまま泣き崩れてしまったといいます。

・関西出身にも関わらず、テレビではほとんど関西弁を話さない南野陽子ですが、関西が舞台のドラマでは、流暢な関西弁を使っています。

・仕事などから帰宅したら、すぐに必ず5分間は、自宅の清掃を行なうといいます。
これは、オンとオフを切り替えるための儀式のようなものであるということです。

・根が出不精であり、仕事以外ではあまり外出しない性質なので、自然と家についての思い入れが深くなり、自分なりに使い勝手のいいように自宅を整理整頓しているといいます。
その際には、ただ、部屋が片付いている状態にするのではなく、「旅行関係のものはココに、明日着ていく服はこの位置に置くようにすれば、3歩分は得するかも!」というように動線を考え、収納場所や家具などのものを、システム化して配置するのだといいます。
そしてこの行動は、「(家は)心地よく・使いやすくでなければ損」というポリシーに基づいているということです。

2017年07月31日

「青い鳥/ザ・タイガース」- 名曲のご紹介

今日は、ザ・タイガースの「青い鳥」のご紹介です。

青い鳥 ザ・タイガース ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ザ・タイガース(The Tigers)は、1960年代後半から1970年代の初めにかけて活躍した日本のグループ・サウンズ(通称GS)のひとつです。

メンバーは、沢田研二(ボーカル、タンバリン)、岸部修三 現:岸部一徳(ベース、コーラス)、加橋かつみ(ギター、ボーカル、コーラス)、森本太郎(ギター、コーラス)、岸部シロー(ギター、タンバリン、コーラス)、瞳みのる(ドラムス)の5人です。

1967年2月5日、シングル「僕のマリー」でデビュー。
そして、セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」でブレイクし、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ (GS) の頂点へと躍り出ます。。

今日は、そんなタイガー魔法ビン、じゃなかったタイガースの、1968年12月1日に発売された通算8枚目のシングルである「青い鳥」をどうぞ。

この曲は、3枚目のアルバムである「ヒューマン・ルネッサンス」からのシングルカットで、A面曲がメンバーの自作による、グループ初となる作品です。

オリコン最高位は4位(1968年12月23日付)で、売上げは33.6万枚を記録しました。

「ガツッ!」「いタイガー!」

写真は、こちらからお借りしました。

なお、この曲のシングル盤は、アルバムバージョンとは音源が異なっています。
原曲では、サビの「青い鳥~」の部分を森本太郎が歌っていましたが、こちらの盤は沢田研二が歌っています。

2017年07月29日

「傾いた道しるべ/布施明」 - 名曲のご紹介

今日は、布施 明の「傾いた道しるべ」のご紹介です。

傾いた道しるべ 布施明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。

布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。

1975年に、「シクラメンのかほり」がヒットし、第17回日本レコード大賞・第6回日本歌謡大賞・FNS歌謡祭での最優秀グランプリなど、多数の賞を受賞します。

布施 明は、アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、その歌唱力への評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲストとして出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。

1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚し、話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。
1983年には2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。

また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。

今日は、そんな布施 明の、1975年10月25日に発売されたシングルである「傾いた道しるべ」をどうぞ。

この曲は、1975年大晦日に行なわれた「第17回日本レコード大賞」など、数々のグランプリ受賞曲となった「シクラメンのかほり」に次ぐシングルで、前曲同様シンガーソングライター・小椋佳が作詞・作曲を担当しました。

また、オリコンチャート上の売上げ枚数は、35.1万枚を記録しています。


北向いた? 見て調べ

「おっ! 北を向いたニャんか?」


          



上のネコの写真は、こちらからお借りしました。

2017年07月25日

「ガラスの林檎/松田聖子」 - 名曲のご紹介

今日は、松田 聖子の「ガラスの林檎」のご紹介です。

ガラスの林檎 松田聖子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松田 聖子(まつだ せいこ、出生名:蒲池法子(かまち のりこ) 1962年3月10日 -)は、福岡県久留米市荒木町出身の歌手、女優、タレントです。

松田聖子は、1980年に「裸足の季節」で歌手デビュー。
この曲はCMタイアップで火がつき、その後続けざまに「青い珊瑚礁」、「風は秋色」、「チェリーブラッサム」、「夏の扉」、「白いパラソル」、「風立ちぬ」、「赤いスイートピー」とヒットを飛ばしていきます。

また、松田聖子は当時、トレードマークであったヘアスタイルの「聖子ちゃんカット」や、新しいアイドルとしての生き方に関しても多くの話題を集め、間違いなく1980年代を代表するアイドル歌手のひとりといってよいでしょう。

今日は、そんな松田聖子の、1983年8月1日に発売された、通算14枚目のシングルである「ガラスの林檎」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

カラスのリン子
歌う カラスと 驚く ネコ
「♪カラスのリン子たち~♪」「ゲッ! 歌ってるニャン!」

写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のような曲を作って欲しいと、当時のプロデューサーが作曲の細野晴臣に依頼し、出来上がった曲ということです。
発売後3週間で、オリコンシングルチャートの第1位を獲得しました。

明日に賭けるネコ

「今日はパチンコで1万円スッたニャー。でも、明日は絶対取り返すニャン!」

写真は、こちらからお借りしました。

なお、松田 聖子に関しては、1980年代のアイドル歌手としては突出した歌唱力を持っていた、とする但馬オサムの評価があり、歌唱力の欠けたアイドルでも通用した「可愛い子ちゃん歌手」の時代から転換したことの象徴とされています。

CBS・ソニーの当時のプロデューサーだった若松宗雄は、松田聖子の魅力について、第一に声質を挙げ、透明感と強さ、その中に娯楽性とある種の知性を感じたと語っています。

松田聖子は、絶頂期は多忙なスケジュールのために、曲のレッスンを受ける時間が取れず、レコーディング当日に楽曲を聞いて、即収録に挑んでいました。

プロデューサーからも、とにかく勘が良いといわれており、2~3回デモを聞いただけで、曲調を覚えて歌えるようになっていたといいます。

2017年07月21日

「恋文(こいぶみ)/由紀さおり」 - 名曲のご紹介

今日は、由紀さおりの「恋文(こいぶみ)」のご紹介です。

恋文 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1973年8月20日に発売された、通算20枚目のシングルである「恋文」をどうぞ。


恋文(こいぶみ)/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

何というか、古き良き時代の名曲という感じで、節回しとメロディーの展開が独特ですね。
この曲の冒頭部分の歌詞に出てくる「アズナヴール」というのは、フランスの歌手・俳優の「シャルル・アズナヴール」のことです。

シャルル・アズナヴール
シャルル・アズナヴール
写真は、こちらからお借りしました。

由紀さおりは、この曲で1973年の『第15回日本レコード大賞』・最優秀歌唱賞を受賞。
また、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』では、この曲を歌唱しました。

姉との歌手活動など

由紀 さおりは、1985年から、姉の安田祥子と共に、童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになっていきます。

1986年には、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、同年の暮れには、第28回日本レコード大賞企画賞を受賞。
そして、童謡ブームの火つけ役となります。

1987年には、童謡歌手として「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。
NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演します。

2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌います。

姉との共同レパートリーは童謡・唱歌にとどまらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌等と、多ジャンルに渡っています。

特に、スキャットで唄った「トルコ行進曲」は、1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」で披露されたことで、一躍日本全国に知れ渡ります。

現在でも、各地で精力的にコンサートを行なう一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行なっています。