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東京生まれ。神奈川県在住。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


 
■名曲のご紹介
今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」のご紹介です。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学中、作曲家のバート・バカラックと出会い、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」のヒットを放ってからは、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jos)」、「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放っていきます。

1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」がNo.1になりますが、その後はしばらく不振が続きます。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒット曲となり、この曲はグラミー賞を受賞します。

1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー」がヒット。1986年にはバカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

今日は、1979年に発売された 「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」をどうぞ。


デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

今日は、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」のご紹介です。

ポール・モーリア(Paul Mauriat、1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランスのマルセイユ出身の作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者です。
特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名です。

ポール・モーリアは、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューをします。その翌年の1944年には、同楽団の指揮者を兼任します。

1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキが率いるオーケストラに創設メンバーとして加入。同年12月から9ヶ月間に亘るエジプト・ツアーに参加します。

1951年にはパリ進出し、近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加しますが、翌年マルセイユに帰郷。ダンスホール「ル・ヴァンピング」のオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGMレーベルからレコードデビューをします。

1965年には、BEL AIRレーベルとの契約満了の後に、ポール・モーリア・グランド・オーケストラ (LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT)としてフィリップスとのレコード発売契約を締結。
1968年に「恋はみずいろ」が全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に、世界的にヒット(約500万枚)、RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞します。

今日はその「恋はみずいろ」をどうぞ。


恋はみずいろ/ポール・モーリア

哀愁の漂う名曲です。ハープが効いてますね。
私はポール・モーリアの曲はすべて好きですが、特にこの「恋はみずいろ」と「蒼いノクターン」、それと「涙のトッカータ」がお気に入りです。(^^)

今日は、荻野目 洋子の「六本木純情派」のご紹介です。

荻野目 洋子(おぎのめ ようこ、本名:辻野 洋子(つじの ようこ、旧姓:荻野目 1968年12月10日 )は、千葉県柏市出身の歌手、女優です。

荻野目 洋子は、小学4年生の頃に、テレビ番組「ちびっこ歌まねベストテン」に出演し、チャンピオンになったことでスカウトされ、芸能界にデビューをします。
そして、小畑和美(ミミ)、荻野目洋子(ルミ)、大森絹子(クミ)による小学生女子3人グループ、「ミルク」として、1979年4月に「ザ・あれから いちねん」でレコードデビューをします。
が、「ミルク」はシングルを2枚出して自然解散となり、芸能界の仕事は、いったん終えることになります。

そして、高校生になったばかりの1984年4月3日に、「未来航海-Sailing-」でソロデビュー。
その後もシングル・アルバムを発売し、多くのテレビやイベントなどに出演します。

デビュー当初はヒット曲に恵まれませんでしたが、デビュー翌年の1985年11月に発売した7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」がヒット。
女優としても、「早春物語」「赤ちゃんに乾杯!」などに出演し、さらに、アイドル・タレントとして、テレビのCMやバラエティー番組にも多く出演するようになります。

今日は、そんな荻野目 洋子の1986年10月29日に発売された通算10枚目のシングルである、「六本木純情派」をどうぞ。


六本木純情派/荻野目洋子

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