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2016年10月16日

「シルエット・ロマンス/大橋純子」 - 名曲のご紹介

今日は、大橋 純子の「シルエット・ロマンス」のご紹介です。

シルエット・ロマンス 大橋純子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年4月26日 -)は、北海道夕張市出身の歌手です。

大橋 純子は、1974年に上京し、ヤマハ音楽振興会でアルバイトをしながら、その仲間とバンドで活動を開始します。
が、その日本人離れした歌唱力と音楽性が関係者の耳に止まり、レコード会社のオーディションを受けて合格。
そして、アルバム「フィーリングナウ」でソロデビューをします。

1976年に、2作目のアルバム「ペイパームーン」のタイトル曲が、最初のヒットとなります。

1977年に、「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」(ギタリストは後の一風堂の土屋昌巳)名義でバンド活動。
「シンプル・ラブ」がヒットします。

1978年に、「たそがれマイ・ラブ」がTBS系ドラマ主題歌「獅子のごとく」に採用されてヒット。
この曲は、大橋純子自身最大のヒットとなり、同年末に行なわれた「第20回日本レコード大賞」金賞(大賞ノミネート)を獲得。
その後、「サファリナイト」もヒットします。

そして、1979年には、大晦日に行なわれた「第30回NHK紅白歌合戦」へ「ビューティフル・ミー」で初出場を果たします。

1981年11月には、「シルエット・ロマンス」を発売。
この曲は、同年の「第24回日本レコード大賞」で、最優秀歌唱賞を受賞します。

今日はその、1981年11月5日に発売された大橋 純子の通算18枚目のシングルである「シルエット・ロマンス」をどうぞ。


シルエット・ロマンス/大橋純子

「シルエット・ロマンス」(Silhouette Romance)というのは、恋愛小説の新書のレーベルで、この曲はそのイメージソングとして制作された楽曲です。

この曲は、発売当初の売れ行きは低調でしたが、翌年に入ってからじわじわと売れ始め、5月24日付のオリコンで最高位の7位を記録し、その後もロングヒットを続けました。
累計売上は48万枚で、またTBS系の音楽番組「ザ・ベストテン」でも、1978年の「たそがれマイ・ラブ」以来4年ぶりにランクインを果たしました

なお、「和歌山毒物カレー事件」で逮捕された林眞須美(はやし ますみ)は、2006年に著書「死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら 林眞須美 家族との書簡集」を出版。

この書籍のタイトルは、林眞須美の4人の子供が、ラジオ番組に「ママの大好きな曲」として「シルエット・ロマンス」をリクエストし、拘置所でその放送を聴いた林が声を出して泣いたエピソードが由来となっています。

また、「シルエット・ロマンス」の作曲者である来生たかおは、2009年に行なわれた自身のコンサートで、この本のことを話題に取り上げた後、この曲を披露しました。


2016年10月10日

「ルビーの指環/寺尾 聰」 - 名曲のご紹介

今日は、寺尾 聰の「ルビーの指環」のご紹介です。

ルビーの指環 寺尾 聰 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

寺尾 聰(てらお あきら、1947年5月18日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のベーシスト・シンガーソングライター・俳優です。
所属事務所は、ホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)。
父は俳優の宇野重吉。女優の范文雀は元妻。

寺尾 聰は、少年期に洋楽に憧れ、エレキギターを入手して独学で練習します。
その当時影響を受けたミュージシャンの1人に、リッキー・ネルソンがいます。

そして1964年に、奥島吉雄らとカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成。
ベースギターを担当します。

1966年には、「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー。
この曲は大ヒットしますが、すぐにグループを脱退してしまいます。

1968年に、三保敬太郎を中心としてザ・ホワイト・キックスというグループ・サウンズに参加。
このグループは、シングルを1枚出して解散します。
そして同年に、石原裕次郎製作・主演の映画である「黒部の太陽」で俳優デビュー。

1981年には、ヨコハマタイヤのCM曲だった「SHADOW CITY」に続き「ルビーの指環」が大ヒット。
この曲は、は第23回日本レコード大賞・FNS歌謡祭'81グランプリを受賞。
さらに、TBS「ザ・ベストテン」では、「ルビーの指環」「シャドー・シティ」「出航 SASURAI」が3曲同時にベストテンにランクインし、「ルビーの指環」12週連続1位の栄誉を讃えた真紅の記念シートも設置されました。

これを含めて、全曲を自らが作曲したアルバム「Reflections」は、当時のアルバムセールスを更新。
空前の大ヒットとなりました。

今日はその、1981年2月5日に発売された、寺尾 聰の通算6枚目のシングルである「ルビーの指環」をどうぞ。


ルビーの指環/寺尾 聰

この大ヒットした「ルビーの指環」は、石原プロの関係者に聴かせたところ、「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と専務の小林正彦が難色を示しましたが、社長の石原裕次郎の「いいじゃないの」の一言でレコード化が決定しました。

また、この曲がヒットし、「ザ・ベストテン」などで連続1位を取っていた頃、寺尾聰が父である宇野重吉に、家に帰った際にその事を報告したところ、宇野重吉は新聞に見入ったまま、「ふーん…」と素っ気ない返事をしました。
しかしながら、宇野重吉はいつも、「今日は何位だった?」と息子のことを陰ながら気にしていたといいます。


2016年10月04日

「ドールハウス/沢田聖子」 - 名曲のご紹介

今日は、沢田 聖子の「ドールハウス」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

沢田 聖子(さわだ しょうこ、1962年3月13日 -)は、東京都中野区出身のシンガーソングライターです。
担当楽器は、ボーカル、ピアノ、ギター。

沢田 聖子は、1979年5月25日に、クラウンレコードから「キャンパススケッチ」でデビューをします。
当時、「イルカの妹」というキャッチコピーにより、産休から復帰したイルカのカムバックリサイタルのステージにも立ちます。

以後、ライブを中心とした音楽活動、パーソナリティ活動などを積極的に行ないます。

彼女が活躍を開始した1980年代初頭においては、若い女性のシンガーソングライターは希少な存在で、そのルックスも相まって、男性層からアイドル的人気を得ます。
そして、80年代の女性ニューミュージックシーンを変え、アイドル性をもったシンガーソングライターの草分け的存在となります。

1980年には、学園祭出演数No.1を記録し、「学園祭のプリンセス」と呼ばれます。

今日は、そんな沢田聖子の、1983年03月20日に発売された通算9枚目のシングルである「ドールハウス」をどうぞ。


ドールハウス/沢田聖子

1970年代から1980年代にかけて、フォーク・ニューミュージック系の歌手はテレビには出演しないという一種の風潮のようなものがあった時代に、沢田聖子はライブを中心とした音楽活動を続けるかたわら、音楽番組にも数多くゲスト出演をしています。

1979年11月に、初の全国ネットフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』に出演し、「シオン」を歌います。
1998年10月6日~2000年9月26日に、KBS京都テレビにて毎週火曜日22:30-23:00に放送された「うわさの街WA!」では、立原啓裕との共演で、初のテレビ番組のレギュラーを務めます。

1993年10月3日~2004年3月28日に、TBS系列にて毎週日曜日7:30-8:00に放送された「笑顔がいちばん!」では、初の旅番組レポーターとして4回にわたって出演し、自らの楽曲「青空」「smile」「PRESENT」が番組のテーマソングとなります。


2016年09月25日

「雪にかいたLove Letter(ゆきにかいたラブレター)/菊池桃子」- 名曲のご紹介

今日は、菊池 桃子の「雪にかいたLove Letter」(ゆきにかいたラブレター)のご紹介です。

雪にかいたLove Letter 菊池桃子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

菊池 桃子(きくち ももこ、1968年5月4日 - )は、東京都品川区出身の女優・タレント・元アイドル歌手です。元夫はプロゴルファーの西川哲。

菊池 桃子は、叔母が青山で経営していた飲食店の店内に飾っていた菊池の写真が、たまたま来店した音楽プロデューサーの妻の目に止まり、スカウトされます。

そして、1984年4月21日に、「青春のいじわる」で歌手デビュー。

菊池 桃子自身は、当時芸能界に対して特に強い憧れや目標とする芸能人が存在していたわけではなく、(考古学者になる事が長年の夢であった)「見てみたいと思った」程度の軽い気持ちであり、デビュー以前度重なるオーディションに、「自分には向いていない、辞めたい」と思ったと後年述懐しています。

が、デビュー後は、その愛らしいルックスと優しい人柄、そして裏表のない控えめな性格が幅広い世代に愛されて、一躍トップに躍り出ます。
1980年代を代表する、アイドル歌手の一人であることは疑いありません。

また、ささやく様な独特の歌唱、まるで普段着のような衣装と、大きな振りつけのないスタイルは当時としては異色で、後にこのスタイルで活躍していく多くのアイドル歌手たちの嚆矢(こうし)となりました。

今日は、そんな菊池 桃子の1984年11月1日に発売された通算3枚目のシングルである「雪にかいたLove Letter」をどうぞ。


雪にかいたLove Letter/菊池桃子

菊池 桃子は、この曲のヒットで、TBS系「ザ・ベストテン」に初めて10位以内にランクイン。
オリコンチャートでは、最高3位を記録し、「卒業-GRADUATION-」に次いで約35万枚を売り上げる2番目のヒット曲となりました。


2016年09月19日

「気分爽快/森高千里」 - 名曲のご紹介

今日は、森高千里の「気分爽快」のご紹介です。

気分爽快 森高千里 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森高千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高 1969年4月11日 -))は、大阪府茨木市(おおさかふ いばらきし)出身の歌手・作詞家・作曲家・ドラマーです。

森高千里は、九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞します。

1987年春、東宝映画『あいつに恋して』にヒロイン・松前千里役で出演。
そして、同年の5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー。

当初は、女優・タレント、歌手業を平行して行なっていましたが、同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに、徐々に歌手活動に重きを置くようになります。

そして、1989年に、南沙織の楽曲のカバー曲「17才」がブレイク。
森高千里は、一躍人気ミュージシャンの仲間入りをします。

今日は、そんな森高千里の、1994年1月31日に発売された通算22枚目のシングルである「気分爽快」をどうぞ。


気分爽快/森高千里