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2018年08月20日

「さらばシベリア鉄道/太田裕美」 - 名曲のご紹介

今日は、太田 裕美の「さらばシベリア鉄道」のご紹介です。

さらばシベリア鉄道 太田裕美 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ちのシンガーソングライターです。

太田 裕美は、1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「まごころ弾き語り」で、デビュー当初は、フォーク調でピアノの弾き語りの曲が中心でした。

1975年12月、3作目のアルバム「心が風邪をひいた日」からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。
この曲は、翌1976年にオリコンチャート4位を記録します。

それでは、今日は1980年11月21日に発売された、通算19枚目のシングルである「さらばシベリア鉄道」をどうぞ。


さらばシベリア鉄道/太田裕美

この曲の歌詞はこちら

この曲は、もともとは大瀧詠一がジョニー・レイトンの「霧の中のジョニー」にインスパイアされて、アルバム『A LONG VACATION』のために作った曲です。

大瀧詠一はいったんレコーディングを始めましたが、慣れない女言葉で歌うのを気持ち悪がり、担当ディレクターが太田裕美への提供を思い立ったといいます。

が、自身の録音スケジュールの関係や、これまでの太田裕美のサウンドとの一貫性を大事にしたいという大瀧詠一本人の意向から、編曲については萩田光雄に全面的に依頼することになりました。

ただ、先にできていた自身のバージョンのオケ(編曲は大瀧自身)をデモテープ代わりに萩田光雄に渡したため、大瀧詠一の原編曲が生かされている部分もあり、たとえば間奏のギターソロは、大瀧バージョンと同じ鈴木茂が担当していたりします。

この曲は、太田裕美のシングルとして発表した際、オリコンチャートランキングは最高で70位留まりだったものの、大瀧詠一にとっては、作曲家として初めて100位以内にランクインした楽曲となっています。

2018年08月16日

「泣かないで/舘ひろし」 - 名曲のご紹介

今日は、舘ひろしの「泣かないで」のご紹介です。

泣かないで 舘ひろし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

舘 ひろし(たち ひろし、1950年3月31日 - )は、日本の俳優・シンガーソングライター。本名は舘 廣(たち ひろし)。愛知県名古屋市中区老松町(現・名古屋市中区千代田)出身。石原プロモーション所属。

舘 ひろしは、1975年に、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』矢沢永吉(五大洋光)の作曲でデビューをします。

その後のソロデビューには"太ったブタが勝つか、しなやかな狼が勝つか"とのキャッチフレーズでプロモーションに打って出、矢沢永吉を挑発するものとして話題を呼びました。

また、当時の東映社長・岡田茂に誘われ東映に籍を置き、『東映俳優センター』に所属。俳優としてのキャリアもスタートさせます。

そして、1976年に、松田優作主演の『暴力教室』に出演した他、『男組 少年刑務所』で映画にも初主演。

1978年には『皮ジャン反抗族』(長谷部安春監督)、1980年『薔薇の標的』(村川透監督)と、東映で計3本の主演映画が製作されます。

これらの映画は、暴走族のイメージがあるクールスを引きずり、また実際に本人の趣味でもあったため、オートバイを駆使する姿がトレードマークとなります。

そして、『西部警察』シリーズでの登場をきっかけに渡哲也と出会い、最初は、ハーレーダビッドソンを駆使する無頼漢的キャラクターの巽総太郎(愛称「タツ」)役で登場していましたが、番組初回から半年間の出演契約となっていたために、半年後の第30話で、西部署で最初の殉職刑事となり一旦降板しています。

そして、1981年に、第109話「西部最前線の攻防(前編)」から、先に殉職した巽刑事役とは別人のスズキGSX1100Sカタナを愛機とする特別機動車両隊(略称・「特機隊」)隊長の鳩村英次(愛称「ハト」「ポッポ」)役で再登場。

1983年には、自ら志願して石原プロモーションへ入社。
『西部警察 PART-III』の最終回まで出演します。

『西部警察』シリーズ終了後のドラマでは、バイク使いとしての積極的な登場は少なくなったものの、『あぶない刑事』シリーズで、ハーレーなど大型バイクに乗り、ショットガンを構えるシーンがもはや「十八番」となっており、相棒役の柴田恭兵とともに還暦以降でも、アクションぶりを時折見せています。

以前は、ドラマでの役柄は、所属する石原プロモーション制作のものを中心として、刑事役が圧倒的に多かったです、近年では時代劇やコミカルな現代劇にも多数出演するようになっており、役柄の幅を拡げています。

さて、今日はそんな舘ひろしの、1984年に発売された「泣かないで」をどうぞ。


泣かないで/舘ひろし

この曲の歌詞はこちら

2018年08月12日

「ふられてBANZAI/近藤 真彦」- 名曲のご紹介

今日は、近藤 真彦の「ふられてBANZAI(ふられてバンザイ)」のご紹介です。

ふられてBANZAI 近藤 真彦 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 -)は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の実業家、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバーです。ニックネームは、マッチ。

近藤 真彦は、1979年10月にTBSのテレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビューをします。
そして、同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに、「たのきんトリオ」として活躍します。

その後、ソロ歌手としてデビューし、1980年代を代表する男性アイドルとして、「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などの歌番組を中心に活躍します。

また、1981年、1983年のブロマイド年間売上成績では第1位を獲得し、1987年の「第29回日本レコード大賞」では、「愚か者」で大賞を受賞します。

今日は、そんな近藤 真彦のヒット曲の中から、1982年3月31日に発売された「ふられてBANZAI(ふられてバンザイ)」をどうぞ。


ふられてBANZAI/近藤真彦

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1982年4月12日-5月3日付のオリコン週間シングルチャートにおいて、第1位を記録しました。

近藤眞彦と言えば、「ブルージンズ・メモリ-」も名曲ですね。(^^)
お時間が許せば、こちらもお聴きになってみて下さい。

ブルージーンズメモリー 近藤 真彦 ジャケットイメージ
※上の画像をクリックすると、曲ページにジャンプします。

2018年08月11日

「渚にまつわるエトセトラ/PUFFY(パフィー)」 - 名曲のご紹介

今日は、PUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」のご紹介です。

渚にまつわるエトセトラ PUFFY パフィー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ、ユニットです。

メンバーは、大貫亜美と吉村由美。

PUFFYは、1996年に、奥田民生プロデュースのシングル「アジアの純真」でデビューをします。

肩ひじはらず、脱力した自然体のスタイルで、親しみやすいキャラクターと、ハイクオリティな楽曲が特徴となっています。

2000年にSXSWに出演し、2002年にはPuffy AmiYumi名義で北米ツアーを行ないます。

2004年には、2人をモデルにしたアニメ『ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ』が全米でブレイク。
この番組は、世界110カ国以上で放送されます。

2016年には、デビュー20周年を迎えました。

今日は、そんなPUFFYの曲の中から、1997年4月16日に発売された「渚にまつわるエトセトラ」をどうぞ。


渚にまつわるエトセトラ/PUFFY(パフィー)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、累計110万枚を売上げました。

またこの曲は、「アジアの純真」以来となる、作詞が井上陽水、作曲が奥田民生の曲で、PVでは吉村由美がバンジージャンプに挑戦しており、振りつけは西城秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』をモチーフにしています。

というより、振りつけばかりでなく、この曲のアレンジも、もう一聴して「ヤングマン」ですよね。(^^)

ちなみに、フジテレビの27時間テレビに出演時、西城本人とこれら2曲のメドレーで共演しています。

なお、本作のジャケットと前作「サーキットの娘」のジャケットは、これらを2枚並べると1枚のイラストになる、という仕掛けが施されています。

2018年08月05日

「盆帰り/中村雅俊」 - 名曲のご紹介

今日は、中村雅俊の「盆帰り」のご紹介です。

盆帰り 中村雅俊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中村雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 -)は、宮城県牡鹿郡女川町(おしかぐんおながわちょう)の歌手、俳優です。

中村雅俊は、1973年、文学座附属演劇研究所に入所し、翌年、大学卒業と同時に文学座に入団。
同年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢されて人気を得、その番組で自らが歌う挿入歌「ふれあい」が100万枚を超えるセールスを記録します。

その後、「太陽にほえろ!」第84話「人質」(1974年2月22日・NTV系列・東宝・長谷川医師・テレビ初出演作)、「われら青春!」(1974年4月7日 - 9月29日・NTV系列・沖田俊・本格デビュー作)、「俺たちの旅」(1975年10月5日 - 1976年10月10日・NTV系列・津村浩介)、「夜逃げ屋本舗」(1999年1月13日 - 3月17日・NTV系列・源氏雅彦)、スペシャルドラマ「家族が家族であるために」(2012年3月28日、BS-TBS・安達修一)など、多くのドラマ・映画・CM・舞台などに出演しています。

そして、現在に至るまで、毎年コンサートツアーを敢行。その数は1300回を超え、いずれも大きな成功を収めています。

今日は、そんな彼の多くのヒット曲の中から、1976年5月25日に発売された5枚目のシングルである「盆帰り」をどうぞ。


盆帰り/中村雅俊

この曲の歌詞はこちら

中村雅俊は、2011年に起こった東日本大震災で、歌への思いも変化しており、

「女川って町は小さな港町だから、もっと広い世界を見たいと思って、高校卒業後に町を出たんです。だけど震災後は、俺は女川の人間だから支えていかなきゃダメだって地元意識が強くなりました。微力ですけど、俺にできることがあるなら……と、できる限り被災地に足を運んでいるのですが、行くたびに音楽が持つ力を再確認させられます。大学時代に作って、2枚目のアルバムにも収録されている『私の町』という女川を歌った曲を歌うと、みなさん泣いて喜んでくれるんですよね。俺が役者1本だったり、『ふれあい』だけの一発屋だったらこうして多くの方とふれあえなかったはず。だから歌を続けてこられて、幸運な男だなって思います」

と、2017年のインタビューにおいて述べています。