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東京生まれ。神奈川県在住。
趣味は読書、音楽、パソコン。ネコが好き。
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開設日: 2008/04/26 (土)

作詞・作曲、名曲のご紹介、その他音楽にまつわることを、ペンペンと書いていきたいと思います。


 
今日は、「西城 秀樹」の「若き獅子たち」のご紹介です。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、1976年9月5日に発売された通算18枚目のシングルである「若き獅子たち」をどうぞ。


若き獅子たち/西城秀樹

ちなみに、西城秀樹は、「NHK紅白歌合戦」においては1974年から1984年の「抱きしめてジルバ」まで11年連続出場を果たし、「日本レコード大賞」においては1976年の「若き獅子たち」により3度目の歌唱賞を受賞します。
また、金賞は1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで、6年連続受賞します。
くわえて、「ザ・ベストテン」においては、番組の放送を開始した1978年の「ブーツをぬいで朝食を」から1986年の「腕の中へ」まで22曲登場という快挙を成し遂げました。

これらのことから、当時、西城秀樹がいかに人気があったかということが伺えます。

今日は、ザ・シュレルズのウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)のご紹介です。

ザ・シュレルズ(The Shirelles)は、1958年に米国ニュージャージーで結成された黒人女性コーラスグループです。

メンバーは、シャーリー・オーエンス(Shirley Owens Alston)、ドリス・ケナー(Doris Coley Kenner)、ビバリー・リー(Beverley Lee)、エディ・ミッキ・ハリス(Addie Mickey Harris)の4人。

ザ・シュレルズは、ハイスクールの同級生によって結成された4人組のグループで、当初はポケロスと名乗るアマチュアのコーラスグループでしたが、彼女たちの歌を聴いたクラスメートの一人であるメアリー・ジェーン・グリンバーグ(Mary Jane Greenbergが、自分の母親へこの4人を紹介したことが、レコード・デビューへのきっかけとなりました。

実はその母親とは、主婦業のかたわら、ティアラ・レコードという会社を経営しているフローレンス・グリーンバーグ(Florence Greenberg)で、4人は彼女の薦めにより同レーベルと契約し、「I Met Him On A Sunday」、「I want you to be my boyfriend」をレコーディングし、グループ名を「The Shirelles」としてレコードデビューをすることになります。

この曲は、ビルボードチャートで第49位と、ベスト10には今一及びませんでしたが、この曲をきっかけにフローレンス・グリーンバーグが立ち上げたセプター・レーベルから1960年にリリースされた 「Will You Still Love Me Tomorrow※」が、女性コーラス・グループとしては史上初の全米チャート第1位 に輝き、シュレルズの最大のヒット曲となります。

今日は、ザ・シュレルズの代表曲でもある、その「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」をどうぞ。


ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)/ザ・シュレルズ(Shirelles)

ちなみに、この曲は「イッツ・トゥ・レイト」の世界的なヒットで知られるキャロル・キングが作詞し、彼女の夫のゲリー・ゴフィンが作曲したものです。
シュレルズは、この曲を歌うことにあまり乗り気ではありませんでしたが、蓋をあけてみれば、1961年のゴールド・ディスクを獲得するほどの大ヒットとなったのでした。
歌詞の内容としては 恋する女性の不安な気持ちを歌ったもので、当時としては斬新だったようです。

この曲の歌詞はこちら

※この曲は最初、単に「Tomorrow」として発売されました。

今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」のご紹介です。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学中、作曲家のバート・バカラックと出会い、大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年、「ウォーク・オン・バイ」のヒットで脚光を浴び、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」のヒットを放ってからは、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jos)」、「恋よさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放っていきます。

1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」がNo.1になりますが、その後はしばらく不振が続きます。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒット曲となり、この曲はグラミー賞を受賞します。

1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー」がヒット。1986年にはバカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

今日は、1979年に発売された 「デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)」をどうぞ。


デ・ジャ・ヴ(DeJa Vu)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)

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