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2017年02月22日

「さよなら/オフコース」 - 名曲のご紹介

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「さよなら」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

オフコースは、小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループです。
1970年に「群衆の中で」でプロデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

オフコースの結成は、デビュー7年前の1964年(昭和39年)12月に遡(さかのぼ)ります。
この年、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中の生徒らが、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしました。
これがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指し、メンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成され、「オフコース」が誕生しました。
オフコースは、大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、同大学の友人から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれたりと、活発な演奏活動を続けました。

さて、オフコースは、「でももう花はいらない」に見られるように、当初は生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドに変わります。

そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、ついには時代を代表するビッグ・グループとなります。

今日は、そんな彼らの多くのヒット曲の中から、1979年12月1日に発売された通算17枚目のシングルである、その「さよなら」をどうぞ。


この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリジナル・アルバムには未収録曲で、後にベスト・アルバム「SELECTION 1978-81」にビル・シュネーによるミックスで収録されたほか、ライヴ・ヴァージョンがライヴ・アルバム「LIVE」に収録されました。

この曲について、小田和正は、「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語っており、このシングルの発売後から、オフコースはニューミュージックの代表的グループとして認知されることになります。

なお、小田和正は、原詩では“僕は思わず 君を抱きしめそうになる”としていたところを、間違えて、“僕は思わず 君を抱きしめたくなる”と間違えて録音してしまったことを悔やんだといいます。

2017年02月16日

「SEPTEMBER(セプテンバー)/竹内まりや」 - 名曲のご紹介

今日は、竹内まりやの「SEPTEMBER」のご紹介です。

セプテンバー 竹内まりや ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。
自称「シンガーソング専業主婦」。夫は、山下達郎。

竹内 まりやは、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING(ビギニング)」でデビューをします。
当時、アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまって、アイドル歌手のような役割を担います。

1979年に発売したシングル「SEPTEMBER(セプテンバー)」は、第21回日本レコード大賞新人賞を獲得。
1980年に発売したシングル「不思議なピーチパイ」は、資生堂化粧品CMソングとなり、ヒットします。

その後は、「もう一度/本気でオンリーユー(Let's Get Married)(1984年4月10日)」「マージービートで唄わせて(1984年8月25日)」「元気を出して(1988年11月28日)」「シングル・アゲイン(1989年9月12日)」「告白(1990年9月18日)」」と、ヒットを飛ばしていきます。

当初は、安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていましたが、これに飽き足らず、自らも作詞・作曲を手がけるようになります。

今日は、そんな竹内まりやの、1979年8月21日に発売された通算3枚目のシングルである、「SEPTEMBER」をどうぞ。

この曲は、竹内まりやのつくった曲で、オリコンチャートでは10.3万枚セールスを記録するスマッシュヒットとなり、1979年12月末の「第21回日本レコード大賞」では新人賞を獲得しました(ただし、最優秀新人賞受賞者は桑江知子の「私のハートはストップモーション」でした)。

ちなみに、B面に収録されていた「涙のワンサイデッド・ラヴ」は、作詞・作曲が竹内まりや本人で、編曲は後に竹内まりやの夫となる山下達郎が担当しました。

そうそう、山下達郎といえば、なんと、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?(^^)

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている? | Super源さんの雑学事典
http://www.zatsugaku-jiten.net/blog-entry-1073.html

「ええっ! そうニャンか?」
ええっ、そうニャンか? 驚くネコ
写真は、こちらからお借りしました。

また、基本的に竹内まりやがライブをやらない理由は、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下から制限を受けたり、遠慮・気遣いではない、と明言しています。

竹内まりやは、以前に受けたインタビューで、

「達郎が『ライブは、やるな』と言っているとか、『達郎に遠慮している』とか言われているけど、私がライブをやりたくなったら、達郎がなんと言おうと、私はやるって! 本当にやりたくないから、今はやらないだけ」

と答えています。

この件に関して、2013年のインタビューでは、ステージで歌うのはわりと苦手であり、スタジオで緻密に歌作りをするほうが好きだと述べています。

2017年02月13日

「愛するってこわい/じゅん&ネネ」 - 名曲のご紹介

今日は、じゅん&ネネの「愛するってこわい」のご紹介です。

愛するってこわい じゅん&ネネ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

じゅん&ネネ(じゅんとネネ)は、1968年に結成して1972年に解散した、千秋じゅんと早苗ネネの2人による歌謡ポップデュオです。

1964年11月に、スクールメイツの初代メンバーから、森くるみと筑紫恵子の二人が選ばれ、「クッキーズ」としてビクターレコードから「可愛い花」(ザ・ピーナッツのデビュー曲とは同名異曲)でデビューをします。

そして、1968年4月に、じゅん&ネネに改名。
名付け親は、コスチュームをデザインしたコシノジュンコと作曲家の平尾昌晃です。
同年7月に、「愛するってこわい」でキングレコードから再デビュー。

1972年に、デュオは解散します。

今日は、1968年7月1日に発売された、その「愛するってこわい」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

イイ曲 ダナー。('ー^ ) ヾ(^^)デショ、デショ。
(^o^ )デモ、ジュンッ テ、何カノ 名前 ミタイ ダナー。
(^-~ )ヾ(^^;)コレコレ

ジュンと ねんねする タマ
ジュンとねんねするタマ

じゅん&ネネのその後

じゅんは、ソロ活動を経て、結婚を機に引退。

ネネは、渡英先で知り合った元ズー・ニー・ヴーのギタリスト高橋英介と結婚(その後離婚、米国人と再婚、再離婚)。
ヴォーカリスト高橋早苗として、アマテラス、JABBを経て、鮫島秀樹(元ツイスト)、ホッピー神山(元爆風銃)らと共にエスニック・テクノポップ・ユニット、E.S.アイランドを結成。
そして、1982年には、NHKの音楽番組「みんなのうた」にも使用された細野晴臣のプロデュース曲「テクテクマミー」を収録したアルバムを発売します。

じゅん&ネネは、2003年12月に、TBS特番「あの人は今 夢の紅白歌合戦」にデュオとして31年ぶりに出演。
これを機に、デュオ活動を再開しています。

2017年02月10日

「涼風/岩崎良美」 - 名曲のご紹介

今日は、岩崎良美の「涼風(すずかぜ)」のご紹介です。

涼風 岩崎良美 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岩崎 良美(いわさき よしみ、1961年6月15日 - )は、東京都江東区出身の歌手、女優です。
歌手の岩崎宏美は実姉。
代表曲は、「涼風」「I THINK SO(アイ・シンク・ソー)」「タッチ」「愛がひとりぼっち」「青」など。

岩崎 良美は、1980年2月21日に、「赤と黒」で歌手デビューをします。

そして、その3ヶ月後の5月に発売されたセカンドシングル「涼風」でTBS系「ザ・ベストテン」にランクインを果たし、同年の第6回日本テレビ音楽祭で、最優秀新人賞を受賞します。

その3ヶ月後に発売されたサードシングル「あなた色のマノン」は、日本レコード大賞などで新人賞を獲得。

そして、同年の大晦日には『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場。
姉・岩崎宏美との姉妹同時ソロ出場は、紅白史上初の出来事でした。

また、1984年ごろからは、俳優としての活動も増え、 同年は山田太一ドラマ「真夜中の匂い」、「スクール☆ウォーズ」にレギュラー出演します。

今日は、そんな岩崎 良美の、1980年5月21日に発売された代表曲のひとつである「涼風」をどうぞ。


涼風/岩崎良美

この曲は、本人出演の資生堂「シャワーコロン」のCMソングに採用されました。

ジャケットは、岩崎の人見知りが激しいことを考慮したためか、30メートルほど離れた場所から撮影されました。
TBS系列「ザ・ベストテン」では、1980年7月3日に同期デビューの松田聖子と共に、「今週のスポットライト」で初出演を果たし、この曲を披露。
その後、同番組で第10位(2週連続)にランクインしました。

岩崎良美のエピソードあれこれ

・岩崎良美は、幼少期から、自宅で犬・猫・鳩・キジ・鶏などを飼っていた影響もあり、全般的な動物好きです。
また、父親は無口で、非常に厳しい人でしたが、動物と接するときの父の目が優しかったことから、動物好きの男性を理想とするようになりました。
入籍時の夫も、岩崎良美と同じく猫を1匹飼っており、結婚後は夫の猫を含めた2匹の猫を飼っていました(現在はアメリカンショートヘア、シャルトリュー、アメリカンカールの3匹の猫を飼っている)。

・杉本哲太が食事に誘った際、二人で会うことを躊躇(ちゅうちょ)した良美が友人の女性を連れて行ったため、三人で食事をしたことがあします。
この女性は、のちに杉本の妻となる神津はづき(こうづ はづき)で、これが両者の初対面の場となりました。

・朝日放送の音楽祭で優秀賞・最優秀歌唱賞を受賞した際、舞台上では平気でしたが、飛行場まで見送りに来て祝福してくれたファンを見て、ついに感極まって泣いてしまいました。

・幼少期、友達の家に行くにはひまわり畑を通らなければなりませんでしたが、姉の岩崎宏美に、「ひまわりは近くに来た小さな子どもを食べる」と教えられ、そのときの恐怖から長い間ひまわりが苦手でした。
が、のちのトーク番組で、宏美がこの発言をしたのは、仲の良い妹に友達ができて、妹を取られるように感じたためだということが明らかになっています。

・あだち充(あだち みつる)は、岩崎良美のファンであることを公言しており、のちに「タッチ」の主題歌を良美が担当してから、現在まで親交が続いています。

2017年02月06日

「哀愁エクスプレス/佐野量子」 - 名曲のご紹介

今日は、佐野量子の「哀愁エクスプレス」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

佐野 量子(さの りょうこ、1968年8月22日 -)は、静岡県富士宮市出身の元タレント・歌手・女優で、本名は武量子(たけ かずこ、旧姓:佐野)です。

佐野量子は、1984年10月、日本テレビ系ドラマ「気分は名探偵」で女優デビューします。
が、本人は、歌手への憧れも持ち続けていたといいます。

そして、1985年4月21日に、「ファースト・レター」で歌手デビュー。
その後は、所属事務所の方針転換に伴い、バラエティ番組への出演が増えていきます。

同事務所の小堺一機や関根勤と共演する機会が増え、この2人が佐野量子の天然な言動や珍回答を上手く拾ったことで、いわゆるバラドルとしての一面も開花、重宝されるようになっていきます。

佐野 量子の出演したバラエティー番組には、「笑っていいとも」、「おれたちひょうきん族」、「ライオンのごきげんよう」などがあります。
佐野量子はまた、その他映画、ドラマ、CMなどでも活躍しています。

さて、今日はそんな佐野量子の、1988年11月1日に発売された通算12枚目のシングルである「哀愁エクスプレス」をどうぞ。

芸名は「りょうこ」ですが、本名は「かずこ」です。
佐野量子のアイドル時代の趣味は、アクセサリー収集、スポーツで、特技はピアノでした。

また、西村知美とはアイドル時代から仲がよく、現在も親交があります。
2014年には、西村知美のブログに、佐野とのツーショット写真が掲載されました。

西村知美 佐野量子 ツーショット写真
写真は、こちらからお借りしました。

佐野量子ファンの方は、以下のサイトもどうぞ。

佐野量子写真館
http://www.geocities.jp/ryoko_photo_museum/