Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「恋の季節/ピンキーとキラーズ」 - オリコン歴代最高記録17週間1位を記録し270万枚を売り上げた、デビュー曲にしてヒット曲!

今日は、ピンキーとキラーズの「恋の季節」のご紹介です。

恋の季節 ピンキーとキラーズ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ピンキーとキラーズは、1968年から1972年にかけて活動した日本のボサノバ・バンドです。
愛称は、ピンキラ。

ピンキーとキラーズは、1968年に、今陽子(ピンキー)が男性ボーカルのジョージ浜野、エンディ山口、ルイス高野、パンチョ加賀美の4人と結成したバンドです。
グループ名の由来は、アメリカのバンド「スパンキー&アワ・ギャング」をもじったもので、作曲家のいずみたくによって命名されました。

ピンキーとキラーズは、山高帽にステッキという衣装をトレードマークにしており、当時、男性たちに混じって女性ボーカルがいるグループというのは目新しいものでした。

デビュー盤『恋の季節』のライナーノーツには、『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていました。

デビュー曲の「恋の季節」は、発売直後からヒットを記録し、オリコンで17週間1位(歴代最高記録)となるミリオンセラーを記録。
270万枚を売り上げ、「第10回日本レコード大賞新人賞」を始め、数々の新人賞を受賞します。

そしてピンキーとキラーズは、この曲で「第19回NHK紅白歌合戦」に、男女混成グループとして初出場を果たしました。

今日は、そんなピンキーとキラーズの、1968年7月20日に発売されたデビュー曲である、「濃い…」、じゃなかった「恋の季節」をどうぞ。
 
恋の季節/ピンキーとキラーズ

この曲の歌詞はこちら

「おい、この味噌汁、ちょっと濃いんじゃないか?」「そんなことないわよ!」
濃い味噌汁で喧嘩

1969年2月には、ピンキーとキラーズが自ら主演する同名の映画が松竹にて製作され、公開されました。

1969年1月には、4枚目のシングル「涙の季節」が発売され1位になり、続く「七色のしあわせ」が4位、「星空のロマンス」が10位とオリコンのトップ10に入りましたが、その後はトップ10からは遠ざかりました。

今陽子って、どんな人?

・1964年に金城学院中学校に入学。1年生のときは宝塚歌劇団に憧(あこが)れ、「男役をやりたい、那智わたる※ さんみたいになりたい、と真剣に考えたこともある」とのちに述べています

・ピンキーとキラーズ以前のソロ時代、CMソングを歌っていました(三共のルルなど)

・ピンキーとキラーズ以前のソロ時代、フジテレビ系ドラマ「グー・チョキ・パー」に出演しており、当時、デカベビーの愛称で親しまれていました
映画「恋の季節」では主演としてクレジットとされていますが、実際には共演の奈美悦子のラブストーリーとして展開されており、ストーリー上の実質的主演は奈美悦子でした。

。料理はまったくしません

・後輩の和田アキ子とは50年来に渡る親友の間柄です。音無美紀子も40年来の親友です

・若い頃からイケメン好きで、「イケメン会」という会をつくり、毎月1回ぐらいのペースで飲み会を開いています。男性は20代から40代のイケメン男性たちで、若い男性たちからエキスをもらっています


※ 那智わたるは、宝塚歌劇団で、長らくブロマイド売り上げNO.1にも輝いた超人気男役スター

「たそがれの赤い月/ジュディ・オング」 - 「魅せられて」で知られるジュディ・オングの1967年のスマッシュヒット曲!

今日は、ジュディ・オングの「たそがれの赤い月」のご紹介です。

たそがれの赤い月 ジュディ・オング ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ}、旧名・台湾名:翁倩玉、英語名:Judy Ongg、1950年1月24日 - )は、台湾出身の歌手、女優、版画家です。
語学が得意で、母語である台湾語のほか、日本語、英語、中国語、スペイン語、広東語の6言語を話すことができます。

ジュディ・オング
ジュディ・オング
写真はこちらからお借りしました。

ジュディ・オング は、1966年に日本コロムビアより「星と恋したい」で歌手デビューをします。
そして、「サイボーグ009」と「サイボーグ009怪獣戦争」の劇場用映画2作において、声優として003役(初代)の声で出演します。

サイボーグ009怪獣戦争 太田博之 ジュディ・オング
写真はこちらからお借りしました。

1967年には、「たそがれの赤い月」がスマッシュヒット。
これを含め、コロムビア時代(初期~中期)は市川昭介が手がけた「夕日の恋」、「悲しみの十字架」、「さようなら17才」、「初めての別れ」、「ひらがなふたつ」など演歌調の曲が多く発売されます。

同時期に、「涙くんさよなら」、「青春ア・ゴーゴー」、「帰ってきた狼」などの多くの映画やテレビドラマ「S・Hは恋のイニシァル」(共演:伊東ゆかり、大原麗子、布施明。1969年)などにも出演し、人気を博します。

また、1970年代に、「おしどり右京捕物車」、「賞金稼ぎ」、「必殺からくり人」、「新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅」、「江戸を斬るIV」など多くの時代劇に出演しています。

そして、1979年には、ワコール「フロントホックブラ」CMソングとして発売されたタイアップ曲「魅せられて(英語タイトル:Love Is Calling Me)」が、オリコンチャートにおいて123.5万枚、累計で200万枚の売上げを記録し、ジュディ・オングの代表曲の1つとなります。

曲は、そんなジュディ・オングの、1967年7月1日に発売されたスマッシュヒット曲「たそがれの赤い月」をどうぞ。
 
たそがれの赤い月/ジュディ・オング

哀愁漂う、何とも素敵な楽曲ですね。(^-')
この曲は、オリコンの始まる前年で、詳細な記録がありませんが、「レコードマンスリー」のランキングによれば、発売された翌月の8、9月にヒットしたようです。

集計日付順位
昭和42年8月11位
昭和42年9月11位
昭和42年10月12位
昭和42年11月18位
出典
https://www.hitchartjapan.work/entry/2019/06/19/220221


「ニャー。たそがれって、人を好きになって目が星になることだよニャー」「それは、『あこがれ』」
400

また、1970年代になると、「おしどり右京捕物車」、「賞金稼ぎ」、「必殺からくり人」、「新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅」、「江戸を斬るIV」など多くの時代劇に出演。

そして、この頃からは、筒美京平や都倉俊一が手がけたポップス調の曲も発売するようになります。

また、1972年には、日中国交正常化を機に、日本に帰化します。

「毎日がバレンタイン/柏原芳恵」 - 「No.1」でデビューした柏原芳恵の、2.9万枚を売上げた2ndシングル!

今日は、柏原 芳恵の「毎日がバレンタイン」のご紹介です。

毎日がバレンタイン 柏原芳恵 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 芳恵は、1979年の秋、日本テレビ系「スター誕生!」に出場し、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後、グランドチャンピオンとなります。

1980年6月1日に、シングル「No.1」で歌手デビュー。
 

「No.1/柏原芳恵」 - オリコン76位、2.6万枚を売上げた柏原芳恵のデビュー曲にしてヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、柏原 芳恵の「No.1」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪


そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

1982年10月1日には、シングル「花梨」を発売。
同時に、名前を“よしえ”から“芳恵”に改名します。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。
 
1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、そんな柏原 芳恵の、1980年9月5日に発売された2枚目のシングルである、「毎日がバレンタイン」をどうぞ。
 
毎日がバレンタイン/柏原 芳恵

この曲の歌詞はこちら

いやあ。(^o^) いかにもアイドルソングといった曲ですねー。(^-')
柏原芳恵は、だんだん歌がうまくなっていきましたね。(^^)
確か、「第二章口づけ」あたりから声の出が良くなって、「ハロ-グッバイ」あたりから本当に歌がうまくなったと記憶しています。
春なのに」も名曲でした。
 
「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ

「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、柏原 芳恵の「春なのに」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大


「毎日がバレンタイン」は、オリコンチャートにおいて、週間64位を記録し、シングル売り上げは2.9万枚を記録。
デビュー・シングルである「No.1」より若干上回った枚数となっています。

そうそう。柏原芳恵といえば、もう1曲忘れてはいけない曲があります。
それは、「坂道」です。
こちらも名曲なので、お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)
 

「坂道/柏原 芳恵」 - 「夏模様」のB面収録曲 「オフコース」松尾一彦作曲による隠れた名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、柏原 芳恵の「坂道」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市


柏原芳恵のその後、現在

・2020年(令和2年)6月1日に、40周年記念ニュー・シングル「KU・ZU 〜ワタシの彼〜」を発売。
・同年7月4日に、「倉庫 de ライヴ」をYouTube生配信。
・同年7月24日に、「柏原芳恵40周年コンサート ~A・RU・KU~」を開催予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大状況を踏まえ、10月17日に延期した上で開催。また、YouTubeにアップされたコンサートのダイジェスト映像の再生数が上がり注目を集め、日本文化を海外に発信する経済産業省の事業「J-Lod Live」の対象となり、2020年12月31日から2021年(令和3年)1月10日までの期間限定で全世界に有料配信される運びとなります。
・2022年(令和4年)11月2日に、3枚組のDVD「柏原芳恵 NHK プレミアムコレクション」を発売。
・同年11月4日に、ハイブリッドコンサート「柏原芳恵Live2022 ~A・RU・KU 第二章~」を開催。
・2023年(令和5年)1月7日から、「柏原芳恵の喫茶☆歌謡界」を放送開始。この番組は、J:COMテレビで2023年1月7日から毎週土曜日22:00 - 22:30に放送されている、ゲストとのトークを交えた音楽番組で、柏原芳恵の冠番組です。