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2019年02月03日

「Torn(トーン)/Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)」 - 名曲のご紹介

今日は、Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)のTorn(トーン)のご紹介です。

Torn トーン Natalie Imbruglia ナタリー・インブルージア ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ナタリー・ジェーン・インブルーリア(Natalie Jane Imbruglia、1975年2月4日 -)は、オーストラリア出身の歌手、モデル及び女優です。
代表作には、「Torn(トーン)」「That day(ザット デイ)」「Wrong impression(ロング インプレッション)」「Shiver(シバー)」などがあります。

ナタリー・ジェーン・インブルーリアは、ニューサウスウェールズ州セントラルウエストにて、イタリア人の父親とオーストラリア人の母親の間に、4人兄弟の次女として生まれました。

元は女優でしたが、ミュージシャンとしての成功を求めてイギリスへ移住。
ファースト・アルバム「レフト・オブ・ザ・ミドル(Left of the Middle)」からのシングル・カット「トーン」のヒットで一躍有名になり、世界中で700万枚以上のアルバムを売り上げました。

また、日本国内で、深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』でもUKシングルチャートでNo.1を獲得。

今日は、そんな彼女の代表作の1つである「Torn」をどうぞ。


Torn(トーン)/Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルージア)

この曲の歌詞はこちら(和訳あり)。

素敵な曲ですね。(^-')
が、歌詞を読みながら聴くと、とてもやり切れない気持ちになります。(- -)
何せ、「Torn(引き裂かれた)」ですからね。
決して楽しい内容ではありません。
「tone(音色、口調)」だったら、いくらか楽しくなったかも?(? ?) ← イミ フメイ。(^^;

しかし、最初に彼女の名前を聞いたとき、私はずいぶん長い名前だなぁーと思ったのですが、父親と母親の国籍が違うことを知り、そのような事情だったのかと、妙に納得してしまいました。(--)(__) ナットク

ナタリー・インブルージアは、映画・『ジョニー・イングリッシュ』で、主演のローワン・アトキンソンと共演しています。

また、これまでに発売したアルバム及びシングルは、以下の通りです。

アルバム

・レフト・オブ・ザ・ミドル Left of the Middle(1998年)
・ホワイト・リリーズ・アイランド White Lilies Island(2001年)
・カウンティング・ダウン・ザ・デイズ Counting Down the Days(2005年)
・カム・トゥ・ライフ Come to Life(2009年)
・メイル Male(2015年)

シングル

・トーン Torn(1998年)
・ウィッシング・アイ・ウォズ・ゼア Wishing I Was There(1998年)
・ザット・デイ That Day(2001年)
・ロング・インプレッション Wrong Impression(2002年)
・シバー Shiver(2005年)
・カウンティング・ダウン・ザ・デイズ Counting Down The Days(2005年)

2019年01月23日

「ケ・セラ(Que Sera)/レーモン・ルフェーブル楽団(Raymond Lefevre)」 - 名曲のご紹介

以前、レーモン・ルフェーブル楽団(Raymond Lefevre)の「夜間飛行」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。

曲名は、「ケ・サラ(Que Sera)」です。

「ケ・セラ」はイタリア語で、「ケ・セラ・セラ(Que Sera, Sera)」とも言い、
英語の、

What will be, will be.

に当たります。
対応関係は、

Que(what) sera(will be) sera=ケ・セラ・セラ

という感じです。
日本語で言うと、

「なるようになるさ」「何とかなるさ」

となります。

それでは早速、今日はその「ケ・セラ」をどうぞ。(^^)/


ケ・セラQue Sera/レーモン・ルフェーブル楽団(Raymond Lefevre)

と、これで終わってしまうと、何か「語学講座」のようになってしまうので(爆)…、
以下に、レイモン・ルフェーヴルの経歴について簡潔に記したいと思います。m(__)m


レイモン・ルフェーヴル[(Raymond Lefèvre、1929年 - 2008年)は、インドのカレー、じゃなかったフランスのカレー(Calais)という町に生まれた編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者で、イージーリスニング界の第一人者として有名です。

特に、日本では、キングレコードを発売元としていた時期に、ポール・モーリアと双璧をなす楽団でした。

当時、ポールモーリアは「ラブ・サウンドの王様」、こちらレイモン・ルフェーヴルは「ラブ・サウンドのシャルマン」と胡椒、じゃなかった呼称されていました。

∵ゞ(>д<)ハックション!
(.。)☆\バキッ! サキガ ヨメタヨ。

レイモン・ルフェーヴルは、1956年9月に女性歌手ダリダのデビュー曲『バンビーノ』の編曲と伴奏指揮を担当、レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラとしてスタートを切ります。

その後、「ミュジコラマ」「パルマレス・デ・シャンソン」など、フランスの人気音楽番組や「サンレモ音楽祭」などで指揮者を歴任。
レコードでは、1958年に『雨の降る日』、1968年には『ばら色の心』『ラ・ラ・ラ』が相次いで全米ヒットチャートにランクインし、注目を集めます。

同時に映画音楽も手がけ、ルイ・ド・フュネス主演作品などで、サウンドトラックを数多く発表。
日本では、1969年にシングル・カットされた『シバの女王』がロングヒットとなったことから、知名度が一気に上昇し、ポール・モーリア、フランク・プゥルセル、カラベリとともに、イージー・リスニング全盛期を迎える立役者の一人となりました。

その後レイモン・ルフェーヴルは、引退するまで約650曲を録音したと言われており、その中でも、クラシックの曲をイージー・リスニング風に編曲した「ポップ・クラシカル・シリーズ」は、彼の十八番となっています。


以上です。( ^-^)/

2019年01月07日

「黄昏のあらし/シグナル」 - 名曲のご紹介

今日は、シグナルの「黄昏のあらし」のご紹介です。

黄昏のあらし シグナル ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シグナルは、1975年半ばから1984年にかけて活動した、フォークソンググループです。
1975年に発売したデビュー曲「20歳のめぐり逢い」が大ヒットし、これが彼らの代表曲となります。

メンバーは、以下の4人です。

1.浅見昭男
2.田村功夫
3.住出勝則
4.稲垣達雄の4人です

途中で田村功夫が抜けて、代わりに稲垣達雄が加入しています。

さて、今日はそんなシグナルの、1978年2月21日に発売された通算5枚目のシングルである、「黄昏のあらし」をどうぞ。


黄昏のあらし/シグナル

ノリのいい、アリスの「チャンピォン」を彷彿とさせる佳曲ですね。(^^)

ハイ、海苔!(^Q^)/□
その「ノリ」ジャ ナイノ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

彼らのメジャーデビューのきっかけは、後に代表曲となる『20歳のめぐり逢い』のデモテープを聞いたレコード会社のスタッフが、この曲をいたく気に入ったことによります。
この出来事があったからこその、「シグナル」なのですね。

なお、シグナルの発売したシングルは、以下の通りです。

シグナルのディスコグラフィー(シングル)

1.20歳のめぐり逢い 作詞:田村功夫/作曲:田村功夫 1975年9月21日
2.哀しみのプラットホーム 作詞:あさみあきお/作曲:あさみあきお 1976年7月21日
3.生きがい 作詞:あさみあきお/作曲:あさみあきお 1977年2月21日
4.さよなら my Love 作詞:シグナル/作曲:堀内孝雄/補作曲:住出勝則 1977年7月21日 
5.黄昏のあらし 作詞:小泉長一郎/作曲:住出勝則 1978年2月21日
6.ためらいに縁を切れ 作詞:あさみあきお/作曲:あさみあきお/補作詞:小泉長一郎 1978年8月21日
7.雪のひとひら 作詞:小泉長一郎/作曲:住出勝則 1979年1月21日
8.B・G・Mはため息で 作詞:中里綴/作曲:住出勝則 1979年5月1日
9.ウッドストックを超えて 作詞:稲垣達雄/作曲:住出勝則 1979年11月21日
10.ほほえみ 作詞:あさみあきお/作曲:あさみあきお 1980.3.21日
11.蒼い影 作詞:あさみあきお/作曲:住出勝則 1981年8月25日
12.愛の終りに 作詞:あさみあきお/作曲:住出勝則 1982年1月25日
13.夏のV.T.R. 作詞:小泉長一郎/作曲:住出勝則 1982年6月25日
14.Julia(ジュリア) 訳詞:戸沢暢美/作曲:Ted Mulry 1983年9月25日
15.逆光線(ソニアのテーマ) 作詞:山川啓介/作曲:堀内孝雄 1984年4月21日
16.センチメンタルウインド~感傷風~ 作詞:山川啓介/作曲:堀内孝雄 1984年10月25日

2018年12月19日

「青春の影/チューリップ」 - 名曲のご紹介

今日は、チューリップの「青春の影」のご紹介です。

青春の影 チューリップ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

チューリップは、1970年に当初「ザ・フォーシンガーズ」として結成されたバンドです。
当時、音楽界にロックでもフォークでもない新しい音楽「ニューミュージック」というものが登場するのですが、チューリップは、この分野を開拓したバンドのひとつでもあります。

チューリップは、ビートルズに強く影響を受けたバンドで、リーダーの財津和夫は、和製ポール・マッカートニーを自認し、メロディアスでポップな作品を多数制作し、世に送り出しています。

また、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当しているのもこのバンドの特徴のひとつとなっており、この方針は現在も伝統的に受け継がれています。

さてそれでは、今日はそんなチューリップの、1974年6月5日に発売された通算6枚目のシングルである「青春の影」をどうぞ。


青春の影/チューリップ

この曲の歌詞はこちら

「清酒の陰」
清酒の陰 酒の背後に猫
写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、「心の旅」からしばらくアイドル路線を走っていたチューリップが、そのイメージを払拭(ふっしょく)して、自分達が目指していた本来の音楽に路線を戻すべく発表したバラード曲です。
アルバム『TAKE OFF(離陸)』からのシングルカットとなっています。

心の旅
曲名 歌手名 ジャケットイメージ
※上の画像をクリックすると、曲ページにジャンプします。

「青春の影」は、結婚式などで歌われることも多い曲ですね。(^^)
が、実のところこの曲は、別れの歌とも始まりの歌とも、どちらにもとれる内容となっています。

財津和男によれば、この曲はの歌詞はビートルズの「The Long And Winding Road」がモチーフになっているということです。

また、彼自身は、

「二人の関係が「恋」から「愛」に変わった。ただそれだけ(後略)」「単純に、主人公である男の成長を歌にしてみようと思った」・「「ただの女、ただの男」になることが確かな幸せにつながると言いたかった」

と語っており、「平凡な幸せこそが最高だ」と説いた、純粋な恋の歌なのです。

なおこの曲は、のちに西城秀樹 『HIDEKI SONG BOOK』(1981年)、福山雅治 『「福山エンヂニヤリング」サウンドトラック The Golden Oldies』(2002年)、つばき 『卒業アルバム』(2004年)、BLUE AGE ORCHESTRA(2004年)、CANCION(2006年)など、多くのアーティストによってカバーされています。

2018年12月13日

「夜のプラットホーム/二葉 あき子」 - 名曲のご紹介

今日は、二葉 あき子の「夜のプラットホーム」のご紹介です。

夜のプラットホーム 二葉 あき子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

二葉 あき子(ふたば あきこ、本名:加藤芳江(かとう よしえ) 1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、広島県広島市の女性歌手です。

二葉 あき子は、広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経(へ)て、1935年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業します。

音楽学校に在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で、同校に通う期待の生徒・増永丈夫(ますなが たけお)の美しいバリトンを聴いて感銘を受けます。
その増永丈夫は、すでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていました。

二葉 あき子のレコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコードで、卒業後は、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭(きょうべん)をとります。
教師時代も、上京して学校用教材のレコードを吹込みます。

そして、1936年の春に、コロムビアの専属となります。
最初に発売したレコードは、「愛の揺り籃(あいのゆりかご)」でした。
その後「あの夢この夢」「月に踊る」「乙女十九」などで世に知られるようになり、1939年に、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットしたことで、人気歌手としての声価を得ます。

これ以後、彼女の歌う多くのブルースがヒットするようになります。
また戦時中は、歌手として慰問(いもん)活動をしています。

今日は、そんな二葉 あき子の、1947年2月に発売された代表曲のひとつである「夜のプラットホーム」をどうぞ。


夜のプラットホーム/二葉 あき子

この曲の歌詞はこちら

この曲はもともと、1939年(昭和14年)公開の映画『東京の女性』(主演:原節子)の挿入歌として淡谷のり子が吹き込んだものです。

が、出征する人物を悲しげに見送る場面を連想させる歌詞があるとして、戦時下の時代情勢にそぐわないと検閲に引っかかり、同年に発禁処分を受けたものです。

そして戦後になり、二葉あき子がこの曲を新たに吹き込み直したレコードが発売され、大ヒットとなりました。
この曲は、それまでそこそこのヒットはあったものの、大ヒット曲のなかった二葉あき子にとって、待ち望んでいた朗報(ろうほう)でした。

"( ・。・) ヾ(^^@) ネエネエ。
('_') (^o^ ) 「朗報」ッテ、「さまよい歩く」ッテイウ 意味 ダヨネ。
ソ・レ・ハ、「放浪」! (-_-メ)/~~~~~バシィッ!!(T/O)

二葉あき子といえば、「さよならルンバ」や「水色のワルツ」も名曲ですね。(^^)