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2018年05月16日

「別れの朝/ペドロ&カプリシャス」 - 名曲のご紹介

今日は、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」のご紹介です。

別れの朝 ペドロ&カプリシャス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ペドロ&カプリシャスは、1971年に結成された音楽バンドです。
ジャズ、フォークからラテンロックなど、洋楽のテイストを取り入れたアダルト・コンテンポラリーのサウンドが特徴です。


ペドロ&カプリシャスは、ペドロ梅村をリーダーに、1971年に初代ボーカル・前野曜子をむかえてメジャーデビューをします。
そして、デビュー・シングル「別れの朝」が大ヒット。

2年後の1973年には、二代目ボーカル・高橋まり(現:髙橋真梨子)を迎えて発売した「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などもヒットし、人気バンドとなります。

1974年には、前述の「ジョニィへの伝言」で、同年末に行なわれた「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場。

1978年には、三代目のボーカル松平直子を迎え、2011年には、40周年を機にメンバーを大幅変更。
4月に松平の独立に続いて、8月に五代目のボーカル桜井美香と、彼女をサポートボーカルで多く起用していたサックス奏者のUkoが加入。
さらに、ベース、ドラムのメンバーも交代となります。

今日は、そんな彼らの、 1971年10月25日に発売されたデビューシングルである「別れの朝」をどうぞ。


別れの朝/ペドロ&カプリシャス

この曲の歌詞はこちら

ペドロ&カプリシャスのボーカルの変遷

・前野曜子…初代ボーカル。1971年から1973年まで務めた。『別れの朝』が大ヒット。1988年7月31日に、アルコール依存症等が深刻化し、40歳で没(心不全)。

・高橋まり(現:髙橋真梨子)…二代目ボーカル。1973年から1978年まで務めた。『ジョニィへの伝言』や『五番街のマリーへ』がロングヒットした。1978年からはソロ歌手として活動。ソロ転向後も『別れの朝』を含めペドロ&カプリシャス時代の作品を歌うことがある。

・松平直子…三代目メインボーカル。1978年から三代目のメインボーカルを担当。代表作『ヨコハマ・レイニー・ブルー』など。

・桂木佐和…四代目メインボーカル。1982年のシングル「夜明けの星たち」、83年のアルバム「SUN PATIO」でメインボーカル担当。

・桜井美香…メインボーカル。2011年秋から五代目のメインボーカルを担当、この体制では2011年に「酔いどれマリアが歌う店」を発売している。出産のため2017年11月にバンドを卒業。

2018年05月03日

「大きな森の小さなお家/河合奈保子」 - 名曲のご紹介

今日は、河合奈保子の「大きな森の小さなお家」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。
娘は、歌手のkaho

河合 奈保子は、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みと共に、アイドル歌手としてデビューをします。
デビュー当時のキャッチフレーズは、「ほほえみさわやか カナリー・ガール」。

同年の8月25日に発売した2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットし、複数の音楽祭で新人賞を受賞します。

河合 奈保子の代表曲には、「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などがあります。

彼女の明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、幅広い世代に愛され、そしてスタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2012年の現在もなお古書市場で根強い人気を保っています。

今日は、そんな彼女の曲の中から、1980年6月1日に発売された、デビュー曲である「大きな森の小さなお家」をどうぞ。


大きな森の小さなお家/河合奈保子

この曲の歌詞はこちら

河合奈保子は、私は2曲目の「ヤングボーイ」から聴き始めましたが、もう本当に、

「可愛いー、奈保子」(#^.^#)

という感じでしたね。(--)トオイ メ

なお、河合奈保子のシングルは、1980年から1994年までの1年間に36枚が発売されました。

非売品ではありますが、1986年3月に「《農協共済の歌》幸せの輪を拡げよう」というシングルも発売されています。

アルバムは、1980年から1993年までに、オリジナル盤はミニアルバム1枚を含む計19作品、ライブ盤は4作品発売されました。

ベスト盤に関しては、2007年までに16作品とCD-BOX3作品がそれぞれ発売されており、その他、高橋伸明とのデュエット盤が1作品発売されています。

2018年04月23日

「手編みのプレゼント/岡田奈々」 - 名曲のご紹介

今日は、「岡田奈々」の「手編みのプレゼント」のご紹介です。

手編みのプレゼント 岡田奈々 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々 ブロマイド

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。

1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八犬伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。

今日ご紹介する「手編みのプレゼント」は、1976年9月10日に発売された通算6枚目のシングル松本隆作詞、佐藤健作曲による作品です。

それでは早速、「手編みのプレゼント」をどうぞ。


手編みのプレゼント/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

岡田奈々は、10代のころに石井輝男監督の東映最後の作品「暴力戦士」(1979年)に出演した縁で、石井の劇場用映画への復帰作「ゲンセンカン主人」(1993年)、続けて「無頼平野」(1995年)にも出演し、ヒロインを演じます。

石井輝男は「彼女のような顔が、好み」だということで、映画「ラブ&ポップ」(1998年)や、テレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」(2001年)においては、主人公の母親役を演じています。

また近年では、清純派を脱皮する演技力を見せています。

なお、岡田奈々はNAVレコードに所属していましたが、同社を吸収したポニーキャニオンから、現在すべてのシングル・アルバムがCD化され、再発売されています。

ちなみに、芸名の「奈々」は、宗教家である父親が、以前菜の花を求めて各地を旅する養蜂業者であったことに由来しているということです。

2018年04月18日

「ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀」 - 名曲のご紹介

今日は、平山 みきの「ビューティフル・ヨコハマ」のご紹介です。

ビューティフル・ヨコハマ 平山三紀 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

平山 みき(ひらやま みき、旧芸名:平山 三紀、1949年8月22日 -)は、東京都大田区出身の歌手です。
実姉は、ミス・エールフランスコンテストに合格後松竹の女優となり、後に歌手として活躍した平山洋子(芸名は園江梨子→園えり子→平山洋子と改名)。

平山 みきは、1970年(昭和46年)に、「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューをします。
その鼻にかかった強烈なハスキーボイスが、当時は話題を呼びます。

翌年の1971年に、当初はB面になる予定だった「真夏の出来事」を発売。
この曲は、オリコン最高位5位の大ヒットとなります。

続いて発売された「ノアの箱舟」も、10万枚を売り上げるヒットとなり、この曲で平山 みきはスター歌手への仲間入りを果たします。

今日は、そんな平山 みきの、1970年11月10日に発売されたデビュー曲である、「ビューティフル・ヨコハマ」」をどうぞ。


ビューティフル・ヨコハマ/平山三紀

この曲の歌詞はこちら

平山 みきの初期の楽曲は、ほとんどが作詞家・橋本淳と作曲家・筒美京平のコンビによる作品で、当時は「筒美京平の秘蔵っ子」的な存在と言われました。

平山 みきは、その後もアルバムでは1981年(昭和56年)に近田春夫のプロデュースで「鬼ヶ島」、1987年(昭和62年)には「キャバレー・ガール」、そして、1993年(平成5年)にはサンディー&サンセッツとのコラボによる「平山みきのエキゾチカ大魔境」と意欲的な作品を発表し続けます。

また、シングルも1987年に出した「冗談じゃない朝」で再びクローズ・アップされ、2001年(平成12年)には新曲「パーフェクト・サマータイム」を発売するなど、スローペースながらも現在も音楽活動を続けています。

2018年04月16日

「乙女のワルツ/伊藤 咲子」 - 名曲のご紹介

今日は、伊藤 咲子の「乙女のワルツ」のご紹介です。

乙女のワルツ 伊藤 咲子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

伊藤 咲子(いとう さきこ、本名:千葉咲子、1958年4月2日 -)は、東京都出身の女性歌手です。

伊藤 咲子は、1973年 15歳の時にオーディション番組「スター誕生!」で優勝し、これをきっかけに芸能界へ入ります。
そして、翌年の1974年に、 「ひまわり娘」で、アイドル歌手としてデビュー。

同年末には、「木枯しの二人」を発売。
この曲は、翌年の1975年、オリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン。
自身最大のヒット曲となります。

また、翌年の1976年には、 「きみ可愛いね」で「第27回NHK紅白歌合戦初」出場を果たします。

今日は、そんな伊藤 咲子の、1975年7月05日に発売された、通算5枚目のシングルである「乙女のワルツ」をどうぞ。


乙女のワルツ/伊藤 咲子

この曲の歌詞はこちら

今改めて歌詞を読んでみると、明るい曲調に反して、悲しい詞なので驚きました。おお!(゚o゚)
悲しいというより、切ない、ですかね。
これは意外でしたが、そう言えば、「サボテンの花」もそうですね。

伊藤咲子は、祖父母が山形県出身で、両親は山形疎開時に結婚したため、山形に深い思い入れがあります。
そのため、出生も育った地も東京ですが、山形は自分の故郷だと語っています。
伊藤咲子の出生前は、両親は山形に住んでいましたが、出生時は東京に転居していました。

なお、母方の親戚に、声楽家の砂原美智子がいます。