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2017年07月21日

「恋文(こいぶみ)/由紀さおり」 - 名曲のご紹介

今日は、由紀さおりの「恋文(こいぶみ)」のご紹介です。

恋文 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1973年8月20日に発売された、通算20枚目のシングルである「恋文」をどうぞ。


恋文(こいぶみ)/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

何というか、古き良き時代の名曲という感じで、節回しとメロディーの展開が独特ですね。
この曲の冒頭部分の歌詞に出てくる「アズナヴール」というのは、フランスの歌手・俳優の「シャルル・アズナヴール」のことです。

シャルル・アズナヴール
シャルル・アズナヴール
写真は、こちらからお借りしました。

由紀さおりは、この曲で1973年の『第15回日本レコード大賞』・最優秀歌唱賞を受賞。
また、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』では、この曲を歌唱しました。

姉との歌手活動など

由紀 さおりは、1985年から、姉の安田祥子と共に、童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになっていきます。

1986年には、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、同年の暮れには、第28回日本レコード大賞企画賞を受賞。
そして、童謡ブームの火つけ役となります。

1987年には、童謡歌手として「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。
NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演します。

2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌います。

姉との共同レパートリーは童謡・唱歌にとどまらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌等と、多ジャンルに渡っています。

特に、スキャットで唄った「トルコ行進曲」は、1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」で披露されたことで、一躍日本全国に知れ渡ります。

現在でも、各地で精力的にコンサートを行なう一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行なっています。

2017年07月20日

「疑問符/河合奈保子」- 名曲のご紹介

今日は、河合奈保子の「疑問符」のご紹介です。

疑問符 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。娘は、歌手のkaho。

河合奈保子 ピンナップ
写真は、こちらからお借りしました。

河合 奈保子は、1980年代に活躍した歌手・アイドルの一人です。
代表曲には、「エスカレーション」「夏のヒロイン」「スマイル・フォー・ミー」「けんかをやめて」などがあります。

河合 奈保子の、その明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、当時、幅広い世代に愛されました。
また、スタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会をたびたび飾り、当時出版された写真集は、2012年現在もなお、古書市場において根強い人気をっています。

また、河合奈保子は、歌うだけでなく、ピアノ、ギター、マンドリン、シンセサイザーも演奏し、自ら作詞作曲した歌をも発表しています。

くわえて、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

あしたのナオコちゃん  中西裕
あしたのナオコちゃん 中西裕
写真は、こちらからお借りしました。

今日は、そんな多才な河合奈保子の曲の中から、1983年12月1日に発売された通算15枚目のシングルである「疑問符」をどうぞ。


河合奈保子 疑問符 投稿者 TAKAP11

この曲の歌詞はこちら

1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」においては、録音から制作に参加。
これを契機に、音楽の制作面にも関与していきます。

1985年に、ベストアルバム「NAOKO 22」のボーナストラックという形で自作曲を発表。
コンサートでも、次第に自作曲の河合割合が増えていき、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表します。

1987年4月に行なわれたKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考をし、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物』を「かたつむり大作戦」の会場「KBSホール」から歌唱。

また、この時期は、テレビドラマやミュージカルにも積極的に出演しました。

1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』に「おいては、主題歌と共に声優として出演。
1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME~恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当します。

テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。
1988年に岐阜市で行なわれた「ぎふ中部未来博」では、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当しました。

1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当するとともに、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加。
ミッキー吉野らと共演したこともありました。

そして、1996年2月1日に、ヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。
同年2月6日に婚姻届を提出し、翌1997年の第一子出産を契機に、河合奈保子は芸能活動を停止します。

なお、夫との間には2人の子供がおり、第二子であるkahoは、2013年11月27日に「Every Hero/Strong Alone」でデビューしています。

kaho
河合奈保子の娘 kahoちゃん

2017年07月18日

「悲しみは駈け足でやってくる/アン 真理子」 - 名曲のご紹介」 - 名曲のご紹介

今日は、アン 真理子の「悲しみは駈け足でやってくる」のご紹介です。

悲しみは駈け足でやってくる アン真理子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アン 真理子(アン まりこ、本名:佐藤ユキ(さとう ユキ) 1945年 -)は、日本の歌手、作詞家、女優です。

アン 真理子は、日劇のダンサー兼コーラス員としてデビューした後、平岡精二クインテット等のソロ歌手となります。

1966年、東京ヒルトンホテルのスター・ヒル・プラザに出演していたときに、出門ヒデと「ユキとヒデ」を結成。
そして、翌年の1967年に、デビューシングルを発売します。

ユキとヒデとしての活動と平行して、ソロ歌手藤ユキ(ふじ ユキ)としても活動。

1968年に、ユキとヒデは解散しますが、藤ユキ名義の活動は続行します(ヒデは同年、ヒデとロザンナを結成)。

1969年に、ソロ名義もアン真理子と改称、再デビューを果たします。

今日は、そんなアン 真理子の、1969年に発売された「悲しみは駈け足でやってくる」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら


「クスン!」「 いい曲だニャー。この曲を聴いていると、泣けてくるニャン」

なおこの曲は、後に浜田朱里がカバーしています。

浜田朱里といえば、「青い花火」も名曲です。
お時間があれば、どうぞこちらもお聴きになってみてください。

青い花火/浜田朱里


※画像をクリックすると、曲紹介ページへジャンプします。

2017年07月13日

「夏色のナンシー/早見優」- 名曲のご紹介

今日は、早見 優の「夏色のナンシー」のご紹介です。

夏色のナンシー 早見優 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

早見 優(はやみ ゆう、本名:福田 一美(ふくだ かずみ)旧姓、舘野(たての) 1966年9月2日 -)は、静岡県熱海市のタレント、歌手、女優です。父は、ジャズシンガーの井上良(いのうえ りょう)。

早見 優は、3歳から7歳まで、グアム、7歳から14歳まではハワイで育ちます。
学校での愛称は“キャシー”。

そして、1980年 14歳の時に、ハワイ三越デパートのエレベーターで「サンミュージックプロダクション」にスカウトされ、単身帰国し、「サンミュージック」と契約。日本のアメリカンスクールに通いながら、タレントとしてのレッスンを受けます。

1982年4月21日 ファーストシングル「急いで!初恋」でアイドル歌手としてデビューをします。
そして、同年の第24回日本レコード大賞新人賞を獲得。

翌年の1983年には、本人出演のコカ・コーラのCMに使われたシングルである、「夏色のナンシー」がオリコンチャート7位にランクイン。
この曲は、TBS系「ザ・ベストテン」などのチャート番組にもランクインするようになり、同年12月の「第34回NHK紅白歌合戦」にも初出場することになります。。

今日はその「夏色のナンシー」をどうぞ。


夏色のナンシー/早見優

この曲は、1983年度のコカ・コーライメージソングで、当初予定していたタイトルは、自身の愛称を用いた「夏色のキャシー」でした。
が、語呂をよくするため、「ナンシー」に変えられたということです。

キャッシーとナンシー
「ねえ、ナンシー。遊ぼうニャン」「何度言ったら分かるニャン。ミーの名前は、キャッ・シー」

この曲のCM版では、サビの部分を、当時コカ・コーラのキャッチフレーズだった「yes、coke、yes」に変えて歌われています。

また、2016年8月に発売された早見優のミニアルバム「Delicacy of Love」には、この曲のリミックス版が収録されており、間奏のコーラス部分には、早見優の2人の娘も参加しています。

2017年07月04日

「さよならルンバ/二葉 あき子」 - 名曲のご紹介

今日は、の「」のご紹介です。

さよならルンバ 二葉 あき子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

二葉 あき子(ふたば あきこ、本名:加藤芳江 1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、広島県広島市の女性歌手です。

二葉 あき子は、広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業します。

音楽学校に在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で、同校に通う期待の生徒・増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受けます。
その増永丈夫は、すでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていました。

二葉 あき子のレコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコードで、卒業後は、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとります。
教師時代も、上京して学校用教材のレコードを吹込みます。

そして、1936年の春に、コロムビアの専属となります。
最初に発売したレコードは、「愛の揺り籃」でした。
その後「あの夢この夢」「月に踊る」「乙女十九」などで世に知られるようになり、1939年に、松竹映画『春雷』の主題歌「古き花園」が大ヒットしたことで、人気歌手としての声価を得ます。

これ以後、彼女の歌う多くのブルースがヒットするようになります。
また戦時中は、歌手として慰問活動をしています。

今日は、そんな二葉 あき子の、1948年11月に発売された「さよならルンバ」をどうぞ。

戦後は、「別れても」「夜のプラットホーム」「恋の曼珠沙華」、今日ご紹介した「さよならルンバ」、「村の一本橋」など、多くのヒット曲を放ち、特に1950年に発売された「水色のワルツ」は、綺麗なメロディーに二葉あき子の歌唱が良く合い、人々に潤いをあたえます。

NHK紅白歌合戦にも、1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場し、第6回では、代表曲のひとつである「バラのルムバ」で紅組トリを務めるなど、渡辺はま子・淡谷のり子・松島詩子・笠置シヅ子と並んで、創世記の紅白を代表する女性スターでもありました。

また、懐メロ歌手として、21世紀を超えてもなお活躍しましたが、2003年夏にファンのつどいにて引退を宣言し、故郷の広島に帰郷します。

引退した理由としては、難聴が進行し、バンドの演奏の音が聞き取りづらくなったことが理由であると伝えられています。

なお、曲名に同じく”ルンバ”がつく名曲として、西田佐知子の「コーヒールンバ」があります。
もしもお時間があれば、こちらも是非お聴きになってみてください。(^^)

「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 名曲のご紹介|Super源さんの音楽ブログ
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/915/