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2017年09月14日

「失われた夏/石野陽子」- 名曲のご紹介

今日は、石野陽子の「失われた夏」のご紹介です。

失われた夏 石野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。
姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。

石野 陽子は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。

その後、連続ドラマ「セーラー服通り」への主演や、「志村けんのだいじょうぶだぁ」でのコントで人気を博します。
また、「ミナミの帝王」シリーズに出演したため、Vシネマファンにもお馴染みの顔となっています。

茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が「天然」であることを明かしています。

今日は、そんな石野陽子の、1987年07月25日に発売された、通算5枚目のシングルである「失われた夏」をどうぞ。


失われた夏/石野陽子

この曲の歌詞はこちら

失われた視界/トラ
失われた 視界
「ま、前が見えニャい! 誰か 、誰か助けてくれニャン!」

出典:http://nekomemo.com/archives/49557131.html#more

石野陽子出演のバラエティー番組
・志村けんのバカ殿様
・志村けんのだいじょうぶだぁ
・志村けんはいかがでしょう
・オールナイトフジ
・日立 世界・ふしぎ発見!(不定期出演)

Vシネマ
・ミナミの帝王13 「詐欺師潰し」(1996年)
   ↓(連続出演)
・ミナミの帝王34 「トイチの身代金」(2000年)

テレビドラマ
・月曜ドラマランド『転校生!おれがあいつであいつがおれで』(1985年8月19日、フジテレビ)
・セーラー服通り(1986年1月10日 - 3月28日、TBS) - 主演 紺野冬美 役
・月曜ドラマランド「転校生!おれがあいつであいつがおれで2」(1986年4月21日、フジテレビ)
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その他多数。

2017年09月07日

「京都の恋/渚ゆう子」 - 名曲のご紹介

今日は、渚ゆう子の「京都の恋」のご紹介です。

京都の恋 渚ゆう子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、本名:大江 千鶴子 1945年11月8日 -)は、大阪市浪速区出身の歌手です。

渚 ゆう子は、1964年に、久葉真鶴(くばまづる)の芸名で芸能界入りをします。

そして、1965年に、和田弘とマヒナスターズの前唄で出演しますが、そのとき、リーダー和田弘のすすめにより上京。
作曲家浜口庫之助に師事し、ハワイアンを覚えます。

1966年に、「渚ゆう子」に改名。
命名当初は渚夕子でしたが、日没のイメージは良くないということで、ゆう子となります。
名付け親は、マヒナスターズの松平直樹です。

1967年6月に、ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。
この曲は、和田弘とマヒナスターズの佐々木敢一とのデュエット曲です。

そして、1970年に、ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄い、大ブレイク。
渚 ゆう子は、この曲で、一躍人気歌手となります。

その後は、京都慕情(1970.12.01)、さいはて慕情(1971.03.25)、雨の日のブルース(1971.08.05)、長崎慕情(1971.12.01)と、ヒットを飛ばしていきます。

今日は、そんな渚ゆう子の、1970年05月25日に発売された、デビュー曲である「京都の恋」をどうぞ。

この曲は、1970年2月25日に、「ザ・ベンチャーズ」が日本で発売したシングルです。
もともと「ザ・ベンチャーズ」のインストゥルメンタル曲で、同年の1970年に開催された「日本万国博覧会」を記念して製作されたものです。

この曲の日本での英語題は"Kyoto Doll"、米題は"EXPO'70"で、オリジナルレコーディングにおいては、主旋律の演奏にエレキ・シタールが使われています(彼らのコンサートも同様)。

2017年08月28日

「フィルムの向こう側/南野陽子」 - 名曲のご紹介

今日は、南野 陽子の「フィルムの向こう側」のご紹介です。

フィルムの向こう側 南野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、本名同じ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。
トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りします。

1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢(ばってき)され、南野陽子が自ら歌う主題歌の「楽園のDoor」は、初のオリコンチャート第1位を獲得します。

そしてその後も、「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」…と、ヒット曲を連発していきます。
また、グリコ、フジカラー、JR西日本などの多数の企業のイメージキャラクターに起用され、CMにも出演。

かくして南野 陽子は、中山美穂、工藤静香、浅香唯(あさか ゆい)とともに、「女性アイドル四天王」の1人として活躍することになります。

今日は、そんな南野 陽子の、1989年11月29日に発売された南野陽子の16枚目のシングルである「フィルムの向こう側」をどうぞ。

聴いていると、どこか落ち着く曲です。(^^)
この曲は、「CHAGE&ASKA」の飛鳥涼が作詞・作曲したもので、エンディングでヨハン・パッヘルベルのカノンを引用しています。

(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!(^o^)♪タラララー!

という曲ですね。(^^)

ソレジャ 分カラナイヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

実はこの曲は、以前このブログでもご紹介しています。
ということで、以下に曲のURLを張りつけます。
大変有名な曲なので、お聴きいただければ「ああ、この曲か!」となるかと思います。(^^)

「涙のカノン/レイモン・ルフェーブル」 - 名曲のご紹介
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/228/

だいぶ前に、CMにも使われたことがあったかと…。

またこの曲は、「秋からも、そばにいて」以来、南野陽子自身9作目のオリコン1位を獲得しました。
が、オリコン初登場で1位を記録しますが、その翌週は「あぁーっ!(゚ロ゚) 」と、15位までランクダウン。【><】

当時のオリコンシングルチャート1位を獲った翌週のランクダウン記録をも更新しました。

実は、それまでのオリコンでのランクダウン記録は、渡辺満里奈の「夏休みだけのサイドシート」で、この曲は1位を獲った翌週に、一気に13位まで落ちたのです。
ところがこの曲は、その「夏休みだけのサイドシート」を越える落ち方をしたわけです。

「あああ~っ!」

写真は、こちらからお借りしました。

あららら。(゚O゚;クマさんまで落ちてきてしまいましたね。【><】

なお、南野陽子の発売したシングルで、オリコン1位を獲得したのは、この曲が最後となっています。

と書きましたが、これはちょっと説明が必要です。
南野陽子は、デビュー2年後の1987年に、映画「スケバン刑事(スケバンデカ)」に主演します。
そして、自ら歌った主題歌「楽園のDoor」で、初のオリコンチャート第1位を獲得。

まぁ、映画の力を借りて売れたという、ここまではありがちなことかも知れません。
が、ここからがスゴいんですね。

このチャート第1位獲得をきっかけに、南野陽子はその後も「話しかけたかった」「パンドラの恋人」「秋のIndication」「はいからさんが通る」「吐息でネット」…と、出す曲出す曲がすべてヒットし、なんと、8曲連続して、次々とオリコン1位を獲得!
そして、2曲間をおいて「フィルムの向こう側」で再び1位を獲得!

つまり、南野陽子は、”計9曲”ほとんど連続してオリコン1位を獲得しているのです。おお!(゚o゚)

詳しくは、以下の表をご覧ください。

No.タイトル発売日オリコン最高位
6楽園のDoor1987年1月10日1位
7話しかけたかった1987年4月1日1位
8パンドラの恋人1987年7月1日1位
9秋のIndication1987年9月23日1位
10はいからさんが通る1987年12月2日1位
11吐息でネット1988年2月26日1位
12あなたを愛したい1988年6月18日1位
13秋からも、そばにいて1988年10月8日1位
14涙はどこへいったの1989年2月15日2位
15トラブル・メーカー/瞳のなかの未来
(両A面シングル)
1989年6月21日2位
16フィルムの向こう側1989年11月29日1位

このことから、当時南野陽子が、いかに人気が高かったかが分かります。

というより、今日は、私としたことが、かなり力が入ってしまった。(^~^;)ゞポリポリ

2017年08月23日

「ブルー・バイユー(Blue bayou)/リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt) 」- 名曲のご紹介

今日は、リンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー(Blue bayou)」のご紹介です。

ブルー・バイユー リンダ・ロンシュタットジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt, 1946年7月15日 - )は、アメリカのアリゾナ州ツーソン出身の歌手、ミュージシャンです。

1965年、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州立大学を1年で退学しLAに向かいますが、そこでキンメルとケニー・エドワーズとリンダをボーカルとするスリーピ、ース・バンド「ストーン・ポニーズ(The Stone Poneys)」を結成します。

そして、1967年1月にアルバム「ストーン・ポニーズ」でデビュー。

このバンドは、当時、一世を風靡していたママス&パパスやラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループです。

デビューアルバムの「ストーン・ポニーズ」は売れませんでしたが、同年6月発売のセカンド・アルバム「エバグリーン Vol.2(Evergreen Vol. 2)」からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなり、一躍注目を浴びます。

愛くるしいミニスカートに裸足という姿でステージに立ち、精一杯歌うリンダ・ロンシュタットは、誰の目にもナチュラル・ボーンな魅力に溢れたシンガーに映り、音楽ビジネス側の興味がリンダ1人に集中していたことは否めません。

その後、「ストーン・ポニーズ」は徐々にリンダのソロ・プロジェクトの色を濃くし、「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)には、他の2人は参加しておらず、1968年の3枚目のアルバム「Linda Ronstadt, Stone Poneys And Friends,Vol.III」は、実質的にリンダのソロ作となり、このアルバムの発売を最後にバンドは消滅します。

シングル・ヒットとしては、ロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、バディ・ホリーの「It's So Easy」などが有名で、リンダ・ロンシュタットは、アリーナやスタジアムでコンサートを行なうようになった最初の女性歌手でもあり、1970年代後半まではロック/ポップ界で最も成功した女性歌手でした。

来日の噂は何度かありましたが実現せず、1979年に初来日し、3月1日から6日の間に日本武道館2回を含む横浜、大阪で計5回の公演を行ないました。

今日は、そんなリンダ・ロンシュタットの「ブルー・バイユー」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

リンダ・ロンシュタットは、自身のソロ活動だけでなく、イーグルスやニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーなどのアーティストとも深い交流がありました。

また、「恋多き女性」としても知られ、背後にいる男性の存在を抜きにして彼女の音楽経歴は語れない、とまでいわれました。
つき合う男性の服装の好みによってファッションを変えるため、ミック・ジャガーと噂があったときにはホットパンツでステージに登場し、スタイルの良さを披露。
そして、ミック・ジャガーが「君にはロックが足りない」と言うと、「あなたにはバラードが足りない」と言い返したといいます。

イーグルスの代表曲の一つ「Witchy Woman」やローリング・ストーンズの「ダイスをころがせ(Tumbling Dice)」は、リンダ・ロンシュタットのことを歌ったもので、リンダ・ロンシュタット自身もカバーしたことがあります。

売れない時代の友人であったジム・モリソンとはただならぬ仲ともいわれ、またカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウン(民主党)との交際も騒がれました。
ジョージ・ルーカスとは婚約しましたが、結婚には至りませんでした。

2017年08月14日

「くるみ割り人形/石川 ひとみ」 - 名曲のご紹介

今日は、石川 ひとみの「くるみ割り人形」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身の歌です。愛称はひっちゃん。

石川 ひとみは、高校2年生の時に、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、1978年5月25日に「右向け右」で歌手デビューをします。
そして、1981年に三木聖子のカバー曲である「まちぶせ」がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

また、NHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)で、声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組「レッツゴーヤング」で、太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍します。

が、1987年に慢性B型肝炎を発症し、芸能界を一時引退、翌年復帰。
その後は、NHK「母と子のテレビタイム(日曜版)」に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開しています。

さらにその後は、一五一会によるCDアルバムを発売しているほか、エイズや肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』があります。

今日は、そんな石川 ひとみのヒット曲の中から、1978年9月5日に発売された通算2枚目のシングルである「くるみ割り人形」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

「ただいまー。くるみ割り人形のCD、買ってきたワン!」
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写真は、こちらからお借りしました。

渥美清とのエピソード

石川 ひとみは、映画『男はつらいよ』の寅さんの大ファンで、友人である斉藤ゆう子と「柴又ツアー」と称して、映画ロケ地の柴又界隈を廻ったことがあります。

そして、1990年3月に、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇。
色紙の持ち合わせがなかったため、無地のレポート用紙にサインをもらい、現在も額縁に入れて大切に保存しているといいます。

またこの時、渥美清からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真を、お返しとして渥美に渡しました。