Super源さんの音楽ブログ

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「右向け右/石川 ひとみ」 - のちに「まちぶせ」が大ヒットする石川ひとみのデビュー曲

今日は、石川 ひとみの「右向け右」のご紹介です。

右向け右 石川 ひとみ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身の歌手です。愛称はひっちゃん。

そして高校2年生の時に、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、1978年5月25日に「右向け右」で歌手デビューをします。

同年、全国58大学で構成される全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得ます。

そのためか、男性誌を中心に、水着姿でのグラビア撮影が多かったものの、石川ひとみは水恐怖症だったため、芸能界入りするまで、水着は1着も持っていませんでした。

そして、1981年に三木聖子のカバー曲である「まちぶせ」がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。
 

「まちぶせ/石川 ひとみ」 - オリオン週間47位を記録した最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、石川 ひとみの「まちぶせ」のご紹介です。写真は、こちらからお借りしました。石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美


また、NHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)で、声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組「レッツゴーヤング」で、太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍します。

今日は、そんな石川ひとみの、1978年5月25日に発売されたデビュー曲「右向け右」をどうぞ。
 
右向け右/石川ひとみ 右向け右

この曲の歌詞はこちら

この曲の作曲は宮川泰、編曲は竜崎孝路で、オリコンチャートにおいて、最高順位66位を記録しています。

えっ?石川ひとみは「右向け右」を練習曲だと思ってレコーディングした?

2002年に発売された『ぼくらのベスト 石川ひとみCD-BOX』ブックレットによれば、当時石川ひとみは、デビューに向けてレッスンを受けていましたが、この「右向け右」と「ピピッと第六感」の2曲の譜面を渡された際、練習曲としてレコーディングに臨(のぞ)んだと語っています。
なんでも、デビュー曲になるとは思っていなかったそうです。

石川ひとみが歌手になったきっかけ

石川ひとみが歌手になったのは、天地真理の存在が非常に大きく、石川ひとみはかつて、「天地真理さんがいなかったら、私は歌手になっていなかった」といっていたことがあります。

石川ひとみは、芸能界では天地真理の後輩に当たり、石川ひとみがデビューしたときには、天地真理は既に引退してしまっていたようですが、このように、誰かの影響を受けて運命が変わることは、世の中にけっこうあるのではないかと思います。

石川ひとみのその後

石川ひとみは、1987年に慢性B型肝炎を発症し、芸能界を一時引退、翌年復帰します。
その後は、NHK「母と子のテレビタイム(日曜版)」に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開します。
さらにその後は、一五一会によるCDアルバムを中心とした活動を行ないます。

デビュー40周年を迎えた2018年には、1983年の「プライベート」以来、実に35年振りとなる9枚目のオリジナル・アルバム「わたしの毎日」を発売。同年7月にはアルバム発売記念ライブ、10月には40周年記念コンサートを開催し、さらに2019年2月には、東京と名古屋で追加公演を開催しています。

「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)/河合その子」 - オリコンシングルチャート第1位を獲得した、ソロ・デビュー第1弾シングル

今日は、河合その子の「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合)は、愛知県知多郡横須賀町(現 東海市)出身の元歌手です。

河合その子 グラビア
写真はこちらからお借りしました。

河合その子は女性アイドルグループである「おニャン子クラブ」の元メンバーで、会員番号は12番。
現役当時は、渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属していました。

そして引退後は、専業主婦として、出身地の愛知県東海市にある実家の近くに居を構えていましたが、2010年に芸能活動を再開します。

今日は、そんな河合その子の、1985年9月1日に発売された「涙の茉莉花LOVE」(なみだのジャスミン・ラヴ)」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

異国情緒の漂う曲です。河合その子の声も可愛いですね。(^^)
「涙の茉莉花LOVE」は、当時おニャン子クラブの会員番号12番だった河合その子のソロ・デビュー第1弾シングルとなる曲で、初チャートイン(第5位)翌週のオリコンシングルチャートにて第1位を獲得。
おニャン子クラブ関連でも初の1位獲得でした。

TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』では、9月26日放送分で9位で初登場(同週は「セーラー服を脱がさないで」も6位にランクイン)し、10月17日放送分まで合計4週に渡ってランクインします。

この曲の初めと終わりの部分で、河合その子自らがキーボードをパフォーマンスが見られました。
1988年1月1日に発売された企画アルバム『Dedication(デディケーション)』では、大きくアレンジを変えた新録音バージョンが収録されています。

なお、この盤のB面に収録された「恋のチャプターA to Z」は河合その子 with おニャン子クラブ名義で、バックのメンバーは国生さゆり(こくしょう さゆり)・名越美香(なごや みか)・高井麻巳子(たかい まみこ)・城之内早苗(じょうのうち さなえ)が務めており、彼女たちはよみうりランドでのデビュー握手会イベント等にも随伴(ずいはん)しました。
 
なお、河合その子といえば、「青いスタスィオン」もおススメです。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「青いスタスィオン/河合その子」 - 34.1万枚を売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ

「青いスタスィオン/河合その子」 - 34.1万枚を売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合その子の「青いスタスィオン」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合その子(かわい そのこ、1965年6月20日、本名: 後藤 その子(ごとう そのこ) 旧姓:河合



「負けないで/ZARD(ザード)」 - ドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズのエンディングテーマ! オリコン1位&ミリオンセラーとなったヒット曲! 曲の制作秘話も紹介!

今日は、ZARDの「負けないで」のご紹介です。

負けないで ZARD ザード ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ) 1967年2月6日 - 2007年5月27)を中心とした音楽ユニットです。

坂井 泉水
坂井泉水
写真はこちらからお借りしました。

ZARDの坂井 泉水は、1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっています。
また、アルバムでは、9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録となっています。

ZARDは、1993年に通算6枚目のシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。
その3ヶ月後に、通算8枚目のシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。
この2曲を収録した4thアルバム「揺れる想い」が200万枚超の売り上げを記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格となりました。
そしてまた、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得しています。

今日は、それらのヒット曲の中から、1993年1月27日に発売された通算6枚目のシングルである「負けないで」をどうぞ。
 
負けないで/ZARD

この曲の歌詞はこちら
ひらがな付きの歌詞はこちら

聴いていると、スゴく元気のでる曲です。ヘ(^o^)ノ*
この曲は、前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングルで、表題曲は松泰子主演のテレビドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズの主題歌に起用されており(この曲は同シリーズのエンディングテーマに使用)、ZARDがドラマ主題歌を手掛けるのは前作に続き2作連続となりました。

「しらけ鳥麗子でございます!」
しらけ鳥 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

「負けないで」は、2作ぶりに織田哲郎が作曲を手掛けたもので、もともと織田哲郎のアルバム用の楽曲でしたが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評なためシングル化されました。
クレジット表記はされていませんが、この曲のコーラスに大黒摩季が参加していることが、坂井の死後に明かされています。

またこの曲は、2010年には「2010年バンクーバーオリンピック」に因(ちな)んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』のCMソングに起用。
また、オリコンの週間チャートで初登場2位となり、その後もトップ3を維持し、4週目で首位を獲得。
初登場から、10週連続トップ10入りを記録しています。

年間チャート6位を記録したZARDの最大のヒット曲であり、ZARD大ブレイクのきっかけとなった楽曲であるほか、1994年のJASRAC賞においても銅賞を獲得しています。

「負けないで」制作秘話

この曲は、もともとは織田哲郎のアルバム用の楽曲でした。
が、坂井の詩をつけて歌ってみたところ、非常に好評だったため、シングル化されました。
織田哲郎の曲は、特にイメージや設定もなく、自然に出てきたメロディーでしたが、坂井泉水の歌詞がはまった瞬間、プロデューサーの長戸大幸は「これは売れる!」と確信したといいます。

長戸大幸によれば、この曲の歌詞は、恋よりも夢を選んで遠くへ行ってしまう相手を応援する「遠距離恋愛」の歌でした。
ディレクターの寺尾広は、「このメロディーはこの言葉を言っている。そうとしか聞こえない」という話を坂井から聞いたといいます。この話がどこまで本当なのか尋ねてみると、微笑みと共に「秘密です」と返されたといいます。

坂井泉水は、この曲のレコーディング中に、”最後まであきらめないで”から”最後まで走り抜けて”と歌詞を書き換えており、この楽曲について「当時、何作かずっと恋愛の詞ばかり書いていたので、今度は違うタイプの詞も書きたいなと思っていた矢先でしたので、このテンポ感のある曲を聞いたときに"応援歌っぽいな"ってすぐにイメージが湧いてきて一気に書き上げました。いつものシングルに比べてすごく自分でも楽しみながら書けた一曲です。」と語っています。

当時のスタッフも、「発売された時期的にも団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプトでした」と語っています。