今日は、石野陽子の「テディーボーイ・ブルース」のご紹介です。 写真はこちら からお借りしました。 石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。 姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。石野 陽子 は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。 「アイドル・石野真子 の妹」ということで、デビュー時から注目を浴びていました。 デビュー曲が売野雅勇と芹澤廣明の作詞・作曲コンビというところからも、力の入りようが伺えます。 石野 陽子は、『セーラー服通り』への主演や『志村けんのだいじょうぶだぁ』での志村けんとの息の合った夫婦コントで、バラドルとして人気を博しました。 志村とは、偶然にも誕生日が同じ(2月20日)です。Ishino Yoko gained popularity as a balladeer with her starring role in "Sailor Fuku Dori" and her well-matched comedy act with Shimura Ken in "Shimura Ken no Daijobu Daa".
And Coincidentally, she and Shimura share the same birthday (February 20).
Vシネマでは、『ミナミの帝王』シリーズに出演したため、お馴染みの顔となっています。 茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が染めているわけではなく「天然」であることを明かしています。 今日は、そんな石野陽子の、1985年04月25日に発売されたデビュ-である「テディーボーイ・ブルース」をどうぞ。 VIDEO
テディーボーイ・ブルース/石野陽子 この曲の歌詞はこちら 。 この曲は、セガの同名のアーケードゲームとのタイアップ曲です。 セガのアーケードゲームとのコラボレーションにより制作された曲で、ゲーム中には、同曲がBGMとして使用されているほか、オープニングには石野陽子のコンサートを描いたデモが入ります。セガの「テディーボーイ・ブルース」とは? 写真はこちら からお借りしました。 「テディーボーイ・ブルース 」(Teddy Boy Blues) は、1985年5月に、セガ(後のセガ・インタラクティブ)から発売されたアーケードゲーム専用のアクションゲームです。 このゲームは、映画作品を原作としたものや歴史上の人物を取り扱ったものを除けば、実在の著名人がタイアップ・出演をした最初期のビデオゲームです。 「業界初のアイドルゲーム」であることは、当作品の売りとされており、セガ直営のゲームセンターなどでは、本作の稼働時に「テディーボーイ・ブルース」のソノシートや、石野をメインとしたプロモーションフライヤーが配布されました。「テディーボーイ・ブルース」のゲーム内容は? メインステージは一周43面で構成されており、クリア後は1面に戻りループします。 ラウンド数自体は周回後も追加されて行くため、二周目の1面は44面という扱いになります。 各面には、それぞれ決まった数の怪物がおり、すべての怪物を倒すとクリアとなります。 怪物は、弾に当たると無力化し、その状態の敵に触れる事で消滅します。無力化する前の敵に触れるとミスとなるほか、一面ごとに制限時間があり、時間切れになってもミスとなります。 また、これら通常面の他に、二種類のボーナスステージが用意されています。 登場キャラクラーは、以下の通りです。 ・テディーボーイ-銃の名手で、怪物を縮小化する特殊なマシンガン「ミクロ銃」を持つ勇敢な少年。 ・ヨーコちゃん-アイドル歌手の石野陽子。デビュー曲「テディーボーイ・ブルース」を歌い、テディーボーイを応援する。 その他、アオ・マスカラス、ダルマン、オシシ、のったり、でんでんなどの敵キャラクターが存在します。おわりに 今日は、「テディーボーイ・ブルース」つながりで記事を書いてみましたが、いかがでしたか? 両者の深いつながりがお分かりいただけたかと思いますが、楽しんでいただけたなら幸いです。(^^) なお、石野陽子といえば、「失われた夏」もおススメです。 お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。 「失われた夏/石野陽子」- 管理人一押しの名曲!|Super源さんの音楽ブログ
今日は、石野陽子の「失われた夏」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋
今日は、竹内まりやの「戻っておいで・私の時間」のご紹介です。 写真はこちら からお借りしました。 竹内 まりや (たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。 自称「シンガーソング専業主婦」。夫は、山下達郎。 竹内 まりやは、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING(ビギニング)」でデビューをします。 当時、アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまって、アイドル歌手のような役割を担います。 1979年に発売したシングル「SEPTEMBER(セプテンバー)」は、第21回日本レコード大賞新人賞を獲得。 1980年に発売したシングル「不思議なピーチパイ」は、資生堂化粧品CMソングとなり、ヒットします。 この頃にアレンジャーとして竹内まりやの前に現れたのが山下達郎 で、当初、山下達郎は竹内まりやのレコーディングにアレンジャーとして起用されたのですが、2人の関わりは公私ともに次第に密になっていき、1980年頃から、竹内まりやは山下達郎のマンションにて同棲生活を始めます。 その後は、「もう一度/本気でオンリーユー(Let's Get Married)(1984年4月10日)」「マージービートで唄わせて(1984年8月25日)」「元気を出して(1988年11月28日)」「シングル・アゲイン(1989年9月12日)」「告白(1990年9月18日)」」と、ヒットを飛ばしていきます。 今日は、そんな竹内まりやの、1978年に発売されたデビュー曲である「戻っておいで・私の時間」をどうぞ。 VIDEO
戻っておいで・私の時間/竹内まりや この曲の歌詞はこちら 。制作陣が語る裏話|宮田茂樹、衝撃の告白! 「戻っておいで・私の時間」は、1978年11月25日にRCA(RVC)より1stアルバム『BEGINNING(ビギニング)』と同時発売されました。この曲は、伊勢丹のCMテーマソングとしてつくられた曲です。 プロデューサーの1人だった宮田茂樹は、この曲のシングル・バージョンのアレンジを気に入っていなかったため、後にベスト・アルバム『VIVA MARIYA!!』を発売する際、服部克久に新アレンジを依頼して再レコーディング。このアルバムにはその版が収録されました。 宮田茂樹はのちに、最初のレコーディング時の気持ちについて、衝撃の告白をしています。 引用: 曲は加藤和彦さん、詞が安井かずみさん、アレンジが瀬尾一三さんと大先輩ばかり。しかしレコーディングが始まったとたん、「おやおや」と思ったことは確かです。だって、出てきた音はDr. Buzzard's Original Savannah Bandの”I'll Play The Fool"と”Cherchez La Famme”にそっくりなんですから。パクリですか! と思いましたが、日本のニュー・ミュージックなんてこんなものなのかもね、とその場では口をつぐんでいました。それでも、のどに刺さった魚の骨みたいでいつまでもスッキリとしない気持ちだったんです。 引用終了: それでは、実際に聴いてみましょう! 37年前の本日、デビュー曲「戻っておいで・私の時間」がリリース…竹内まりや、デビュー秘話、のようなもの | 大人のミュージックカレンダーhttp://music-calendar.jp/2015112501 VIDEO Dr. Buzzard's Original Savannah Band - "I'll Play The Fool" 1977VIDEO Dr. Buzzard's Original Savannah Band - Cherchez La Femme どうでしょう? 確かに、これら2曲はアレンジがそっくりですねー。(^o^; 2011年、伊勢丹が創業125周年を迎えるにあたり、再びこの「戻っておいで・私の時間」がテーマソングに決定しました。そして、「戻っておいで・私の時間」は、宮田茂樹のこの新アレンジ版が33年の時を経て蘇ることになったのです。
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戻っておいで・私の時間/竹内まりや(2011 Ver.)竹内まりやの夫、山下達郎は「俳句の季語」に そうそう。山下達郎といえば、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか? 詳しくは、以下の記事をご参照ください。( ^^)/ 「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている?
「山下達郎」は夏と冬、「ユーミン」は冬、「サザン」は夏の季語として使えることをご存じですか?えっ! ウソ?と思えるような話ですが、これは本当です。句会「東京ヘップバーン」が「山下達郎」と「ユーミン」を季語に提案俳句の季語については、認定する特別の機関があるわけではなく、誰もが同じ季節を思い浮かべることができる言葉であれば問題ありません。「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語とすることを提案したの...
竹内まりやの「まりや」という名前の由来は? なお、竹内まりやの生家は、出雲大社正門前にある老舗旅館「竹野家」で、4女2男の6人兄弟の三女。 世界で通じるようにとの父親の考えから、「まりや」と名づけられました。 また、デビュー後、当初は安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などの提供曲を歌っていましたが、これに飽き足らず、次第に自らも作詞・作曲を手がけるようになっていったのは周知の通りです。「SEPTEMBER」も名曲 そうそう。竹内まりやといえば、「SEPTEMBER(セプテンバー)」も名曲です。 お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。 「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ
今日は、竹内まりやの「SEPTEMBER」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根