「挽歌(ばんか)/由紀さおり」 - オリコン15位を記録したヒット曲|制作の背景と面白い裏話を厳選して紹介!
- 名曲紹介
- 2016年11月20日
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「挽歌」は、1974年09月01日に発売された、オリコン15位を記録したヒット曲です。
由紀さおりが“再び大人の歌謡曲の世界で存在感を示した転機の一曲”で、制作の背景には作詞家・千家和也の職人的こだわりと、当時の歌謡界の空気が濃厚に反映されています。さらに、ヒット後の紅白出場では、“沢田研二の対抗馬”として配置されるという、非常に高い評価を受けた曲でもあります。
この記事では、由紀さおりの人物紹介、「挽歌」の楽曲紹介、制作の背景、ヒットの経緯、面白い裏話厳選3話、そして姉安田祥子との歌手活動の詳細をわかりやすく解説します。
写真は、こちらからお借りしました。
由紀さおりってどんな人?
由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。
由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。
が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。
1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。
この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。
「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ
今回は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。
そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。
「挽歌」名曲紹介
さて、それでは早速、そんな由紀さおりの、1974年09月01日に発売された通算20枚目のシングルである「挽歌」をどうぞ。挽歌/由紀さおり
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位15位を記録しています。
「挽歌」制作の背景
作詞は家和也、作曲は浜圭介
「挽歌」は 1974年(昭和49年) に発売されたシングルで、作詞は山口百恵の楽曲を多数手がけた千家和也、作曲は歌謡界の大御所・浜圭介です。千家和也は、情景描写と“女性の心の揺れ”を繊細に描くことで知られる作詞家で、「挽歌」で冒頭がいきなり 「やはり…」、2番が 「たぶん…」 で始まる構成は、彼の“つかみの巧さ”が光っています。
大人の歌謡曲への回帰
「夜明けのスキャット」(1969)でブレイクした後、由紀さおりはポップス・歌謡曲・童謡など幅広いジャンルを歌っていましたが、「挽歌」は “哀愁のある大人の恋歌” として、彼女の歌唱力を再び強く印象づけた作品と評価されています。(複数のレビューの傾向からの推察)「挽歌」ヒットの経過とその後
20万枚弱のヒット
「挽歌」は、約20万枚弱のヒットとなり、由紀さおりが再び脚光を浴びるきっかけになりました。紅白歌合戦での“特別な扱い”
翌年の1975年に行なわれた「紅白歌合戦」で、由紀さおりはこの曲を歌唱。歌唱順は 25組中23番目で、当時トップスターだった 沢田研二の“対抗馬”として配置されるという、非常に高い扱いを受けました。
これは、当時の紅白で、“スター同士を対にする”演出がよく行なわれていたためで、由紀さおりが 「大御所ポジション」 として扱われていたことを示す裏話です。
「挽歌」の面白い裏話・エピソード
① 「銀座万葉集」には収録されていなかった
「挽歌」がヒットした直後に発売されたアルバム『銀座万葉集』には、なぜか「挽歌」が収録されていないという不思議な事態が起きています。
そのため、翌年に「挽歌/季節風」を中心にした新アルバムが改めて制作されました。
これは当時のレコード会社の編成方針が影響したと考えられています(推察)。
② “バスを待つ → バスに乗る”という構成美
歌詞の構成が非常に巧妙で、1番で 「バスを待つ」、2番で 「バスに乗る」 と、
情景がきれいに対応していることがファンの間で“職人芸”として語られています。
③ 由紀さおりの歌唱力が“最優秀歌唱賞”の象徴として語られる
「挽歌」そのものの裏話ではありませんが、由紀さおりは過去に日本レコード大賞で 「最優秀歌唱賞」を受賞しており、「挽歌」もその“圧倒的な歌唱力”を象徴する曲としてしばしば語られます。姉・安田祥子との歌手活動
結成初期:1986年から姉と童謡コンサートをスタート
・1985年には、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、1986年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになります。同年の暮れには、第28回日本レコード大賞企画賞を受賞し、童謡ブームの火つけ役となります。
1987年に「紅白歌合戦」出場
・1987年には「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演します。
1992年・第43回においては自身唯一の紅組トリを務め、2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌っています。
童謡・唱歌~歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌まで幅広いレパートリー
・実姉の安田とのレパートリーは、童謡・唱歌に留(とど)まらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌など多ジャンルに渡っています。特に、スキャットで唄った「トルコ行進曲」は、1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」で披露されたことで一躍全国に認知。
X JAPANのTOSHIも「由紀と言ったら、トルコ行進曲」と歌番組共演時にリクエストするなど、姉妹の代表曲として知られています。
・由紀さおりは、現在でも各地で精力的にコンサートを行なう一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行なっています。