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2014年11月08日

「僕が僕であるために/尾崎 豊」 - 名曲のご紹介


今日は、尾崎 豊の「僕が僕であるために」のご紹介です。

僕が僕であるために/尾崎 豊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年11月29日 - 1992年4月25日)は、東京都練馬区出身のミュージシャン、シンガーソングライターです。

尾崎 豊は、1983年にシングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビューをします。

破滅的で体当たりなパフォーマンスや、自己の内面をえぐり出すような赤裸々な歌詞の中で、真実の愛や夢、生きることの意味を追い求めて、学校・社会の不条理に立ち向かう魂の叫びのようなその音楽の世界が、1980年代から1990年代の初めにかけて、若者を中心に多くの人の共感を得て、尾崎 豊はカリスマ的存在となります。

尾崎 豊に強い影響を与えたミュージシャンには、ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、浜田省吾、佐野元春、井上陽水、アナーキー、甲斐バンドらがいます。

1992年、26歳のときに、突然死。※
このあまりにも早すぎる死は、社会的にも大きな衝撃を与えます。

実際、死後20年を経過する現在においてもなお、尾崎豊のファンは減るどころか逆に増えており、また彼が遺した曲の数々は、多くのアーティストにカバーされ続けています。

今日は、1983年に発売された尾崎豊のファースト・アルバム、「十七歳の地図」の中から、「僕が僕であるために」をどうぞ。


僕が僕であるために/尾崎豊

この曲の歌詞はこちら

この曲の英題は「MY SONG」(マイ・ソング)で、ライブでも度々演奏されていた曲で、制作段階とは歌詞がかなり異なっています。
1997年に放送されたテレビドラマ「僕が僕であるために:、2011年のテレビドラマ「鈴木先生」において、主題歌として使用されました。

2004年には、トリビュートアルバムにおいて、「Mr.Children」がこの曲をカバーしています。
また、2009年には中村あゆみが、そして2010年にはmiwaによるカバー版が、映画「カラフル」のイメージソングとなっています。

尾崎豊 十七歳の地図 収録曲

Side 1
1.街の風景
2.はじまりさえ歌えない
3.I LOVE YOU
4.ハイスクール Rock'n Roll
5.15の夜

Side 2
1.十七歳の地図
2.愛の消えた街
3.OH My LITTLE GIRL
4.傷つけた人々へ
5.僕が僕であるために


ちなみに、このアルバムのタイトル曲である「十七歳の地図」という曲は、当時大学生だった尾崎豊が、学校帰りにビルの屋上から街並みを眺めていたときに思いついた曲ということです。

このエピソードの詳細については、以下のページをご覧下さい。

「十七歳の地図」 - 名曲のご紹介
http://musingbuff.blog.shinobi.jp/Entry/572/


※尾崎豊が倒れていた、東京都足立区千住河原町の民家の部屋は、1人の女性ファンが毎日訪問した事をきっかけに、所有者の好意によってファンに開放され、「尾崎ハウス」と呼ばれてファンの交流の場になっていましたが、2011年10月に、改築のため解体されました。


「尾崎ハウス」取り壊し―自宅開放の家主「一生は付き合えない」
若者の孤独と挫折を歌い、人気絶頂のなかで1992年急逝した歌手の尾崎豊の終焉の地につくられた「尾崎ハウス」(東京・足立区)が、きのう3日(2011年10月)取り壊しになった。築65年というだけでなく、ある意味が込められていた。

尾崎が亡くなったのは1992年4月25日。足立区の小峰忠雄さん(72)の敷地内だった。小峰さんは「女房が見つけたんだよ。素っ裸になって空手の型みたいなのをやっていたらしい。(尾崎豊だと)知らない、知らない」という。

尾崎はそこで倒れ還らなかった。追悼式には4万人が集まった。石原裕次郎が3万5000人、 美空ひばりが4万2000人 だから、その人気がいかに高かったかがわかる。そしてファンは倒れた現場、小峰さん宅を訪れるようになった。
小峰さんは「(女の子たちが)毎日来て泣いてるからさ、家にあげていろんな話をきいてやった」という。自宅1階の6畳間を開放した。ファンはこれを「尾崎ハウス」と呼び、室内に写真やイラストを張り巡らし、交流の場としてきた。

取り壊しの日、ファンは集まってきた。「思い出の場所がなくなるのは寂しい」という若い人。なかで「寂しさはないですね」というのは、ここで出会って結婚したという小座間高雄さん夫妻だ。「(小峰さんが)尾崎豊という人から卒業して、息子さん夫婦と幸せになってもらいたいなと思う。受け入れてくれた感謝だけです。寂しさはない」
取り壊しの主な理由がこれだった。小峰さんは「息子たちに言われた。このままだと一生つきあわなければならないからと。じゃあ思い切って建て直して、『尾崎ハウス』をやめようとなった」という。
(2011/10/ 4 12:27)

「尾崎ハウス」取り壊し―自宅開放の家主「一生は付き合えない」
http://www.j-cast.com/tv/2011/10/04108954.html?p=all


なお、尾崎豊の死因については、以下のサイトで深い考察がされています。

尾崎豊の死因3
http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki3.htm



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