Super源さんの音楽ブログ

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「空よ/トワ・エ・モア」 - 「あなたのメロディー」から生まれた名曲!結成の経緯とデュオ名の由来&その後は?

今回は、トワ・エ・モワの「空よ」のご紹介です。
「空よ」は、発売後、オリコンチャートで最高順位13位を記録するヒット曲となりました。
が実は、面白いことに、この曲はプロの手による作品ではありません。なんと、作詞・作曲ともにアマチュアの方が作った曲なのです!
当時NHK総合で、視聴者からオリジナル曲を募集し、優れた作品をプロの歌手が歌って発表する「あなたのメロディー」という番組があり、そこで生まれた曲なのです。
この記事では、「トワ・エ・モア」のデュオ紹介と「空よ」の名曲紹介、「トワ・エ・モア」結成の経緯と芥川澄夫が明かした名前の由来、そしてその後どうなったのかをわかりやすく解説します。

空よ トワ・エ・モア ジャケットイメジ
写真はこちらからお借りしました。

「トワ・エ・モワ」 ってどんなデュオ?

「トワ・エ・モワ (Toi et Moi)」 は、日本の歌謡ポップデュオです。
1969年にスクールメイツのメンバーだった山室英美子(現:白鳥英美子)と、歌手志望だった芥川澄夫の二人で結成されました。山室英美子の娘は、シンガーの白鳥マイカです。

1969年5月10日、渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)より「或る日突然」でデビューしますが、これが大ヒットとなります。
そして、その後「空よ」、「虹と雪のバラード」、「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「地球は回るよ」「愛の泉」など数多くのヒット曲を出し、1960年代後半から1970年代前半にかけて流行した、和製ラウンジ系ポップの先駆けとなります。
 

「或る日突然/トワ・エ・モア」 - 週間オリコンチャートで4位を記録した、デビュー曲にしてヒット曲! トワ・エ・モア結成のいきさつも解説|Super源さんの音楽ブログ


今日は、トワ・エ・モワの「或る日突然」のご紹介です。トワ・エ・モワは、この曲でデビューしましたが、これがオリコンチャートにおいて最高順位16位、1971年度年間86位を記録する大ヒットとなりました。この記事では、トワ・エ・モワというデュオの紹介、「或る日突然」の楽曲紹介、


「空よ」名曲紹介

さて、それでは早速、1970年03月25日に発売された、彼らの通算4枚目のシングルである「空よ」をどうぞ。
 
空よ/トワ・エ・モア

いい曲ですねー。(^o^)
アレンジもいいですね。(^^)

「空よ」は、NHKの「あなたのメロディー」から生まれた名曲

「空よ」は、発売後、オリコンチャートで最高順位13位を記録するヒット曲となりました。
が実は、プロの作家の手によるものではありません。
作詞・作曲ともに、難波寛臣(なんば ひろおみ)というアマチュアの方が作られています。

当時NHK総合で、視聴者からオリジナル曲を募集して、その中から優れたものを選んでプロの歌手が歌って発表する「あなたのメロディー」という番組があったのですが、そこで生まれた曲です。
トワ・エ・モワはこの曲で、NHK紅白歌合戦(第21回 (1970年))に初出場を果たしました。

なお、この「あなたのメロディー」から生まれた曲には、他に北島三郎の「与作(よさく)」、青江三奈の「盛岡ブルース」、八代亜紀の「海猫」、やまがたすみこの「風を見たよ」「海のおくりもの」、石川ひとみの「パープルミステリー」、テクノ・ポップへの大胆なアレンジが話題を呼んだ「コンピューターおばあちゃん」、童謡の定番として歌われている「おへそ」などがあります。

「トワ・エ・モア」結成の経緯

「トワ・エ・モア」は、比較的“自然な流れ”の中から結成されました。
ざっくり言えば、「個々に活動していた2人が、音楽業界のプロデュースによって組まされたユニット」で、そこから時代のフォークブームに乗って一気に人気が爆発した、という流れです。
もともと、メンバーの
  • 芥川澄夫
  • 白鳥英美子
の2人は、それぞれ音楽活動をしていました。

芥川澄夫は、フォークグループの活動などを通じて音楽業界に関わっていた人物。
白鳥英美子は、清らかな歌声で注目されていた新人歌手でした。

この2人が、音楽関係者(レコード会社やプロデューサー)の意向で引き合わされ、「男女デュオとしてやってみよう」という形で結成されたのが始まりです。
つまり、バンドのように自然発生的に集まったというよりは、“プロデュース主導型のユニット”でした。

デビューと成功

「トワ・エ・モア」は、1969年にデビューし、同年に発売した

或る日突然

が大ヒット。これにより一躍人気デュオとなり、その後も

虹と雪のバラード(札幌オリンピックのテーマ曲)

などで広く知られる存在になります。

「トワ・エ・モア」の名前の由来は、六本木のスナックだった!?

2020年2月1日、トワ・エ・モアはTOKYOU MXの「ミュージック・モア」に出演した際、名前の由来を明かしています。

最初、デュオ名はメンバーである芥川澄夫と山室(現白鳥)英美子両方の名前を取って、「アク&エミ」と名付けられそうになったといいます。
それが、「トワ・エ・モア」になった経緯は、以下の通りです。

当時、六本木の坂道を少し下りたところに、「トワ・エ・モア」というスナックがありました。
トワ・エ・モアという名前は、そこに行っていた人によってつけられた名前です。

この時のことを振り返り、白鳥英美子は、
「最初(アク&エミと)言われたの」
芥川澄夫は、
「今思うんですけどね、トワ・エ・モアとつけてくれた人、ホントにありがたいです」
と語っています。daily

『あの2人は怪しい』と、週刊誌に書き立てられた2人

当時の男女デュオは、「ヒデとロザンナ」「チェリッシュ」「ダ・カーポ」「紙ふうせん」など、恋人同士や夫婦の組み合わせが多くありました。
しかし、トワ・エ・モワの2人は、恋人でもなく兄弟でもないという、珍しい組み合わせでした。

そのため、白鳥英美子と芥川澄夫の2人も夫婦と思われており、後に2人は、週刊誌に「あの2人は怪しい」と書き立てられて困ったと述べています。

トワ・エ・モアのその後

トワ・エ・モワはその後、1973年6月に解散しますが、1997年8月に、NHKの「思い出のメロディー」に出演して「虹と雪のバラード」を歌ったことがきっかけで、再結成することとなります。

そして、翌年の1998年の長野冬季五輪の際、志賀高原(長野県)で行われた長野オリンピック記念イベントに出演したことを皮切りとして、本格的に音楽活動を再開することになります。

2011年には38年ぶりのオリジナル・アルバムをキングレコードより発売。その後も音源発表やコンサート活動などを続けています]。

ファンの方は、以下のサイトへもどうぞ。

白鳥英美子公式WEBサイト
https://emikoshiratori.net/