Super源さんの音楽ブログ

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「青春の坂道/岡田奈々」 - 「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌 岡田奈々の曲の中では管理人一押しの曲!

今日は、岡田奈々の「青春の坂道」のご紹介です。

青春の坂道 岡田奈々 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やいひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市鏡島出身の女優、元歌手です。

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日、16歳でシングル「ひとりごと」がNAVレコードより発売され、歌手としてデビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。

今日ご紹介する「青春の坂道」は、通算4枚目のシングルで、月刊誌「明星」(集英社)で歌詞を一般公募し、入選した中司愛子の歌詞を原案に、松本隆が作詞、森田公一が作曲したものです。

それでは早速、1976年3月10日に発売された、その「青春の坂道」をどうぞ。

青春の坂道/岡田奈々

 この曲の歌詞はこちら。 

♪ペンキのはげた ベンチに
手のひらを あててると
君のいた ぬくもりを
今も 感じます♪

歌詞のこの部分が、心に残る名曲です。
「青春の坂道」は、「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌、松竹映画「青春の構図」の挿入歌となったこともあり、当時オリコン最高位23位、売上10.6万枚を超えるヒットとなりました。

「青春の坂道」のレコードは「俺たちの旅」で流れた後に発売

1976年3月7日に放送された「俺たちの旅」のサブタイトルは、「少女はせつなく恋を知るのです」で、カースケに片想いをする真弓の想いを描いた物語でした。
そして、この回の劇中に流れたのが「青春の坂道」です。

さらに、この放送の3日後の3月10日に、岡田奈々の通算4枚目のシングルとしてNAVレコード(現:ポニーキャニオン)から「青春の坂道」は発売されました。

前述したように、この曲の作詞は松本隆、作曲は「青春時代」でおなじみの森田公一。
松本隆は、岡田奈々のデビュー曲から7枚目のシングルまで、ずっと作詞を担当していて、岡田奈々のイメージは、彼女のルックスや佇(たたず)まいも含め、どこか「女学生」という言葉が似合うものでした。
実際、女学生が似合う岡田奈々は、当時まさに清純派アイドルでした。

岡田奈々のその後

岡田奈々は、20歳となった1979年からは女優業に本格転向し、短期大学は中退します。
その後は、「戦国自衛隊」(1979年)、「里見八犬伝」(1983年)といった全盛期の角川映画や、「スクール☆ウォーズ」(1984年10月 - 1985年4月)などの大映ドラマで活躍します。

10代の頃、石井輝男監督の東映最後の作品「暴力戦士」(1979年)に出演した縁で、石井監督の劇場用映画への復帰作「ゲンセンカン主人」(1993年)、「無頼平野」(1995年)に出演し、ヒロインを演じます。
石井監督は「彼女のような顔が、好み」だといいます。

また、映画「ラブ&ポップ」(1998年)やテレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」(2001年)において、岡田奈々は独身ながら、主人公の母親役を演じています。
近年では、清純派を脱皮する演技力を見せています。

岡田奈々の自宅軟禁事件、エピソードあれこれ

1977年3月、7月15日未明、自宅に窓から暴漢が押し入る事件が起きました。
犯人は、岡田奈々を果物ナイフで切りつけ、右手親指の付け根と左手の掌に30針の重傷を負わせるなどした後、翌朝7時に玄関から出て行ったといいます。

所属事務所は、急遽(きゅうきょ)記者会見を開き、岡田奈々は両手を包帯につつまれて登場、事件の顛末を説明しました。

岡田奈々 暴漢に襲われ 両手に包帯姿
出典:https://weekly-jitsuwa.jp/uploads/2021/12/okada_nana.jpg

当時、岡田奈々はテレビドラマ「俺たちの朝」にレギュラー出演中でしたが、事件の2日後には仕事を開始したといいます。
なお、この事件の犯人はその後も捕まらず、その後時効が成立しました。

岡田奈々には姉がおり、岐阜市にある乙津寺(おっしんじ )の住職と結婚し、現在同寺のお庫裏(くり)さんとなっているということです。
そして、節分の日の豆まきなど、乙津寺(おっしんじ )で行なわれるイベントなどで、サプライズゲストで妹の奈々が呼ばれるときがあるようです。

なお、声優の水樹奈々の名前は、岡田奈々と同じですが、これは水樹奈々の父親が岡田奈々の大ファンで、これが名前の由来となっているそうです。

なお、AKB48の岡田奈々(愛称なぁちゃん)は、同姓同名の別人です。

「若い季節」もおススメ!

岡田奈々の名曲といえば、「若い季節」もおススメです。
この曲の歌詞の世界は、となりの下宿に住んでいる「あいつ」を女の子が紹介するもので、「俺たちの旅」の世界を踏襲(とうしゅう)しています。


「若い季節/岡田奈々」- オリコン36位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

「若い季節/岡田奈々」- オリコン36位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

以前、岡田奈々の「雨のささやき」をご紹介しました。 「雨のささやき/岡田奈々」 - アルバム「憧憬 (あこがれ) 」に収録されていた隠れた名曲|Super源さんの音楽ブログ以前、岡田奈

ということで、もしお時間が許せば、「俺たちの旅」つながりということで、この曲もお聴きになってみてください。
こちらは、明るく楽しい曲ですよ。(^^)

「最後の言い訳/徳永英明」 - ドラマ『直木賞作家サスペンス』主題歌 面白い制作背景エピソードを紹介!

今回は、徳永英明の「最後の言い訳」のご紹介です。
「最後の言い訳」は、1988年に発売された関西テレビ・フジテレビ系ドラマ『直木賞作家サスペンス』の主題歌に使われた曲で、当時徳永英明が歌ってヒットしました。この曲は、麻生圭子の詞に徳永英明が作曲したもので、作曲をしながら初めて泣いたといいます。 この記事では、徳永英明の人物紹介、名曲「最後の言い訳」の紹介、歌詞の意味、そしてこの曲の興味深い制作背景エピソードをご紹介します!

最後の言い訳 徳永英明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

徳永英明ってどんな人?

徳永英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター、作曲家、俳優です。

徳永 英明は、19歳の時に上京し、アルバイトをしながらミュージシャンを目指します。
そして、6年後の1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりデビューを果たします。

翌年の8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」がヒット曲となり、ブレイクします。この曲が収録されたアルバム『BIRDS』は、マイケルジャクソンの2週連続1位の記録を抜き、オリコンチャート1位を獲得します。

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「輝きながら・・・/徳永英明」 - 徳永英明のブレイク曲! 南野陽子出演、1987年の「フジカラースーパーHR」CMソング 山口県長門市仙崎にはこの曲の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ

今日は、「徳永英明」の「輝きながら・・・」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。徳永英明(とくなが ひであき、本名:同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソ

今日ご紹介する「最後の言い訳」は、1988年に発売された通算6枚目のシングルです。

「最後の言い訳」名曲紹介

さて、それでは早速、「最後の言い訳」をどうぞ。

最後の言い訳/徳永 英明

この曲の歌詞はこちら。  

この曲は、関西テレビ・フジテレビ系ドラマ『直木賞作家サスペンス』の主題歌で、『Ballade of Ballade』に収録されています。

オリコンチャートにおいては、週間4位、1988年度年間100位、1989年度年間69位を記録しています。

麻生圭子の詞に徳永英明が作曲をしたもので、作曲をしながら初めて泣いたといいます。

TBSテレビ「ザ・ベストテン」のランクイン時、同曲のサビ部分を歌唱する徳永が思わず涙をこぼしたことがあり、このシーンは1988年末の「ザ・ベストテン名場面集」でも再度取り上げられています。

「最後の言い訳」の歌詞の意味

冒頭シーン:起き上がれない主人公

「寝たふりがこんなにつらいことだとは/今落ちた滴は涙だね」は、寝たふりをすることで平気なふりを装っているのに、涙が頬を伝ってしまう主人公の様子を表しています。起きて引き留める勇気もなく、ただ横たわったまま別れを受け入れている姿が痛々しいです。

去っていく恋人への配慮

「そして君が出て行く夜明けを待って/暗闇が怖い君のことだから」は、旅立つ恋人への切ない気遣いがにじんでいます。別れを受け入れつつも、彼女が暗い夜道を一人で歩くことを心配してしまう——離れたくても、まだ彼女のことを愛し続けている証拠です。

1番のサビ:「いちばん遠く」へ

「いちばん大事なものがいちばん遠くへいくよ/こんなに覚えた君のすべてが思い出になる」は、自分の中で最も大切な存在が、最も遠い場所へ行ってしまうこと。そして、彼女と過ごした日々のすべてが回想録になってゆく寂しさを歌っています。

2番:彼女を気遣う強がり

「誰からも君なら好かれると思う/心配はいらない寂しいよ」は、別れた後の彼女を気遣う言葉です。大丈夫だろう、誰かが彼女を大切にしてくれるだろうと言い聞かせつつ、「寂しいよ」と本音が漏れてしまう——このギャップが、別れを受け入れきれない主人公の未練を際立たせています。 「無理に僕のためだと/さよならの理由/思ってる君だからせつなくて」は、彼女が「あなたのため」と自分に言い聞かせて別れる決断をしてくれたのだろうと想像する主人公を描きます。その健気な思いやりがかえって切なく、彼女への愛が本物だったことを再確認する瞬間です。

2番のサビ:核心のフレーズ

「いちばん近くにいてもいちばん判りあえない/こんなに愛した僕のすべてが言い訳になる」は、愛しているのに分かり合えないもどかしさと、愛したすべてが別れを受け入れるための"言い訳"になってしまう皮肉を表現しています。

タイトル「最後の言い訳」の意味

このタイトルには複数の意味が込められています。 一つは、愛したすべて(=一緒の時間、思い出、共有した価値観)が、別れを正当化するための言い訳にされてしまう皮肉。サビの「こんなに愛した僕のすべてが言い訳になる」と直結しています。

もう一つは、去っていく側の恋人に向けた呼びかけ。彼女が「あなたの幸せのために」と別れの理由を述べるとき、それが実は彼への最後の言い訳なのだと主人公は気づいています。自分もまた、「大丈夫、彼女はもっといい人を見つけるだろう」と自分に言い聞かせている——それもまた、自分への最後の言い訳なのです。

「最後の」という語は、もうこれ以上の言い訳は通用しない、これで本当に終わりなのだという諦めと寂しさを併せ持っているのです。

「最後の言い訳」の制作背景エピソード

作曲中に泣いた徳永英明

「最後の言い訳」には、作曲家徳永英明自身の実体験が色濃く反映されています。 作曲中、徳永は曲が完成するまで泣いた——作詞を担当した麻生圭子の詞に、初めて涙したといいます。

1988年11月17日のTBS『ザ・ベストテン』出演時、サビを歌いながら涙が頬を伝うシーンが放送され、話題になりました。徳永は当時交際していた彼女と別れたばかりで、歌いながらその辛さを思い出してしまったと語っています。

歌詞は、徳永自身の実体験に根ざしたもの

このエピソードからも、「寝たふりをして離れていく恋人」への共感は、徳永自身の実体験に根ざしていることがうかがえます。

「いちばん近くにいてもいちばん分かり合えない」

という歌詞は、恋人同士でも避けることのできないすれ違いの悲しみを、痛いほど正直に描いています。

まとめ

「最後の言い訳」は、起き上がって引き留める勇気もなく、恋人が出ていく音を聞きながら涙を流す主人公の姿を通して、愛する人には必ず別れが来る、最も大切なものは最も遠くへ行ってしまう、しかしそれでも相手を気遣い続ける——そんな愛の矛盾と切なさを歌い上げた名曲です。タイトルに込められた「もう言い訳は通用しない」という諦めと、それでもなお相手を思いやる主人公の心情が、聴く者の胸を打つ所以でしょう。


「潮風の少女/堀ちえみ」 - 後に「スチュワーデス物語」主演で脚光を浴びる堀ちえみのデビュー曲

今日は、堀ちえみの「潮風の少女」のご紹介です。

潮風の少女 堀ちえみ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

堀ちえみ(ほりちえみ、1967年2月15日 -)は、大阪府堺市東区出身の歌手、女優、タレントで、本名は加藤智栄美(かとうちえみ、旧姓:堀)です。

堀ちえみは、1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝がきっかけで芸能界入りし、1982年に歌手デビューをします。

その翌年の1983年、TBSで放送されたドラマ「スチュワーデス物語」の主演で脚光を浴び、「教官!」「ドジでノロマな亀」のセリフは当時の流行語となり、 翌1984年に新語・流行語大賞にノミネートされ、大衆賞を受賞しました。

今日ご紹介する「潮風の少女」は、彼女のデビュー曲です。

それでは早速、その「潮風の少女」をどうぞ。


潮風の少女/堀ちえみ

この曲は、前述したように堀ちえみのアイドル歌手としてのデビュー曲で、オリコンチャートにおいて、最高順位27位を記録しています。
デビュー当時のキャッチフレーズは、「GOOD FRIEND(グッド・フレンド)」でした。

堀ちえみはこの曲で、フジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』や、TBSテレビ系列『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーなど、テレビ歌謡生番組への初出演を果たします。
また、『スチュワーデス物語』以外にも、『スタア誕生』や『花嫁衣裳は誰が着る』にも主演。

そして、

「少女がいじめや冷酷な仕打ちに耐え、最後に幸運を手に入れる」

という、1980年代の大映ドラマを象徴するキャラクターを演じました。