Super源さんの音楽ブログ

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「メモリーグラス/堀江淳」 - 70万枚の大ヒットとなったデビュー曲&仰天エピソード3選も紹介!

今回は、堀江淳の「メモリーグラス」のご紹介です。
「メモリーグラス」は、1981年に発売されたデビュー曲で、楽曲の良さにくわえて堀江淳の中性的な容姿・声も話題になり、70万枚の大ヒットとなった曲です。
この記事では、堀江淳の人物紹介、「メモリーグラス」の楽曲紹介、曲誕生のきっかけ、当時世間を騒がせた「堀江淳死亡説」、天狗になって小堺堺一にネタにされた話など、堀江淳と「メモリーグラス」にまつわる仰天裏話を3つ厳選してご紹介します!

メモリーグラス 堀江淳 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

堀江淳ってどんな人?

堀江 淳 (ほりえ じゅん、1960年10月19日 - )は、北海道苫小牧市出身のシンガーソングライターです。
元祖歌謡ファンクごちゃまぜポップスバンド、米米クラブなどで活躍するパーカッショニストの三沢またろうは中学の同級生。

堀江 淳は、1979年に、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)の第1回SDオーディションに合格し、1981年、「メモリーグラス」でデビューをします。
その中性的な容姿・声も話題になり、デビューシングルは70万枚の大ヒットとなり、オリコン最高3位を記録します。

1994年、ビクターエンタテインメントへ移籍し、アルバム「微風通信」を発売。
そして1998年に、ユニット「spoon」を結成。
ライブ活動やM、インターネットテレビへの出演し、アニメ「ドキドキ伝説 魔法陣グルグル」のEDテーマを手がける等の活動を行ないますが、2004年に活動を休止。

以後、ソロ活動に戻り、ラジオ出演、他ミュージシャンのプロデュース、楽曲提供など地道に活動を続けます。

「メモリーグラス」名曲紹介

今日はそんな堀江 淳 の、デビュー曲である「メモリーグラス」をどうぞ。
 
メモリーグラス/堀江淳

「メモリーグラス」誕生のきっかけ

「メモリーグラス」誕生のきっかけは、ある日の日中のことでした。
堀江 淳が東京・広尾の交差点で信号待ちをしていたときに、「水割りを下さい。涙の数だけ」という歌詞とメロディーが思い浮かび、これを元に書き上げたてできたのがこの曲です。

堀江 淳は、以前酒を提供する店でアルバイトしていた時期があり、そのときの、客の「水割りを下さい」という言葉が耳に残っており、そこからインスピレーションを膨らませたということです。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィーッ!
” ( '_') ゴキゲンダネ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン サ。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォーッ!

また、「メモリーグラス」には水割りが登場しますが、本人は「水割りは苦手な堀江淳です」と述べています。
飲むのはもっぱらお湯割りの方で、「水割りをください」といったことは1度もないといいます。

堀江淳の仰天エピソード3選

1. 堀江淳は死んだ? 「堀江淳死亡説」流れる

「メモリーグラス」のヒットからしばらく経った1983年、「交通事故に遭って負傷した」と報道されたことが原因とみられる死亡説が流れたことがあります。

堀江淳は、その噂が立った時、自ら健在であることをアピールするために「“生きてますよ”コンサートツアー」と銘打ったツアーを挙行しました。
しかし、生きているのを知ったのは、このツアーの会場に来たファンのみで、世間では、依然として死亡説が消えませんでした。

そうこうするうちに、さらには「堀江淳アジア移住説」なるものが流れ、「堀江淳をタイで見た」等の目撃証言等も報じられました。
が、本人は、「僕はタイに行った事ないから」と語っています。

さらには、地元の苫小牧市の水道局に、偶然にも同姓同名の職員がいて、「堀江淳は苫小牧に帰り公務員になった」という噂まで流れたといいます。

2. 天狗になって小堺一幾にネタにされた堀江淳

小堺一機(こざかい かずき)が、『ザ・トップテン』でレポーターを務めていたときのことです。
最初は、

「小堺さん、よろしくお願いします」

と腰が低かったのですが、人気が上がっていくにつれて、

「小堺さん」→「小堺君さぁ」→「おい、小堺!」

と、分かりやすすぎるくらいに天狗になっていきました。
これを小堺一機と関根勤が担当していたラジオ番組「コサキン」で、ネタにされていました。

ホント、いるんですよねー、こういう人間が…【><】

3. これはビックリ!「研ナオコではなく僕が歌ったから売れた」

「メモリーグラス」は、ある日堀江淳が事務所へ行く途中、地下鉄広尾駅に向かう交差点で信号待ちをしていた時、突然『水割りをください 涙の数だけ』という歌詞とメロディが同時に降りてきたことから制作が始まりました。

歌詞は、ディレクターとやり取りして何度も書き直し、1カ月をかけてようやく完成しました。

じつは堀江淳は、この曲の制作途中、この曲を「歌ってほしい」と考えた歌手がいたといいます。
それは、研ナオコでした。
しかし結局は、自分で歌うことにしました。

のちに堀江淳は、この時のことを振り返り、以下のようにコメントしています。

「研ナオコさんがいいなと思ってたんですよ。(中略)(でも)もし研さんの曲として出てたら、そんなに売れなかったと思うんだよね。僕の声だったからこそ、あそこまで売れたんじゃないかなと今は思いますね」