Super源さんの音楽ブログ

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「もうひとつの土曜日/浜田省吾」 - アルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」に収録されている名曲

今日は、浜田 省吾の「もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)」のご紹介です。

もうひとつの土曜日 浜田省吾 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

浜田 省吾(はまだ しょうご)は、1952年12月29日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライター、ロックミュージシャンです。

浜田 省吾は、1975年、愛奴(あいど)というバンドを結成し、「二人の夏」でドラムス※としてプロ・デビューしたのですがうまく行かず、1976年に「路地裏の少年」でソロ・デビューをします。


「路地裏の少年/浜田 省吾」 - サングラスがトレードマークである浜田省吾のデビュー曲 |Super源さんの音楽ブログ


今日は、浜田 省吾の「路地裏の少年」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。 浜田 省吾(はまだ しょうご)は、1952年12月29日生まれ、 広島県竹原市出身のシンガーソングライタ


ソロ初ライブは同年4月5日、「渋谷屋根裏」で、ロック志向の本人にとっては不本意ながら、予算の都合上、生ギター1本のスタイルで全国ライブ巡業を開始。
直後に、矢沢永吉のフィルムコンサートの前座を務めます。

また、アイドル歌手時代の竹内まりやとジョイント・コンサートも行なったり、地方のバンドと合体してステージをこなしたりと、歌わせてもらえる所ならどこでも、レコード店の店頭はもちろん、スーパーマーケットの催し、果てはバーのカウンターの中でも歌います。

ソロ活動を行う浜田に、前バンド仲間の町支寛二が合流し、同年12月に愛奴は解散しています。

ちなみに、デビュー時から、サングラスが彼のトレードマークです。

今日は、そんな浜田省吾の、2002年に発売されたアルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」の中から「もうひとつの土曜日」をどうぞ。
 
もうひとつの土曜日(WE ARE STILL ON THE ROAD)/浜田省吾

この曲の歌詞はこちら


いやー、いい曲ですねー。(^o^)
実は私は、この曲を先日初めて聴いたのですが、一聴して気に入ってしまいました。(^.^)

浜田省吾にまつわるエピソードあれこれ

・同じ事務所の後輩であるスピッツとも交流があり、1995年のシングル「我が心のマリア/恋は魔法さ」で共演しています。
まだほとんど売れていなかったデビュー時から、スピッツの音楽性を高く評価しており、「ロビンソン」で彼らがブレイクしたときには「自分のことのように嬉しい」と述べています。

なお、このアルバムには、以下の曲が収録されています。

アルバム「WE ARE STILL ON THE ROAD」の収録曲

1.“Blue Sky”(Instrumental)
2.路地裏の少年
3.“There's No Business Like Show Business”
4.A NEW STYLE WAR
5.MONEY
6.LOVE HAS NO PRIDE
7.君の名を呼ぶ
8.Part of “Midnight Cab”
9.モノクロームの虹
10.さよならゲーム
11.Part of “God's Little Helper”
12.Prologue of “LET SUMMER ROCK '99”
13.勝利への道
14.星の指輪
15.J.BOY
16.もうひとつの土曜日
17.ON THE ROAD
18.終りなき疾走
19.悲しみは雪のように
20.演奏旅行
21.“Blu Sky”(Instrumental)

浜田省吾のエピソードあれこれ

・俳優の時任三郎とは、1980年代からの交友があり、1985年に「WALKING IN THE RAIN」という楽曲を提供しています。
2005年には、「I am a father」のプロモーション・ビデオに時任三郎が出演しています。

・田原俊彦は、デビュー前に「MIND SCREEN」を聴いて浜田省吾のファンになり、デビュー後にこのアルバムに収録された「ダンシング・レディ」をテレビで歌ったことがあります。
また、「明星」1987年1月号で対談もしています。

・元航空幕僚長の田母神俊雄は、「もうひとつの土曜日」がカラオケの十八番だということです。

・明石家さんまを、自身のラジオ番組のゲストに呼んだ際には、「瀬田のスポーツジムで見たさんまのマナーが悪い」と、面と向かって説教を始め、「ボクがゲストやから」と笑いで済まそうとするさんまを無視して説教を続け、さんまを黙らせてしまったことがあります。