Super源さんの音楽ブログ

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「ロマンス/ガロ」 - 28万枚以上を売上げた、管理人一押しの名曲! グループ名の由来は?

今日は、ガロの「ロマンス」のご紹介です。

ロマンス ガロ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した、フォークロックグループです。

メンバーは、

・堀内護(MARK(マーク)、ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、シタール、ピアノ、スペリオパイプ)
・日高富明(TOMMY(トミー)ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、琴)
・大野真澄(ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、ピアノ)

の3人。

ガロは、全員が生ギターとボーカルを担当しているのが基本的な編成です。
1973年に、「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし、一世を風靡(ふうび)しました。
 

「君の誕生日/ガロ」 - オリコン・シングルチャート第1位を獲得した名曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ガロの「君の誕生日」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した、フォークロックグループです。メンバーは、・堀内


ガロは、元々は「CSN&Y(Crosby, Stills, Nash & Young(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング))」や「ブレッド」の影響下にあったバンドで、彼らのグループの楽曲もレパートリーに加えていたこともあり、当時はその卓越したコーラスワークとギターテクニックで「和製CSN&Y」と称されていました。

近年では、「ソフトロック」というジャンルにおいて、また、アルバム『CIRCUS』『吟遊詩人』ではプログレッシブ・ロック的な、そして、『三叉路』ではハード・ロック的なアプローチをしたこともあり、ロックバンドとしても再評価されています。

今日は、そんなガロの、1973年8月25日に発売された6枚目のシングルである「ロマンス」をどうぞ。
 
ロマンス/ガロ

この曲の歌詞はこちら

短調のメロディーに乗せた、希望ある歌詞が素敵です。(^^)
間奏がまた、いいですね。
この曲は、当時オリコンチャート最高3位を獲得し、28万枚以上を売上げます。
そして、1973年度の「第15回日本レコード大賞」で大衆賞を受賞しています。
Lovely hopeful lyrics over a minor melody. (^^)
The interlude is nice too.
The tune reached the third highest position on the Oricon charts at the time, selling more than 280,000 copies.
It also won the Popular Award at the 15th Japan Record Award in 1973.

ガロというグループ名の由来は?

ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャー(初代)で彼ら3人の世話役でもあった中井國二(2011年8月17日没)が、自分の子供にと考えていた「我朗」から名づけられました。
The band name "Garo" was named after "Garo" which Kuniji Nakai (died on August 17, 2011), the first manager of The Tigers at the time and the caretaker of the three of them, had in mind for his own child.

ン?(? ?) それじゃ、彼は自分の子供には一体何てつけたんでしょうね。(@_@)ウーン
もしかして、「ゲロ」?(^ . ^)

キタナイヨ!!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

「ゲロゲロッ! ゲロゲロッ!」

ガロのエピソード

ガロは、山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲、大野克夫編曲の「学生街の喫茶店」のヒットで知られていますが、この曲はもともとは「美しすぎて」のB面で、「学生街の喫茶店」が人気が出たため、後にA面/B面を入れ替えた盤が発売されました。なお、「学生街の喫茶店」のレコードでベースを弾いていたのは「宇野もんど」こと細野晴臣、ドラムを演奏していたのは原田祐臣でした。

当時、日本コロムビアのラジカセのブランドにも「GARO」というブランドが存在し、CMソングに「学生街の喫茶店」を使われていたといいます。

1972年に、明治製菓(現:明治)「チェルシー」のコマーシャルソング『チェルシーの唄』を担当しています。


ゆうちゃん



それじゃ、オレもここでガロのエピソードをひとつ
当時、THE ALFEEがガロのライブスタッフや前座を努めていたことがあるよ


しんちゃん



えっ、本当?


ゆうちゃん


本当だよ
その頃、彼らは所属事務所が同じで、デビューしたてのTHE ALFEEは、ガロの弟分的な位置づけだったんだ


しんちゃん



へえー
そうなんだ
ガロは、西城秀樹と仲が良く、秀樹がドノヴァンの楽曲「ラレーニア(英語版)」を気に入り、1973年にリサイタルのオープニングに「ラレーニア」を使いたいとマークに「日本語で歌ったらヘンかなぁ?」などと相談したら、「いいと思うよ、そうだ、ぼくたちが作詞(日本語詞)して、秀樹にプレゼントしよう。どう?」と伝え、秀樹が「ほんと?だったらすごくうれしいけど」となり、「ラレーニア」の原詩は悲しい娼婦の歌でそのまま訳したのでは無理があるが、美しいメロディにきれいな日本語の詩をつければ、きっと素晴らしいものになると意見が一致し、マークとトミーで書いた日本語詩を秀樹に渡し、秀樹がそれをリサイタルで歌ったことがあります。

南こうせつは、かぐや姫を結成する際、GAROから影響を受けたとアルバム『フォーク・ソング』のライナーノーツで述べています。