[1056] [1055] [1054] [1053] [1052] [1051] [1050] [1049] [1048] [1047] [1046]

2017年12月18日

「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)/沢田研二」 - 名曲のご紹介


今日は、沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)」のご紹介です。

ラブ 抱きしめたい 沢田 研二 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビューをします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。この曲は65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得し、第4回日本歌謡大賞を受賞します。
続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、そんな沢田研二の、1978年9月10日に発売された25枚目のシングルである「LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)」をどうぞ。


LOVE(抱きしめたい)(ラブ だきしめたい)/沢田 研二

この曲の歌詞はこちら

前述した「危険なふたり」から、スタイリストとして、早川タケジが参加。
この曲以降、沢田研二の斬新なファッションが確立されることになります。

1978年に発売された「サムライ」では、刺青(いれずみ)風の模様が施されたシースルーの上に、ハーケンクロイツの腕章が施されたナチスを想起させる軍服を羽織り、この「LOVE (抱きしめたい)」ではスタジオに雨を降らせ、血で染まった包帯を手に巻くなど、どんどん奇抜な方向へとビジュアル化が進んでいきました。

この曲は第20回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、同年の第29回NHK紅白歌合戦でトリをつとめます。

当時、沢田研二は文字通り時の人で、この曲を歌った1978年を例にとれば、年間のテレビ出演700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日で、バックバンドをひきつれて1日3回もテレビに出演。
バラエティ番組にも出演し、沢田研二は「お茶の間のアイドル」として活動していました。

なお、沢田 研二は、1979年にPARCOのテレビCMで全裸で横たわり、上半身裸の新聞全面広告を掲載。
併せて、PARCO各店には手で胸を隠した裸のポスターが貼られ、翌年の1980年2月29日には、写真集「水の皮膚」を発売。

この写真集が、男性歌手としては、初めてのオールヌード写真集となっています。

「♪抱~きしめたい~♪」 ムニャムニャ


なお、この曲は、2004年にロックバンドのBUCK-TICKのボーカルである櫻井敦司によって、2006年にはロックバンドのLUNA SEAのボーカルであった河村隆一によって、カバーされています。


合わせて読みたいおすすめ記事

コメント

コメントする

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字