Super源さんの音楽ブログ

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「走れコウタロー/ソルティー・シュガー」 - 「岬めぐり」で知られるソルティー・シュガーの、1970年発売のミリオンセラー大ヒット曲!

今日は、ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」のご紹介です。

走れコウタロー ソルティー・シュガー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ソルティー・シュガーは、フォークシンガーグループです。

メンバーは、山本厚太郎(山本コウタロー、ボーカル、ギター)、手塚通夫(ボーカル、コントラバス)、佐藤敏夫(ボーカル、バンジョー)、高橋隆(ボーカル、ギター)。

ソルティー・シュガーは、コミックバンドともいわれますが、本来はカレッジ・フォークに属します。
ソルティー・シュガーの前身は、東京都立日比谷高等学校を中心にステージに出ていた高校生バンド、「ワイリット・マン」で、大学進学のときに、佐藤敏夫が抜けることになり、その際、佐藤の名前をバンド名に残そうということで、佐藤敏夫→さとうとしお→砂糖と塩→シュガーアンドソルト→ソルティーシュガーとなったのがその名前の由来です。

1969年12月(昭和44年)に、山本・池田・手塚・高橋の幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビュー。
が、売れたのはわずか3000枚でした。

しかしながら、翌年の1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。
この曲は、同年1970年に行なわれた第12回日本レコード大賞の新人賞を獲得します。

この曲に出てくる馬の名前は、当初は実在の馬の名前の歌でしたが、山本が練習に遅刻してばかりいるので、作詞担当の池田がコウタローに変えました。

ソルティー・シュガーはその後、「日本国有鉄道5月10日の歌」「ハナゲの唄」などのコミックソングも発表します。

今日は、そんなソルティー・シュガーの、1970年5月に発売された2枚目のシングルである「走れコウタロー」をどうぞ。
 
ソルティーシュガー/走れコウタロー
この曲の歌詞はこちら

「走れコータロー」の誕生秘話

この曲はもともと、バンドの練習などの遅刻の常習犯である山本厚太郎に対して、池田謙吉を中心とした他のメンバーが作ったはやし歌です。
そのため、サビの「走れ、走れコータロー」の部分しかありませんでした。
が、当時山本厚太郎と同じ名前の競走馬「コウタロー」が存在したこともあり、競馬の歌として完成することになりました。

高橋隆によれば、この曲は当初、実在する競走馬「ミノル」への応援歌として作るつもりでしたが、語呂が悪いことと、バンドのメンバーである山本厚太郎が練習に遅刻してばかりいるので、「ミノル」を「コウタロー」に変更してこのタイトルとなったといいます。

山本コウタローのその後

山本コウタローはその後、武蔵野タンポポ団、ソロ活動を経て、「山本コウタローとウィークエンド」を結成。
1974年には、大ヒットソング「岬めぐり」を発表します。
 

「岬めぐり/山本コータロー&ウィークエンド」 - オリコン5位!約40万枚を売上げた山本コータロー&ウィークエンド最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。山本コウタロー(やまもとコウタロー、本名:山本厚太郎(やまもとこうたろう)、1948年9


1976年には、山本以外の三人で再結成し、「ソルティー・シュガーII」の名前でシングルを1枚発表します。

2005年から、「山本コウタローとウィークエンド」を、一部メンバーを替えて、「山本コウタローとほぼウイークエンド」として再結成。
ライブ活動を開始します。

2022年7月4日、山本コータローが脳内出血のため死去(享年73歳)。
訃報(ふほう)は、同月の15日に公表されました。

ちなみに佐藤敏夫は現在、現在陶芸家として活躍しています。
また、高橋隆は1976年にビクター音楽産業に入社し、ディレクターとして活躍しました。