Super源さんの音楽ブログ

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「粉雪/レミオロメン」 - テレビドラマ「1リットルの涙」の挿入歌

今日は、レミオロメンの「粉雪」のご紹介です。
レミオロメンは、2000年に結成した日本のロックバンドです。 「粉雪」は、 テレビドラマ「1リットルの涙」の挿入歌として使われ、ドラマの感動的な場面と結びついてヒットしたタイアップ曲です。
この記事では、レミオロメンのバンド紹介、「粉雪」の楽曲紹介、ユニーク過ぎるバンド名の由来、そして「粉雪」の面白い制作裏話を5つ厳選してご紹介します!


「レミオロメン」ってどんなバンド?

「レミオロメン」(Remioromen)は、2000年に結成された、日本のスリーピースロックバンドです。

初期はスリーピースバンドの形をとっていましたが、2005年の『南風』発売以降の楽曲は、必ずしも完全なスリーピースではなく、他の楽器をプラスし収録している楽曲も少なくありません。

ライブにおいても同様で、バック演奏にキーボードやサポートギターが加わる場合が多く、さまざまな曲調の楽曲が演奏可能なバンドであるというのも「レミオロメン」の特徴となっています。

「粉雪」名曲紹介

さて、今日ご紹介する「粉雪」は、2005年に発表されたレミオロメン通算8枚目のシングルです。
作詞・作曲は藤巻亮太、編曲は小林武史とレミオロメンの共同で手掛けられた、テレビドラマ「1リットルの涙」の挿入歌としての使われてヒットした曲です。

それでは早速、「レミオロメン」の「粉雪」をどうぞ。

粉雪/レミオロメン

「レミオロメン」というユニークすぎるバンド名の由来とは?

ます、藤巻亮太(ふじまき りょうた)が、イギリス出身のロックバンドであるレディオヘッドが好きなことから「レ」を、神宮司治(じんぐうじ おさむ)が当時の彼女の名前と自分の名前の頭文字を取って「ミオ」、そして前田啓介(まえだ けいすけ)が路面電車が好きなことから「ロメン」を取り、それらを繋げて「レミオロメン」としました。
これはもう、推測不可能&ユニーク過ぎる命名ですね。

「粉雪」の面白い制作裏話

1. 歌詞の世界観|小林武史とレミオロメンの共同

作詞・作曲は藤巻亮太、編曲は小林武史とレミオロメンの共同で手がけられています。歌詞の内容はすでに終わってしまった恋を、まだ心の中で手放せない男性の姿を描いたもので、ドラマの切ない世界観ともぴったりはまったことが大ヒットの一因と言えます。

2. 異例の発売スケジュール

「粉雪」は、前作「蒼の世界」から1ヶ月ぶりの、2ヶ月連続発売の第2弾シングルでした。これはかなりハードなペースで、バンドにとっても多忙な時期だったことが伺えます。

3. ドラマとの出会いが運命を変えた

2005年11月16日に発売されたこの曲は、沢尻エリカ主演のドラマ『1リットルの涙』の挿入歌として起用されました。これがレミオロメンにとって初のテレビドラマとのタイアップでした。「粉雪」は、もともとアルバム収録予定だった楽曲が、ドラマの感動的な場面と結びついて爆発的なヒットとなった曲です。

4. 「粉雪」は、「歌いにくい名曲」として有名

「粉雪」のサビの高音部分は、一見それほど高くないのに非常に歌いにくいことで知られています。 これは、母音「あ」が高音域に集中しているためで、ミックスボイスをキープするのが難しい構造になっているからだといいます。藤巻亮太の独特の発声が生み出す「粉雪感」は、普通に張り上げて歌うと再現できないという、奥深い楽曲です。

5.「粉雪」は「遅咲き型ヒット」型の曲

「粉雪」発売当初は、オリコン4位スタートと控えめでした、 が、ドラマの放映が進むにつれて、じわじわと曲が広がっていった「遅咲き型ヒット」というのも、この曲らしいエピソードですね。

「想い出がいっぱい/下川みくに」 - 名曲のご紹介

今日は、「下川みくに」の「想い出がいっぱい」のご紹介です。

下川 みくに(しもかわみくに、1980年3月19日 -)は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の女性歌手です。
夫は、声優の小山剛志

『DAIBAッテキ!!』初のオーディションで、田中里奈・矢作美樹などと共に選ばれ、女性アイドルグループ「チェキッ娘(チェキッこ)」として、デビューを果たします。
チェキッ娘の時代は、熊切あさ美(くまきりあさ美)や町田恵と3人で「NEOかしまし娘」という同グループ内のユニットでも活動していました。その後は、ファンの支持を受け、ソロ活動を展開します。

今日ご紹介する「想い出がいっぱい」は、2003年12月17日に発売された「Review歌~下川みくに青春アニソンカバーアルバム~」に収録されている曲です。

それでは早速、「下川みくに」の「想い出がいっぱい」をどうぞ。

想い出がいっぱい/下川みくに

下川みくには、出身地である静内町の観光親善大使で、合併後の新ひだか町からも引き続きで任命されています。

また、台湾・台北市でライブを行なって以来、台湾・香港・中国・韓国など、アジアに活動の場を広げています。
なお、名前の中国語表記は「下川美娜」です。

2009年8月5日発売のアルバム『翼 〜Very Best of Mikuni Shimokawa〜』が、香港においてIFPIのJ-POP・K-POP部門「2009年度香港ベストセールス大賞」を受賞しました。


「愛のメモリー/松崎しげる」 - 最優秀歌唱賞とオリコン週間2位を記録したヒット曲! 制作秘話~曲制作からヒットまで~も紹介

今日は、松崎しげるの「愛のメモリー」のご紹介です。

愛のメモリー 松崎しげる ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東京都江戸川区出身の歌手、俳優、タレントで、通称は「マツ」です。

松崎しげるは、1976年にスペインのマジョルカで開催されたマジョルカ音楽祭に『愛の微笑』で出場し、見事最優秀歌唱賞と第2位に輝きます。
その翌年、改題されCMソングとして発表された「愛のメモリー」が大ヒット。同曲は数々の賞に輝き、第28回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たします。

それでは早速、その「愛のメモリー」をどうぞ。

愛のメモリー/松崎しげる

いやー。素晴らしい曲! 素晴らしい歌唱ですねー。(^O^)
この曲は、オリコンチャートにおいて週間2位、1977年度年間18位、1978年度年間87位を記録しています。

「愛のメモリー 」制作秘話~曲制作からヒットまで

1976年に、ビクターレコードのディレクターが、スペインのマジョルカで開催される「マジョルカ音楽祭」を知り、この音楽祭に参加するために楽曲を制作することを決意します。
曲は、これまでなかったスケールの大きなものになるため、歌手は松崎しげるに白羽の矢が立ちます。

ディレクターは、楽曲はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」のようなラブ・バラードが最適と判断し、作詞をたかたかし、作曲を馬飼野康二に依頼。
たかたかしは『万葉集』から、藤原鎌足が采女安見児を得たときに詠んだ歌「われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり」を基に、馬飼野康二はヘンリー・マンシーニの「ひまわり」を参考にして楽曲を完成し、曲は「愛の微笑み」と名づけられました。

結果、音楽祭では、松崎しげるの圧倒的な歌唱力とステージ・パフォーマンスで、この「愛の微笑み」は松崎しげる自身に最優秀歌唱賞を、そして総合では第2位を記録しました。

しかしながら、この曲や松崎しげるの歌唱に対する日本での対応は冷ややかで、松崎しげる自身がテープを持参して曲の宣伝を行なうこととなります。

やがて、松崎しげる自身の売り込みが功を奏し、江崎グリコのアーモンド・チョコレートのコマーシャルソングに採用され、1977年に三浦友和と山口百恵の共演するCMのバックに流れると、この曲は俄然(がぜん)注目され、同年8月に歌詞を一部改変し、「愛のメモリー」として発売されると瞬く間にヒット。
松崎しげるはこの曲で、同年大晦日(おおみそか)の晩に行なわれた『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場も果たしたのです。

またこの曲は、1978年春の第50回選抜高校野球大会の行進曲にも採用。
かくして、かつて高校球児だった松崎しげるは、開会式のゲストという形ながらも、憧れの甲子園球場に出場を果たすことになったのでした。

「私の歌」も名曲

松崎しげるといえば、「私の歌」も名曲です。 お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。

「私の歌/松崎しげる」 - 三浦友和出演のグリコアーモンドチョコレートCMソング|Super源さんの音楽ブログ

「私の歌/松崎しげる」 - 三浦友和出演のグリコアーモンドチョコレートCMソング|Super源さんの音楽ブログ

今日は、「松崎しげる」の「私の歌」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。松崎しげる(まつざき しげる、本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)、1949年11月19日 - )は、東