Super源さんの音楽ブログ

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「襟裳岬(えりもみさき)/森進一」 - えっ? タイトルは最初「焚火」だった!? 面白い制作裏話も5つ紹介!

以前、森進一の「ゆらぎ」をご紹介しましたが、今日はもう一曲ご紹介したいと思います。
曲名は、「襟裳岬(えりもみさき)」です。
この記事では、「襟裳岬」のタイトルが最初「焚火」だったことなど、面白い制作裏話を5つと、襟裳岬にこの曲の歌碑が建てられた経緯も詳しくご紹介します!

襟裳岬 えりもみさき 森進一 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

今日は、何故か一日中、この曲が私の頭の中をぐるぐると回っていました。(^^;

それでは早速、「森進一」の「襟裳岬」をどうぞ。
 
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襟裳岬(えりもみさき)/森進一

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、週間6位、1974年度年間31位、1975年度年間77位を記録しています。

この曲は1974年に発売された、森進一の通算29枚目のシングルで、作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎です。
森進一は、この曲で同年の第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞しました。

「襟裳岬(えりもみさき)」の面白い制作裏話!

森進一の名曲「襟裳岬(えりもみさき)」には、面白い制作裏話をいくつかあるのでご紹介します。
意外な誕生秘話がいっぱいある曲なのです。

1. 実は「B面曲」候補だった!

この曲が森進一のシングルとして発売されるとき、最初はA面ではなくB面扱いになる予定だったという話があります。
レコード会社やスタッフの中では、森進一らしい別の曲(“世捨唄”というタイトル)をA面にして、「襟裳岬」は裏側に回すつもりだったらしいのです。ところが、聴いた人やファンの評判が良くて、A面とB面を差し替えることになったそうです!そうして世に出たのが、あの大ヒットにつながったという逸話があります。

2. 元は詩集の中の詩だった!?

この曲の歌詞の元になったのは、作詞の岡本おさみが書いた詩集『ビートルズが教えてくれた』に載っていた「焚火Ⅰ」という詩でした。
ディレクターの高橋隆が、そのゲラ(印刷前の原稿)を見て、「この詩、曲にできないかな?」と思ったのがきっかけ。
そして、詩人・岡本とフォークの巨匠・吉田拓郎が電話でやり取りしながら、言葉を少しずつ調整していったのだそうです。

3. タイトルが「焚火」から「襟裳岬」に変わったワケ

元の詩は「焚火(たきび)」がテーマだったのですが、発売時には「襟裳岬」というタイトルに変更されましたよね。
これは、岡本が旅先で見た北海道・襟裳岬の荒涼とした風景を思い出し、「歌詞のキーワードに合う」と思ったからだと言われています。

詩集の中には、実際に襟裳岬で昆布採りをする女性が登場する詩もあり、この偶然もタイトル変更に影響したのではないかと推測されています。

4. 曲調も大胆にアレンジされた!

吉田拓郎が最初に書いた曲は、森進一の「襟裳岬」とはかなり違うものだったようです。
実は、イントロのあのトランペットのフレーズやテンポは、後からアレンジされたもので、オリジナル曲よりも迫力ある演歌寄りの仕上がりに変えられたのです。

実際、森進一自身もこのアレンジで歌ったとき、吉田拓郎がびっくりしたというエピソードも伝わっています。

5. フォークと演歌の「意外な融合」

「襟裳岬」を作曲した吉田拓郎はフォークシンガーで、この曲はもともとフォークっぽい感覚の曲だったはず。
でも、森進一が歌って演歌の表現と重厚さが加わったことで、フォークでもなく純粋な演歌でもない、独特の“歌謡曲”になったという評価もあります。
これは当時、フォークファンからも意外だったのだとか。

かくして、「襟裳岬」はただのヒット曲ではなく、偶然と工夫、そしてスタッフやアーティストの意外なコラボレーションの産物なのです。

こうした背景を知ると、歌詞にある「何もない春です」という一見シンプルなフレーズにも、さらに深い意味や感覚が宿って聴こえてくるかもしれませんね。

「襟裳岬」に関連した森進一の人柄を表わすエピソード

「襟裳岬」に関連した森進一の人柄を表すエピソードとして、いくつか知られている話があります。

レコーディングへの真摯な姿勢

森進一は、この曲を何度も何度も歌い直したと言われています。吉田拓郎の作った難しいメロディーラインを完璧に表現しようと、納得がいくまで妥協しなかったそうです。演歌歌手としてのプライドと、楽曲への敬意が感じられるエピソードです。

襟裳岬への深い思い入れ

森進一は、襟裳岬への思い入れも深く、ヒット後は実際に襟裳岬を何度も訪れ、地元の人々との交流を大切にしたと言われています。歌詞の「何もない」という表現で物議を醸した場所ですが、森進一自身はその土地と人々を大切にする姿勢を示しました。

魂を込めた歌唱

森進一は感情表現が豊かで、ステージでもレコーディングでも全身全霊で歌うことで知られており、「襟裳岬」でもその魂を込めた歌唱が聴く人の心を打ちました。完璧主義で妥協を許さない一方、楽曲や土地への敬意を忘れない、そんな彼の人柄が「襟裳岬」の成功を支えたと言えるでしょう。

「襟裳岬」のヒットでえりも町にこの歌の歌碑が

この曲がヒットした当時、襟裳岬のあるえりも町の人々は、この曲のサビに登場する「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に、「何もないとは何だ!」と反感をもつ人も少なくなく、渡辺プロや作詞者の岡本おさみ宅への抗議の電話もあったようです。

しかしやがて、襟裳の知名度アップに貢献してそういった感情もなくなり、森進一は、えりも町から感謝状を贈られました。

くわえて、1997年には、えりも町にこの歌の歌碑が建設され、その記念に同年の紅白でも歌唱されました。
それもこれも、この曲が日本的なヒット曲となったからですね。

襟裳岬にある歌碑
襟裳岬にある歌碑
写真は、こちらからお借りしました。

ちなみに襟裳岬は、風速10m以上の風が吹く日が年間290日もある日本屈指の強風地帯で、風極の地といわれています。

風極の地 襟裳岬
 風極の地 襟裳岬
写真は、こちらからお借りしました。

テレビアニメ『めぞん一刻』主題歌「悲しみよこんにちは」 & カセットテープCM曲「AXIA~かなしいことり~」- 斉藤由貴の名曲を2曲厳選してご紹介 !

今日は、斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」と「AXIA~かなしいことり~」のご紹介です。
Today, I'd like to introduce "Kanashimi Yo Konnichiwa" and "AXIA - Kanashii Kotori" by Yuki Saito.

悲しみよこんにちは 斉藤由貴 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

斉藤由貴(さいとう ゆき、本名:小井由貴(いさらい ゆき)(旧姓:斉藤)、1966年9月10日 -)は、神奈川県横浜市南区出身の女優、歌手です。
Yuki Saito, real name Yuki Isarai (maiden name: Saito), (September 10, 1966 - ) is an actress and singer from Minami-ku, Yokohama City, Kanagawa Prefecture.

斉藤由貴は、1984年に第3回ミスマガジン(講談社)グランプリを受賞し、1985年に「卒業」で歌手デビューをします。
女優としては、『スケバン刑事』(フジテレビ)で連続テレビドラマ初主演し、また、相米慎二監督『雪の断章 -情熱-』(東宝)で映画デビューをします。

1986年、4月からNHK連続テレビ小説「はね駒(はねこんま)」のヒロインに抜擢され、その平均視聴率が40%を超えます。このことにより、「斉藤由貴」の名は全国に知れ渡ります。
また、テレビアニメ『めぞん一刻』(フジテレビ)の主題歌に、「悲しみよこんにちは」が起用され、歌番組にも多く出演。同年12月には、『第37回NHK紅白歌合戦』(NHK)に同曲で初出場します。

今日は、その「悲しみよこんにちは」ともう一曲「AXIA~かなしいことり~」をどうぞ。
Today, I would like to share with you her tune "Kanashimi Yo Konnichiwa" and another tune "AXIA - Kanashii Kotori".

斉藤由貴 悲しみよこんにちは(1986.4.10) 投稿者 dekamagi30

AXIA~かなしいことり~/斉藤由貴


ちなみに、AXIA(アクシア)というのは、当時発売されていた富士写真フイルム株式会社のオーディオカセットテープの名前で、斉藤由貴はこのカセットテープのモデルとなっていました。
Incidentally, AXIA was the name of an audio cassette tape released by Fuji Photo Film at that time, and Yuki Saito was the model for this cassette tape.

以下は、1985年当時の「アクシア」の広告です。
The following is an advertisement for Axia from 1985.


写真は、こちらからお借りしました。

「若い耳に、ハイポリマーカセット誕生」と書かれています。
It says, "For young ears, a high polymer cassette is born".

当時の斉藤由貴出演のAXIAのCMはこちら。

 

「エトセトラ/大場久美子」 - 「スプリング・サンバ」で知られる大場久美子の1978年のヒット曲

今日は、大場久美子の「エトセトラ」のご紹介です。

エトセトラ 大場久美子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。


大場久美子(おおば くみこ、本名同じ 1960年1月6日 -)は、埼玉県川口市出身の女優、歌手、心理カウンセラーです。

大場久美子は、1977年6月5日、東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)より『あこがれ』で歌手デビューをします。

そして、1978年6月12日から翌年の1979年の9月24日まで、約1年3ヶ月にわたって放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルとなります。

1979年3月5日には7枚目のシングル「スプリング・サンバ」を発売。これが大ヒットし、彼女の代表曲となります。

「スプリング・サンバ/大場久美子」 - シングル売上3万枚を記録! 大場久美子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ

今日は、大場久美子の「スプリング・サンバ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。大場久美子(おおば くみこ、本名同じ 1960年1月6日 -)は、埼玉県川口市出身の女優、歌手、心


今日ご紹介する「エトセトラ」は、 1978年に発売された通算4枚目のシングルで、作詞は小林和子、作曲は萩田光雄です。

それでは早速、「エトセトラ」をどうぞ。


エトセトラ/大場久美子

この曲の歌詞はこちら

軽快で、踊りたくなるような、ノリのいい曲ですね。(^^)
ブラスもカッコいいです。

1978年というと、、、『日本アカデミー賞』が設立された年ですね。
ちなみに、『日本アカデミー賞』最初の受賞作は、高倉健(たかくらけん)、倍賞千恵子(ばいしょうちえこ)主演の『幸せの黄色いハンカチ』でした。(^^)

大場久美子の近況

・2000年2月1日に、6歳年下のダンサー兼振付師の高橋てつやと結婚
・同年に林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。同年6月21日、シングルCD「Animal Blood」を発売

・2008年1月18日、この日に放送されたフジテレビ「独占!金曜日の告白」にて、8年間パニック障害に悩まされていたことを告白
・2008年2月23日 に、「KUMIKO OHBA 35th Anniversary Live」を東京で開催。ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露

・2009年10月3日に、認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得

・2011年5月19日、10歳年下の会社員の男性と再婚したことをブログにて公表

・2012年4月4日、活動に協力している「一般社団法人UKC JAPAN(現・J-Taz'sアニマルシェルター)」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命〜20キロ圏内のペット達の想い〜」を配信限定で発売

・2014年7月8日、林寛子とコンビを組んで、アマ名義で「キングオブコント2014」に参加を表明。『○1○2』(マルイチマルニ)というコンビ名で出場したが、2回戦で敗退 10月7日、この日発売の「週刊アサヒ芸能」で35年ぶりの水着姿を披露。その後も「週刊ポスト」などで披露

・2015年12月18日、フットリーディングアドバンスセラピスト(足底反射療法士)の資格を取得

・2016年9月、浦安市の会員制美容室の一角を借りて、フットリフレクソロジーサロン『和萌憂つぼ』のビジネスを始める
同年12月22日、音楽健康指導士2級の資格を取得

・2017年9月16日、ハンドリフレカウンセラーの資格を取得
同年11月10日、食品衛生責任者の資格を取得 12月23日、カラー心理士の資格を取得

・2018年2月26日、脳活性トレーナーの資格を日本推進カウンセラー協会にて取得
・同年3月29日、認知行動療法士の資格を日本推進カウンセラー協会にて取得

・2019年2月28日に、体温管理士の資格を取得

・2020年11月24日 に、「大場久美子のクーミンChannel」を開設し、YouTuberデビュー