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2017年01月27日

「 ふたりの愛ランド/石川優子とチャゲ」 - 名曲のご紹介


今日は、石川優子とチャゲの「ふたりの愛ランド」のご紹介です。

 ふたりの愛ランド 石川優子とチャゲ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石川 優子(いしかわ ゆうこ、本名:田中優子、旧姓:石川 1958年10月3日 -)は、大阪府大東市深野出身のシンガーソングライターです。

石川 優子は、中学3年でギターをはじめ、高校時代は女性デュオの「スリーピー」、高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活躍します。

1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)つま恋本選会にCHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)、円広志(まどか ひろし)、大友裕子(おおとも ゆうこ)、クリスタルキングらとともに出場し、「夜の雨」を歌って注目されます。

そして、1979年3月に「沈丁花」で歌手デビューし、同年7月には石川優子自身が作詞・作曲した2枚目のシングル、「レット・ミー・フライ」、11月には3枚目のシングル「クリスタル モーニング」を発売。
この曲は、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、大ヒットをします。

1981年には、通算7枚目のシングルとして発売された「シンデレラ サマー」が、同年のJAL沖縄キャンペーンソングとなって大ヒット。
美しい声とアイドル並の容姿を持ちながら、作詞・作曲もこなす実力派歌手として認知されます。

1984年には、CHAGEとのデュエットが実現。
CHAGEが作曲した「ふたりの愛ランド」がJAL沖縄キャンペーンソングに決まったことで、「石川優子とチャゲ」というアーティスト名で、その夏最大のヒットを飛ばします(「ザ・ベストテン」には11週連続登場。最高2位)。

今日は、1984年4月21日に発売された、石川優子とチャゲ(現:Chage)とのコラボレーションソングである、その「ふたりの愛ランド」をどうぞ。

この曲にまつわるエピソード

当時、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)の発売するシングルA面は、すべて飛鳥(現:ASKA)がメインボーカルをとっていました。
そのため、チャゲは、シンガーソングライターとして単独でもやっていけるほどの実力を持ちながらも、自身がメインボーカルを務める楽曲は常にB面にとどまっており、彼が目立つ機会は皆無といっていいほどでした。

そんな折、JALのCMソングとして、2人の所属するレコード会社であるヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ったのです。

しかしながら、この曲は「チャゲ&飛鳥」が通常歌っている曲とはあまりにも曲調が異なり、本人もシャレのつもりで書いたものだったため、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が、この曲を飛鳥とではなく、前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子と組むことを提案し、それが採用されました。

また、デュエットを組む際には、チャゲがこの曲を、男女のデュエットで歌うことを想定せず、自分の歌いやすいキーで作曲していたため、キー合わせに苦心したといいます。

なおこの曲は、累計で45万枚を売り上げました。


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