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2013年10月19日

「チャンスは一度/西城秀樹」 - 名曲のご紹介


今日は、西城 秀樹の「チャンスは一度」のご紹介です。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。

そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

今日は、1972年11月25日に発売された、通算3枚目のシングルである「チャンスは一度」をどうぞ。


チャンスは一度/西城秀樹

ちなみに、西城 秀樹は、1972年12月4日に「夜のヒットスタジオ」に初出演しますが、以来、1988年11月23日放送(曲は「33才」)まで、約16年という長期間、190回にわたって出演しています。
これは、郷ひろみの175回、野口五郎の123回を凌ぎ、新御三家の中では最多で、五木ひろしの222回、森進一の204回に続き、歴代3位の出演回数となっています。


なお、西城秀樹のこの曲のヒットによって日本中に巻き起こったアクション・ブームについては、以下の通りです。

・1972年、3枚目のシングル「チャンスは一度」で初めて振付けがつく。
・同年、初のベストテン入りを果たした「情熱の嵐」では、さらに振付けがエスカレート。が、西城秀樹のは振付けと言うには激しい動きだったため、「アクション」と呼ばれた 。

・1974年、「薔薇の鎖」でスタンドマイクを使ったアクションを行ない、評判を呼ぶ。
・ロッド・スチュワートが、コンサートでアルミのマイクスタンドを使っていることに気づき、すぐに10本を特注。この軽量スタンドマイクを使うことにより、西城秀樹型の「スタンドマイク・アクション」が誕生。
・以後、コンサートでの定番となる。

・その後間もなく、この軽量スタンドはブームとなり、翌年にはメーカーが生産するようになる。

ちなみに、西城秀樹は、2003年に脳梗塞を発症し、歌手生命の危機に陥りましたが、その際、甲状腺癌を克服して復帰したロッド・スチュワートを励みにして、無事回復したことを語っています。


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