「銀の雨/松山千春」- ”松山千春を代表する名バラード”として語り継がれる名曲&曲の制作背景と面白い裏話を厳選してご紹介!
- 名曲紹介
- 2013年07月04日
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「銀の雨」は、松山千春の通算2枚目のシングル「かざぐるま」のB面に収録されていた曲です。
作詞・作曲は松山千春自身で、松山千春を代表する名バラード”として語り継がれている名曲です。
この記事では、松山千春の人物紹介、名曲「銀の雨」の紹介、そして、もともと「B面」の曲だったものが、なぜA面をしのぐ圧倒的な人気曲になったのか、さらには今でも語り継がれる名曲になったのか、また、この曲の制作の背景と面白い裏話を厳選してご紹介します!
写真は、こちらからお借りしました。
松山千春ってどんな人?
松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。1975年、STVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、翌年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビューをします。
続いて翌1977年の1月25日に、「旅立ち」でレコードデビューを果たします。
翌年の1978年、発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしてブレイク。
その後も「窓(1979年)」「恋(1980年)」「長い夜(1981年)」をはじめとする多数のヒット曲を世に送り出し、ニューミュージック界に確固たる地位を築きます。
「銀の雨」の楽曲紹介
さて、今日ご紹介する「銀の雨」は、1977年6月25日に発売された、通算2枚目のシングルである「かざぐるま」のB面に収録されていた曲で、作詞・作曲は、ともに松山千春自身です。それでは早速、「銀の雨」をどうぞ!( ^-^)/銀の雨/松山千春
この曲の歌詞はこちら。
「銀の雨」の制作背景
「銀の雨」は、松山千春を代表する名バラード”として語り継がれている作品です。実は、この曲にはなかなか興味深いエピソードがあります。
「銀の雨」は1977年6月25日に発売された2枚目のシングル「かざぐるま」のB面曲として発表されました。また、同時期のファーストアルバム『君のために作った歌』にも収録されています。
「銀の雨」の歌詞は、松山千春にしては珍しく、女性の視点で描かれており、別れた恋人への未練や優しさが切なく表現されています。
当時、まだ20代前半だった松山千春が、このような成熟した女性心理を描いたことに驚く音楽ファンも少なくありません。「銀の雨」は、現在でも多くのファンに「松山千春の最高傑作の一つ」と評価されています。
「銀の雨」の面白い裏話
本当はA面になる予定の曲だった
最も有名なエピソードは、「なぜこの曲がB面だったのか」という話です。松山千春自身が語ったところによると、
恩師の竹田健二氏(STVラジオのディレクター)が、
「デビュー曲『旅立ち』に続いて『銀の雨』をA面にすると、松山千春は暗い失恋歌ばかり歌う人というイメージが固まってしまう」と判断したためだそうです。
そのため、より爽やかな「かざぐるま」がA面に選ばれ、「銀の雨」はB面になりました。
ところが結果的には、「銀の雨」の方が圧倒的な人気曲になったのです。
音楽業界では時々ある話ですが、「B面の方が有名になった代表例」として語られることもあります。
見事すぎる女性目線の歌詞
「銀の雨」は、女性が別れた恋人を思い出しながら語る歌です。特に、
「ごめんと私に言ってくれたのは あなたの最後のやさしさですね」という一節には、多くのファンが心を打たれました。
松山千春はもともと人間観察が鋭く、男女の心理描写が非常に巧みなシンガーソングライターなのですが、「銀の雨」はその才能がいかんなく発揮された作品と言われています。
何度も再録音された
「銀の雨」は、人気が非常に高かったため、1986年発売のアルバム『旅立ち』で再録音(V86バージョン)が制作されました。さらに、ベストアルバム『風景』などにも収録されており、松山千春自身が特別な思いを持っていた曲であることがうかがえます。
つまり、「銀の雨」は、ただヒットしたというばかりでなく、松山千春自身もお気に入りの楽曲なのです。
「銀の雨」が今もなお愛される理由は?
「銀の雨」の魅力は、単なる失恋ソングではないところにあります。別れた相手を恨むのではなく、
「あなたの夢がかなうように祈る」という相手への愛情が最後まで残っている。
その切なさと優しさが、多くの人の心を打ち続けているのでしょう。
ちなみに、松山千春のファンの間では、
「もしB面ではなくA面だったら、松山千春の初期の歴史は変わっていたかもしれない」と言われることさえあります。
それほどまでに、「銀の雨」はインパクトの大きな曲だったのです。