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2016年12月15日

「酒場でDABADA(さかばでダバダ)/沢田研二」- 名曲のご紹介


今日は、沢田 研二の「酒場でDABADA(さかばでダバダ)」のご紹介です。

酒場でDABADA 沢田研二 ジャケットイメージ
写真は、
こちらからお借りしました。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。
ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビュー※をします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。
この曲は、65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得、併せて第4回日本歌謡大賞を受賞します。

続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、そんな沢田研二の、1980年9月21日に発売された通算31枚目のシングルである「酒場でDABADA」をどうぞ。


酒場でDABADA/沢田研二  投稿者 picotun

沢田研二が「NTV紅白歌のベストテン」(1980年11月24日放送回)に出演し、この曲を歌ったときのことです。
歌う直前、司会の堺正章に、歌詞「DABADA DI DI DABADADIDA…」のスキャットの部分が、「沢田デンデンムシ食べた」に聴こえると冗談をいわれました。
すると、沢田研二は、この部分を本当に「♪沢田デンデンムシ食べ~た」と歌ってみせました。

沢田研二は、聴衆に対するサービス精神がきわめて旺盛な人なのです。
そのことは、当時の歌唱時の衣装はとりもなおさず、このエピソードからも窺(うかが)うことができます。

※沢田研二は、1960年代後半のグループサウンズ(通称GS)全盛期から活躍している歌手で、特に1970年代から1980年代前半にかけて、スーパースターとして日本のポップス界を牽引しました。
ソロ以降のシングル総売上は1,239万枚で、グループ時代に歌っていたザ・タイガース、PYG時代を含めると、1,666万枚となります。この数字から、当時、沢田研二がいかに人気のある歌手であったかということが分かります。


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