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2016年10月10日

「ルビーの指環/寺尾 聰」 - 名曲のご紹介


今日は、寺尾 聰の「ルビーの指環」のご紹介です。

ルビーの指環 寺尾 聰 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

寺尾 聰(てらお あきら、1947年5月18日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のベーシスト・シンガーソングライター・俳優です。
所属事務所は、ホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)。
父は俳優の宇野重吉。女優の范文雀は元妻。

寺尾 聰は、少年期に洋楽に憧れ、エレキギターを入手して独学で練習します。
その当時影響を受けたミュージシャンの1人に、リッキー・ネルソンがいます。

そして1964年に、奥島吉雄らとカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成。
ベースギターを担当します。

1966年には、「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー。
この曲は大ヒットしますが、すぐにグループを脱退してしまいます。

1968年に、三保敬太郎を中心としてザ・ホワイト・キックスというグループ・サウンズに参加。
このグループは、シングルを1枚出して解散します。
そして同年に、石原裕次郎製作・主演の映画である「黒部の太陽」で俳優デビュー。

1981年には、ヨコハマタイヤのCM曲だった「SHADOW CITY」に続き「ルビーの指環」が大ヒット。
この曲は、は第23回日本レコード大賞・FNS歌謡祭'81グランプリを受賞。
さらに、TBS「ザ・ベストテン」では、「ルビーの指環」「シャドー・シティ」「出航 SASURAI」が3曲同時にベストテンにランクインし、「ルビーの指環」12週連続1位の栄誉を讃えた真紅の記念シートも設置されました。

これを含めて、全曲を自らが作曲したアルバム「Reflections」は、当時のアルバムセールスを更新。
空前の大ヒットとなりました。

今日はその、1981年2月5日に発売された、寺尾 聰の通算6枚目のシングルである「ルビーの指環」をどうぞ。


ルビーの指環/寺尾 聰

この大ヒットした「ルビーの指環」は、石原プロの関係者に聴かせたところ、「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と専務の小林正彦が難色を示しましたが、社長の石原裕次郎の「いいじゃないの」の一言でレコード化が決定しました。

また、この曲がヒットし、「ザ・ベストテン」などで連続1位を取っていた頃、寺尾聰が父である宇野重吉に、家に帰った際にその事を報告したところ、宇野重吉は新聞に見入ったまま、「ふーん…」と素っ気ない返事をしました。
しかしながら、宇野重吉はいつも、「今日は何位だった?」と息子のことを陰ながら気にしていたといいます。


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