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2016年08月17日

「燃える手/弘田三枝子」- 名曲のご紹介


きょうは、弘田三枝子の「燃える手」のご紹介です。

燃える手

アレ?( ?_?)コレ、画像ガ違ウ ゾ。

オーイ!( ゚O゚)Super源さーーん。画像ガ 違ウ ヨー!

アッ!(゚o゚;ホント ダ!
少々 オ待チ ヲ。(^^;/
ε=ε=ε=ε=ε= ピュー!・・・。゜.☆ ダダダ!

燃える手 弘田三枝子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ! コチラガ 正しい 画像デス!(^O^)/
大変 失礼シマシ タ。(゚゚)(。。) ペコリン

弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:高木 三枝子、1947年2月5日 - )は、東京都世田谷区池尻出身の歌手です。
愛称はMICO(ミコ)、ミコちゃん。

弘田 三枝子は、1961年に「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビューをします(14歳)。
翌年の1961年には、各社競作で出された「ヴァケィション」(コニー・フランシスのカバー)が大ヒットを記録。
1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。
そして、カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーオーケストラ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンなど、当時のトップクラスのジャズミュージシャンが勢ぞろいする中で、ビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めます。

そして、1969年に「人形の家」で、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
また、京都にてR&Bの2回目のコンサートを行います。

1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版。
当時は、まだこのようなダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになります。
ファッションやビューティーにも関心をもち、1970年度のベストドレッサー賞を受賞しています。
独特のヘアスタイル、衣装、メイクで当時のファッションリーダー的存在でありました。
更に同年、「できごと」で、東京国際歌謡音楽祭(後の世界歌謡祭)の歌唱賞を受賞しました。
尚、この「できごと」はm「喜劇 開運旅行」(松竹、1971年)の1シーンで、本人出演により歌われています。

さて、今日はそんな弘田 三枝子の、1970年4月25日に発売された「燃える手」をどうぞ。


燃える手/弘田三枝子


弘田 三枝子は、歌唱力とパンチの効いた歌声が特徴の歌手で、「ポップスの女王」とも呼ばれ、当時、その歌唱力は「日本女性歌手史上最高の歌唱力」とも評されていました。
今聴いても、素敵な歌声に魅了されます。(^-')
やはり、いいものは時代を超えるのですね。


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