「小さな日記/フォー・セインツ」 - 歌詞は作者の実話!幻のフルバージョン&裏話&面白いエピソードも紹介!
- 名曲紹介
- 2015年08月14日
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この曲、どうも哀愁がひしひしと胸に迫ってくる切ない楽曲だなぁと思いきや、なんと、歌詞が実話だったのです!
この記事では、「フォー・セインツ」のバンド紹介、「小さな日記」の曲紹介、そして、インターネット検索によってついに見つけた、この歌詞の幻のフルバージョン、そしてバンド結成の経緯からデビューまでの経緯をわかりやすくご紹介します!
写真は、こちらからお借りしました。
フォー・セインツってどんなバンド?
フォー・セインツは、1960年代後半に一世を風靡したカレッジ・フォーク・グループの草分け的存在です。メンバー
- 上原徹(ボーカル、ギター)
- 志賀正浩(ベース):第1期は宮川昌浩名義で活動。
- 加賀一兄(ピアノ)
- 荒木しげる(ドラムス):第1期は荒木生徳名義で活動。解散後は俳優に転身。2012年4月14日没。
- ダニー石尾(ボーカル、バンジョー、ギター):本名の石尾豊名義でソロ歌手としても活動。1993年のJリーグ発足から鹿島アントラーズのホームゲームのスタジアムDJを2013年まで務める。2014年2月27日に肝臓癌の闘病のため休養を発表。同年4月15日没。
ラジオ番組「フォーク・ビレッジ」で歌った「小さな日記」が反響を呼び、1968年に「小さな日記」でデビューをします。
この曲は、20万枚の大ヒット。
翌年には、2枚目のシングルとして発売された「希望」も大ヒットし、当時の“カレッジ・ポップス”をリードするグループとなります。
1972年、レコード会社の移籍に伴い、グループ名を「フォー・クローバース」に改名。
日本テレビの同名のドラマ主題歌「冬物語」(浅丘ルリ子、原田芳雄主演)などのヒット曲を連発するものの、1973年に解散。メンバーは、それぞれの活動に入ります。
2006年、NHK BS-2「BSまるごと日本のフォーク&ロック大全集」にて33年ぶりにメンバーが集まり、「小さな日記」「希望」を披露。
翌年の2007年11月にはデビュー40周年として、東京・六本木のライブハウスでコンサートを開催。
そして、2008年には新曲「この街で」を発売し、本格的に再結成を果たします。
「小さな日記」名曲紹介
さて、それでは早速、そんなフォー・セインツのデビューシングルである「小さな日記」をどうぞ。小さな日記/フォー・セインツ
この曲の歌詞はこちら。
メロディー、歌詞ともに、哀愁のある名曲ですね。
「小さな日記」の歌詞は実話!
調べてみると、「小さな日記」の歌詞は、作者である原田晴子の恋人が、山に行って遭難死(そうなんし)してしまうという、悲しい出来事を元に作られたものでした。つまり、この曲の歌詞は、実話だったのです。
なるほど、道理でこの曲を聴いていると、哀愁がここまでひしひしと胸に迫ってくるのですね。(--)(__) ナットク
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/tmatsutmtm/diary/200810110000/
フォー・セインツ 小さな日記(幻のフルバージョン) 歌詞
そして、以下がこの「小さな日記」のフルバージョンです。歌詞の意味を、じっくりと味わってみてください。
小さな日記につづられた
小さな過去の事でした
私と彼との過去でした
忘れたはずの恋でした
はじめてであった喫茶店
二人は笑みをかわすだけ
初めて知った恋でした
せつなく悲しい恋でした
初めて二人で手をつなぎ
一緒に歩いた並木道
一年前の恋でした
木の葉の落ちる頃でした
ちょっぴりすねて横むいて
だまったままでいつまでも
やがては笑って仲なおり
そんなかわいい恋でした
山に初雪ふる頃に
帰らぬ人となった彼
二度と笑わぬ彼の顔
二度と聞こえぬ彼の声
小さな日記につづられた
小さな過去の事でした
二度を帰らぬ恋でした
忘れたはずの恋でした
出典:https://ameblo.jp/
フォー・セインツと「小さな日記」の裏話&面白いエピソード
デビュー直後にメンバーが脱退!
「小さな日記」のヒットとほぼ同時期に、キーボード担当の 加賀一兄(かが いちえ)氏が脱退しています。ジャケット写真には5人写っているのに、名前は “フォー・セインツ(4人の聖者)”…という ちょっとユニークなギャップが生まれています。
当時5人だったのに名前が「フォー」になっているのは、後に語られる小さな面白い裏話です。
「小さな日記」のカバーや競作が話題に
この時代のヒット曲には、しばしば別アーティストによるカバー版や競作がありました。「小さな日記」も、複数の歌手が取り上げたり、歌詞やアレンジが違ったりしていたようです。
1960年代後半のJ-POPシーンでは、ヒット曲がさまざまな形で広がっていったことが、レコード文化として面白い側面です。
後年の再評価/再結成と映画絡みの再注目
1973年に、フォー・セインツは一旦解散しましたが、2000年代に再結成され、映画の主題歌などをきっかけに再び名前が話題に上ることもありました。そしてその流れで、「小さな日記(幻のオリジナルバージョン)」の配信が行なわれたり、長年のファンの要望が形になったりしたのも、制作・リリース史の面白い後日談です。
曲自体の内容にも注目!
タイトル通り、「日記」として綴られた恋の思い出や「帰らぬ彼」に寄せる切ない感情などが歌われており、当時の若者の感性をよく表現した歌詞として人気が出た背景も、この曲の魅力につながっています。「フォー・セインツ」のバンド結成からデビューまでの経緯は?
結論を先に書けば、「フォー・セインツ」は、「プロを目指して作ったバンド」というよりも、「学生仲間がフォークソングを楽しむために始めたバンド」で、これがラジオ出演をきっかけに全国的な人気グループへ発展したというのが実際の経緯です。- 1965年ごろ、上原徹を中心に、学生仲間でバンドを結成しました。当初は成蹊高校・成蹊大学の仲間たちによるフォークグループとして活動を始めます。メンバーは上原徹(ボーカル・ギター)、ダニー石尾(ボーカル・ギター・バンジョー)、志賀正浩(ベース)、荒木しげる(ドラムス)の4人でした。
- 学園祭やアマチュアライブを中心に活動していたところ、ニッポン放送のフォーク番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」に出演する機会を得ます。そこで歌った「小さな日記」がアマチュア・ヒットチャートで10週連続1位という大きな反響を呼びました。
- 「小さな日記」はもともと上原たちの学校の後輩が作った作品で、その人気を受けて複数のレコード会社から声がかかり、最終的に東芝レコードから1968年にデビュー。「小さな日記」は約20万枚を売るヒットとなり、続く「希望」も成功して、カレッジ・ポップスを代表するグループとなりました。
ドラムスの荒木しげる死去! フォー・セインツはどうなる?
2012年に、ドラムスの荒木しげるが死去。フォー・セインツは、今後どうなるのでしょうか?
このことに関して、ダニー石尾が、2012年11月15日に「日刊ゲンダイ」の取材で、以下のように答えています。
「4年前の結成40周年のとき、一夜限りの復活ライブをやったんだ。それ以来、いくつか新曲も出したけど、今年4月、ドラムの荒木(しげる)が肺炎で亡くなっただろ。オレらは大学からの仲間で、全員そろわなきゃ意味がない。再結成はもうないね」
「フォーセインツ」のボーカルだったダニー石尾さん|日刊ゲンダイ
出典:https://www.nikkan-gendai.com/