「セクシー・バス・ストップ/浅野 ゆう子」 - オリコン週間12位を記録! 浅野ゆう子最大のヒット曲!
- 名曲紹介
- 2014年06月27日
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「セクシー・バス・ストップ」は、1976年04月25日に発売された浅野ゆう子自身最大のヒット曲です。
当時浅野ゆう子は、長身で日本人離れしたプロポーションという、アイドルとしては珍しい存在でした。くわえて、ミニスカートやホットパンツなどでスタイルを強調し、足の長さを自負していました。デビュー当時は「脚の長さ99センチ」と騒がれ、一部のマスコミから「股下99センチ」、また、「股下1メートル」とまでいわれました。
「セクシー・バス・ストップ」は、もともとインストゥルメンタルだった作品に、新たに歌詞を付けたもので、作詞は橋本淳、作曲は筒美京平です。
この記事では、浅野ゆう子の人物紹介、この曲を演奏しているスゴいメンツのバックバンド「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」の紹介、浅野ゆう子の面白いエピソードを厳選してご紹介します!
写真は、こちらからお借りしました。
浅野ゆう子ってどんな人?
浅野 ゆう子(あさの ゆうこ、本名: 赤沢 裕子、1960年7月9日 -)は、兵庫県神戸市の女優、歌手です。写真は、こちらからお借りしました。
浅野 ゆう子は、当初アイドル歌手としてデビューし、「ジャンプするカモシカ」をキャッチフレーズに活動します。
デビュー曲は、1974年05月25に発売された「とびだせ初恋」です。
その後、「恋はダン・ダン」「ひとりぼっちの季節」とシングルを発売していきます。
が、当時の女性アイドルは小柄であることが好ましいとされており、浅野ゆう子のように長身で日本人離れしたプロポーションのアイドルは珍しい存在でした。くわえて、ミニスカートやホットパンツなどでスタイルを強調していた浅野ゆう子は女性からの反撥を受けたこともあり、アイドル歌手としてはうまくいきませんでした。
そんな中、1976年04月25日に発売された8枚目のシングル「セクシー・バス・ストップ」が大ヒット。浅野ゆう子自身最大のヒット曲となります。
歌を実質休業状態になった1980年代からは、様々な会社の水着キャンペーンモデルなど企業広告で活躍。ただし、水着での初出は1979年(昭和54年)のカネボウ化粧品CF「一気にこの夏チャンピオン」からで、1981年の洋酒の悩殺ポスターは、世の男性の目を楽しませます。
「セクシー・バス・ストップ」名曲紹介
さて、それでは早速、1976年4月25日に発売された通算8枚目のシングルであり、最大のヒット曲でもある「セクシー・バス・ストップ」をどうぞ。セクシー・バス・ストップ/浅野ゆう子
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、もともとインストゥルメンタルだった作品に、新たに歌詞を付けて浅野ゆうこに歌わせたものです。
歌詞をつけた作品を浅野ゆう子に歌わせるというアイデアは、日音の村上司によるものです。
この曲の作曲者である筒美京平は、当初、
「インストゥルメンタルとして書いた作品だから…」
と、これに難色を示していましたが、村上とディレクターの岡村右との話し合いにより納得。
作詞は、筒美京平の要望により、橋本淳が担当することになりました。
また、このシングルのB面には、いしだあゆみの最大のヒット曲である「ブルー・ライト・ヨコハマ」のカバーバージョンが収録されています。
この浅野ゆうこのカバー盤は、チャートTOP10近くまで上昇する大ヒットとなり、自己最高セールスを記録することになります。
そう言えば、1972年に平浩二が歌っってヒットした「バスストップ」という曲もありましたね。似ていて、ちょっと紛らわしい曲名です。【><】
「バスストップ/平浩二」 - 明治チョコレートCMソング|Super源さんの音楽ブログ
以前、ノースリーブスの「バスストップ」をご紹介しましたが、今日は、平浩二の同名異曲をご紹介したいと思います。 写真は、こちらからお借りしました。平 浩二(たいら こうじ、本名:平頼敏(たいら
紛らわしいといえば、英単語のadaptとadoptもスペルが似ていて紛らわしいですね。
ナンノ コッチャ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)
筒美京平プロデュースの錚々たるバックバンドメンバー!
セクシー・バス・ストップの演奏は「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」
セクシー・バス・ストップを演奏しているのは、フィラデルフィア・サウンドを支えたMFSBの日本版を目指し、筒美京平プロデュースの、林立夫(ドラム)、鈴木茂(ギター)、後藤次利(ベース)、矢野顕子(キーボード)によるユニット、「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」です。「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」とは?
「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス(ドクター・ドラゴン アンド オリエンタル・エクスプレス)」 は、1976年から1977年まで活動していた日本の覆面ソウルバンドです。ビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)のワールドグループ宣伝部(洋楽宣伝部)の“ハッスル・ホンダ”こと本多慧が企画・プロデュースを手掛け、筒美京平がJACK DIAMOND(ジャックダイアモンド)、およびDr.DRAGON(ドクター・ドラゴン)名義として指揮し、後藤次利(ベース)、鈴木茂(ギター)、林立夫(ドラム)、矢野顕子(キーボード、コーラス)がメンバーとして参加していたソウルバンドです。このほか、羽田健太郎(ピアノ)や槙みちる(コーラス)なども、このバンドのバックミュージシャンとして参加していました。
スゴいメンツですね!まさに錚々たるメンバーです!おお!(゚o゚)
浅野ゆう子の面白いエピソード
憧れの女優は、野際陽子
浅野ゆう子の憧れの女優は、野際陽子です。また、野際陽子も浅野ゆう子を評価しており、自身が多くのドラマで幾度となく演じた姑役(しゅうとめやく)について、「私の後(の姑役)は、浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしらね。」と、浅野を後継者にしたいと語っています。
浅野ゆう子は、俳優として駆け出しで、なかなか仕事に恵まれなかった頃の唐沢寿明に、「爽やかな路線でいってみてはどうか?」とアドバイスした結果、後のブレイクにつながったとして、「(浅野は)私の恩人」と著書で評されています。
11月6日未明、交際相手が死去
2014年11月2日の早朝、自宅で当時交際中だった俳優の田宮五郎がクモ膜下出血で倒れ、浅野ゆう子に看取られて11月6日未明に死去しました。一部のマスコミから「股下99センチ」と報道される
浅野ゆう子は、デビュー当時は「脚の長さ99センチ」と騒がれ、一部のマスコミから「股下99センチ」、また、「股下1メートル」とまでいわれましたが、『明星』誌上で、読者からの「そんなにないのでは?」という質問に「股下ではないんです。腰骨から下が99センチなんです。ホントなのよ。信じてくださいね」と答えています(デビュー時は身長165 cm)。この「腰骨下の長さ」は、年を経るにつれて101 cm、はては107 cmまで伸びたと報じられました。この、浅野ゆう子の股下の長さに関しては『月刊プレイボーイ』に81.5 cmと書かれましたが、他誌には83 cmと書かれたこともあります。
この件に関して、岡田晋吉は『太陽にほえろ!伝説 増補決定版』で、
「まだ十代の浅野ゆう子が『お茶くみさん』として出演している。彼女が石原裕次郎に会っての第一声が『あら、私のほうが股下が長い』だった。石原さんは目を白黒させていた。」と記しています。
ゆうちゃん
浅野ゆう子って、自分の足の長さを自負していたんだね
しんちゃん
そうなんだよ
『うわさのチャンネル』で、「私、どて高なんです」と答える
浅野ゆう子は、デビュー間もない頃の『うわさのチャンネル』に出演中、和田アキ子やせんだみつお達に、足の長さを冷やかされ思わず意味もわからず、「私、どて高なんです」と発していたことがあります。また同番組では、「むすんでひらいて」を歌唱中に「またひらいて」の歌詞の所で浅野一人だけが騙され、大きく股を開いてしまいました。
困った点は、足が長くて既製品のパンツが合わないこと
スタイリストの三宅由美子は、浅野ゆう子について、「困ることもあるんです。まず、脚が長すぎること。既製品のパンツは短すぎてダメなんです」と語っています。