Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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オリジナル曲、「想い出のシュガービーチ」(インスト)を公開しました!

皆さん、こんばんは。(^^)/

本日、新曲をホームページの方で公開したのでお知らせいたします。
曲名は、「想い出のシュガービーチ」です。(^o^)/ ジャーン!
今朝がた完成した、文字通りできたてのほやほやの新曲ですよー。(^0^)// イエーイ!

インスト曲としては、前曲の「愛しのエミリー 」以来、約1月ぶりのアップとなります。(^^)
 

オリジナル曲、「愛しのエミリー」(インスト)を公開しました!|Super源さんの音楽ブログ


皆さん、こんばんは。(^^)/本日、新曲をホームページの方で公開したのでお知らせいたします。曲名は、「愛しのエミリー」です。(^o^)/ ジャーン!今朝がた完成した、文字通りできたてのほやほや


曲は、夏の青空と、どこまでも続く写真のように美しい砂浜をイメージして作りました。

映像にすると、こんな感じですね。ρ(。_。)

想い出のシュガービーチ インスト イージーニスニング ジャケットイメージ
 
写真のように美しい、といいながら、写真を使っていますが…。
(^o^;ハハハ (゚゜;)バキッ\(--;

今回は、前回とは打って変わって明るい曲です。
良かったら、どうぞお聴きになってみてくださいね。o(^-^)o

というより、年内に間に合って良かった。(^。^;) ホッ!

ちなみに、シュガービーチというのは、ハワイのマウイ島にあるリゾート地です。
また、タイトルは「想い出の…」となっていますが、私はこの砂浜に行ったことはありませんし、行くことはおそらくないと思います。(^^)

(。_゚)☆\バキ! (-.-メ) ナンナノ ソレ ハ!

曲は、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開中です。
曲のページへは、以下のリンクから直接行けます。

想い出のシュガービーチ - Super源さんの癒しの音楽館

ということで、何か感想などありましたら、掲示板か、この記事のコメント欄にいただけるとうれしいです。(^^)

掲示板 - Super源さんの癒しの音楽館

2'14"あたりから入るソロパートも、いい感じにできたのではないかと思いますが、いかがでしょうか?(^^)

なお、掲示板は、数週間前に突然動作しなくなったため、現在サーバー会社に調査を依頼中です。(?_?)

以上、取り急ぎ、新曲公開のお知らせでした!( ^-^)/

追記:2022.1.1
掲示板の件ですが、サーバー会社からその後連絡がないため、本日自力で復活させました。(-。-) フーッ
いろいろやってもダメだったので、掲示板のバージョンを最新版に上げたところ、(?_?) アレッ? あっけなく動きました。(爆)
が、イメージがだいぶ変わってしまいました。【><】
まぁ、良しとしますか。
折りをみて、少しずつ気に入ったデザインに変えていきたいと思います。v(^^)

「ff (フォルティシモ)/HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)」 - 日清食品『カップヌードル』のCMソング オリコン11位を記録したHOUND DOGの代表曲!

今日は、HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)の「ff (フォルティシモ)」のご紹介です。

ff フォルティシモ HOUND DOG ハウンド・ドッグ ジェケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)は、1976年(昭和51年)に結成された大友康(おおとも こうへい)を中心とした日本のロックバンドです。
代表曲に、「ff(フォルティシモ)」(1985年)、「ONLY LOVE」(1988年)、「BRIDGE~あの橋をわたるとき~」(1992年)などがあり、1980年代後半、絶大なライブ動員力を誇りました。

オリジナルメンバーは、以下の通りです。

大友康平(おおとも こうへい、1956年1月1日 -、ドラムス&ボーカル。妻は元ファッションモデルの木下桂子)
高橋良秀(たかはし よしひで、1956年5月7日 -、ギター)
玉手ヨシヒロ(ベース)

バンド自体は2005年に解散しましたが、その後、大友康平が同じバンド名で、1人でライブ活動を続けています。
なお、大友康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平(ありわらの なりひら)からとられています。

さて、今日はそんなHOUND DOGの曲の中から、1985年8月25日に発売された、代表曲のひとつである「ff (フォルティシモ)」をどうぞ。
 
ff (フォルティシモ)/HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)

いい曲ですねー。(^o^)
いい声、いいアレンジ!(^J^)
この曲を聴いていると、元気が出てきます。ヽ(^o^)ノ
t's a good tune! (^o^)
Nice voice, nice arrangement! (^J^)
I feel energized when I listen to this. (^J^)

もっと歌ってー、もっとー、もっとー。(^O^) おい!(ー_ー)!!

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位11位を記録しています。
もともとは、大友康平が作詞をしていましたが、スタッフの意向により、作詞家の松尾由紀夫を迎え、新たに書き下ろした詞がレコーディングされました。

が、サビの部分の「愛がすべてさ いまこそ誓うよ」は、大友康平が作詞した原詞がそのまま使用されています。

大友康平はのちに、

「ff (フォルティシモ)」は自分にとって大切な曲。これからも心をこめて歌っていきたい」

と語っています。

なお、この曲はライブでファンがワンコーラス合唱するのが恒例(こうれい)の曲となっています。(^^)

またこの曲は、日清食品『カップヌードル』のCMソングに使われました。
 
日清カップヌードルCM ハングリアン民族

2009年には、大友康平がセルフカバーしています。
うれしいことに、2018年3月18日から、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙台駅で、東北本線・常磐線・仙石東北ライン専用発車メロディーとして使用されることが決定しています。(^O^)

HOUND DOG(ハウンド・ドッグ)って、どんなバンド?

HOUND DOGは、1976年(昭和51年)に、東北学院大学に在学中だった高橋良秀が、大友康平に「一緒にやろう」と声を掛けたことがきっかけで結成されたバンドです。

バンド名の由来は、大友康平が敬愛(けいあい)するエルヴィス・プレスリーのヒット曲から採られました。

そしてHOUND DOGは、1980年にシングル「嵐の金曜日」でデビューします。
当時のメンバーは、大友康平、高橋良秀、八島順一、蓑輪単志、海藤節生、藤村一清でした。

以後HOUND DOGは、1984年にメンバーチェンジを行なうなど、紆余曲折(うよきょくせつ)を経(へ)ながらも、日本のロックシーンで息の長い活動を続けています。

大友康平が最も影響を受けたミュージシャンはロッド・スチュワートで、それを彷彿(ほうふつ)とさせるマイクスタンド捌(さば)きなどを行なっています。

ライブ活動に主眼を置くHOUND DOG

また、HOUND DOGの活動は、ライブに主眼を置くとされます。
ヒット曲がまったくない中で1万人を集めた日本武道館初公演や、足掛け3年間のライブツアー、チケットを買ったにも関わらず学校の指導で行けなくなったある地方の学生のために、卒業証書がチケット(無料)で、安全のためライブ終了時間を早め、危険性のない定められた場所で、「音楽は素晴らしいものなんだよ」と伝えるために、もう一度その土地でライブを行なうなど、過去にない実績を残しています。

また、1989年には、日本武道館史上最多の15日連続ライブを決行しており、この記録は2018年現在も破られていません。

サザンオールスターズの桑田佳祐は、HOUND DOGの才能を認めており、「ライブでの煽(あお)りが俺たちより上手い」と述べています。

2010年3月21日には、渋谷C.C.Lemonホールで30周年記念ライブが行なわれ、ファンによるベスト投票の30曲をもとに31曲が歌唱されました。
大友康平は、このライブで「ずっとハウンドドッグの歌を歌っていきたい。誰が何と言おうと」と語っています。

「長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス」 - オリコン14位、35万枚の売上げを記録したヒット曲

今日は、ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)の「長い髪の少女」のご紹介です。

長い髪の少女 ザ・ゴールデン・カップス ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ザ・ゴールデン・カップス(The Golden Cups)は、1966年12月に、神奈川県横浜市でデイヴ平尾を中心に結成されたグループ・サウンズです。

メンバーは、以下の通りです。

1.エディ藩(ギター・ボーカル)
2.ルイズルイス加部(ベース・ギター)
3.マモル・マヌー(ドラムス・ボーカル)
4.ミッキー吉野(キーボード・ボーカル)

旧メンバー
1.デイヴ平尾(ボーカル)
2.ケネス伊東(ギター・ベース・ボーカル)
3.林恵文(ベース)
4.アイ高野(ドラムス)
5.柳ジョージ(ベース・ボーカル)
6.ジョン山崎(キーボード)

ザ・ゴールデン・カップスは、1967年6月15日に1stシングル「いとしのジザベル」でレコードデビューをします。
このシングルは、公称18万枚のヒットとなります。
当初は「グループ・アンド・アイ」というバンド名でしたが、分かりにくいということで、TBS「ヤング720」の担当ディレクターだった高樋洋子によってゴールデン・カップスへと改名されました。

また、当時ザ・ゴールデン・カップスは混血グループという触れ込みで売り出されましたが、これは東芝音楽工業の意向だとされます。

そして、同年7月21日に、東京のジャズ喫茶(ラ・セーヌ)に初出演し、8月26日には、第31回日劇ウエスタンカーニバルに初出場。新人賞を獲得します。

1968年3月10日には、1stアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』を発売。
同年4月1日に、3rdシングル『長い髪の少女』が発売されると、この曲はオリコン14位、35万枚の売上げを記録し、一躍人気グループの仲間入りをします。

それでは、今日はその「長い髪の少女」をどうぞ。
 
長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス

この曲の歌詞はこちら

「ねえ! いい曲じゃない、これ」「ボクもそう思う」「以下同文」
カップに入って犬たちの会話

なんか、「ネコ」と名前をつけたくなるほど、可愛い犬たちですね。(^^)

ブレッド&バター」 カ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

ザ・ゴールデン・カップスは、GS全盛時代にはジミ・ヘンドリクス、マディ・ウォーターズ、ジュニア・ウォーカー、クラシックス・フォー、ウィルソン・ピケット、クリーム、ヴァン・モリソン、ポール・バターフィールド、リー・ドーシー等をカバーしていました。

また、メンバー一覧を見ていただければ分かる通り、ザ・ゴールデン・カップスには後のゴダイゴのリーダー、ミッキー吉野やギターの名手、柳ジョージもメンバーだったことがあったことから、そのレベルの高さが分かります。

一言でいえば、ザ・ゴールデン・カップスは記憶に残るバンドで、殊(こと)にマモル・マヌーは記憶に残るボーカルでした。

ザ・ゴールデン・カップス グループ解散後

・1972年10月5日に、デイブ平尾が初のソロシングル『僕達の夜明け/一人』を発売

・1973年12月頃、同年春頃から断続的に活動を続けていたママリンゴというバンド(メンバーはデイブ平尾、ルイズルイス加部、柳ジョージ)が、デイブ平尾とゴールデン・カップス名義で活動を開始

・1975年頃、デイブ平尾が俳優業を本格化させたため、デイブ平尾とゴールデン・カップスを解散

・1981年12月5日に、横浜のシェルガーデンで行なわれたライブ、『ゴールデン・カップス・ワンナイト・セッション』で当日のみの再結成(メンバーは、デイブ平尾、エディ藩、ルイズルイス加部、ミッキー吉野、アイ高野)

・1982年に、デイブ平尾が六本木にライブ・バー「ゴールデン・カップ」をオープン

・1989年4月5日に、大坂城ホールでのライブ、『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーはデイブ平尾、マモル・マヌー、ミッキー吉野、アイ高野)。6月10日、横浜アリーナでのライブ、『タイガース・メモリアル・クラブ・バンド』にて、当日のみの再結成(メンバーはデイブ平尾、エディ藩、マモル・マヌー、ルイズルイス加部、ミッキー吉野、アイ高野)

・1997年3月2日、ケネス伊東が死去(急性心不全)

・2002年12月、本格的な再結成と映画『ザ・ゴールデン・カップス・ワンモアタイム』の製作が決定

・2003年5月4日、5月6日、横浜・club Matrixにて映画撮影用ライブ『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2003』を行なう。メンバーはデイブ平尾、エディ藩、ルイズルイス加部、マモル・マヌー、ミッキー吉野の5人に、サポートメンバー3名(ドラムス:樋口晶之、ベース:スティーブ・フォックス、ギター:中村裕介)。8月9日、NHK『思い出のメロディー』に出演

・2004年7月24日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画完成ライブイベント、『ONE MORE TIME LIVE SESSION 2004』を行なう。7月25日、横浜赤レンガ倉庫にて、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』先行完成披露上映会を行なう。10月10日、渋谷公会堂にて『THE GOLDEN CUPS MAXIMUM R&B LIVE 2004』を行なう。11月20日、映画『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』が一般公開される

・2006年4月1日、アイ高野が死去(急性心不全)

・2008年11月10日、ディブ平尾が死去(食道がん)。11月28日、『デイブ平尾追悼ライブを行なう

・2009年1月26日、神奈川県横浜市のライヴハウス「タイクーン」にて、『THE GOLDEN CUPS PRESENTS 追悼 デイヴ平尾 トリビュートパーティー』が行なわれ、メンバーはもちろん、 旧知のCHIBOや陳信輝、CHARやジョニー吉長、金子マリ、石間秀機、篠原信彦などに加え、沢田研二、岸部一徳も参加して、デイブ平尾と伊東を偲(しの)ぶ。11月10日、横浜BLITZにて『THE GOLDEN CUPS 横浜公演 2009』を行なう。残った4人とサポートメンバー(樋口とスティーブ)に加え、ベースで林恵文が数曲参加する

・2011年10月10日、柳ジョージが死去(腎不全)