Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「Baby Blue(ベイビー・ブルー)/Fishmans(フィッシュマンズ)」- ボーカル自殺でバンド解散? 特徴的な声と洗練されたアレンジが心に響く名曲

今日は、Fishmans(フィッシュマンズ)の「Baby Blue(ベイビー・ブルー)」のご紹介です。

Baby Blue ベイビー・ブルー フィッシュマンズ Fishmans
写真はこちらからお借りしました。

フィッシュマンズは、1987年に結成されたロックバンドです。
ボーカル、ギターの小嶋謙介を中心として、明治学院大学の音楽サークル内で結成されました。

フィッシュマンズのメンバーは、以下の通りです。

メンバー
1.佐藤伸治 (ボーカル、ギター、コルネット(トランペットに似た金管楽器)。愛称:サトちゃん)
2.茂木欣一 (ドラムス。愛称:欣ちゃん)

旧メンバー
1.柏原譲 (ベース、1998年まで在籍)
2.ハカセ (キーボード、1995年まで在籍)
3.小嶋謙介 (ギター、1994年まで在籍)

サポートメンバー
1.木暮晋也(ギター担当。ヒックスヴィルのメンバー)
2.ダーツ関口(関口道生)(ギター担当。元SUPER BAD、TOMATOSのメンバー。アルバム「空中キャンプ」以降のライブ・レコーディングにサポート)
3.小宮山聖(ギター担当。ザ・カスタネッツのメンバー。アルバム「Oh!Mountain」期のライブにてサポート参加)
4.シュガー吉永(ギター担当。Buffalo Daughterのメンバー。アルバム「Orange」のレコーディングにてサポート参加)
5.HONZI(キーボード、ヴァイオリン担当)
6.ZAK(サウンドミックス担当(元GASTANKのエンジニア、本名:松村和幸(まつむら かずゆき)))

初期のフィッシュマンズは、レゲエを基調としたポップな楽曲を演奏していました。
が、オリジナルメンバー2人が脱退したことや、エンジニアであるZAKがレコーディングへ参加したこと、また、レーベルの移籍に伴うスタジオ環境の変化などをきっかけに、その音楽性は、ダブ、エレクトロニカ、ロックステディを基調とした、ロック、ファンク、ヒップホップなどの要素を取り入れたサウンドへと変化していきます。

フィッシュマンズ(Fishmans)は、レーベル移籍後の『空中キャンプ』、『LONG SEASON(ロング・シーズン)』、『宇宙 日本 世田谷』の、いわゆる「世田谷」3部作を発表した時期から、テクノ系の雑誌やサブカルチャー系の雑誌にもたびたび取り上げられるようになり、90年代後半の日本の音楽シーンにおいて、大きな存在感を示すようになります。

今日は、そんなのFishmans(フィッシュマンズ)の、1996年3月27日に発売されたシングルである、『Baby Blue(ベイビー・ブルー)』をどうぞ。
 
Baby Blue(ベイビー・ブルー)/Fishmans(フィッシュマンズ)

いいですねー。(^o^)
一度聴いたら忘れられない、特徴のあるボーカル。
ジャズ風のちょっぴりお洒落(しゃれ)なフルーツ、じゃなかったフルートに、シンプルながら洗練されたアレンジ。
心ときめきます。(^-')いいなぁ
What a wonderful singing voice!
I think he has very unique and distinctive good voice.
And this tune's simple arrange with jazz-like fuit phrase shakes my heart.(^-')

フルーツ


コノ フルート ジャ ナイヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

こんなに素敵な曲を歌っているバンドなのに、知っている方は少ないようですね。
不思議です。
I wonder why almost nobody knows about this band.
They're too good to be so unknown.(?_?)

佐藤伸治のバンド活動は高校時代から

佐藤伸治は、実は高校在学中から遊び感覚でロックバンドを結成し、活動していました。
明治学院大学在学中に入会したサークル「ソング・ライツ」内においても、いくつかのバンドを結成しています(当初はドラムス担当)。

「フィッシュマンズ」というバンド名の由来については、プロレス愛好家である佐藤伸治が、メキシコに実在した覆面レスラーの名前をもとに命名したと、結成当時のインタビューで答えています。
しかしながら、後のインタビューでは違う回答をしており、真相は不明となっています。

謎を残す佐藤伸治の死因と「フィッシュマンズ」のその後

1999年3月15日にボーカルの佐藤伸治が亡くなったため、「フィッシュマンズ」は活動を休止。
佐藤の死因は”心不全”となっていますが、これは表向きの理由で、実際には飛び降り自殺だったようです。

真偽のほどは不明ですが、佐藤伸治はその日、実家の団地から飛び降りたということです。
高所から飛び降りたものの、地面に落ちる直前に後頭部を何かの遮蔽物(木?)に激しくぶつけて落ちたため、死に顔自体はとても飛び降り自殺した人間の顔とは思えないくらい穏やかだったということです。
また、自殺した理由については、どうもうつ病だったようです。
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1492093109

ちなみに、自殺と言う言葉は個人の名誉に関わるので、日本では「自殺した」ではなく「心不全で亡くなった」と言う婉曲(えんきょく)表現をします。
これはもう、一般常識といっていいくらいです。
ただし、「心不全」が100%「自殺」を意味するわけではありません。何故亡くなったのか、遺族(いぞく)が死因をはっきり言いたくない場合にも使われます。
なので、心不全というのは病名ではなく、”死因を特定したくないときに使われる便利な言葉”だと覚えておくと良いでしょう。

なお、佐藤伸治の墓は、千葉県の小高い丘の上にある笠森霊園(かさもりれいえん)にあります。

佐藤伸治の墓
写真はこちらからお借りしました。

この写真ではちょっと読みにくいですが、墓碑銘には、
 
2人の物語は いつでもあの日のまま
いくつかの時がたっても
消えない飛行機雲も あの日のままだよ
こんどもここでずっと会える
 
フィッシュマンズ 佐藤伸治
 
と刻まれています。

これは、フィッシュマンズのデビュー曲「ひこうき」(佐藤伸治作詞)の一節ですね。(^^)
 
ひこうき/Fishmans(フィッシュマンズ)

2000年には、佐藤のすべての詩を収めた詩集「ロングシーズン-佐藤伸治詩集」が発売。2006年には、この詩集の新装版が発売されています。

2004年には、トリビュートアルバムが発表されます。そして、翌年の2005年には「RISING SUN ROCK FESTIVAL(ライジンズ・サン・ロック・フェスティバル)」でゲストボーカルを交えて復活ライブを敢行。

2009年8月には、「SWEET LOVE SHOWER(スウィート・ラブ・シャワー)」にてUA(ウーア)をボーカルに迎えて「FISHMANS:UA(フィッシュマンズ:ウーア)」名義でライブを行ないました。

小嶋謙介の脱退理由は?

フィッシュマンズのオリジナル・メンバーだったオジケンこと小嶋謙介。
それまでのフィッシュマンズの骨格を作っていた小嶋謙介は、何故脱退したのでしょうか?

小嶋謙介の脱退理由については、当時、公式に発表されていません。
しかしながら、2021年に公開されたドキュメンタリー映画『映画:フィッシュマンズ』で、本人が脱退理由についてインタビューに答えています。

それによれば、日増しにストイックになっていく佐藤伸治の音楽に対するスタンスや、それに伴う急速な楽曲の進化について行けなくなった、というのが実際の理由のようです。

旧メンバーの柏原譲は、その後Polarisを結成

ちなみに、フィッシュマンズの旧メンバーだったベーシストの柏原譲は、その後2000年11月にオオヤユウスケ(ボーカル、ギター担当)とPolaris (ポラリス)というバンドを結成しています。
このバンドは、フィッシュマンズ風のボーカルと浮遊感の漂うサウンドが特徴となっています。
 
深呼吸/Polaris

Polarisは、2001年9月に、Nathalie Wise(ナタリー・ワイズ)と共にレーベルFamily Song(ファミリー・ソング)を設立し、11月にファースト・ミニ・アルバム『Polaris』でデビュー。
このアルバムは、外資系CDショップでトップ5、J-WAVE(ジェイウェイブ)の「TOKIO HOT 100」で20位圏内にチャートインしています。

Polarisの曲をまだ聴かれたことがない方は、一度チェックされてみると良いかと思います。