Super源さんの音楽ブログ

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「愛はかげろう/雅夢」 - オリコン週間3位を記録した、雅夢のデビュー曲にしてヒット曲

今日は、雅夢の「愛はかげろう」のご紹介です。

愛はかげろう 雅夢 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

雅夢(がむ)は、1980年代前半に活動したフォークデュオです。
代表曲には、「愛はかげろう」などがあります。

雅夢(がむ)は、中京大学に在学中に、三浦和人と中川敏一の2人が結成したフォークバンドです。
1980年5月に、第19回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会で「愛はかげろう」を歌い、優秀曲賞を受賞します。

そして、同年9月25日に、雅夢はこの曲で歌手デビューをしますが、これが翌年にかけて69.1万枚(オリコン調べ)を売り上げる大ヒットとなります。

翌年の1981年2月には、シングル「悲しくて」を発売。
この曲は16.2万枚を売り上げ、その後は、「浮雲」「秋時雨」「追いかけて」…と、年に約2曲のペースでシングルを発表していきます。

今日は、1980年9月25日に発売された、雅夢のデビュー曲である「愛はかげろう」をどうぞ。
 
愛はかげろう/雅夢(がむ)

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞、作曲は三浦和人で、オリコンチャートにおいて週間3位、1981年度年間13位を記録しています。

三浦和人は、インタビューでこの曲について聞かれた際、「失恋の痛みから抜け出すために書いた曲」「男言葉では力強い歌詞になってしまうために、あえて女言葉で女々しい表現にした」「神様に音楽家としてのチャンスをもらえた曲」「サビが出来たとき、ヒットする手応えがあった」と答えています。

雅夢(がむ)は、1984年に解散するまでに、9枚のシングルと7枚のアルバムを発売しています。

また、三浦和人は、1982年ごろに「三浦雄也」と芸名を改名、後に再び本名の三浦和人に戻し、以後もソロ・アーティストとして活動を続けています。

「雅夢」というバンド名の由来は?

ちなみに、「雅夢」というバンド名の由来ですが、これは、当時の彼らの行きつけの喫茶店の名前が「雅夢」で、そこからとられました。
また、その喫茶店にはマスコット犬がいましたが その犬の名前もまた「雅夢」だったいうことです。

おお! (゚o゚)「ガムガム」!

これは面白いですね。(^^)

参考にしたサイト
雅夢「愛はかげろう」-おこのみやき花子さん・浜松市広島風お好み焼き屋
http://hanakosan.hamazo.tv/e1806443.html

またこの曲は、のちに中森明菜がカバーしています。

「お元気ですか/清水由貴子」 - 8.2万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、清水由貴子の「お元気ですか」のご紹介です。

お元気ですか 清水由貴子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

清水 由貴子(しみず ゆきこ、本名:同じ、1959年9月7日-2009年4月20日)は、東京都出身の歌手・女優・タレントです。
愛称は、「ユッコ」。

清水 由貴子は、1976年2月18日に、NTVのオーディション番組「スター誕生!」の第16回決戦大会で、イルカの「なごり雪」を歌って合格します。
のちに、ピンク・レディーとなった根本美鶴代(ねもと みつよ)と増田恵子(ますだ けいこ)の2人組をおさえての最優秀賞(グランドチャンピオン)でした。

当時の「スター誕生!」の審査員で、デビュー曲の作詞も手がけた阿久悠(あく ゆう)によれば、テレビ予選に合格した時点で、既に次の決戦大会の大本命として、各社スカウトマンから注目されていたといいます。

そして、合格から1年後の1977年3月1日には、「お元気ですか」でアイドル歌手として歌手デビュー。
当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、デビュー時の清水 由貴子につけられたのは、「ほほえみスイング まごころハミング」でした。
また、デビューが同期で仲の良かった榊原郁恵・高田みづえとあわせて「フレッシュ3人娘」と呼ばれていました。

デビュー曲の「お元気ですか」は大ヒットとなり、当時盛んだった「賞レース」においても数多くの新人賞を獲得するものの、「速報!日本レコード大賞」の新人賞(5人枠)争いでは、清水健太郎、高田みづえ、狩人(かりうど)の順で新人賞受賞が確定する中、続く受賞者を決める上位2名での決選投票で太川陽介(たがわ ようすけ)に破れた後、最後の1枠を巡って榊原郁恵(さかきばら いくえ)と再び決選投票となり、僅差(きんさ)で受賞を逃(のが)すこととなります。

翌年も、シングルはコンスタントに発売されましたが、今いちヒット曲に恵まれず、デビュー当初から気にかけてくれていた萩本欽一(はぎもと きんいち)や、同じレコード会社ということで縁のあった杉良太郎(すぎ りょうたろう)の後押しもあって、その後は次第に活躍の場をテレビドラマやバラエティー番組に移していくことになります。

さて今日は、そんな清水 由貴子のデビュー曲である「お元気ですか」をどうぞ。
 
お元気ですか/清水由貴子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、歌番組等ではバックの演奏と共に、自らもフォークギターを弾きながら歌うスタイルで、8.2万枚を売る大ヒットとなりました。

私は当時、清水由貴子の曲はあまり聴きませんでしたが、歌っているときの明るく爽やかな笑顔や、女性的で品のいい身のこなしが強く印象に残っています。(--)トオイ メ

「僕の贈りもの/オフコース」 - 名曲のご紹介

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「僕の贈りもの」のご紹介です。

オフコースは、小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループです。
1970年に「群衆の中で」でプロデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

オフコースの結成は、デビュー7年前の1964年(昭和39年)12月に遡(さかのぼ)ります。
この年、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中の生徒らが、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしました。
これがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指し、メンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成され、「オフコース」が誕生しました。
オフコースは、大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、同大学の友人から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれたりと、活発な演奏活動を続けました。

さて、オフコースは、「でももう花はいらない」に見られるように、当初は生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドに変わります。

そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「愛を止めないで」「さよなら」「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、ついには時代を代表するビッグ・グループとなります。

曲は、そんな彼らの多くのヒット曲の中から、1973年2月20日に発売された通算4枚目のシングルである「僕の贈りもの」をどうぞ。


僕の贈りもの/オフコース