Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ア・リトル・ラブ」- 名曲のご紹介

今日は、ジュース・ニュートンの「ア・リトル・ラブ」のご紹介です。

ジュース・ニュートン(1952年2月18日-)は、、アメリカ・ニュージャージー州レイクハースト出身のポップ&カントリー歌手です。

「Angel of the Morning(エンジェル・オブ・ザ・モーニング)」、「Queen of Hearts(クイーン・オブ・ハーツ)」、「The Sweetest Thing (I've Ever Known)」(ザ・スウィーテスト・シング)などのヒット曲で知られています。

ジュース・ニュートンのデビューは1975年で、2人の男性アーティストをバックに歌っていましたが、1977年解散。翌年の1978年に、ソロデビューをします。

最初は、なかなか芽が出ませんでしたが、ようやく3年後の1981年にヒットの兆しが見えはじめます。

メリリィー・ラッシュ(Merrilee Rush)の1968年のヒット曲である「Angel Of The Morning(エンジェル・オブ・ザ・モーニング)」をカバーし、POPチャート4位まで駆け上がります。

そして、1982年に通算4枚目のアルバム「Quiet Lies(クワイエット・ライズ)」を発売。
このアルバムのの12曲目に収録されていた「Love´s Been A Little Bit Hard On Me(ラブズ・ビーン・ア・リトル・ハード・オン・ミー)」が、日本でも爆発的にヒットすることになります。

さて今日は、そんなジュース・ニュートンの1984年のヒット曲である「ア・リトル・ラブ」をどうぞ。


ア・リトル・ラブ(A Little Love/ジュース・ニュートン(Juice Newton)

この曲の歌詞はこちら。

参考にしたサイト
ジュース・ニュートン Juice Newton -アメリカ・ポップス,80’sの洋楽POPS&ROCK(1980~1989)
http://ameblo.jp/1980music-pops-rock/entry-10560128329.html
ジュース・ニュートン-芽瑠璃堂ニュース
http://www.clinck.co.jp/merurido/dtl.php?ky=RVCD208

「ザ・ガードマンのオープニングテーマ」- 1965年4月から1971年12月にかけて、最高視聴率40.5%を記録したテレビドラマのOP

以前、懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」から、「マグマ大使の主題歌」をご紹介しました。
 

「マグマ大使の主題歌」 - 懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」のOP|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ちょっと趣向を変えて、懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」から、「マグマ大使の主題歌」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。「マグマ大使」(マグマたいし)は、漫画家手塚治虫


今日は「ザ・ガードマン」から「ザ・ガードマンのオープニングテーマ」のご紹介です。

ザ・ガード<span class=
写真はこちらからお借りしました。

「ザ・ガードマン」は、1965年4月から1971年12月にかけて、全350話にわたって放送された、TBSのテレビドラマです。

「ザ・ガードマン」は、当時はまだ発展途上だった警備という業種をテーマとした作品で、作中では宇津井健が扮する高倉キャップが率いる警備業「東京パトロール」を舞台に、犯罪と事件から市民を守るガードマン(守衛、警備員)たちの奮闘が描かれています。

このドラマは当時、最高視聴率40.5%を記録し、JNN全国視聴率調査においても1965年、1966年と2年連続1位に輝きました。

和製英語である「ガードマン」という言葉が定着したのはこのドラマの影響で、当時は「守衛」というのが一般的な呼び名でした。

さて、今日はその「ザ・ガードマン」のオープニングテーマをどうぞ。
 
ザ・ガードマン/オープニングテーマ

このドラマは、日本初の警備会社「日本警備保障」(現在のセコム)がモデルとなっており、途中でタイトルが変わっています。

第1話から第47話までは「東京警備指令 ザ・ガードマン」(とうきょうけいびしれい・ザ・ガードマン)でしたが、第48話から「ザ・ガードマン」となっています。

また、「ザ・ガードマン」の第1話 - 第174話、第177話、第180話 - 第187話、第190話 - 第195話、第197話、第199話、第206話はモノクロ作品で、これら以外はカラー作品でした。


ちなみに、「ザ・ガードマン」というタイトルに関しては、番組制作にあたって、日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」でしたが、これに対して、当時のの社長・飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったとされています。

なお、「ザ・ガードマン」の企業モデルとなったセコムは、高倉隊長を演じた宇津井健が肺気腫で亡くなった2014年3月14日の夜に、フェイスブック公式ページ(セコムタウン)とオフィシャルツイッターにて追悼コメントを発表して、故人を偲びました。

「夢で逢えたら/シリア・ポール」- 1977年のソロアルバム再デビュー曲&面白い制作裏話を紹介!

今回は、シリア・ポールの「夢で逢えたら」のご紹介です。
「夢で逢えたら」は、1969年にニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」初代DJ「モコ・ビーバー・オリーブ」の「オリーブ」(愛称)として人気があったシリア・ポールの、1977年のソロアルバム再デビュー曲です。
「夢で逢えたら」の作詞・作曲は大瀧詠一、編曲は多羅尾伴内・山下達郎です。
この記事では、シリア・ポールの人物紹介、「夢で逢えたら」の楽曲紹介、なんと、この曲の”ふわっとした夢心地”の雰囲気そのものが、レコーディング時に偶然生まれたことなど、面白い制作裏話を4つ厳選してご紹介します!

夢で逢えたら シリア・ポール ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シリア・ポールってどんな人?

シリア・ポール(Celia Paul、1947年10月23日 - )は、大阪府出身の女優・歌手です。
国籍はインド。ポール聖名子、エルザ・ポールは姉妹。

シリア・ポールは、子供の頃から、テレビ・映画に子役として出演。映画の初出演作は『亡命記』(1955年)。その後も松竹専属として9本の映画に出演します。

大阪女学院中学校入学と共に一時芸能界を離れまずが、卒業後、芸能活動を再開。テレビドラマの単発出演を数本務めた他『コロムビアグランドショー』の司会・レギュラー出演を務めます。

1969年に、ニッポン放送「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」初代DJ「モコ・ビーバー・オリーブ」の「オリーブ」(愛称)として人気があり、1977年、ソロアルバム「夢で逢えたら」で再デビューします。

1970年代後半から1980年代にかけては、FM東京のDIATONE 「ポップスベストテン」や「サントリー・サウンドマーケット」といった音楽番組のパーソナリティも担当しています。

「夢で逢えたら」名曲紹介

さて今日は、そんなシリア・ポールの1977年6月1日に発売された「夢で逢えたら」をどうぞ。


夢で逢えたら/シリアポール

この曲の歌詞はこちら。

「夢で逢えたら」の作詞・作曲は大瀧詠一、編曲は多羅尾伴内・山下達郎です。
この曲はその後、サーカス、桜田淳子、多岐川裕美、岩崎宏美、桑名晴子、石川ひとみ、北原佐和子、香西かおり、柴田くに子(現・森丘祥子)など、多くの歌手にカバーされています。

「夢で逢えたら」の面白い制作裏話

「夢で逢えたら」は、あの“ふわっとした夢心地”の雰囲気そのものが、レコーディング現場の偶然から生まれたところが面白いです。

1. あの有名な「タッタラ・タタッタ」のフルート、実はその場の思いつき

いちばん面白いのがこれです。

「夢で逢えたら」の歌い出しのあとに入る、浜口茂外也さの

♪タッタラ・タタッタ……

というフルート・フレーズ。

これは、大瀧詠一が最初から書いていたものではありません。浜口が録音中にふとひらめいて、その場で「こんなのどう?」と吹いてみたものだったそうです。そして、大瀧が「それいいね!」と採用した。つまり、あの曲を印象付けるメロディの一つが、スタジオで偶然生まれたものだったのです。

しかも浜口は、吉田美奈子の1976年版とシリア・ポールの1977年版の両方に参加しています、数少ない共通メンバー。シリア・ポール版ではドラムス上原裕、ベース田中章弘、ギター村松邦男、キーボード井上鑑、ストリングス・アレンジ山下達郎という錚々たるメンバーです。

2. 実は「夢で逢えたら」は最初からシリア・ポールに書かれた曲ではない

実はこの曲は、もともとアン・ルイスに書かれたものでしたが、当時の彼女のスタイルには合わないとしてボツになった、という話があります。

その後、まず吉田美奈子が1976年に録音。そして翌1977年、大瀧詠一プロデュースのシリア・ポール版へ。

なので、現在の「夢で逢えたら」のイメージからすると意外な感じがしますが、最初から「シリア・ポール=この曲」という運命的な組み合わせだったわけではないのです。

3. 大瀧詠一、ミックス違いを作りすぎ問題(笑)

さらにマニアックなのが、音の違いです。

録音自体は福生の「FUSSA45スタジオ」で行われました。ところがミックスダウンは複数の場所・時期にまたがり、後世にいくつものバージョンが残ることになります。

大瀧自身が2011年のインタビューで、最初に音響ハウスでミックスした「ONKIOミックス」について語っていて、
「雨の音がでかい(笑)。まるで台風」
とまで言っています。左右を入れ替えたり、全体の印象もかなり違うらしい。

つまり「夢で逢えたら」のあの音は、単純に「1977年に録音して完成!」ではなく、大瀧が後々までミックスをいじり続けた作品なのです。

実際、1997年盤には「Single Version」「Mono Version」「Mono Tracks Only」「'87 Mix」など複数の別バージョンが収録されています。

4. そして、実は「雨」の音まで作品の一部

ここが大瀧詠一らしくて面白いところです。

「夢で逢えたら」は歌詞自体が、
眠り続けたい
まぶたを閉じる
という夢の世界の話ですよね。

そこにエコーの深いボーカル、ストリングス、フルート、そしてミックスによってはかなり強調された“雨”のような音響が加わる。

大瀧は後年、その違いを自分で把握していて、別ミックスを残すかどうかまで悩んでいました。結果的に後の「夢で逢えたら」は、単なる一枚のレコードではなく、「大瀧詠一が何度も音像を組み替えた実験室」みたいな作品になっています。

2018年の40周年BOX『夢で逢えたらVOX』では、異なる3つのマスターテープを軸に、シングル、ライブ、アウトテイク、カラオケ、CM音源などまで大量に発掘・収録されました。

個人的に一番グッとくるのは、「夢で逢えたら」の象徴的なフルートが、作曲家・大瀧詠一の頭の中からではなく、浜口茂外也の“その場のひらめき”から生まれたという話です。

しかも、1976年の吉田美奈子版→1977年のシリア・ポール版と、同じ浜口がそのフレーズを演奏している。名曲の「顔」になる一節が、スタジオで偶然生まれ、それがそのまま後世に残ったわけです。