Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「恋文(こいぶみ)/由紀さおり」 - オリコン週間32位を記録したヒット曲

今日は、由紀さおりの「恋文(こいぶみ)」のご紹介です。

恋文 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。
 

「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -


発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1973年8月20日に発売された、通算20枚目のシングルである「恋文」をどうぞ。
 
恋文(こいぶみ)/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

何というか、古き良き時代の名曲という感じで、節回しとメロディーの展開が独特ですね。
この曲の冒頭部分の歌詞に出てくる「アズナヴール」というのは、フランスの歌手・俳優の「シャルル・アズナヴール」のことです。
What a great tune from the good old days, with a unique verse and melodic development.
The "Aznavour" in the lyrics of the first part of this tune is "Charles Aznavour," a French singer and actor.

シャルル・アズナヴール
シャルル・アズナヴール
写真は、こちらからお借りしました。

この曲の作詞は吉田旺(よしだ おう)、作曲は佐藤勝(さとう まさる)です。
この曲は当時、オリコンチャートにおいて最高順位週間32位を記録。
由紀さおりは、この曲で1973年の『第15回日本レコード大賞』・最優秀歌唱賞を受賞。
また、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』では、この曲を披露(ひろう)しました。


ゆうちゃん



作詞の吉田旺(よしだ おう)というのは、この年の前年に、ちあきなおみの『喝采(かっさい)』でレコード大賞を受賞した人なんだ

しんちゃん


そうなんだ
じゃ、作曲の佐藤勝(さとう まさる)は?


ゆうちゃん



佐藤勝は、映画音楽の作曲で知られている人だよ

しんちゃん



へえー、それはスゴいね!
なんか、最強のコンビという感じだね

姉との歌手活動など

由紀 さおりは、1985年から、姉の安田祥子と共に、童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになっていきます。

1986年には、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、同年の暮れには、第28回日本レコード大賞企画賞を受賞。
そして、童謡ブームの火つけ役となります。

1987年には、童謡歌手として「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。
NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演します。

2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌います。

姉との共同レパートリーは童謡・唱歌にとどまらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌等と、多ジャンルに渡っています。

特に、スキャットで唄った「トルコ行進曲」は、1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」で披露されたことで、一躍日本全国に知れ渡ります。

現在でも、各地で精力的にコンサートを行なう一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行なっています。

「疑問符/河合奈保子」- オリコン週間4位を記録した、河合奈保子の1983年のヒット曲

今日は、河合奈保子の「疑問符」のご紹介です。

疑問符 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。娘は、歌手のkaho。

河合奈保子 ピンナップ
写真は、こちらからお借りしました。

河合 奈保子は、1980年代に活躍した歌手・アイドルの一人です。
代表曲には、「エスカレーション」「夏のヒロイン」「スマイル・フォー・ミー」「けんかをやめて」などがあります。
 

「エスカレーション/河合奈保子」 - 映画「居酒屋兆治」劇中歌 35万枚近くを売上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、河合奈保子の「ハーフムーン・セレナーデ」をご紹介しました。 「ハーフムーン・セレナーデ/河合奈保子」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ以前、河



「スマイル・フォー・ミー/河合奈保子」 - 「第23回日本レコード大賞」ゴールデン・アイドル賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は


河合 奈保子の、その明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、当時、幅広い世代に愛されました。
また、スタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会をたびたび飾り、当時出版された写真集は、2012年現在もなお、古書市場において根強い人気をっています。

また、河合奈保子は、歌うだけでなく、ピアノ、ギター、マンドリン、シンセサイザーも演奏し、自ら作詞作曲した歌をも発表しています。

くわえて、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

あしたのナオコちゃん  中西裕
あしたのナオコちゃん 中西裕
写真は、こちらからお借りしました。

今日は、そんな多才な河合奈保子の曲の中から、1983年12月1日に発売された通算15枚目のシングルである「疑問符」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて最高順位週間4位、1984年度年間73位を記録しています。

1984年発表のアルバム「デイドリーム・コースト」においては、録音から制作に参加。
これを契機に、音楽の制作面にも関与していきます。

1985年に、ベストアルバム「NAOKO 22」のボーナストラックという形で自作曲を発表。
コンサートでも、次第に自作曲の河合割合が増えていき、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム「スカーレット」を発表します。

1987年4月に行なわれたKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考をし、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物』を「かたつむり大作戦」の会場「KBSホール」から歌唱。

また、この時期は、テレビドラマやミュージカルにも積極的に出演しました。

1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』に「おいては、主題歌と共に声優として出演。
1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME~恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当します。

テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』、『ママじゃないってば!』に出演。
1988年に岐阜市で行なわれた「ぎふ中部未来博」では、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当しました。

1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム「Tears of Nature」、「Gentle Voice」で全作曲を担当するとともに、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加。
ミッキー吉野らと共演したこともありました。

そして、1996年2月1日に、ヘアメイクアップアーティストの男性との婚約を発表。
同年2月6日に婚姻届を提出し、翌1997年の第一子出産を契機に、河合奈保子は芸能活動を停止します。

なお、夫との間には2人の子供がおり、第二子であるkahoは、2013年11月27日に「Every Hero/Strong Alone」でデビューしています。

kaho
河合奈保子の娘 kahoちゃん<

「悲しみは駈け足でやってくる/アン 真理子」 - 漢字の独自解釈が特徴の詞! アン 真理子自身の作詞による1969年のヒット曲!

今日は、アン 真理子の「悲しみは駈け足でやってくる」のご紹介です。

悲しみは駈け足でやってくる アン真理子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アン 真理子(アン まりこ、本名:佐藤ユキ(さとう ユキ) 1945年 -)は、日本の歌手、作詞家、女優です。

アン 真理子は、日劇のダンサー兼コーラス員としてデビューした後、平岡精二クインテット等のソロ歌手となります。

1966年、東京ヒルトンホテルのスター・ヒル・プラザに出演していたときに、出門ヒデと「ユキとヒデ」を結成。
そして、翌年の1967年に、デビューシングルを発売します。

ユキとヒデとしての活動と平行して、ソロ歌手藤ユキ(ふじ ユキ)としても活動。

1968年に、ユキとヒデは解散しますが、藤ユキ名義の活動は続行します(ヒデは同年、ヒデとロザンナを結成)。

1969年に、ソロ名義もアン真理子と改称、再デビューを果たします。

今日は、そんなアン 真理子の、1969年に発売された「悲しみは駈け足でやってくる」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら


「クスン!」「 いい曲だニャー。この曲を聴いていると、泣けてくるニャン」

「悲しみは駈け足でやってくる」は、オリコンチャートによれば、1969年9月下旬から11月の初めにかけてヒットした曲で、作詞は、歌唱しているアン真理子自身によるものです。

詞の特徴としては、「明日」を”明るい日”、「若い」を”苦しい”と、漢字の独自解釈をしている点で、これが聞く者を、「なるほど、もしかしたらそうかもしれない」と妙に納得させてしまう、不思議な力をもっていたように思います。
そしてこれが、楽曲の良さとあいまって、この曲をヒットに導いたのではないかと管理人は推測しています。

なおこの曲は、後に浜田朱里がカバーしています。

浜田朱里といえば、「青い花火」も名曲です。
お時間があれば、どうぞこちらもお聴きになってみてください。
 

「青い花火/浜田朱里」 - 「さよなら好き」でデビューした浜田朱里の通算3枚目のシングル|Super源さんの音楽ブログ


今日は、浜田 朱里の「青い花火」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。浜田 朱里(はまだ じゅり、本名:宮崎珠里(みやざき じゅり) 1962年11月1日 -)は、東京都出身の元