Super源さんの音楽ブログ

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「負けないで/ZARD(ザード)」 - ドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズのエンディングテーマ! オリコン1位&ミリオンセラーとなったヒット曲! 曲の制作秘話も紹介!

今日は、ZARDの「負けないで」のご紹介です。

負けないで ZARD ザード ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ) 1967年2月6日 - 2007年5月27)を中心とした音楽ユニットです。

坂井 泉水
坂井泉水
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ZARDの坂井 泉水は、1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっています。
また、アルバムでは、9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録となっています。

ZARDは、1993年に通算6枚目のシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。
その3ヶ月後に、通算8枚目のシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。
この2曲を収録した4thアルバム「揺れる想い」が200万枚超の売り上げを記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格となりました。
そしてまた、この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得しています。

今日は、それらのヒット曲の中から、1993年1月27日に発売された通算6枚目のシングルである「負けないで」をどうぞ。
 
負けないで/ZARD

この曲の歌詞はこちら
ひらがな付きの歌詞はこちら

聴いていると、スゴく元気のでる曲です。ヘ(^o^)ノ*
この曲は、前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングルで、表題曲は松泰子主演のテレビドラマ『白鳥麗子でございます!』第1シリーズの主題歌に起用されており(この曲は同シリーズのエンディングテーマに使用)、ZARDがドラマ主題歌を手掛けるのは前作に続き2作連続となりました。

「しらけ鳥麗子でございます!」
しらけ鳥 イメージ
写真はこちらからお借りしました。

「負けないで」は、2作ぶりに織田哲郎が作曲を手掛けたもので、もともと織田哲郎のアルバム用の楽曲でしたが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評なためシングル化されました。
クレジット表記はされていませんが、この曲のコーラスに大黒摩季が参加していることが、坂井の死後に明かされています。

またこの曲は、2010年には「2010年バンクーバーオリンピック」に因(ちな)んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』のCMソングに起用。
また、オリコンの週間チャートで初登場2位となり、その後もトップ3を維持し、4週目で首位を獲得。
初登場から、10週連続トップ10入りを記録しています。

年間チャート6位を記録したZARDの最大のヒット曲であり、ZARD大ブレイクのきっかけとなった楽曲であるほか、1994年のJASRAC賞においても銅賞を獲得しています。

「負けないで」制作秘話

この曲は、もともとは織田哲郎のアルバム用の楽曲でした。
が、坂井の詩をつけて歌ってみたところ、非常に好評だったため、シングル化されました。
織田哲郎の曲は、特にイメージや設定もなく、自然に出てきたメロディーでしたが、坂井泉水の歌詞がはまった瞬間、プロデューサーの長戸大幸は「これは売れる!」と確信したといいます。

長戸大幸によれば、この曲の歌詞は、恋よりも夢を選んで遠くへ行ってしまう相手を応援する「遠距離恋愛」の歌でした。
ディレクターの寺尾広は、「このメロディーはこの言葉を言っている。そうとしか聞こえない」という話を坂井から聞いたといいます。この話がどこまで本当なのか尋ねてみると、微笑みと共に「秘密です」と返されたといいます。

坂井泉水は、この曲のレコーディング中に、”最後まであきらめないで”から”最後まで走り抜けて”と歌詞を書き換えており、この楽曲について「当時、何作かずっと恋愛の詞ばかり書いていたので、今度は違うタイプの詞も書きたいなと思っていた矢先でしたので、このテンポ感のある曲を聞いたときに"応援歌っぽいな"ってすぐにイメージが湧いてきて一気に書き上げました。いつものシングルに比べてすごく自分でも楽しみながら書けた一曲です。」と語っています。

当時のスタッフも、「発売された時期的にも団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプトでした」と語っています。

「魔法の黄色い靴/チューリップ」 - チューリップのメジャーデビューシングル

今日は、チューリップの「魔法の黄色い靴」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

チューリップは、1970年に当初「ザ・フォーシンガーズ」として結成されたバンドです。
当時、音楽界にロックでもフォークでもない新しい音楽「ニューミュージック」というものが登場するのですが、チューリップは、この分野を開拓したバンドのひとつでもあります。

チューリップは、ビートルズに強く影響を受けたバンドで、リーダーの財津和夫(ざいつ かずお)は、和製ポール・マッカートニーを自認し、メロディアスでポップな作品を多数制作し、世に送り出しています。

また、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当しているのもこのバンドの特徴のひとつとなっており、この方針は現在も伝統的に受け継がれています。

さてそれでは、今日はそんなチューリップの、1972年6月5日に発売された「魔法の黄色い靴」をどうぞ。
 
魔法の黄色い靴/チューリップ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、財津和夫が作詞・作曲を手掛けたもので、チューリップのメジャーデビューシングルとして、前述した1972年6月5日に東芝音楽工業から発売されました。

なんと、レコーディングに異例ともいえる16時間が費やされたもので、業界関係者には高い評価を得たものの、地元・福岡以外では売れず、全国的なヒットには結びつきませんでした。
発売当時の売り上げは2,000枚に過ぎなかったものの、チューリップの記念すべきデビュー曲であることに変わりはなく、ライブにおいては長年にわたってエンディングを飾る曲として定着しています。

発売から20年以上が経過した1993年には、ダイドー「ブレンドコーヒー」のCMソングにされ、2002年には、チューリップの半生を描いたミュージカルのタイトルにも採用されました。
このミュージカルの主なキャストは、山本耕史、河相我聞、遠山景織子などで、財津和夫は、このミュージカルの舞台監修を務めています。

「雨のテレフォン/岡田奈々」 - 遠距離恋愛の終焉(しゅうえん)を歌った切ない曲

今日は、岡田奈々の「雨のテレフォン」のご紹介です。

雨のテレフォン 岡田奈々 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々 ブロマイド

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。

1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八犬伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。

今日は、そんな岡田奈々の、1976年8月25日に発売された通算3枚目のアルバム「握手しようよ」の中から、「雨のテレフォン」をどうぞ。(^-^)/
 
雨のテレフォン/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

失恋の歌です。
正確には、遠距離恋愛の終焉(しゅうえん)を歌った曲です。
これは切ないですねー。【><】

岡田奈々は、10代の頃に石井輝男監督の東映最後の作品「暴力戦士」(1979年)に出演した縁で、同監督の劇場用映画への復帰作「ゲンセンカン主人」(1993年)と「無頼平野」(1995年)に、2本続けて出演し、ヒロインを演じています。

石井監督は、「彼女のような顔が、好み」ということで、映画「ラブ&ポップ」(1998年)や、テレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」(2001年)においては、岡田奈々を主人公の母親役に起用しています。

また近年では、清純派を脱皮する演技力を見せています。

サメにテレフォン
サメにテレフォン
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「うわー、サメだ! 本当にやって来たぜ! 帰れ、帰れ!」「電話で呼び出しといて、何言ってまんねん」

今思ったのですが、遠距離恋愛の終焉(しゅうえん)を歌った曲といえば、ある意味「手編みのプレゼント」もそうですね。
 

「手編みのプレゼント/岡田奈々」 - オリコン30位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「岡田奈々」の「手編みのプレゼント」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市


なお、岡田奈々はNAVレコードに所属していましたが、同社を吸収したポニーキャニオンから、現在すべてのシングル・アルバムがCD化され、再発売されています。

ちなみに、芸名の「奈々」は、宗教家である父親が、以前菜の花を求めて各地を旅する養蜂業者であったことに由来しているということです。

また、AKB48の岡田奈々(愛称なぁちゃん)は、同姓同名の別人です。