Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「恋と涙の17才/つちやかおり」 - 17才の揺れる乙女心を抜群の歌唱力で歌い上げたデビュー曲!

今日は、つちやかおりの「恋と涙の17才」のご紹介です。

恋と涙の17才/つちやかおり ジャケットイメージ
出典:https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/

つちやかおり(本名:土屋かおり、1964年8月26日生まれ)は、女優、タレント、元アイドル歌手です。
つちやかおりは、1979年にテレビドラマ「3年B組金八先生」でデビューし、1982年に「恋と涙の17才」で歌手デビューをします。
その後、シングル11枚、アルバム8枚を発売。つちやかおりは、1980年代のアイドル歌手の1人として広く知られています。

デビュー曲の「恋と涙の17才」は、Leslie Gore(レスリー・ゴーア)の「You Don't Own Me(ユー・ドント・オウン・三―)」のカバー曲で、つちやかおりはこの曲を、湯川れい子が日本語訳したものを、抜群の歌唱力で歌っています。

それでは今日は、1982年6月21日に発売された、その「恋と涙の17才」をどうぞ。
恋と涙の17才/つちやかおり

いい曲ですねー。(^O^)
歌もうまく、聞き惚れてしまいます。(^-')
というより、この声好き!(#^.^#) ポッ!
It's a good tune! (^O^)
It is well sung and you can't help but listen to it. (^-')
I like her voice! (#^. ^#) blush!

「恋と涙の17才」ってどんな曲?

「恋と涙の17才」は、湯川れい子の日本語詞が、17才の揺れる乙女心を見事に表現している佳曲です。
J.Madara-D.White(J.マダラ D.ホワイト)が作詞したレスリー・ゴーア(Leslie Gore)のオリジナル版は、女性の自立をテーマにした内容ですが、つちやかおり版では、主人公の女の子の夏の揺れ動く心情や、初めての恋に対する戸惑いを表現したものとなっています。

例えば、「ゆらゆら ゆれる夏が怖い」というフレーズからは、恋愛に伴う不安や期待が感じられます。
また、「涙の意味が判りそうよ」という部分は、恋愛の苦しみや成長を暗示しています。
特に、これらが男性の視点ではなく女性の視点で語られることで、より共感される内容となっています。

つちやかおりの声の特徴は?

つちやかおり_01
出典:https://www.last.fm/music/

つちやかおりの声の特徴は、透明感がありながらも独特の陰(かげ)りを持つ声質です。
彼女の声は、高くて明るい印象ながら、どこかしら陰りを感じさせる独特の魅力があります。
この声は、彼女の歌う楽曲においても、恋する人々を応援するような内容と相まって、彼女の可愛らしさを引き立てています。

つちやかおりの音楽スタイルと影響は?

つちやかおりの音楽は、ポップスやアイドルソングに分類されますが、彼女の楽曲は当時の若者に大きな影響を与えました。
特に、「哀愁のオリエント急行」などの楽曲は、彼女の独特の歌声と表現力で、多くのファンを魅了しました。

つちやかおりは女優としても活動?

つちやかおり_02
出典:https://www.last.fm/music/

つちやかおりは、歌手活動だけでなく、女優やグラビアモデルとしても活動。
テレビドラマや映画にも出演し、アイドルとしての多才な面をもっています。
さらに、彼女は2012年4月6日に、20年ぶりに本格的に芸能界に復帰しますが、その後ティーバードに所属し、現在も芸能活動を続けています。

つちやかおりは今何をしている?

つちやかおりは、今も芸能活動を続けています。
最近では、還暦記念ライブを行なうなど、ファンとの交流を大切にしています。
つちやかおりのこれらの活動は、80年代のアイドル文化を象徴する存在として、今もなお多くの人々に愛されています。

オリジナル曲、「想い出のフォトグラフ」(インスト)を公開しました!

皆さん、こんばんは。(^^)/

先日、新曲をホームページの方で公開したのでお知らせいたします。
曲名は、「想い出のフォトグラフ」です。(^o^)/ ジャーン!

インスト曲は、前曲が2024年9月の公開だったので、約4か月ぶりとなります。
 
オリジナル曲、「夏の日の出来事」(インスト)を公開しました!|Super源さんの音楽ブログ

オリジナル曲、「夏の日の出来事」(インスト)を公開しました!|Super源さんの音楽ブログ


皆さん、こんばんは。(^^)/先日、新曲をホームページの方で公開したのでお知らせいたします。曲名は、「夏の日の出来事」です。(^o^)/ ジャーン!インスト曲は、前曲が2024年3月の公開だ


モウ ソンナニ タッタノ カ。(--)トオイ メ

というより、年内に完成して良かった。(^。^;) ホッ!

今回は、子供の頃の楽しかった思い出をイメージして作った、明るい曲です。(^^)

映像にすると、こんな感じです。ρ(。_。)

夏の日の出来事

今回は、明るさの中にちょっぴりの懐かしさのあるような曲を目指して錯覚、じゃなかった作曲を行ないました。(^^)
良かったら、どうぞお聴きになってみてくださいね。o(^-^)o

錯覚シテ ドウスル。 (。_゚)☆\バキ!(-.-メ)

また、特記事項としては、今回の曲も、前回同様、MIX時にDAWのバウンス機能を使わず、CDレコーダーで録音しています。

何故そんなめんどり、じゃなかった面倒なことをするようになったのかの経緯については、別ページの以下の項目に書いてありますので、良かったらお読みになってみてくださいね。(^^)

2.MIXはバウンスを使わず、CDレコーダーで録音

もしかしたら、何か得るものがあるかも知れません。

なお、念のため説明すると、この曲のタイトル中のフォトグラフというのは、思いのままの生活をすることです。(^^)

(。_゚)☆\カーン! (-.-メ) ソレ ハ ”放蕩(ほうとう)暮らし”。

曲は、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開中です。

曲のページへは、以下のリンクから直接行けます。

想い出のフォトグラフ | Super源さんの癒しの音楽館

ということで、新曲「思い出の放蕩暮らし」、じゃなかった「思い出のフォトグラフ」に何かご感想などありましたら、掲示板か、この記事のコメント欄にいただけるととてもうれしいです。(^^)

掲示板 - Super源さんの癒しの音楽館

以上、取り急ぎ、新曲公開のお知らせでした!(^Q^)/

「赤坂の夜は更けて/西田佐知子」 - 「コーヒールンバ」で知られる西田佐知子の、50万枚の売上げを記録したヒット曲!

今日は、西田 佐知子の「赤坂の夜は更けて」のご紹介です。

赤坂の夜は更けて 西田佐知子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元歌手です。愛称は「さっちん」。
夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏。俳優・タレントの関口知宏は息子。

西田 佐知子は、1956年に、「伊那の恋唄」でマーキュリーから歌手デビューをします。

1960年に、「死ぬまで一緒に」を発売。

1961年に、ギリシャ映画「日曜はダメよ」同名主題歌がスマッシュヒット。
続けて、外国曲のカバー「コーヒールンバ」がメガヒット。
 
「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 原曲はホセ・マンソ・ペローニ作曲の「Moliendo Cafe」 1961年のメガヒット曲! |Super源さんの音楽ブログ

「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 原曲はホセ・マンソ・ペローニ作曲の「Moliendo Cafe」 1961年のメガヒット曲! |Super源さんの音楽ブログ


今日は、西田 佐知子の「コーヒールンバ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区出


西田 佐知子は、これらの曲のヒットにより、一躍その名を知られるようになります。

1962年に、 「アカシアの雨がやむとき」で、村田英雄の「王将」とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。
 
「アカシアの雨がやむとき/西田佐知子」 - 歌謡映画「アカシアの雨がやむとき」の主題歌&西田佐知子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ

「アカシアの雨がやむとき/西田佐知子」 - 歌謡映画「アカシアの雨がやむとき」の主題歌&西田佐知子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、西田 佐知子の「アカシアの雨がやむとき」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子、1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城


1967年には、レコード売上1000万枚突破記念曲「たそがれの恋」を発売。
同年9月30日には、東京厚生年金会館で、レコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを開催します。

今日は、そんな西田佐知子の1965年のヒット曲である、「赤坂の夜は更けて」をどうぞ。
赤坂の夜は更けて/西田佐知子

「赤坂の夜は更けて/女の意地」(あかさかのよはふけて/おんなのいじ)は、1965年12月に発売された西田佐知子のシングル盤です。

このシングル盤は、AB面ともにムード歌謡風の2タイトルが収録されたもので、作者はどちらも東京放送の音楽プロデューサー・ディレクターとして知られる鈴木道明が手掛けています。

「赤坂の夜は更けて」は、島倉千代子、和田弘とマヒナスターズ、三島敏夫、武井義明など他歌手との競作となりましたが、最もヒットしたのが西田佐知子版で、西田版は1968年時点で50万枚の売上げを記録しました。

「あーかさかでーすかー、レーレレのレー」


この曲は、のちにちあきなおみ、藤圭子、麻生よう子など、そのときどきの流行歌手にカバーされています。
また、西田佐知子は1965年大晦日に放送された『第16回NHK紅白歌合戦』に出演し(連続5回目)、この楽曲を披露しました。

なお、西田佐知子は1971年に関口宏と結婚してからは歌手活動を縮小したため、連続出場10回目を飾った1970年が最後の紅白出演となっています。

西田佐知子は、今どうしている?

西田佐知子は今、病気療養中のようです。
詳しくは、以下でリサーチしていますので、お読みいただければと思います。

西田佐知子は、今どうしている?

「西田佐知子って、韓国人だというウワサがあるニャー」「それは陰謀論だニャン。彼女は純粋な日本人だということだということだニャン」「長いニャ」