Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「シュガーはお年頃/スターダストレビュー」 - 1stアルバム「STARDUST REVUE」と同日発売のデビュー曲 シチズンのCM

今日は、スターダストレビューの「シュガーはお年頃」のご紹介です。

夢伝説 スターダストレビュー ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

スターダストレビュー(Stardust Revue、スターダスト・レヴュー、スターダスト★レビュー)は、1979年に結成され、1981年にメジャーデビューした音楽バンドです。
通称は、スタ★レビ、SDR。

メンバーは、以下の通りです。

1.根本要(ねもと かなめ、1957年5月23日 - ) ギター、ヴォーカル。埼玉県行田市出身。
2.柿沼清史(かきぬま きよし、1957年11月11日 - ) ベース、コーラス。埼玉県羽生市出身。
3.寺田正美(てらだ まさみ、1959年7月26日 - ) ドラム、コーラス。埼玉県熊谷市出身。
4.林“VOH”紀勝(はやし・ボー・としかつ、1960年1月28日 - ) パーカッション、コーラス。埼玉県熊谷市出身。

サポートメンバー
1.添田啓二(そえだ けいじ、1966年7月26日 - ) キーボード、コーラス。千葉県松戸市出身、血液型O型。
2.岡崎昌幸(おかざき まさゆき、1968年12月15日 - ) ギター、キーボード、コーラス。東京都出身、血液型O型。

1979年、グループ名「(ジプシーと)アレレのレ」として第18回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場。「おらが鎮守の村祭り」で優秀曲賞を受賞します。
そしてデビューする際、ジャズのスタンダードナンバー「スターダスト」とグループが持つ多様な音楽性をレビュー形式で披露したい、とのことから、グループ名をスターダストレビューに改名。

1981年5月25日に、アルバム「STARDUST REVUE」、シングル「シュガーはお年頃」でデビューをします。
1984年に発売された5枚目のシングル「夢伝説」が、カルピスのCMソングに起用され、知名度が上昇します。
 
「夢伝説/スターダストレビュー」 - カルピス CMソング|Super源さんの音楽ブログ

「夢伝説/スターダストレビュー」 - カルピス CMソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、スターダストレビューの「夢伝説」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。スターダストレビュー(Stardust Revue、スターダスト・レヴュー、スターダスト★レビュー)は


1980年代中期頃からは、「Stay My Blue~君が恋しくて~」(1988年)、「Be My Lady」(1989年)とメニコンCMソングに2年連続で起用されます。
そして1989年には、「夏のシルエット」がピクニックのCMソングに起用されます。

さて、今日はそんなスターダストレビューの、1981年に発売されたデビュー曲である「シュガーはお年頃」をどうぞ。
 
シュガーはお年頃/スターダストレビュー

この曲の歌詞はこちら

いやー、これはいいですねー。(^o^)
「テンション高く、馬いななく秋」です。ヽ(^o^)ノ ←(^^; イミ フメイ。
アイデア満載、メロディーの良さに加え、細かい工夫が随所(ずいしょ)に散りばめられた、完成度の高い楽曲だと思います。(^^)

「シュガーはお年頃」は、1981年5月25日にワーナー・パイオニアから発売されたスターダストレビューのメジャー・デビュー・シングルで、作詞・作曲は根本要/手島昭です。
1stアルバム「STARDUST REVUE」と同じ日に発売されました。

この曲は、シチズンのCMに使用されたことがあります。
また、立川志の輔の「志の輔らくご」の追い出しに長く使われています。

「スターダストレビュー」のその後~現在

「スターダストレビューはやっぱりいいね」知らないおじさんが絶賛


ゆうちゃん



何か突然、知らないおじさんが出てきて、驚いたね


しんちゃん



オレも驚いた
スターダストレビューファンのおじさんだね
親指を立ててるよ
・2012年5月19日に、さいたまスーパーアリーナにて「STARDUST REVUE 30th Anniversary オールキャストで大謝恩会 ~5時間程度まったりと~おみやげ付き」を開催。過去に在籍した三谷や光田がゲストとして参加したほか、シークレットゲストとして田村直美、相田翔子、大泉洋(VTR出演)、ゴスペラーズが参加、6時間を超えるライブとなりました。

・2013年10月1日に、「夢伝説」がJR高崎線行田駅の発車メロディとなります。

・2017年5月21日に、さいたまスーパーアリーナにて「STARDUST REVUE 35th Anniversary スタ☆レビ 大宴会~大コラボレーションライブ~大抽選会付き」を開催。過去に在籍した三谷と光田は参加しませんでした。このとき、スペシャル・ゲストとして、小田和正、鈴木雅之、KAN、岸谷香、杉山清貴、馬場俊英、松たか子、スキマスイッチ、渡辺美里、森高千里、矢井田瞳、13人のゲストが参加。6時間を超えるライブとなりました。

・2018年に、日本コロムビアに移籍。

・2018年6月12日に、根本の脳に小さな血栓が見つかり緊急入院をします。それに伴い、アルバム「還暦少年」発売イベント等が中止。しかしながら、7月以降のコンサートは予定通り行なわれました。

・2022年10月4日に、林の咽頭がんを公式ホームページで公表。10月22日から始まる『スターダスト☆レビューツアー2022~2024「ブギウギワンダー☆レビュー」』の直前での公表となりました。幸いなことに、病状は早期発見で、担当医の診断は「半年くらいで治せる」で、同ツアーを半年間休養することも併(あわ)せて発表されました。

「秘密のオルゴール/川田あつ子」- オリコン82位を記録したデビュー曲 歌唱力は? また、現在何をしている?

今日は、川田あつ子の「秘密のオルゴール」のご紹介です。

秘密のオルゴール 川田あつ子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

川田あつ子(かわだ あつこ、1965年8月10日 - )は、東京都保谷市(現・西東京市)出身の女優、元アイドです。
夫は、俳優・タレントの柳憂怜(やなぎ ゆうれい、元お笑い芸人(たけし軍団のメンバー)、旧芸名:柳 ユーレイ)

川田あつ子1は、1981年に、雑誌の「街で見かけた女の子」というグラビアページに登場したのをきっかけに芸能界入りします。
そして、「花の82年組」といわれる新人アイドル豊作の年にレコード・デビュー。
川田あつ子のアイドル歌手としての活動は2年ほどでしたが、ルックスの良い彼女のブロマイドの売上げがベスト10に入るなど、当時人気となりました。

川田あつ子 写真_01
川田あつ子 写真_02
出典:http://www.lastscene.net/A'sworld-photomemorial-menew.html

さて今日は、そんな川田あつ子の、1982年に発売されたデビュー曲である「秘密のオルゴール」をどうぞ。
 
秘密のオルゴール/川田あつ子

「これぞアイドル曲だ!」 といった感じの、もうアイドル曲のお手本のような曲ですね。(^^)
この曲の作詞は松本隆、作曲は財津和夫、編曲は大村正朗(おおむら まさあき)で、オリコンチャートにおいて、最高順位82位、0.6万枚の売上げを記録しています。
歌詞、メロディー、アレンジともに非の打ちどころがない、とても素敵な作品だと思います。

財津和夫が手掛けた数ある作品の中でもトップクラスのメロディーと、大村正朗の感動的なアレンジ。
大村正朗は、松田聖子の名曲「SWEET MEMORIES(スウィート・メモリーズ)」の作曲・編曲でも知られる作曲家です。

というより、川田あつ子、可愛いーっ。(♡O♡) (#^.^#)ぽっ!

川田あつ子はもともとドラマ出演でデビュー

川田あつ子は、もともとはドラマ出演でデビューをします。
そしてその後、女優業を中心に活動。
テレビドラマ、映画、舞台等、数多くの作品に出演します。
活動範囲は、その他声優、ラジオパーソナリティー、CM等と幅広く、また作詞家として歌手に詞の提供もしています。
また川田あつ子は、高校時代中森明菜とはクラスメートだったようです。

「秘密のオルゴール」の歌詞

著作権の関係か、単に古いからだけなのか、「秘密のオルゴール」の歌詞がインターネット上に見つかりませんでした。
ということで、当時発売されたこの曲のシングルレコード(ドーナツ盤)に入っていた歌詞カードの写真を以下に張りつけます。
ちょっと見にくいですが、ご勘弁。 m(_._)m

秘密のオルゴール 川田あつ子 歌詞カード
出典:https://www.parareco-domestic.com/product/3807

時間がある時に、また探してみますね。( ^-^)v

川田あつ子の歌唱力は?

川田あつ子の歌唱力ですが、お聴きいただけば分かる通り、決して「優れた歌唱力」 とは言いがたいものがあります。(^^;
インターネット上でも、彼女の歌唱力に関して、高評価はあまり見つかりませんでした。
が、その辺は可愛さでカバー \(^o^)/ していますね。

ということで、私としては「NICE」評価にしたいと思います。



「ニャー。この曲、どう思う?」「そうだニャー。『安定の財津クオリティー』に、『不安定な川田ボーカル』が乗った曲かニャ」「うまいこと言うニャー」
川田あつ子の「秘密のオルゴール」を評価する猫

ゆうちゃん



川田あつ子といえば
「8時だョ!全員集合」でのあの事件はずっと語りつがれるだろうね


しんちゃん



あっ!
あのいきなりサビに行っちゃったやつ?


ゆうちゃん



そうそう
【8時だョ!全員集合】秘密のオルゴール - 伝説の? 歌入れ間違え。目、泳いじゃってます。

川田あつ子の略歴

以下が、川田あつ子の略歴です。
・1981年:集英社「週刊ヤングジャンプ」のギャルズコンテストでミスヤングジャンプグランプリ受賞。
・1981年:TBS系「たのきん全力投球!」にてテレビ初出演(レギュラー出演)。
・1982年:CBS・ソニーより「秘密のオルゴール」で歌手デビュー。ハウス食品のCMソング及びイメージキャラクターに起用される。TBSのテレビドラマ「人間万事塞翁が丙午」(青島幸男原作、久世光彦演出)にてヒロイン役で女優デビュー。
・1996年:小説「RAIN~眠らざる街~」(廣済堂)を発表。同年映像化される。
・1999年:川田のファンであり、当時たけし軍団のメンバーだった柳ユーレイ(現・柳憂怜)と結婚。
・2000年:川田自身がプロデュースした2冊組写真集「AII.A」でヌードを披露(ひろう)。

川田あつ子の提供作品

川田あつ子の他の歌手への提供作品(詞)は、以下の通りです。

高山厳:「祈るだけの恋」「貴方のことだけ」「おしえて」
平山みき:「思い出の海」

川田あつ子は現在何をしている?

川田あつ子は、近年はエッセイ・小説等も発表するなど、多芸多才(たげいたさい)ぶりは健在(けんざい)で、今もファンに根強い人気があります。
また、夫・柳憂怜(やなぎ ゆうれい)とともに、短篇映画等の制作も手掛けています。

川田あつ子夫婦のオフィシャルサイトはこちら。

柳憂怜・柳ユーレイ&川田あつ子 事務所サイト
http://www.lastscene.net/Toppage2.html

「落陽(らくよう)/吉田拓郎」- オリコン週間41位を記録したヒット曲

今日は、吉田拓郎の「落陽(らくよう)」のご紹介です。

落陽 らくよう 吉田拓郎 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 -)は、 鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市)出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、フォーライフ・レコードの第2代社長です。

吉田 拓郎は、日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、1970年代の初めに、当時マイナーだったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です。
また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たした人物でもあります。

1970年4月に、吉田拓郎はインディーズレーベルのはしりであったエレックレコードに契約社員として就職し、1972年1月、CBSソニーに移籍し、アーティスト兼プロデューサーとして契約を結びます。
移籍と同時に発売した「結婚しようよ」が、オリコンチャート3位、40万枚以上の売り上げを記録します。

この曲のヒットで、それまで長髪の若者たちの反体制的な音楽としてしか見られていなかったフォークが、一躍普通の音楽として認知され、それまでサブカルチャーであったフォークが、メインカルチャーへ浮上する分岐点となりました。

さらに、「旅の宿」もヒットしたことで、作曲の依頼が吉田拓郎のもとに舞い込み、モップスに「たどりついたらいつも雨降り」、猫に「」「地下鉄に乗って」を提供。
吉田拓郎は、フォーク歌手としてだけでなく、売れっこ作曲家となり、さらに人気が高まります。
 
「旅の宿/吉田拓郎」 - オリコン1位を記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ

「旅の宿/吉田拓郎」 - オリコン1位を記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、吉田拓郎の、「夏休み」をご紹介しました。 「夏休み/吉田拓郎」 - シングル「風をみたか」のB面に収録されている名曲! 「夏休み」に関する都市伝説は本当? また、「吉田拓郎死亡説」


2月26日に公開された近代放映製作・東宝配給の映画『百万人の大合唱』(須川栄三監督)の劇中では、「今日までそして明日から」を歌唱し、6月には長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子と結婚式。「町の教会で結婚しようよ」など、若者の新しいライフスタイルを表現した歌は、ブライダル業界にも大きな影響を与えます。
 
 「今日までそして明日から/吉田拓郎」 - 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』挿入歌|Super源さんの音楽ブログ

「今日までそして明日から/吉田拓郎」 - 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』挿入歌|Super源さんの音楽ブログ


今日は、吉田拓郎の「今日までそして明日から(きょうまでそしてあしたから)」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 -)は、 鹿児島県


さて、今日はそんな吉田 拓郎の、1973年12月21日に発売されシングル「落陽(らくよう)」をどうぞ。
 
落陽/吉田拓郎

いい曲ですねー。(^o^)
この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位週間41位を記録しています。

「落陽」は、1973年11月26・27日に中野サンプラザで行なわれた「吉田拓郎リサイタル」で発表された曲です。
この時の初演奏は、ライブアルバム「よしだたくろう LIVE '73」に収録されています。

この曲は、吉田拓郎のコンサートにおいては、「春だったね」とともに非常によく演奏される曲で、ファンからの人気も大変高い曲として知られています。

また、1990年代、に泉谷しげる(いずみや しげる)が主催したチャリティーコンサート「日本をすくえ!」で拓郎が参加したコンサートでは、常に場を盛り上げる曲として、最初の方で歌われていました。

「落陽」は、どのような経緯で生まれた? - 「落陽」誕生秘話

「落陽」は、どのような経緯で生まれた曲なのでしょうか?

この曲は、作詞の岡本おさみが北海道を放浪した時の実体験に基づいています。
岡本は、旅の途中で、1人の老人に出会いました。
「落陽」は、この老人がサイコロ賭博(とばく)に明け暮れるようになった人生と、苫小牧(とまこまい)港から仙台港に向かうフェリーに乗る自分をわざわざ見送りに来てくれた際の、港での別れの情景を歌っています。