Super源さんの音楽ブログ

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「パープル・モンスーン/上田 知華 +KARYOBIN」 - 三洋電機「夏のパープル・キャンペーン」のCMソング 「パープル・モンスーン」の意味は?

以前、上田知華の「I WILL」をご紹介しました。
 

「I WILL(アイ・ウィル)/上田知華」 - フジテレビ系ドラマ『ヴァンサンカン・結婚』テーマ・ソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、上田知華の「I WILL」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。上田 知華(うえだ ちか、本名:植田知華子〈うえだ・ちかこ〉、1957年6月10日 - 2021年9月17日)は、東京都出身のシンガーソングライター、作曲家、音楽プ


今日は、もう1曲ご紹介したいと思います。

上田知佳+KARYOBIN(うえだちかプラスかりょーびん)の「パープル・モンスーン」です。

パープル・モンスーン 上田 知華 +KARYOBIN ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

上田 知華(うえだ ちか、本名:植田知華子〈うえだ・ちかこ〉、1957年6月10日 - 2021年9月17日)は、東京都出身のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサです。

上田 知華は、3歳からピアノ教育を受け、東京音楽大学在学中に、自作の作詞、作曲、ピアノ、ボーカルに、弦楽四重奏団(ヴァイオリン×2、チェロ、ビオラ)を組み合わせたピアノクインテット形式のバンド、「上田知華+KARYOBIN(うえだちかプラスかりょーびん)」を結成。1978年にデビューをします。

編曲、プロデュースには樋口康雄(ひぐち やすお)を迎え、優れた楽曲と高度な演奏力をそなえたバンドとして、「パープルモンスーン」など多くのヒット曲を残します。
バックメンバーには、金子飛鳥(かねこ あすか)、溝口肇(みぞぐち はじめ)など、後にソロとして成功を収めた著名ミュージシャンも在籍していました。

さて、今日はそんな上田知華+KARYOBINの、1980年05月25日に発売された通算5枚目のシングルである「パープルモンスーン」をどうぞ。
 
パープル・モンスーン/上田 知華 +KARYOBIN

この曲の歌詞はこちら

弦楽器の映える佳曲ですね。
イントロから、とても素敵な曲で、癒されます。(^^)
This is a fine tune that shows off the strings.
From the introduction, it is a very nice and soothing tune. (^^)
 
曇った心の窓をあけてごらん
昨日よりステキになれるわ
 
この部分が、特にいいですね。(^^)

この曲は、三洋電機「夏のパープル・キャンペーン」CMソングに使われました。

「パープル・モンスーン」の意味は?

この曲のタイトルは、パープル・モンスーン。
これは一体、どのような意味なのでしょうか?

パープルは「紫色」、モンスーンは季節によって風向きが変わる風、つまり「季節風」のことです。
なので、「パープル・モンスーン」を文字通りに訳せば、「紫色の季節風」となります。
が、これでは意味が分かりませんね。

しかし、そのヒントは歌詞の中にありました。
 
とりたてのぶどう色した 新しい風を迎えて
ここから察するに、パープル・モンスーンというのは、”新鮮なぶどう色をした風”という意味だと思われます。

いずれにしても、風に色を感じる詩人・上田知華の感性には、素晴らしいものがあると思います。

「上田 知華 +KARYOBIN」のKARYOBIN(かりょうびん)の意味は?

また、「上田 知華 +KARYOBIN」のKARYOBIN(かりょうびん)というのは、一体どのような意味なのでしょうか?

これは、阿弥陀経(あみだきょう)に出てくる、極楽浄土(ごくらくじょうど)に住む美しい声で鳴く鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)にちなんでいます。

しかしまた、スゴいところから名前をとったものですね。
これはもう、「レレレのおじさん」に余裕で勝っていると思います。(^^;
意味不明な方は、以下の記事の下の方をお読みください。(^^)
 

レレレのおじさんは、どうしていつもほうきで道を掃いている?


レレレのおじさんは子だくさんです。五つ子が連続して5組誕生し、25人もの子供の父親です。子供たちが小さい頃、学校に行かせるにも、みんなを一緒に移動させるのが大変でした。そこで、レレレのおじさんは、ほうきで子供たちの後ろを掃(は)きました。すると、それが合図になり、子供たちは一斉(いっせい)に移動しました。やがて、子供たちは成人してレレレのおじさんのもとを巣立って行きました。レレレのおじさんは、寂しさを紛(まぎわ)らわそうとして、手慣れたほうきで地面を掃き、道行く人に声をかけるようになったのです。


いずれにしても、どちらも「仏教つながり」で面白いですね。(^^)

上田知華の近況

上田知華は、結婚、出産後に約10年間ニューヨークに住み、子育てをしながら作曲とソロアルバムの制作を継続。
2006年に帰国し、2013年には「組曲 枕草子」を制作。
これは、一倉宏が作詞を担当し全篇上田知華がオリジナル曲を書き下ろしたものです。

2013年には、デビュー35周年記念として、上田本人の監修による、「KARYOBIN時代」からソロ作品、今井美樹に楽曲提供した唯一のミリオンセラーシングルの「Piece Of My Wish」のセルフ・カバー(新録)を含む、レーベルを超えた初のオールタイム・ベストを発売。

2018年には、デビュー40周年を記念し、「上田知華+KARYOBIN」のオリジナルアルバム全6作に、1978年のライブ音源を加えた7枚組CDボックス「オール・アバウト KARYOBIN」を発売。
同年10月20日には、東京・日本橋三井ホールにて「~All About KARYOBIN~with 金子飛鳥ストリングス」と題されたコンサートを行ないます。

2022年4月、膵臓癌(すいぞうがん)のため、2021年9月に亡くなっていたことが判明します。