Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「センチメンタルジャーニー/YUKI」 - 「JUDY AND MARY」からソロデビューしたYUKIの、2003年のヒット曲

今日は、YUKIの「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。

YUKI(ユキ 本名:倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓、磯谷(いそや、1972年2月17日 -)は、北海道函館市出身の女性歌手です。
センチメンタルジャーニー/YUKI
写真はこちらからお借りしました。

YUKIは、1992年、映画「いつかギラギラする日」の撮影で函館市を訪れていた恩田快人(おんだ よしひと)と出会ったことがきっかけで、JUDY AND MARYを結成し、ボーカルとして活躍します。
1996年には、「そばかす」が、オリコンチャート初登場1位を記録します。

2002年、シングル「the end of shite(ジ エンド オヴ シャイト)」でソロデビューし、2010年現在5枚のオリジナルアルバムと1枚のシングルコレクションを発売しています。
ソロデビュー後のシングル最高位は「ドラマチック」の2位。アルバム最高位は「joy」「Wave」「five-star」「うれしくって抱きあうよ」「megaphonic」の1位です。

今日は、そんなYUKIの2003年2月19日に発売された通算5枚目のシングルである「センチメンタルジャーニー」をどうぞ。
 
センチメンタルジャーニー/YUKI

この曲のオリコンチャート最高順位は17位を記録しています。
タイトル曲の「センチメンタルジャーニー」とそのインストゥルメンタルバージョンのほか、カップリング曲2曲が収録されており、この2曲のカップリング曲は、共にアルバム未収録となっています。

野田凪制作のPVには、YUKIと同じ髪型のウイッグをつけたYUKIのそっくりさんが登場します。
この演出は、次回作「ハミングバード」やアルバム「commune」のジャケットでも用いられています。
またPVには、SPACE SHOWER Music Video Awards「BEST CONCEPT VIDEO」と、ADC 83rd Annual AwardsのGraphic Design部門「Gold Medal」を受賞しています。

YUKIはまた、これまでエッセイ集などの著作活動や、UA主演の映画『水の女』への出演など、音楽以外の活動も行っています。

GLAYのJIROとは高校時代からの知り合いで、また、TAKUROら他のGLAYのメンバーとも高校時代から交流があります。
「自分の高校でGLAYが人気」と教えたところ、喜んだTAKURO達はYUKIの通っている高校の周辺にポスターを貼り回りましたが、貼った次の日は夏休み初日だったというエピソードもあります。
学生時代は、「アブノーマル」という女子だけのバンドを組み、GLAYの主催するライブに参加し、「かまって」と「モノクロームの思い出」という曲を作りました。

なお、松本伊代が歌ってヒットした「センチメンタルジャーニー」は、同名異曲です。
こちらは、1981年10月21日に発売されました。

「アテンション・プリーズ/能瀬慶子」 - 38700人の応募を勝ち抜き芸能界デビューしたの能瀬慶子の、歌手としてのデビュー曲

今日は、能瀬慶子の「アテンション・プリーズ」のご紹介です。(^^)

アテンション・プリーズ 能瀬慶子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

能瀬 慶子(のせ けいこ、現:吉田慶子(よしだ けいこ) 1963年(昭和38年)3月16日 -)は、千葉県生まれ、東京都文京区育ちの元アイドルです。

能瀬 慶子は、1978年(昭和53年)の高校在学中に、「第3回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で、38700人の応募を勝ち抜いて優勝します。
そして、同年に映画出演を果たし、翌年の1979年(昭和54年)に、「アテンションプリーズ」で、歌手デビューをします。

同年にはまた、「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した、赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演。
記憶喪失の少女・小池しのぶの役を演じ、二重人格による豹変(ひょうへん)ぶりが、当時評判となります。

また、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技は、その後お笑い芸人などによってしばしばパロディのネタにされました。

今日は、そんな能瀬 慶子のデビュー曲である、「アテンションプリーズ」をどうぞ。


アテンション・プリーズ/能瀬慶子

当時確かに、「ここはどこ、私は誰?」というのがはやりましたね。(--)(__) ウンウン。
が、そのネタ元が、何と、能瀬 慶子だったとは!おお!(゚o゚)

私Super源さん、今日初めて知りました。【><】

ネタ元といえば、その後はやった「一気!一気!」という一気飲みの掛け声は、1984年にトンネルズが発売した同名のシングルでしたし…。
 

ど根性ガエル」の歌を歌っていたのは、お笑いコンビ「とんねるず」だった?


作者、吉沢やすみ氏による、シャツに張りついたピョン吉と、そのシャツを着たヒロシがドタバタ劇を繰り広げる国民的ギャグ漫画「ど根性ガエル」。この漫画のオープニング、エンディングテーマともに歌っていたのは、お笑いコンビの「とんねるず」でした。


いやはや、このようにブームをつくってしまう芸能人の影響力というのは、今も昔も大きいものがありますね。(^^)

「赤い風船/浅田 美代子」 - 50万枚近くを売り上げたデビュー曲 仰天エピソードも3つ紹介!

今日は、浅田 美代子の「赤い風船」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

浅田 美代子(あさだ みよこ、本名:同じ、1956年2月15日 -) は、東京都港区出身の女優、タレント、元アイドル歌手です。
浅田 美代子の特徴は、その親近感とキュートな表情です。
愛称は、「美代ちゃん」「美代子さん」。

浅田美代子
浅田美代子 写真 テニスコートで
写真はこちらからお借りしました。

浅田 美代子は、1973年(昭和48年)2月14日に、テレビドラマ「時間ですよ」のお手伝い役でデビューをします。

当時、このドラマが国民的な高視聴率番組だったことも加わり、浅田美代子はたちまち人気を集めます。

また、劇中歌でデビュー曲の「赤い風船」は、1年で50万枚近くを売り上げ、オリコンの年間セールス10位の大ヒットとなり、1973年の「第15回日本レコード大賞」で新人賞を受賞します。

浅田 美代子はその後も、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演するとともに、映画にも出演。映画、歌ともにヒットすることになります。

今日は、そんな浅田 美代子の、1973年4月21日に発売されたデビュー曲である「赤い風船」をどうぞ。
 
赤い風船/浅田 美代子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、「現代の童謡」をコンセプトに作られた楽曲と伝えられています。

というよりこの曲、作曲が筒美京平だったんですね。おお!(゚o゚)
と、いまさらながら驚いているSuper源さんです。

というのは、この曲もそうだとすると、おそらく私の頭の中に入っている名曲の7割くらいは、氏の曲ではないかと考えられるからです。

(゚o゚)(゚o゚)(゚o゚)
(゚o゚)ヾ(^^;)オイオイ、大丈夫カイ?

(゚o゚)
(゚o゚)
(゚o゚)

コラコラ、イイカゲンニ セイヤー!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)ギャーッ!

きっと私は、氏の黄金時代に、青春時代を過ごしたということなのでしょうね。(^^)

浅田美代子の仰天エピソード3選

浅田美代子には、天然ボケのところがあります。
今日は、その中から驚きのエピソードを3つ厳選してご紹介します。

1.日曜日は何曜日?

かつて、明石家さんまと話をしていたときのこと、

「金曜日って何曜日だったっけ?」

という、通常ではありえない質問を、明石家さんまにしたことがあります。
が、さんまはこの質問を面白がって、

「火曜日ちゃいまっか?」

と、ジョークで返すと、浅田美代子は、

「そうだった、そうだった!」

と納得してしまったといいます。

このエピソードは、後に明石家さんまのコント・ライブの第12回公演のサブタイトルとしして使われています。

2.カードキーだと思った物は.…?

また、あるとき、浅田美代子がホテルに行ったときのこと。部屋に入ろうとして、カードキーを入れますが、何度やってもドアが開きません。
そこで、ちゃんと確認したところ、 手に持っていたのは、カードキーではなく、なんと、テレホンカードだったといいます。

3.テレビドラマで骨折?

最後にもうひとつ、極めつきのやつを行きます。
これ、スゴい話ですよ。

あるとき、浅田美代子がテレビドラマを見ていると、アクションシーンで出演者が足を痛めるシーンがありました。すると、何か自分も足が痛いような気がしたので、それを理由に病院に行ってみたところ、なんと、足ではなく、手の指を骨折していたといいます。

こうなると、もう何が何だか分かりませんね。【><】

参考にしたサイト
面白すぎる!!「浅田美代子」の天然ボケエピソード集
https://matome.naver.jp/odai/2145109055082385401