Super源さんの音楽ブログ

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「レイニーブルー/徳永英明」 - のちに「輝きながら…」でブレイクする徳永英明のデビュー曲

今日は、徳永英明の「レイニーブルー」のご紹介です。

レイニーブルー 徳永英明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

徳永英明(とくなが ひであき、本名同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソングライター、作曲家、俳優です。

徳永 英明は、19歳の時に上京し、アルバイトをしながらミュージシャンを目指します。
そして、6年後の1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル「Rainy Blue」でRadio Cityレコードよりデビューを果たします。

翌年の8月、富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル「輝きながら…」がヒット曲となり、ブレイクします。この曲が収録されたアルバム『BIRDS』は、マイケルジャクソンの2週連続1位の記録を抜き、オリコンチャート1位を獲得します。
 

「輝きながら・・・/徳永英明」 - 徳永英明のブレイク曲! 南野陽子出演、1987年の「フジカラースーパーHR」CMソング 山口県長門市仙崎にはこの曲の歌碑が|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「徳永英明」の「輝きながら・・・」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。徳永英明(とくなが ひであき、本名:同じ、1961年2月27日 -)は、兵庫県伊丹市出身のシンガーソ


今日は、そんな徳永英明の、1986年1月21日に発売されたデビュー曲である「レイニーブルー」をどうぞ。
 
レイニーブルー/徳永英明

この曲は、徳永英明がバイト先の軽井沢で知り合った大木誠と共に作り上げた楽曲で、レコード化の際、歌詞が一部変更されています。

元のバージョンは、ライブで歌われることがあり、1990年発売のライブアルバム「徳永英明Live」に収録されています。

この曲は1997年に再アレンジされ、「Rainy Blue~1997 Track~」として再発売されています。

タイトルは、もともと「Rainy Blue」と英字表記でしたが、1997年11月1日に再発売されたときのGracenoteへの登録が「レイニー ブルー」だったことから、近年は「レイニーブルー」とカナカタ表記になっています。

徳永英明のエピソードいろいろ

徳永英明は、日常会話では関西弁を話しますが、テレビ番組のインタビューでは九州なまりが時々出ています。

ダウンタウンの松本人志の兄の松本隆博は、中学時代の同級生の友人です。
また、ダウンタウンの浜田雅功の実家の隣が、徳永の親友の実家だったため、徳永が「HEY!HEY!HEY!」へ親友とその妹を連れて浜田と対面させたことがあります。
その親友は相当なヤンキーだったらしく、浜田はそれ以降徳永を「兄やん」と呼ぶようになりました。

2006年に「NHK紅白歌合戦」に初出場した際、リハーサルで出場曲「壊れかけのRadio」の歌う部分を下げるなど、本来の歌い方より崩して歌ったといいます。
そのリハーサルを見ていたSMAPの中居正広(白組司会)に、「徳永さん、なんでそんなことするんですか。ちゃんとCD通りに歌って下さいよ」と言われ、それを聞いた瞬間、「テレビの前の人たちは、この曲をCD通りに歌うことを望んでいるに違いない」とは思いましたが、結局、本番では下げた歌い方で披露されました。

徳永英明は、以前は喫煙していましたが、もやもや病から復帰してからは禁煙しており、できるだけ副流煙も吸わないように努めています。

この、もやもや病というのは、脳血管障害の一種です。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。
 

もやもや病とは? – 脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害


「もやもや病(もやもやびょう、Moyamoya disease)」は、脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害のことです。脳血管造影の画像において、異常血管網が煙草の煙のように、モヤモヤして見えることからこの病名がついています。もやもや病は、かつては「ウィリス動脈輪閉塞症(ウィリスどうみゃくりんへいそくしょう)」が正式な呼称でしたが、2002年度(平成14年度)から、「もやもや病」が正式となっています。



「センチメンタルジャーニー/YUKI」 - 「JUDY AND MARY」からソロデビューしたYUKIの、2003年のヒット曲

今日は、YUKIの「センチメンタルジャーニー」のご紹介です。

YUKI(ユキ 本名:倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓、磯谷(いそや、1972年2月17日 -)は、北海道函館市出身の女性歌手です。
センチメンタルジャーニー/YUKI
写真はこちらからお借りしました。

YUKIは、1992年、映画「いつかギラギラする日」の撮影で函館市を訪れていた恩田快人(おんだ よしひと)と出会ったことがきっかけで、JUDY AND MARYを結成し、ボーカルとして活躍します。
1996年には、「そばかす」が、オリコンチャート初登場1位を記録します。

2002年、シングル「the end of shite(ジ エンド オヴ シャイト)」でソロデビューし、2010年現在5枚のオリジナルアルバムと1枚のシングルコレクションを発売しています。
ソロデビュー後のシングル最高位は「ドラマチック」の2位。アルバム最高位は「joy」「Wave」「five-star」「うれしくって抱きあうよ」「megaphonic」の1位です。

今日は、そんなYUKIの2003年2月19日に発売された通算5枚目のシングルである「センチメンタルジャーニー」をどうぞ。
 
センチメンタルジャーニー/YUKI

この曲のオリコンチャート最高順位は17位を記録しています。
タイトル曲の「センチメンタルジャーニー」とそのインストゥルメンタルバージョンのほか、カップリング曲2曲が収録されており、この2曲のカップリング曲は、共にアルバム未収録となっています。

野田凪制作のPVには、YUKIと同じ髪型のウイッグをつけたYUKIのそっくりさんが登場します。
この演出は、次回作「ハミングバード」やアルバム「commune」のジャケットでも用いられています。
またPVには、SPACE SHOWER Music Video Awards「BEST CONCEPT VIDEO」と、ADC 83rd Annual AwardsのGraphic Design部門「Gold Medal」を受賞しています。

YUKIはまた、これまでエッセイ集などの著作活動や、UA主演の映画『水の女』への出演など、音楽以外の活動も行っています。

GLAYのJIROとは高校時代からの知り合いで、また、TAKUROら他のGLAYのメンバーとも高校時代から交流があります。
「自分の高校でGLAYが人気」と教えたところ、喜んだTAKURO達はYUKIの通っている高校の周辺にポスターを貼り回りましたが、貼った次の日は夏休み初日だったというエピソードもあります。
学生時代は、「アブノーマル」という女子だけのバンドを組み、GLAYの主催するライブに参加し、「かまって」と「モノクロームの思い出」という曲を作りました。

なお、松本伊代が歌ってヒットした「センチメンタルジャーニー」は、同名異曲です。
こちらは、1981年10月21日に発売されました。

「アテンション・プリーズ/能瀬慶子」 - 38700人の応募を勝ち抜き芸能界デビューしたの能瀬慶子の、歌手としてのデビュー曲

今日は、能瀬慶子の「アテンション・プリーズ」のご紹介です。(^^)

アテンション・プリーズ 能瀬慶子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

能瀬 慶子(のせ けいこ、現:吉田慶子(よしだ けいこ) 1963年(昭和38年)3月16日 -)は、千葉県生まれ、東京都文京区育ちの元アイドルです。

能瀬 慶子は、1978年(昭和53年)の高校在学中に、「第3回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で、38700人の応募を勝ち抜いて優勝します。
そして、同年に映画出演を果たし、翌年の1979年(昭和54年)に、「アテンションプリーズ」で、歌手デビューをします。

同年にはまた、「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した、赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演。
記憶喪失の少女・小池しのぶの役を演じ、二重人格による豹変(ひょうへん)ぶりが、当時評判となります。

また、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」という演技は、その後お笑い芸人などによってしばしばパロディのネタにされました。

今日は、そんな能瀬 慶子のデビュー曲である、「アテンションプリーズ」をどうぞ。


アテンション・プリーズ/能瀬慶子

当時確かに、「ここはどこ、私は誰?」というのがはやりましたね。(--)(__) ウンウン。
が、そのネタ元が、何と、能瀬 慶子だったとは!おお!(゚o゚)

私Super源さん、今日初めて知りました。【><】

ネタ元といえば、その後はやった「一気!一気!」という一気飲みの掛け声は、1984年にトンネルズが発売した同名のシングルでしたし…。
 

ど根性ガエル」の歌を歌っていたのは、お笑いコンビ「とんねるず」だった?


作者、吉沢やすみ氏による、シャツに張りついたピョン吉と、そのシャツを着たヒロシがドタバタ劇を繰り広げる国民的ギャグ漫画「ど根性ガエル」。この漫画のオープニング、エンディングテーマともに歌っていたのは、お笑いコンビの「とんねるず」でした。


いやはや、このようにブームをつくってしまう芸能人の影響力というのは、今も昔も大きいものがありますね。(^^)