Super源さんの音楽ブログ

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「君に涙とほほえみを/布施明」 - のちに「シクラメンのかほり」が大ヒットする布施明のデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、布施 明の「君に涙とほほえみを」のご紹介です。

君に涙とほほえみを 布施明 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。
妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。

布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。
 

「愛は不死鳥/布施明」 - 布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲 「第21回NHK紅白歌合戦」で着用した不死鳥をイメージする衣装は今でも語り草に|Super源さんの音楽ブログ


今日は、布施 明の「愛は不死鳥」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。妻は


1975年に、「シクラメンのかほり」がヒットし、第17回日本レコード大賞・第6回日本歌謡大賞・FNS歌謡祭での最優秀グランプリなど、多数の賞を受賞します。
アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、歌唱力の評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲスト出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。

1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚して話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。1983年に2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。

また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。

今日は、そんな布施 明の、1965年5月10日に発売されたデビュー曲である「君に涙とほほえみを」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら

この曲は、布施明のオリジナルではありません。
原曲は「Se piangi, se ridi」という曲で、イタリアの作詞家・モゴールとロベルト・サッティが作詞を、作曲家のジャンニ・マルケッティとサッティが作曲を手掛けたものです。

歌唱者のボビー・ソロがこの曲で1965年サンレモ音楽祭に出場し、グランプリを獲得。
イタリアのヒットチャート「ミュージカ・ディスチ」で1位を獲得したヒット曲です。

日本では、この曲が『君に涙とほほえみを』という邦題で、キングレコードから発売されました。
安井かずみの訳詞で、邦題と同じタイトルで日本語版が制作され、これが布施明のデビュー第1弾シングルとして発売されました。

布施明の近況

2006年12月13日に、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍し、森山良子とのデュエットソング「やさしく愛して~Love Me Tender」を発売。
同年12月、NHK「第57回NHK紅白歌合戦」出場22回を果たし、ジョン・レノンの「イマジン」を歌います。

2008年に、NHK「第59回NHK紅白歌合戦」出場24回を果たし、「君は薔薇より美しい」を歌います。
布施 明は当時61歳で、美川憲一と並んでトップバッター担当歌手の最年長記録となっています。

2009年に、NHK「第60回NHK紅白歌合戦」出場25回を果たし、「マイ・ウェイ」を歌います。
紅白勇退を宣言し、ポップス歌手出場枠を後進に譲る意向を明かします。

2013年4月に、歌手森川由加里と婚姻した事を発表。

2015年に、第57回日本レコード大賞・功労賞を受賞します。

「走れコウタロー/ソルティー・シュガー」 - 「岬めぐり」で知られるソルティー・シュガーの、1970年発売のミリオンセラー大ヒット曲!

今日は、ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」のご紹介です。

走れコウタロー ソルティー・シュガー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ソルティー・シュガーは、フォークシンガーグループです。

メンバーは、山本厚太郎(山本コウタロー、ボーカル、ギター)、手塚通夫(ボーカル、コントラバス)、佐藤敏夫(ボーカル、バンジョー)、高橋隆(ボーカル、ギター)。

ソルティー・シュガーは、コミックバンドともいわれますが、本来はカレッジ・フォークに属します。
ソルティー・シュガーの前身は、東京都立日比谷高等学校を中心にステージに出ていた高校生バンド、「ワイリット・マン」で、大学進学のときに、佐藤敏夫が抜けることになり、その際、佐藤の名前をバンド名に残そうということで、佐藤敏夫→さとうとしお→砂糖と塩→シュガーアンドソルト→ソルティーシュガーとなったのがその名前の由来です。

1969年12月(昭和44年)に、山本・池田・手塚・高橋の幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビュー。
が、売れたのはわずか3000枚でした。

しかしながら、翌年の1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。
この曲は、同年1970年に行なわれた第12回日本レコード大賞の新人賞を獲得します。

この曲に出てくる馬の名前は、当初は実在の馬の名前の歌でしたが、山本が練習に遅刻してばかりいるので、作詞担当の池田がコウタローに変えました。

ソルティー・シュガーはその後、「日本国有鉄道5月10日の歌」「ハナゲの唄」などのコミックソングも発表します。

今日は、そんなソルティー・シュガーの、1970年5月に発売された2枚目のシングルである「走れコウタロー」をどうぞ。
 
ソルティーシュガー/走れコウタロー
この曲の歌詞はこちら

「走れコータロー」の誕生秘話

この曲はもともと、バンドの練習などの遅刻の常習犯である山本厚太郎に対して、池田謙吉を中心とした他のメンバーが作ったはやし歌です。
そのため、サビの「走れ、走れコータロー」の部分しかありませんでした。
が、当時山本厚太郎と同じ名前の競走馬「コウタロー」が存在したこともあり、競馬の歌として完成することになりました。

高橋隆によれば、この曲は当初、実在する競走馬「ミノル」への応援歌として作るつもりでしたが、語呂が悪いことと、バンドのメンバーである山本厚太郎が練習に遅刻してばかりいるので、「ミノル」を「コウタロー」に変更してこのタイトルとなったといいます。

山本コウタローのその後

山本コウタローはその後、武蔵野タンポポ団、ソロ活動を経て、「山本コウタローとウィークエンド」を結成。
1974年には、大ヒットソング「岬めぐり」を発表します。
 

「岬めぐり/山本コータロー&ウィークエンド」 - オリコン5位!約40万枚を売上げた山本コータロー&ウィークエンド最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。山本コウタロー(やまもとコウタロー、本名:山本厚太郎(やまもとこうたろう)、1948年9


1976年には、山本以外の三人で再結成し、「ソルティー・シュガーII」の名前でシングルを1枚発表します。

2005年から、「山本コウタローとウィークエンド」を、一部メンバーを替えて、「山本コウタローとほぼウイークエンド」として再結成。
ライブ活動を開始します。

2022年7月4日、山本コータローが脳内出血のため死去(享年73歳)。
訃報(ふほう)は、同月の15日に公表されました。

ちなみに佐藤敏夫は現在、現在陶芸家として活躍しています。
また、高橋隆は1976年にビクター音楽産業に入社し、ディレクターとして活躍しました。


「ドム(Dom)/サンタナ(Santana)」- アルバム「シェイプ・シフター」に収録されている名曲

今日は、サンタナの「ドム(Dom)」のご紹介です。

ドム シェイプシフター サンタナ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サンタナ(Santana)は、ギタリストのカルロス・サンタナ(Carlos Santana)を中心とした、アメリカのラテン・ロック・バンドです。

サンタナは、1966年にサンフランシスコで結成された「サンタナ・ブルース・バンド」が前身で、「サンタナ・ブルース・バンドがその後「サンタナ」と改名。
1969年に、コロムビア・レコードからデビューをします。

そして、それと同時期に、ウッドストック・フェスティバルに出演して、話題となります。

1970年に、セカンド・アルバム「天の守護神」を発売。
このアルバムは、ビルボード誌のアルバム・チャートで1位を獲得します。

1971年に、ニール・ショーンが加入して、ツイン・ギター編成となり、ジャズ・ロック色を強めたアルバム「キャラバンサライ」(1972年)を発表。
その後、大幅なメンバー・チェンジが起こり、新たにトム・コスター等が加わります。

1981年に、アルバム「ジーバップ!」を発売。
このアルバムは、全米9位のヒット作となります。

サンタナのその後の作品は、チャート順位は低迷しますが、バンドとしてはコンスタントに活動を継続。
1987年に発売された「フリーダム」では、ジミ・ヘンドリックスとの共演で知られるドラマー、バディ・マイルスがボーカルを担当。

1998年には、ロックの殿堂入りを果たします。

1999年に発表したアルバム「スーパーナチュラル(SUPERNATURAL)」は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で3000万枚以上を売り上げるという大復活となります。
この作品は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「スムース (Smooth)」がビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得。
バンドにとって、初の全米1位シングルとなりました。
 

「スムース(Smooth)/サンタナ」- 初の全米1位を獲得したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、サンタナの「スムース(Smooth)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。サンタナ(Santana)は、アメリカのラテン・ロック・バンドで、ギタリストのカルロス・サンタ


今日は、そんなサンタナの、2012年に発売されたスタジオアルバム・シェイプ・シフター(Shape Shifter)の中から「ドム(Dom)」をどうぞ。
 
ドム(Dom)/サンタナ(Santana)