Super源さんの音楽ブログ

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「ハーフムーン・セレナーデ/河合奈保子」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲

以前、河合奈保子の「けんかをやめて」をご紹介しました。
 

「けんかをやめて/河合奈保子」- 「第24回日本レコード大賞」金賞受賞曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合奈保子の「けんかをやめて」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市


今日は、もう一曲をご紹介したいと思います。

曲名は、「ハーフムーン・セレナーデ」です。

ハーフムーン・セレナーデ 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

この曲は、1986年10月21日に発売された 河合奈保子が全曲を作曲したアルバム、「スカーレット」からシングルカットされた曲で、 作詞は吉元由美、作曲は河合奈保子自身です。

それでは早速、「ハーフムーン・セレナーデ」をどうぞ。( ^-^)/
 
ハーフムーン・セレナーデ/河合奈保子

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^O^)
歌詞、メロディー、そして情感のある歌唱。いずれも素敵です。(^-')
この曲は、オリコンチャート最高順位・週間6位を記録しています。

「ハーフムーン・セレナーデ」は、スケールの大きなバラードで、楽曲披露はピアノの弾き語りで行なわれました。
そのイメージもあって、河合奈保子が清純アイドルからアーティストに転身するターニングポイントとなりました。

河合奈保子はこの曲で、1986年末に行なわれた「第37回NHK紅白歌合戦」に、6年連続6回目の出場を果たしましたが、これが、河合奈保子最後の「紅白歌合戦」出場となっています。

同様に、TBSテレビ「ザ・ベストテン」においても、1980年の「ヤング・ボーイ」以来、通算23曲目のランクインとなりましたが、河合奈保子のシングル曲が同番組で10位以内に入るのは当曲が最後となりました。

ということは…、今思えば、この曲が河合奈保子の最後を飾るヒット曲だったわけですね。(-。-) シンミリ。

この曲は、翌年1987年に、香港の男性歌手ハッケン・リーが「月半小夜曲」のタイトルで広東語でカバーして大ヒット。
以来、香港では、この曲はスタンダード・ナンバーとして歌い継がれています。

「雨だれ」- その後「木綿のハンカチーフ」で人気が爆発する太田裕美のデビュー曲

今日は、太田 裕美の「雨だれ」のご紹介です。

雨だれ 太田裕美 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ちのシンガーソングライターです。

太田 裕美は、1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「まごころ弾き語り」で、デビュー当初は、フォーク調でピアノの弾き語りの曲が中心でした。

1975年12月、3作目のアルバム「心が風邪をひいた日」からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒット。
この曲は、翌1976年にオリコンチャート4位を記録します。

「木綿のハンカチーフ/太田裕美」 - オリコンチャート4位を記録した太田裕美の代表曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、太田 裕美のデビュー曲である「雨だれ」をご紹介しましたが、今日は「木綿のハンカチーフ」をご紹介したいと思います。 写真は、こちらからお借りしました。太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福


それでは、今日は彼女のデビュー曲である、作詞:松本隆、作曲:筒美京平の「雨だれ」をどうぞ。
 
雨だれ/太田裕美

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン最高位14位で、売上げ枚数は18.1万枚を記録しましした。

ちなみに、太田裕美は男性的なさっぱりした性格で、酒豪としても有名です。
ただ、本人の弁によれば、「皆でお酒を飲むときの楽しい雰囲気が好き」と、酒豪であることを否定しています。

また、2004年から伊勢正三、大野真澄の3人でユニット「なごみーず」を結成し、「アコースティック・ナイト」コンサートを開催しています。

太田裕美の近況

・2010年5月16日に、松本隆作詞家生活40年記念コンサートに出演。
その際、「今の太田裕美があるのは松本隆のおかげ、今の松本隆があるのは太田裕美のおかげ」と冗談めかして発言しました。

・2010年、自宅に太陽電池を設置。
その際、電力会社への売電契約をするにあたり、発電設備を「太田裕美発電所」と命名し、自ら所長に就任しました。

・2011年6月から2016年11月まで、福島県生まれの柴犬「小太郎」を飼っていました。

太田裕美と 柴犬小太郎
太田裕美と 柴犬小太郎
写真は、こちらからお借りしました。

「バスストップ/平浩二」 - 明治チョコレートCMソング ミリオンセラーを記録したヒット曲!

以前、ノースリーブスの「バスストップ」をご紹介しましたが、今日は、平浩二の同名異曲をご紹介したいと思います。

バスストップ 平浩二 ジャケットイメ-ジ
写真は、こちらからお借りしました。

平 浩二(たいら こうじ、本名:平頼敏(たいら よりとし) 1949年1月23日-)は長崎県佐世保市出身の歌手です。
身長は185cm 、体重は88kgで、「おかあさんといっしょ」の3代目のうたのおにいさんを務めたたいらいさおは実弟です。
妻は、「TAKAKO」の名義で作詞・作曲を行なっている高子淑江。

平 浩二は、1970年に、テイチクレコードから「博多ブルース」でデビューをします。
2年後の1972年、「バス・ストップ」がヒット。
この曲は、オリコン最高11位を獲得します。

また、1982年、同曲は明治チョコレートのCMソングに採用されて、再発売されます。

今日は彼の代表曲でもある、その「バスストップ」をどうぞ。
 
バスストップ/平浩二

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は千家和也、作曲は葵まさひこで、1972年9月1日にテイチクレコードより発売されました。

この曲は、平浩二のデビュー3年目に発売されたもので、平浩二初の大ヒットとなり、代表曲となりました。

この曲のオリコンヒットチャートの最高順位は11位で、オリコンセールスは22.4万枚、累計売上げ枚数はミリオンセラーに達しました。

「バス・ストップ」の舞台となったのは、渋谷駅東口のバスターミナルで、1982年に明治製菓(現・明治)「明治チョコレート キュービィカット」のCMソングに使われ、再レコーディング盤が発売されました。

なお、サントリーサンゴリアス所属の元ラグビー選手・平浩二は、同姓同名の別人です。