Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「あの頃のまま/ブレッド&バター」 - 「湘南サウンド」として親しまれるブレッド&バターの代名詞的な楽曲

今日は、ブレッド&バター(Bread & Butter)の「あの頃のまま」のご紹介です。

あの頃のまま ブレッド&バター Bread & Butter ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ブレッド&バター(Bread & Butter)は、2人組のフォークデュオ(兄弟デュオ)です。
2人の父は、映画監督の岩沢庸徳(いわさわ つねのり)。

メンバーは、以下の通りです。

・岩沢幸矢(いわさわ さつや):ボーカル、妻はシンガーのMANNA(本名:岩沢真利子、当時は「マナ」名義でも活動。『ひらけ!ポンキッキ』オープニングテーマ「きょうも1センチ」、アニメ『ドラゴンボールZ』エンディングテーマ「でてこいとびきりZENKAIパワー!」などで知られる)、娘はミュージシャンのAisa。
・岩沢二弓(いわさわ ふゆみ):ボーカル、ギター。娘はミュージシャンの岩沢シーマ 。

ブレッド&バターは、1969年のデビュー以来、2014年現在までに41枚のシングルと24枚のオリジナルアルバムを発売しています。
彼らの曲は、加山雄三やサザンオールスターズなどと同様、「湘南サウンド(しょうなんサウンド)」として親しまれており、スティーヴィー・ワンダーや細野晴臣、井上陽水、松任谷由実など、内外のミュージシャンと幅広い交流があります。

今日は、そんなブレッド&バターの、1979年7月に発売された15枚目のシングルである「あの頃のまま」をどうぞ。
 
あの頃のまま/ブレッド&バター(Bread & Butter)

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^O^)
情感のある歌声、作詞作曲は呉田軽穂(くれだかるほ)、即ち、松任谷由実。
素晴らしくないはずがありませんね。(^^)

Good song.(^O^)
Their emotional singing voice. The song is written and composed by Matsutoya Yumi(alies: Kureda Karuho).
Can't be a poor quality.(^^)

歌詞の内容は、いまだ気まぐれな生活を送る"ぼく"と、夢を捨てて立派な社会人になった"きみ"の再会を描いたもので、当時、松任谷由実が彼らのために書いた曲です。

The lyrics are about the reunion of "me," who is still living a whimsical life, and "you," who has abandoned her dreams to become a respectable member of society.
And this song was written for Bread & Butter by Matsutoya Yumi.

ブレッド&バターのエピソード

岩沢幸矢は犬を飼っていますが、何故か名前が「ネコ」だそうです(『松任谷由実のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)での松任谷の発言より)。

・岩沢幸矢は、若い時はホテルマンを目指しており、「パシフィックパーク茅ヶ崎」でアルバイトをしていたことがあります。それとは別の縁でブレッド&バターと知り合った、当時ホテルの社長令嬢であり現在アパレルメーカー「スポーティフ」の社長である岩倉瑞江と親交が深く、岩倉邸で別の友人も交えて自由気ままな共同生活をしたり、一緒にカフェを開いたりなどしていました(公式サイトより)。

「美しいヴィーナス/加山 雄三」 - 「君といつまでも」で歌手としてもブレイクした加山 雄三の、1970年のヒット曲

今日は、加山 雄三の「美しいヴィーナス」のご紹介です。

美しいヴィーナス 加山 雄三 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

加山 雄三(かやま ゆうぞう、本名:池端 直亮(いけはた なおあき)1937年4月11日 -)は神奈川県生まれの俳優、シンガーソングライター、タレント、作曲家、ギタリスト、ピアニスト、画家です。ニックネームは「若大将」、作曲家としてのペンネームは「弾 厚作(だん こうさく)」です。

加山 雄三は、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み、卒業後の1960年春に東宝へ入社し、同年「男対男」で映画デビューをします。

そして、翌年の1961年に、「夜の太陽」で歌手としてもデビュー。
「恋は紅いバラ」、「君といつまでも」、「蒼い星くず」、「ぼくのお嫁さん」、「美しいヴィーナス」、「ぼくの妹に」「光進丸」などの多くのヒット曲があり、その後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、シンガーソングライターの草分け的存在でもあります。

さて、今日はそんな加山雄三の多くの曲の中から、1970年6月5日に発売された24枚目のシングルである「美しいヴィーナス」をどうぞ。
 
美しいヴィーナス/加山雄三

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
メロディーが何かの曲に似てますが、思い出せません。(? . ?)エエトー。

What a good melody!(^o^)
I think I know the song with similar melody to this. But I can't remember the title.(? . ?) Let's see....

1965年12月に発売された「君といつまでも」は、映画『エレキの若大将』の主題歌ということもあり、350万枚の大ヒットとなり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていました。
が結局、大賞は橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、同曲はは特別賞に留まります。

また、加山雄三は、俳優としてそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍。娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットして代表作となりますが、他方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演します。
ブロマイドは、女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録します。

1965年に、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業。
1967年には、運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任。
しかしながら、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えます。

くわえて、女優松本めぐみとの結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了。プラス、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎えます。
そのため、ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ、質素な生活へと追い込まれますが、そこは加山雄三のこと、10年で見事完済しています。

分かった!.+d(゚▽゚*)゚+.
ジョーン・シェパードの「サマー・クリエイション」だ!
以下の曲のイントロを聴いてみてください。(^^)

Eureka!+d(゚▽゚*)゚+.
"Summer Creation" song by Joan Shepherd!
Listen to the intrduction of the song below.(^^)


Summer Creation(サマー・クリエイション)/Joan Shepherd(ジョーン・シェパード)

加山雄三の近況

・2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表。

・2011年、第61回芸術選奨 文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞。

・2013年に行われた仙台の野外ロックフェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」に出演したことをきっかけに、2014年にロックバンドTHE King ALL STARSを結成。メンバーは加山雄三の他、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジ(シアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジ(the HIATUS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&"PIMP"SESSIONS)、スチャダラパー。

・2014年7月 - 8月に、77歳を記念しての大型イベント「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」が東京で開催。若大将シリーズ等の映画上映やテレビ番組『若大将のゆうゆう散歩』で描いた絵画の展示イベント「心に残る1枚の風景画展」等が行われたほか、最終日となった8月23日には日本武道館にてコンサートが行われます。

・2014年9月27日より、加山自身の最後の全国コンサートツアーとして、全国47都道府県53か所にて「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」[10]を開催。2015年7月25日の東京・NHKホールで最終公演を迎え、加山は「歌をやめるわけじゃない。歌は生涯の親友。死ぬまで歌うけど、コンサートツアーには節目をつける」として、全国ツアーからは身を引くことを明らかにします。主な理由として「ほかのことをやりたいから。一つの夢として80歳になるまでに設計している船を完成させたい」とし、かねてから公言している、自身の設計した災害救助船となるエコシップの建造を本格的に進めることも明かしています。

・2014年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。現在は神棚に保管されている。また、同時期に同郷で親交のある桑田佳祐も紫綬褒章を受賞しており、お互いの栄誉を褒め合ったといいます。

・2017年6月、第8回岩谷時子賞を受賞。

・2019年11月12日、軽い脳梗塞を発症したため同月のコンサートを延期することを発表。19日、後遺症なく退院します。

「Baby Blue/フィッシュマンズ」- ボーカル自殺でバンド解散? 特徴的な声と洗練されたアレンジが心に響く名曲&「フィッシュマンズ」のその後~2025年

今日は、Fishmans(フィッシュマンズ)の「Baby Blue(ベイビー・ブルー)」のご紹介です。

Baby Blue ベイビー・ブルー フィッシュマンズ Fishmans
写真はこちらからお借りしました。

フィッシュマンズは、1987年に結成されたロックバンドです。
ボーカル、ギターの小嶋謙介を中心として、明治学院大学の音楽サークル内で結成されました。フィッシュマンズのメンバーは、以下の通りです。

現在の正式メンバー
現在、フィッシュマンズの正式な存命メンバーは以下の通りです。

茂木欣一(もてぎ きんいち)

担当: ドラムス、ボーカル(再始動後)
結成時(1987年)から在籍する唯一のメンバー
フィッシュマンズのリーダー
東京スカパラダイスオーケストラにも正式加入

死去したメンバー
佐藤伸治(ボーカル・ギター・楽曲制作担当)

1999年3月15日に33歳で死去
フィッシュマンズの中心的存在でした

活動休止中のメンバー
柏原譲(ベース)

1988年から2005年の再始動後も参加していましたが、2025年現在は病気療養のため活動休止中です

サポート・バンドメンバー
再始動後のライブでは、以下のようなサポートメンバーが参加しています。

HAKASE-SUN(キーボード)- 元正式メンバー
木暮晋也(ギター)
関口"dARTs"道生(ギター)
原田郁子(ボーカル/クラムボン)

佐藤伸治の死去後、茂木欣一が中心となってバンドの音楽を鳴らし続けており、現在も断続的にライブ活動を行なっています。

「フィッシュマンズ」の音楽性は?

初期のフィッシュマンズは、レゲエを基調としたポップな楽曲を演奏していました。
が、オリジナルメンバー2人が脱退したことや、エンジニアであるZAKがレコーディングへ参加したこと、また、レーベルの移籍に伴うスタジオ環境の変化などをきっかけに、その音楽性は、ダブ、エレクトロニカ、ロックステディを基調とした、ロック、ファンク、ヒップホップなどの要素を取り入れたサウンドへと変化していきます。

フィッシュマンズ(Fishmans)は、レーベル移籍後の『空中キャンプ』、『LONG SEASON(ロング・シーズン)』、『宇宙 日本 世田谷』の、いわゆる「世田谷」3部作を発表した時期から、テクノ系の雑誌やサブカルチャー系の雑誌にもたびたび取り上げられるようになり、90年代後半の日本の音楽シーンにおいて、大きな存在感を示すようになります。

さて今日は、そんなのFishmans(フィッシュマンズ)の、1996年3月27日に発売されたシングルである、『Baby Blue(ベイビー・ブルー)』をどうぞ。
 
Baby Blue(ベイビー・ブルー)/Fishmans(フィッシュマンズ)

いいですねー。(^o^)
一度聴いたら忘れられない、特徴のあるボーカル。
ジャズ風のちょっぴりお洒落(しゃれ)なフルーツ、じゃなかったフルートに、シンプルながら洗練されたアレンジ。
心ときめきます。(^-')いいなぁ
What a wonderful singing voice!
I think he has very unique and distinctive good voice.
And this tune's simple arrange with jazz-like fuit phrase shakes my heart.(^-')

フルーツ


コノ フルート ジャ ナイヨ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

こんなに素敵な曲を歌っているバンドなのに、知っている方は少ないようですね。
不思議です。
I wonder why almost nobody knows about this band.
They're too good to be so unknown.(?_?)

佐藤伸治のバンド活動は高校時代から

佐藤伸治は、実は高校在学中から遊び感覚でロックバンドを結成し、活動していました。
明治学院大学在学中に入会したサークル「ソング・ライツ」内においても、いくつかのバンドを結成しています(当初はドラムス担当)。

「フィッシュマンズ」というバンド名の由来については、プロレス愛好家である佐藤伸治が、メキシコに実在した覆面レスラーの名前をもとに命名したと、結成当時のインタビューで答えています。
しかしながら、後のインタビューでは違う回答をしており、真相は不明となっています。

謎を残す佐藤伸治の死因!

1999年3月15日にボーカルの佐藤伸治が亡くなったため、「フィッシュマンズ」は活動を休止。
佐藤の死因は”心不全”となっていますが、これは表向きの理由で、実際には飛び降り自殺だったようです。

真偽のほどは不明ですが、佐藤伸治はその日、実家の団地から飛び降りたということです。
高所から飛び降りたものの、地面に落ちる直前に後頭部を何かの遮蔽物(木?)に激しくぶつけて落ちたため、死に顔自体はとても飛び降り自殺した人間の顔とは思えないくらい穏やかだったということです。
また、自殺した理由については、どうもうつ病だったようです。
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1492093109

ちなみに、自殺と言う言葉は個人の名誉に関わるので、日本では「自殺した」ではなく「心不全で亡くなった」と言う婉曲(えんきょく)表現をします。
これはもう、一般常識といっていいくらいです。
ただし、「心不全」が100%「自殺」を意味するわけではありません。何故亡くなったのか、遺族(いぞく)が死因をはっきり言いたくない場合にも使われます。
なので、心不全というのは病名ではなく、”死因を特定したくないときに使われる便利な言葉”だと覚えておくと良いでしょう。

佐藤伸治の墓石に刻まれた最後のメッセージ

なお、佐藤伸治の墓は、千葉県の小高い丘の上にある笠森霊園(かさもりれいえん)にあります。

佐藤伸治の墓
写真はこちらからお借りしました。

この写真ではちょっと読みにくいですが、墓碑銘には、
 
2人の物語は いつでもあの日のまま
いくつかの時がたっても
消えない飛行機雲も あの日のままだよ
こんどもここでずっと会える
 
フィッシュマンズ 佐藤伸治
 
と刻まれています。

これは、フィッシュマンズのデビュー曲「ひこうき」(佐藤伸治作詞)の一節ですね。(T^T)
 
ひこうき/Fishmans(フィッシュマンズ)

「フィッシュマンズ」再始動~現在!

2005年に、フィッシュマンが再始動!
同年8月19日、ライジング・サン・ロックフェスティバルにて4年ぶりのライブを行なう。ゲストボーカルには、原田郁子、永積タカシ、UA、忌野清志郎、BIKKEらを迎える。
同年11月、再びゲストボーカルを迎え、東京、愛知、大阪にて「LONG SEASON REVUE」と銘打ったライブツアーを行なう。東京公演のアンコール曲「チャンス」では『Chappy Don't Cry』のプロデューサー・こだま和文がトランペットで参加。

2006年3月25日、前述の「LONG SEASON REVUE」の模様を収めた映画『THE LONG SEASON REVUE』が公開される。
同年3月30日、詩集『ロングシーズン-佐藤伸治詩集』の新装版が発売される。
7月30日、フジロックフェスティバル「FIELD OF HEAVEN」にてライブを行なう。ゲストボーカルに原田郁子、永積タカシ、UA、蔡忠浩(bonobos)、pocopen(SAKANA)、キセルらを迎える。

2007年9月27日、HONZIが死去。

2009年3月25日、ポリドール移籍後の6作品が紙ジャケットにてSHM-CDで再発。
同年7月15日、初期8作品が紙ジャケットにてHQCDで再発。
同年8月28日、SWEET LOVE SHOWERの初日にUAをボーカルに迎え「FISHMANS:UA」名義でライブを行なう。ハカセ(HAKASE-SUN)がキーボードとして参加。

2011年5月3日、日比谷野外音楽堂にてA Piece Of Futureを開催。ゲストボーカルに七尾旅人、ハナレグミ、原田郁子(クラムボン)、やくしまるえつこ(相対性理論)、MCとしてBose(スチャダラパー)、ギタリストとして小山田圭吾、永井聖一(相対性理論)、バイオリンで勝井祐二(ROVO)らを迎える。オリジナルメンバーである小嶋も出演。

2012年4月15日、TOKYO FM & JFN present EARTH×HEART LIVE 2012において、サカナクションと対バン。ゲストボーカルにの子(神聖かまってちゃん)、原田郁子(クラムボン)らを迎える。
同年8月11日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZOに出演。
同年9月30日、東京スカパラダイスオーケストラ主催のイベント『トーキョーナイトクルージング』に出演。

2014年5月5日、VIVA LA ROCK2014出演。
同年8月16日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZOに出演。

2015年4月25日、ARABAKI ROCK FEST.2015に出演。
同年9月5日、OTODAMA'15~音泉魂~"闘魂編"に出演。

2016年6月29日、ライヴアルバム『LONG SEASON '96~7 96.12.26 赤坂BLITZ』発売。監修は茂木欣一。
同年7月、東京・愛知・大阪をまわる約11年ぶりのツアー『FISHMANS TOUR “LONG SEASON 2016”』を開催。ツアーメンバーは茂木、柏原、HAKASE-SUN、木暮、関口、勝井、原田、zAkの8人[25]。

2018年8月1日、アナログベスト『Blue Summer~Selected Tracks 1991-1995~』発売。
同年8月8日、ZAKによるリミックス「ナイトクルージング 2018」を含むアナログベスト『Night Cruising 2018』発売。
同年8月10日、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018 in EZO』出演。メンバーは茂木、柏原、木暮、関口、沖祐市、原田、ハナレグミ。
同年11月、10インチアナログ盤『ナイトクルージング 2018』発売。

2019年2月19日、ライヴイベント『闘魂2019』開催。
同年9月7日、OTODAMA'18-19~音泉魂~に出演。

2020年6月14日、完全無観客ライヴ『FISHMANS AR LIVE「INVISIBILITY」』をdommuneにて配信。

2021年4月21日、デビュー30周年記念イベント『Time passes and the future is now』を配信。茂木、小嶋、HAKASE-SUN、小暮、原田らが出演。生演奏も披露した。
同年5月29日、ライヴアルバム『若いながらも歴史あり 96.3.2@新宿LIQUID ROOm』発売。
同年6月30日、詩集『ロングシーズン-佐藤伸治詩集』にファンクラブ会報誌「POOL」内連載コラム「DE LA POET」に掲載されていた佐藤の詩を新たに収録した増補版が発売される。
同年7月9日、『映画:フィッシュマンズ』公開。同月22日には観客動員数が1万人を突破したことが、また同月30日には観客動員数が15,000人を突破したことが発表された。

2022年9月11日、"WIND PARADE ’22"に出演。

2025年8月28日、「フィッシュマンズ」のベーシスト・柏原譲が、体調不良のため医療機関を受診し、長期的な治療・療養が必要との診断を受けたことを受け、バンドの公式サイトおよびSNSにて声明が掲載された。「フィッシュマンズ」は、「柏原譲は、元気な姿で皆さまの前に戻れるよう治療に専念してまいります。しばしお待ちいただけましたら幸いです」として、理解と変わらぬ声援を求めている。