Super源さんの音楽ブログ

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「また逢う日まで/尾崎 紀世彦」 - 名曲のご紹介

今日は、尾崎 紀世彦の「また逢う日まで」のご紹介です。

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写真は、こちらからお借りしました。

尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年1月1日 - 2012年5月30日)は、神奈川県茅ヶ崎市出身のポピュラー歌手です。
愛称は「キーヨ」。
立派なもみ上げがトレードマークで、そのダイナミックな歌唱力から、当時「和製トム・ジョーンズ」と称されます。

尾崎 紀世彦は、「ヒロ・ハワイアンズ」「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」「ザ・ワンダース」というバンド時代を経て、1970年8月に「別れの夜明け」でソロデビュー
そのダイナミックな歌唱が、業界内で話題となります。

そして、翌年の1971年に、「また逢う日まで」「さよならをもう一度」「雪が降る」「愛する人はひとり」を発売しますが、これらが次々にヒット。
出身地である茅ヶ崎ではワンマン・ショーを、大阪では初のソロ・コンサートを開催します。

2枚目のシングル「また逢う日まで」が、売り上げ100万枚を突破。第13回日本レコード大賞大賞と第2回日本歌謡大賞大賞をダブル受賞します。

今日は、そんな尾崎 紀世彦の通算2枚目のシングルである「また逢う日まで」をどうぞ。


また逢う日まで/尾崎紀世彦

この曲が、日本レコード大賞を受賞した際に、両手でVサインをつくり、さらにトロフィーを持ち上げて笑顔でVサインをしたパフォーマンスは、今もテレビで流れる名シーンとなっています。

またこの曲は、1972年3月27日から始まった「第44回選抜高等学校野球大会」の入場曲にも選ばれており、当日、尾崎紀世彦本人も観客席から入場行進の模様を見ていました。

「白いバスケット・シューズ/芳本 美代子」 - 石川秀美の妹分としてデビューした芳本美代子のデビュー曲

今日は、芳本 美代子の「白いバスケット・シューズ」のご紹介です。

白いバスケット・シューズ 芳本美代子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969年3月18日 -) は、山口県宇部市出身の女優、元アイドル歌手です。愛称はみっちょん。

芳本 美代子は、中学3年在学中の1983年に、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わります。
が、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフにスカウトされ、山口から福岡に通う形で、歌のレッスンを始めます。

そして、1984年3月、芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京。
翌年の1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ(作詞:松本隆 作曲:井上大輔)」で歌手デビューを果たします。併せて、同年の各音楽祭で新人賞を獲得します。

1990年に第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞。これをきっかけに、それ以降は芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替えて、数多くの作品に出演するほか、女優としてテレビドラマや舞台等で活躍しています。

今日は、そんな芳本 美代子の、1985年9月11日に発売されたデビュー曲である「白いバスケット・シューズ」をどうぞ。
 
白いバスケット・シューズ/芳本美代子

芳本美代子は、当時、同じ事務所の石川秀美の妹分としてデビューしました。
また、チャームポイントだった八重歯を抜いて、差し歯にしています。

ちなみに、この頃の「八重歯タレント」としては、芳本美代子のほかに、石野真子、伊藤つかさ、石川優子、河合奈保子、可愛かずみ、坂上香織、石原裕次郎、小柳ルミ子、小林麻美などがいます。

「雨のハイスクール」も名曲!

芳本美代子といえば、「雨のハイスクール」も名曲です。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「雨のハイスクール/芳本 美代子」 - 「白いバスケット・シューズ」で歌手デビューした芳本美代子の1985年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

「雨のハイスクール/芳本 美代子」 - 「白いバスケット・シューズ」で歌手デビューした芳本美代子の1985年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「芳本 美代子」の「雨のハイスクール」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969年3



「17才/森高千里」 - 「NEW SEASON」でデビューした森高千里のブレイク曲!

今日は、森高千里の「17才」のご紹介です。

17才 森高千里 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森高千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高 1969年4月11日 -))は、大阪府茨木市出身の歌手・作詞家・作曲家・ドラマーです。

森高千里 ブロマイド
写真は、こちらからお借りしました。

森高千里は、九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞します。

翌年の1987年春、東宝映画「あいつに恋して」にヒロイン・松前千里役で出演し、5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON(ニュー・シーズン)」で歌手デビューをします。

1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がブレーキ、じゃなかった、ブレイクし、一躍人気ミュージシャンとなります。

御主人が旅行に連れて行ってくれないのでブレーキに細工
写真はこちらからお借りしました。

さて、今日はその、森高千里のブレイクのきっかけとなった「17才」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

この曲は、1989年5月25日に、デビュー2年目の森高千里が、7枚目のシングルとして発売したもので、森高自身初のオリコンシングルチャート最高8位に入る大ヒット曲となりました。

森高千里は、当時、アイドル人気が下火になり始め、バンドブームが沸き起こっていた1980年代後半にデビューした歌手です。
1990年代における、アイドル性をもった若手女性アーティストを表わすガールポップの先駆者であり、その代表格としても爆発的な人気を博し、また「勉強の歌」や「私がオバさんになっても」などに顕著に見られるような、今までの概念を覆すような独創的な作詞の世界や音楽活動も注目されます。

吉田拓郎は、森高千里の書く詩について、「我々ミュージシャンが、今まで何十年もの期間をかけて作り上げた詞の世界観を、森高が一瞬で破壊してしまった」と述べています。


ちなみに、ビル・ローレンスから森高モデルのエレキギターが発売されたことがあり(MB-68, MB-120)、本人も実際にライブで使用しています。


写真はこちらからお借りしました。