Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「僕の贈りもの/オフコース」 - 名曲のご紹介

今日は、オフコース(OFF COURSE)の「僕の贈りもの」のご紹介です。

オフコースは、小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループです。
1970年に「群衆の中で」でプロデビューをします。

メンバーは、小田和正(ボーカル、キーボード)、鈴木康博(ボーカル、ギター)、清水仁(ボーカル、ベース)、大間ジロー(ドラムス)、松尾一彦(ボーカル、ギター、ハーモニカ)。

オフコースの結成は、デビュー7年前の1964年(昭和39年)12月に遡(さかのぼ)ります。
この年、神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中の生徒らが、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしました。
これがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指し、メンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成され、「オフコース」が誕生しました。
オフコースは、大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、同大学の友人から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれたりと、活発な演奏活動を続けました。

さて、オフコースは、「でももう花はいらない」に見られるように、当初は生ギターを中心とした、フォークソング色の濃い曲を歌っていましたが、結成7年目にあたる1976年に、ギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドに変わります。

そして、結成10年目に発売した「さよなら」の大ヒットで、オフコースは多大なる人気を獲得。
それ以降も、「愛を止めないで」「さよなら」「Yes-No」「時に愛は」「君が、嘘を、ついた」等の数多くのヒット曲を世に送り出し、ついには時代を代表するビッグ・グループとなります。

曲は、そんな彼らの多くのヒット曲の中から、1973年2月20日に発売された通算4枚目のシングルである「僕の贈りもの」をどうぞ。


僕の贈りもの/オフコース

「ブーメランストリート/西城秀樹」 - 「情熱の嵐」で一躍トップアイドルとなった西城秀樹の、21万枚を売上げたヒット曲!

今日は、西城 秀樹の「ブーメランストリート」のご紹介です。

ブーメランストリート 西城秀樹 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。

西城 秀樹は、1972年3月25日に、シングル「恋する季節」で「ワイルドな17歳」のキャッチフレーズと共に歌手デビューをします。
片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となった西城 秀樹は、「チャンスは一度」以降、当時マイクを持って直立不動の姿勢で歌う歌い方が主流であった歌謡界に、アクション旋風を巻き起こします。
 

「チャンスは一度/西城秀樹」 - オリコン20位を記録した通算3枚目のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、西城 秀樹の「チャンスは一度」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 西城 秀樹(さいじょう ひでき、本名:木本 龍雄(きもと たつお)1955年4月13日 -)は、広島


そして、1973年に「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれます。

その後、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が続けてオリコン週間チャートの第1位に輝き、「第15回日本レコード大賞」では初の歌唱賞を受賞します。

さて今日は、そんな西城 秀樹の1977年3月に発売された西城秀樹の20枚目のシングルである、「ブーメランストリート」をどうぞ。
 
ブーメランストリート/西城秀樹

この曲の歌詞はこちら

この曲は、当時21万枚を売り上げるヒット曲となりました。

西城秀樹 CDシングル売上枚数一覧
http://nendai-ryuukou.com/artist/119.html

西城秀樹といえば、「勇気があれば」も名曲ですね。
機会があれば、ご紹介したいと思います。

「チャンピオン/アリス」- 名曲のご紹介

今日は、アリスの「チャンピオン」のご紹介です。

アリス(Alice、ALICE)は、1971年に結成された、フォークグループ、バンドです。
メンバーは、谷村新司(たにむらしんじ、チンペイ/リードボーカル、ギター)、堀内孝雄(ほりうちたかお、ベーヤン/ボーカル、ギター)、矢沢透(やざわとおる、キンちゃん/ドラム)で、アリス結成のきっかけは、1970年のアメリカコンサートツアーで、大阪のフォークグループ、「ロック・キャンディーズ」のリーダーだった桃山学院大学出身の谷村と、東京のソウルバンド、「ブラウン・ライス」のゲストドラマーだった矢沢が知り合い、意気投合したのがきっかけです。

デビュー当初はあまり売れませんでしたが、地道なツアー活動等の懸命な努力の結果、「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「秋止符」「狂った果実」等のヒット曲を連発します。

そして、1978年には、日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築きます。
日本武道館では、その後活動停止するまで何回も公演し、他に後楽園球場、甲子園球場、横浜スタジアム、といった当時の野球場や、東京厚生年金会館大ホール、大阪フェスティバルホールといった全国の主だった音楽ホールなどを軒並みに満員にするほど、アリスは多数のファンを獲得していきます。

さて今日は、そんなアリスの、1978年12月5日に発売された通算14枚目のシングルである、「チャンピオン」をどうぞ。


チャンピオン/アリス

この曲は、アリスのシングルでは唯一のオリコン1位を獲得し、最大のヒットとなりました。

ボクシングのベテランチャンピオンが若き挑戦者に敗れゆく姿を表現した曲で、曲中に出て来るディフェンダーのモデルは、当時活動していたプロボクサー選手のカシアス内藤です。
また、この曲の作詞・作曲者である谷村新司は、作曲した時は、レコーディングしたものに比べてゆっくりとしたテンポであったと述べています。